第11話:脆弱な防衛線
月曜日。 裕樹は、いつもより少しだけ、背筋を伸ばしてオフィスを歩いていた。 「システムの原罪」(第9話)を知り、美咲と「第一の自衛」(第10話)を開始したという事実は、彼から不安を消し去りはしなかったが、代わりに「戦う」という明確な目的意識を与えていた。
もう、ただ搾取されるだけの存在ではない。俺は、合理的に自衛する。
休憩室で缶コーヒーを買い、デスクに戻ろうとした時、後輩の健太がスマートフォンを操作しながら通りかかった。 裕樹は、彼に同志のような感覚を覚え、声をかけた。
「健太。この間の話、ありがとうな」 「……なんすか、急に」 健太が怪訝な顔で振り向く。
「いや、NISAだよ。健太の言う通りだと思ってな。俺も、この週末、本気で始めた。NISAもiDeCoも、満額まで振り分けるシミュレーションしたよ」 裕樹は、少し誇らしげに言った。
その言葉を聞いた瞬間、健太の目が、侮蔑とも憐れみともつかない、冷たい光を帯びた。 彼は、バカにしたように鼻で笑った。
「……NISA?」
「ああ。これからは人的資本(笑)より、金融資本だろ?」 裕樹は、第7話で健太が言った言葉を借りてみせた。
「はぁ……」 健太は、深いため息をついた。 「裕樹さん。あんた、まだそんなこと言ってるんすか」
「え?」
「NISA? iDeCo?……それ、どこでやってるんすか。日本の証券会社でしょ。日本の法律で、日本の税制優遇で」 健太は、まるで出来の悪い新人にコードレビューをするかのように、冷ややかに言った。
「それって、裕樹さんが大嫌いな『システム』の、ど真ん中じゃないすか。国の掌の上で、踊らされてるだけですよ」
「なっ……。でも、税制優遇だぞ。非課税、無期限だ。これ以上の『自衛』は……」
「『自衛』?」 健太は、その言葉をオウム返しにして、今度ははっきりと笑った。
「裕樹さん、頭いいんだから、逆から考えてくださいよ。 なんで、俺たちから『永久債』だの『年金5%毀損』だの、あらゆる手段で金を奪ってる『国』が、NISAなんていう『無期限・非課税』の、そんな美味すぎる話を、俺たちにタダでくれるんですか?」
裕樹は、息を呑んだ。 その視点に、考えが及んでいなかった。
「あれは『罠』ですよ。いや、罠っていうか、檻だ」 健太は声を潜めた。
「『マイナンバー』と紐付けさせて、俺たちの資産を『自主的』に登録させる。 『貯金(タンス預金)』っていう、国が捕捉できない『システム外』の資産を、 NISAっていう『システム内』の、完全にトレース可能な電子データに変換させてるんですよ」
「……資産捕捉……」 裕樹の口から、最悪の単語が漏れた。
「そう。そして、10年後か20年後、『敗戦処理』がいよいよ追いつかなくなった時、国は何をします?」 健太は、自分のスマートフォンの画面を裕樹の目先に突きつけた。
「ルールを変えるんですよ」
「ルールを?」
「簡単ですよ。『昨今の財政事情を鑑み、金融所得課税を一律30%に引き上げる』。 『いや、NISAは非課税のはずだ』 『すみません、法律が変わりました』。 ……あるいは、もっと最悪のシナリオ。『財政非常事態宣言。NISA口座に対し、時限的に資産税10%を課税する』」
健太の言葉は、完璧なロジックで裕樹の「第一の自衛」を粉々に打ち砕いた。
「NISAは『防衛線』じゃない。 国にとって、一番狩りやすい家畜を集めた、『牧場』ですよ」
健太は「じゃ、俺、仕事あるんで」と、裕樹の肩を軽く叩いて自席に戻っていった。
裕樹は、その場に立ち尽くした。 手の中の缶コーヒーが、急速に冷えていく。 この週末、ようやく築き始めたと思った「防衛線」は、敵が管理する敷地内に立てた、脆弱な紙の壁でしかなかった。
「……じゃあ、どうしろっていうんだ」
裕樹は、絶望とも怒りともつかない声で、呟いた。 戦いは、さらに複雑で、孤独な領域へと移ろうとしていた。
この小説はハイファンタジー小説です。登場する人物・団体・名称等は全て異世界のものであり、現実に実在するのものとは、何の関係もありません。
「不良債権世代」は、続「国民基盤役務制度」です。
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