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DOLL  作者: 五月雨
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trois




――――芝居だと。気が動転して何をどうしてよいか分らない。


お前はなんだパリアッチョ。


衣装をつけろ、化粧をしろ。

見物人は金を払ってここへ笑いに来ている。


アルレッキーノにコロンビーナを盗み取られても笑えパリアッチョ。

打ち砕かれた愛、口惜し涙も笑いにされて拍手喝さいなのだ。


笑えパリアッチョ。

お前の苦痛の心がお前を惨めにするのだ。


  (Ruggiero Leoncavallo/「I Pagliacci」)























シルスは、目の前の光景が信じられなかった。


室内は、本当に煌びやかで豪華だった。

そして天蓋付の寝台の上には、手に手を取り合い抱き合う男女。

男も女も、シルスの登場に目を見開いている。


そして次第に顔色が青く変わったのは、女だった。



震える唇で、掠れた声で女に名前を呼ばれたシルスは、目の前が真っ暗になる。

どうして、どうして、それだけが頭の中をぐるぐる回り、気持ち悪さに地に膝をついてしまいたかった。

それでもそれをしなかったのは、沸々と湧き上がる怒りの思いからのこと。


そんな硬直した空間へと、無遠慮に足を踏み入れたのは、一体の人形だった。

シルスの後ろから、にょきっと室内を見ては、人形は笑ってすたすたと中頃まで移動する。



「あらあらあら、これは予想外の展開だわ。ねえ、マスター?」



可愛らしく小首を傾げる人形。その後方、シルスの後ろから人形師は現れ、無表情に現状を見回しながら人形の傍まで歩み寄る。

そして寝台の上の男女を目にし、嘆息した。

瞼を一度伏せ、そして開く。

そこには、鈍く濁った瞳があった。



「全くもって予想外だよ、マイドール。いや、期待外れ、かな。」



そして興味が無いとばかりに蔑んだ目で男女を見て、人形師は踵を返す。

そのままスタスタと去って行こうとする人形師に、慌てたのは人形だ。



「まあまあ!Monsieur(私の主君)!どうしたの?」



慌てて扉の所で引きとめた人形は、不安そうに引きつった笑みを浮かべて小首を傾げる。彼のズボンを掴んだ手は、微かに震えていた。



「ねえマスター、気に入らなかったのね?面白くなかったのね?」



殊更明るく声を上げる人形には目もくれず、人形師は前を見据えたまま気だるげに、不満そうに、残念そうに、口を開く。



「こういうのは絶対、女が夫へ懺悔して男が逆上、それで女に絆され夫は男を殺す。そして夫は警察に捕まり、妻は夫の出所を泣きながら待つ、だろう?」


「…そうね、そうだわね。」


「僕は、そんな三文芝居を見たかったわけじゃないんだよ、マイドール。」


「…っそうね!そうだわね親愛なるマスター!」


「そうだよ、マイドール。」



そして人形は人形師から手を離し、人形師はそのまま去って行った。

後に残されたのは、立ち尽くす人形と、件の三人。



そして、やっと状況を理解した男が、怒りの声を上げる。



「貴様ら!不法侵入とはどういうことだ!?警察に突き出してやる!」


「ああ!あなた!愛しいあなた!これは仕方なかったの!脅されていたのよ!信じて!」



女の言葉に男は目を剥き、そんな彼女を見る。

信じられないと顔を語っていた。

そんな男の腕から女は抜け出し、夫へと走り縋る。


シルスはそんな妻の涙ながらの訴えに、心揺れた。

先程の人形師の言葉を聞かなかったわけじゃない。

けれども愛しい人のそんな必死の釈明に、シルスは揺れる。


(そうだ。仕方ないだろう?彼女は非力な女だ。抵抗したら逆に酷い目にあわされるじゃないか。ああ、そうだ。彼女は悪くない。仕方なかったんだ。悪いのは全部あの男じゃないか)


シルスはさっと血走った目で室内を素早く見回す。

視界に入ったテーブルには、銀色に光る果物ナイフが置かれていた。

それから目が離せなくなる。


ああ、愛おしい彼女を苦しめた男に制裁を。

報復を。

復讐を。



縋る女を優しく引き離し、シルスは覚束ない足取りでテーブルへと近付いた。

そして、徐にナイフを手に取る。


目線の高さまで持ってきたナイフが、銀色に光った。

視線を男へと向ける。男は絶望し、怯えた顔で寝台の上にへたり込んでいた。



「…っゆるさない!!」


「うっああああああああ…!!」



ナイフを構え、走るシルスに男は叫ぶ。

その声を聞いた瞬間、今の今まで動かなかった人形が、ぴくりと動いた。


そして振り返り、笑う。


笑う。笑う。笑う。




「ふふふ、貴方たちがつまらないせいだわ。」



人形の言葉に、思わず男へとナイフを振り上げようとしていたシルスの動きが止まる。

男も叫び声を上げられなかった。

女は、怯えた瞳で人形を見る。


人形が、徐に手をあげる。

ゆっくりとあげられたその手の指には、光る糸が一本一本結ばれていた。


人形が、ワラう。



「愛しい愛しいマスターが、不機嫌になっちゃったじゃないの。」



この世の終わりだとばかりな悲愴な声。

ぴくりと人形の指が動く。


すると、シルスの身体が勝手に動いた。

手を振り上げ、そして振り下ろす。


ザシュッと音がして、赤いモノが飛び散る。

それはシルスも濡れさせた。

驚き目を見開くシルスの身体が、また動く。

赤く染まった寝台から離れ、そしてナイフを下ろし、女の下へと足を進めた。

歩み寄る夫に、女は顔を真っ青にしつつも引き攣った笑みを浮かべて迎える。



「あ、ああ、い、いとしいあなた…」



シルスは、そんな妻を見ていられなかった。

視線を逸らした先には人形の姿。身体は自由が利かない。

理性が本能に負けてしまったのだろうか?本能の赴くままに、俺は殺してしまったのだろうか?


視界に映る人形は、そんなシルスを見て、にぃとワラッた。



「サヨウナラ、お陰で愉しくなかったわ。」



目を見開き、絶望する。

シルスは悟ったのだ。人形のやっていることを。

彼の瞳にはやっと、人形の指に結びつく糸が、そして。



「あ、あなた…?」



その糸に繋がれた、己の身体が見えたのだ。


人形の指が動く。

それは終幕の合図だった。


シルスの手が振り上げられる。

女の目が見開かれた。



「っあああああああああああ…!!!」


「きゃああああああああっ!!!」



叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。

嫌だ嫌だと心が叫び、けれど身体は無情にも動く。

振り上げられたナイフを持った手が、女の心臓向かって振り下ろされた。

女の叫び声に、頬を雫が伝う。



「はい、おしまい。」



人形は、呆気なくそう口にした。



そして、ナイフは振り下ろされた。













静まり返った屋敷の外で、人形師はふと振り返った。

すると直ぐに屋敷から血を吐くかのような悲痛な叫び声が上がる。

それを耳にして、人形師は不快そうにため息を吐いた。


そして、ふと何かに気付き、彼は左手を目の前まで持って来る。

その指には、人形と同じように光る糸が結ばれてある。


その結ばれた色に、人形師は手をやり、そして。



「"La commedia e finita."」



そう、笑って糸を引き千切った。





糸(意図)は、この瞬間途切れたのだ。


そして、同時刻。

道化師と呼ばれた青年は、妻の亡骸の横へと静かに横たわった。










その後、警察による捜査が開始された。


屋敷の中に居た殺人犯シルス・ジョーンは、躯となった妻の横へと倒れたという。

心臓付近にナイフで刺したであろう傷があったことから、シルス・ジョーンは妻の浮気相手の貴族を殺し、狂気により妻をも殺し、その悲しみに暮れ、押し潰され狂い染まり、己から命を絶ったと、警察官たちは判断した。


この愛故の悲しくも残酷で滑稽な話は、暫くの間、街の人間たちを楽しませたという。











その街から少し離れた山道で、人形はとぼとぼと、前を歩く人形師の後に付いていた。


あの喜劇から青年の機嫌は元には戻らず、人形も沈み込んでいる。

いつもは輝き光る瞳も髪も、今は鈍い色だ。そして薔薇色の頬も、白い。

もう何度目かのため息を吐いた時、少し前を歩く人形師が、ふと立ち止まった。



そして、振り向き、両手を広げて笑う。



「僕の可愛い、愛しのドール。もういいさ。」



人形の顔が、輝く。



「おいで、次の演目を探しに行こう。」






人形は、満面の笑顔で駆け出した。









"La commedia e finita!"


(芝居は、お終いですわ!)














お付き合いありがとうございました。

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