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一緒にずっと居たかったんだ。
ずっとずっと、一緒だと思ってたんだ。
出逢った日から、もう何年だろうか。
ずっとお前は、傍にいてくれた、のに…、
何でだよ…?
裏路地で倒れる人物を、人形師の青年と人形は揃って見下ろした。
きょとんとした顔で互いに顔を見合わせ、人形が首を傾げる。
「血まみれ、ね?」
「うん、しかも全部自分の血なんだろうね?」
「このままだと、死んでしまうわね?」
「うん、このまま野垂れ死に…「かってに…ころ…すな…っ!」
むくり、と上体を起こしたその人間に、二人は揃って目を向ける。
顔にも所々傷を作ったその青年は、真っ白なカッターシャツを赤く染めて今にも死んでしまいそうなのに、その瞳だけは。
「おれ…は…生き…てる…っ!」
生を、主張していた。
けれど身体はがくりと崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなる。
今は瞼の裏に消えてしまったけれど、あの生気を失わずにいた煌く瞳を、人形師は脳裏に浮かべ、そして。
「彼を"助け"ようか、僕の可愛いドール?」
「あらあら、珍しいこと!いいわ、ええ、いいわよ!」
どこか嬉しそうに人形は笑って、じゃあ、と独りでに手を上げる。
そして、何事か謡う。
「始に、言葉があった」
場の空気が変わる。
人形の髪やドレスの裾が、風もないのに靡いた。
「言の葉は継ぎ、糸へ」
人形と人形師から光る糸が現れ、青年へと絡みつく。
「意図は紡がれ、容へ」
少しずつ、それは青年と絡み合い。
「形は在りし、その言霊」
そしてやがて、とけ消える。
「ふるべ、ふるべ、ゆらゆらと」
「人形は、云った」
赤い唇が、にやりと笑った。
「『モドレ』と」
人形のコトバに、空気は動いた。
風は無い。無い筈なのに、
ふわり、と優しい風が青年の身体を包み込み、優しく撫でた。
するとどうだろうか。その撫でられた部分から、痛みが消えていくのではないか。
服も、傷も、何もかも無かったかのように、『モドッテ』いく。
青年は、瞼を開き上体を起こし、呆然と己を見下ろした。
「…なんだ…これ…?」
そして、のろのろと視線を人形師と人形に向ける。
二人は、笑っていた。
人形師が、天使のように優しい笑みを浮かべて、右手を差し出した。
「さあ、行こうか、ヒトカタノユメ(一型の夢)へと。」
「そうね、"ヒトカタノユメ"(人形の夢)ね。」
二人は、笑った。
青年は、シルスと名乗った。
この街に住む青年で、妻が居たそうだ。
とても美人で気立てのいい妻と、誠実な夫。
理想の夫婦だった二人が引き裂かれる原因になったのは、丁度この街に遊楽に来ていたこの国の貴族の男。
彼は、妻であるその女性を見初めたのだという。
その貴族は権力と財力を使い、二人を引き裂き妻を連れ去って行ったのだという。
しかもそれだけでは飽き足らず、家来に夫であるこの青年を街の裏道へと引き摺り込むように指示し、そして。
犯罪的な暴行、そしてお次はナイフで一突き。
それで、ぽっくりと青年は逝く筈だった。
しかし何の悪運か、彼は生き延びたのだ。
そしてそこを人形師たちに拾われたわけである。
「あらまあ、赦せないわ!」
その可愛らしい口許をへの字にし、人形は腰に手を当てる。
ぷんぷんと効果音が出そうな可愛らしい怒り方に、シルスは少し笑う。
何だか可笑しかった。すべてが。
この独りでに動き喋る精巧な人形も、そして。
「うんうん、人の恋路を邪魔する奴はヒトカタ(人形)に蹴られて死んじまえ!ってね。」
こちらは妙に真剣な顔でうんうん頷いている青年も、可笑しい。
何かがずれている。誤差を感じる。けれども、それがおかしなくらい可笑しい。
ああ、自分は狂ってしまったのだろうか?
「で、君はこれからどうするんだい?」
「あら決まってるでしょう、マスター。報復よ!復讐よ!」
そう人形は、先程の怒りの表情から嬉々とした表情で目を輝かせる。
今にも飛び出して行きそうなそんな人形を、人形師は冷静に抱き上げた。
不満そうな顔をして、人形は青年を見上げる。
「あら、マスター酷いわ!」
それでも抵抗はしない。小さな淑女は不服そうに唇を尖らせる。
そんな人形の頭を優しく宥めるように撫で、人形師はシルスを見た。
「君は、どうしたいんだい?」
視線と視線が交差する。
愉快そうに、悲痛そうに、無情に、人形師はシルスを見つめる。
ごくり、とシルスの喉が鳴った。
どうしたいか?
(決まっている。妻を取り戻したい)
「どうやって?」
(決まっている。上へ、国へ訴えれば…)
可憐な声が、聞こえた。
「本当にそれで上手くいくのかしら?」
(そうだ、上手くいくだろうか?)
(では、どうすればいい?)
そこまで考えて、ふと我に返った。
自分は今、何を考えていた?何を思った?そして、
何を、誘発された?
ぞっとして周りを見れば、目の前で人形師が笑っている。
半月型の目、口。けれど、どこかおかしい。
そこで気付いた。
彼の腕の中に在った筈の人形が、ない。
突然、くい、とズボンが下から引っ張られた。
びくり、と身体が震える。恐る恐る、シルスは視線だけを下に向け、絶句し、笑う。
「あ、あはは、」
にこり、と笑っていた。人形が。人形師の腕の中に在った筈の彼女が。
翡翠色の瞳と琥珀色の瞳が煌く。
「くすくす、決まったかしら、道化師さん?」
彼らに出遭ってしまったその時から、シルスはそう決められてしまったのだ。
「さあ!王様気取りな人間へ、無礼なことでも自由に言ってやろうではないか!」
芝居掛かった口調で、人形師は愉快そうに、同情するように、その手を大きく迎えるように開いた。
それは、これから先の喜劇への幕開け。