表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

完璧すぎる淑女は「可愛げがない」という理由で婚約破棄されました。 ~元聖女ですが、古代魔術まで極めてみました~

作者: 宮野 智羽


 エメラルダ・ヴァインベルク侯爵令嬢は、その日、完璧な夜会の主役であった。


 胸元に銀糸で刺繍された紺碧のドレスは、彼女の透き通るような白い肌を際立たせ、きりりと結い上げられた髪には、ダイヤモンドのティアラが星のように輝いている。その姿は、一輪の孤高な百合のようだと、誰もが賞賛の眼差しを向けていた。


 エメラルダは、その夜会で出会うすべての人々に、完璧な淑女の振る舞いを見せた。


 王国の未来を左右する要人との議論では、的確な分析力と洞察力で彼らを唸らせ、年若い令嬢たちには、優雅な微笑みで言葉をかけた。その姿は聖女にふさわしい、揺るぎないカリスマ性に満ちていた。


 しかし、その夜会の主役であるはずのエメラルダの隣に、最も重要な人物__つまり婚約者である、王太子アルフォンスの姿はなかった。


 アルフォンスは、エメラルダとは対照的な、控えめで可憐な令嬢__リリアーナ・グレンディールの隣にいた。彼女もまた、聖女になれる才は持っていた。ただ、エメラルダには遠く及ばないだけ。


 彼は、まるで周囲の視線を気にも留めないかのように、リリアーナの小さな手を取り、彼女の顔を覗き込み、楽しそうに笑いかけている。


 その様子を、エメラルダは冷静な瞳で見ていた。心臓が高鳴ることも、怒りがこみ上げてくることもない。ただ漠然と、この結末が必然であったことを悟っていた。


 夜会も終盤に差し掛かった頃、アルフォンスがエメラルダのもとへ歩み寄ってきた。彼の顔には、どこか決意を秘めたような、それでいて怯えにも似た表情が浮かんでいる。


「エメラルダ。少し、話をしよう」

「はい」


 誰もいないテラスへと誘われ、エメラルダは静かに彼の後を追った。月の光が降り注ぐテラスは、2人を包み込むように静まり返っていた。


 

「エメラルダ。僕は……君との婚約を破棄したい」


 

 アルフォンスの言葉は、まるで氷の刃のように冷たかった。しかし、エメラルダは動じない。表情一つ変えず、ただ彼の次の言葉を待つ。


「君は確かに、聖女として優秀だ。仕事も完璧にこなすし、誰が見ても非の打ち所のない淑女だろう。だが、私は……君のことが分からない」


 アルフォンスはそう言うと、言葉を選びながら続けた。


「君はいつも毅然として完璧だ。だが、それ故に僕には君が、遠い存在に思える。可愛げがないんだ、エメラルダ。僕は、リリアーナのような女性と笑い合いたいのだ」


 その言葉にエメラルダは、初めてわずかに口角を下げた。それは何とも言えない表情だった。しかしその表情さえ、まるで絵画のような魅力がある。


「王太子殿下のご判断、承知いたしました」


 エメラルダは、一切の感情を乗せずに答えた。そのあまりに冷静な態度に、アルフォンスは苛立ったように眉をひそめる。


「エメラルダ!なぜだ!なぜ何も言わない!怒りもしないのか!?そんなにも僕に愛情が無かったのか!?」


「怒る、ですか?いったい何に?殿下がご自身の望む人格のお相手を選ぶのは、当然のことでしょう。私はそれに付き従うまでです。……しかし、」


 エメラルダは一歩、アルフォンスに近づいた。その真摯な、それでいて凍えるような視線に、アルフォンスはたじろぐ。



「ご自身が望むものを手に入れるためとはいえ、国にとって最も重要な聖女に自由を与えるなど…。殿下も随分『可愛らしい』お方であると、そう再確認したまでです」



 エメラルダは、嘲笑と憐憫の入り混じった言葉を静かに言い放った。そして、淑女としてふさわしい姿勢で、深々と頭を下げる。


 顔を上げたエメラルダに浮かぶのは、不敵で揺るぎない笑み。

 

 アルフォンスは、小さく悲鳴を上げる。もしかして、自分はとんでもないミスを犯したのではないか、と。しかし、今更それを撤回することは出来ない。

 

 エメラルダは、ただ一言「失礼いたします」とだけ告げて、テラスを後にした。


 最後まで毅然で美しい彼女の背中を、アルフォンスはただ呆然と見送ることしかできなかった。




 

 テラスから戻ったエメラルダは、誰にも見向きもせず、真っすぐに会場の出口へと向かった。彼女の冷たくも美しい横顔に、人々は囁き合う。


「やはり、噂は本当だったのね」

「ああ、この夜会で婚約破棄を伝えるおつもりだったらしいから」

「あんなに完璧なのに、可愛げがないというだけで捨てられるとは…」


 エメラルダは、そうした声に耳を貸すことなく、ただ1人、まっすぐに歩き続けた。


 彼女の瞳には、悲しみや後悔など浮かんでいない。


(ああ、私のことを捨てるなんて勿体ない。随分見る目がなかったのね)


 完璧な彼女は、自己肯定感までもが高かった。しかし、それは過大評価という訳ではない。正当に評価をしたうえで、本当に非の打ちどころのない淑女なのだ。


 

 エメラルダ・ヴァインベルク侯爵令嬢__世間は彼女を『神が愛した華』と称するのだった。



◇◇◇



 王都の喧騒から隔絶されたヴァインベルク侯爵邸の一室で、エメラルダは静かに日々を過ごしていた。


 人々は彼女が婚約破棄された失意のあまり、部屋に引きこもっているのだと噂した。侯爵夫妻は、そんな娘を心配し、何度か部屋を訪れたが、エメラルダはただ静かに笑みを浮かべるだけだった。


「お父様、お母様。ご心配なく。私は元気ですわ。ただ少し、静かに考える時間が欲しかっただけです」


 エメラルダは、そう言って両親を安心させた。彼らは、完璧な淑女であった娘が、初めて見せたほんのわずかな感情の揺れを悲しみだと解釈した。そして、それが娘にとって必要な時間なのだと信じ、そっとしておいてくれた。


 だが、エメラルダの心に悲しみはなかった。


 彼女は婚約という足枷から解放されたことを、密かに喜んでいた。


 王太子の婚約者として、聖女として、彼女は常に完璧であることを求められてきた。その重圧から解放された今、彼女は初めて、自分自身の興味と向き合う自由を手に入れたのだ。


 エメラルダは、幼い頃から聖女の血を引く者として、それなりの教育を受けてきた。しかし、彼女の心は常に、その教義の範囲を超えた、未知の魔術に惹かれていた。


(神は、なぜこれほどの力を人間に与えたのかしら)


 聖女の力は人々を癒し、祝福を与えるためのものだと教えられてきた。しかし、エメラルダは、その力にはもっと別の側面があるのではないかと考えていた。力は、ただ人を助けるためだけに存在するのではない。使い方次第で、いかようにも変化する。


「きっと何かしらの意味はあるはず。聖女の力は、それだけの枠に留まっていいものではないもの」


 考えあぐねたエメラルダは侯爵家に代々伝わる、誰にも開かれることのなかった古い書庫へと足を運んでみることにした。そこには、膨大な文献が眠っているはずだ。それらを読めば、何かが分かるかもしれない。


 幸いにも、傷心していると勘違いされているエメラルダを止めるような人は誰もいない。むしろ、考え込んで真顔を極めている彼女に、使用人までもが心配そうな視線を向けるばかりだ。

 

 書庫の扉を開けると、ほこりと古書の匂いが鼻をくすぐる。エメラルダは、埃にまみれた文献を1つ1つ手に取り、貪るように読み漁った。そして数日後、彼女はついに目的の文献を見つけ出した。


 それは、まるで呪文が書かれているかのように、難解な記号と文字で綴られた古い書物だった。その表紙には、古びた紙に書かれた文字が記されていた。


 

『古代魔術の系譜』


 

 その書物には原始的でありながらも、強大な魔術の存在が記されていた。それは、自然界のあらゆるエネルギーを操り、森羅万象を支配する力。しかし同時に、その力はあまりにも強大すぎるため、使いこなすことができなければ、使用者自身を滅ぼす危険をはらんでいた。


「これこそ、私の探していたものだわ」


 エメラルダの瞳に、静かな光が宿った。彼女は、この古代魔術を習得することで、聖女の力に縛られることなく、自分自身の力で道を切り開くことができると確信した。


 それは、婚約者だった王太子を見返すためではない。誰かに認められるためでもない。


 ___ただ、自分自身が持つ力を、最大限に引き出すために。


「私に可愛げなど必要ないわ。強くて美しい華でもいいじゃない」


 エメラルダは書庫の中で、静かに、そして力強くそう呟いた。



◇◇◇



 それから数ヶ月が経った。


 エメラルダは『古代魔術の系譜』に記された知識を、驚くべき速さで習得していった。

 聖女の血がもたらす魔力は、古代魔術の膨大なエネルギーを扱う上での強力な基盤となっていた。彼女はもはや聖女だった頃の清らかな力だけではなく、大地の力、風の力、炎の力を自在に操る強大な力を我が物にしていた。


 何かの願望を叶えるためではなく、ただただ知識欲を満たすため。


 聖女である自分の力を、最大限に引き出して、応用して、活用する。その限界を知ることだけが、今のエメラルダを動かしていた。




 そんなある夜、彼女は散歩の一環で森へと足を運んでいた。


 屋敷を抜け出しての散歩のため、護衛はいない。エメラルダは1人、森の中を迷いなく進み、ある地点で足を止めた。

 

「うーん。やっぱり、張られている結界が弱まっているわね」


 見上げた先には、薄い壁が張られていた。しかし、その壁には、時折桃色の稲妻が走っている。それを見て、エメラルダは呆れたようにため息を吐いた。


  

 数日前、王太子とリリアーナがいきなり結婚を発表した。婚約を結んだという発表ではない。結婚の発表だ。


 加えて新聞には、新聖女としてリリアーナが就任したことが書かれていたが、どうやら彼女の聖女としての力はそこまで強くないらしい。明らかに結界が弱いし、見るからに崩壊寸前だ。そもそも聖女の力は、適性があるだけで崇められるような力である。きっと、力の強弱まで見ていなかったのだろう。


 その弊害が、すでに結界に出始めていた。きっとまだ誰も気づいていないのだろう。気づくのは、きっとこの国に直接的な危険が及んだ時だ。

 


 エメラルダはローブを身にまとい、深くフードを被る。そして、天に向かって右手を伸ばした。


「我が名は、エメラルダ・ヴァインベルク。ただいまより、古代魔術の行使を宣言する」

 

 その言葉に応じるように、光の塊がふよふよと舞い始める。そして次第に、鈴を転がすような笑い声が森に響き始めた。


 

『魔女様よ』


『古代魔術の行使者様ね』


『美しい魔力ね』


『この土地では何百年振りかしら』


 

 クルクルとじゃれるように集まってくる光。それを見つめながら、エメラルダは言葉を紡いだ。


「初めまして、皆さん。少々お願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 

『もちろんよ』

『久しぶりのお呼ばれだもの~』


 光が笑いながらも返事をしてくれるのを、エメラルダは静かに見つめる。


「この世にいるであろう、私以外の古代魔術の使い手について教えていただきたいの。どの辺りにいらっしゃるのか、教えていただけないかしら」


『あらあら、古代魔術の使い手はこの世に3人のみなのよ~』

『あなたは4人目よ』

『ここから1番近い行使者は、ここからずーっと東に行った辺境伯領にいるわよ』


「分かりました。ありがとうございます」


『もういいのかしら?』

『まだまだいいのよ~』


「そろそろ戻らないと、お父様とお母様が心配されてしまうので。またお願いしたいときは、勝手ながら呼ばせていただきます」


『うふふ、は~い』

『待ってるわね。新しい行使者様』

 

 綺麗な笑い声は、段々と消えて行った。 それと同時に、私が初めて大々的な古代魔術を行使したからか、光たちは祝福を与えてくれた。


 木々は喜び、風が踊り、月光はその輝きを増す。


 

『お祝いしますよ。≪祝福の魔女≫さま』


 

 風にフードを持っていかれる。靡く髪を押さえながら、軽く目を細めた。



「こんなにも愛らしい二つ名をいただけるなんて。この世も捨てたものじゃないですね」



 光が笑う声は、どこまでも私のことを歓迎していた。



◇◇◇


 エメラルダが≪祝福の魔女≫という名を得た、2日後。


「では、行ってまいります」

「気を付けるんだよ」

「いつでも帰ってきてちょうだいね」

「ありがとうございます。お父様、お母様」


 両親の人々には、気分転換のための静養だと告げ、エメラルダはひっそりと王都を離れることにした。


 目的はただ1つ。自分以外の古代魔術の行使者に会うためである。この世に自分以外でたった3人。その内の1人が案外近くに居ると分かった今、会いに行く他なかった。


「≪古代魔術の探狂者≫という異名らしいけれど、本当に研究者なのかしら」


 馬車に揺られるエメラルダの胸に、かつてないほどの好奇心が湧き上がった。古代魔術という場において、孤独な探求を続けてきた彼女にとって、同士の存在は希望の光だった。



 数週間の旅路を経て、エメラルダは無事に東の辺境伯領にたどり着いた。穏やかな雰囲気のそこは、子どもの笑い声が元気に響いている。


「辺境拍の屋敷に向かってください」

「はい、お嬢様」


 エメラルダは御者に指示を出し、ゆっくりと馬車を進めさせた。止まったのは、辺境伯の屋敷の門前。荷物を持って降りた彼女は、御者を見送り、静かに屋敷を見上げた。


(光たちに教えてもらったのは、ここ。とりあえず、辺境伯に挨拶をして、そのまま≪古代魔術の探狂者≫について聞いてみようかしら)


 屋敷の扉を叩くと、現れたのは、質素な身なりの執事だった。エメラルダは挨拶を済ませると、辺境伯に会いたいと申し出た。


「おやおや、この辺りでは見ない方ですね」

「失礼しています。私は、エメラルダ・ヴァインベルクと申します。人を探している中でして、辺境伯様にご挨拶とお尋ねをしたく寄らせていただきました」

「そうでしたか。辺境伯様は、仕事で多忙を極めております。挨拶は私からお伝えさせていただきますし、人探しでしたら私がお答えさせていただきます」


 執事は、警戒するようにエメラルダを見つめた。その時、執事の後ろから、落ち着いた声が聞こえてきた。


「構わん、トーマス。通して差し上げてくれ」


 声の主は、1人の男だった。 エメラルダよりも若干年上であるように感じるものの、確固たる強さと聡明さが見て取れた。灰色の瞳が、スッと細められる。


(この人が、)


 エメラルダは再度お辞儀をする。


「改めまして、エメラルダ・ヴァインベルクと申します」

「ご丁寧にありがとうございます。俺は、アルベルド・エルダンジュ。この辺りの治めている辺境伯です」


 アルベルトは、エメラルダと握手を交わす。そして、何かを察したのか、奥の応接室へと彼女を招き入れた。そして、両者腰を下ろすと、早速アルベルトは口を開いた。


「王都の聖女様が、わざわざこんな辺境までお越しになるとは。一体、どのようなご用件でしょうか?」

「聖女様だなんてご冗談を。その様子ですと、婚約破棄の件もご存じなのでしょう?」

「ははっ、噂には聞いていましたが、本当にお強い方ですね。淑女としての品格は勿論、実力もセンスもあるなんて驚かされます」

「…噂、ですか」

「古代魔術の新たな使い手__≪祝福の魔女≫が誕生したと一報を受けましたので」


 その言葉と共に、アルベルトの周囲に一気に泡が飛ぶ。エメラルダは目を見張るも、アルベルトは薄く笑うだけ。


「まさか、」

「俺のことを探しに来たんでしょう?≪祝福の魔女≫様」


 泡からは、何かの楽器のような音が聞こえる。


 エメラルダは驚いた。辺境伯なら古代魔術の使い手の居場所について知っていると思ったが、まさかその張本人だったとは。


「遠路はるばる来てくださったんです。立場なんて気にせず、一旦話は全て聞きましょう」

「……本当に?」

「俺に答えられることなら、ですけどね」

「でしたら……私に古代魔術をご教授願えませんか?」


 エメラルダの言葉に、アルベルトは驚きを隠せないようだった。しかし、その目は面白いものを見つけたように揺れている。


「……ちなみにどこで古代魔術を身に付けたんですか?」

「家の古書庫です。昔は各国と貿易をしていた家系でしたので、その中に紛れていたようです」

「偶然それを見つけた、と?本当に?古代魔術の魔術書なんて、最高難度でしょうに」

「……鋭くないですか」


 エメラルダが呟くと、アルベルトは豪快に笑う。何だってこんなに鋭いんだ。変に丸め込まれないし、発言の細部もしっかり掬ってくる、と心の中でエメラルダが呟いていることさえも見透かしてそうだ。


「ま、何でもいいですけどね。古代魔術の習得は、生半可な気持ちではできないでしょう。それなりの覚悟を持って習得したことには間違いありませんから」

「……認めてくださるんですか」

「もちろん。俺だって、最初は興味本位で習得を始めただけです。魔術や魔法の習得なんて、根本は全てそんなものですよ」


 辺境伯という立場でありながら、自分の興味の赴くままに生きるアルベルト。そんな姿を、エメラルダは羨ましいと思っていた。

 

「古代魔術の教授、でしたよね。もしよろしければ、この辺境の地で、共に古代魔術を研究しませんか?」

「えっ?い、いいんですか!?」

「古代魔術の使い手は、この広い世界でたった4人。その内の2人はここに集まったのなら、研究するしかないでしょう」


 ≪古代魔術の探狂者≫___その名を彼が与えられた理由がよく分かった。


 エメラルダも学ぶことは嫌いではない。むしろ、共に同じ題材について掘り下げることができるなんて、わくわくするに決まっている。


 彼女は、この男こそが、自分の探求を理解し、共に歩んでくれる存在だと直感した。


「ええ、喜んで!」


 彼女は、子どもの様な笑顔を浮かべた。その微笑みは、かつての完璧な淑女のそれとは違い、心からの安堵と、新たな道を見つけた喜びに満ちていた。


 こうして、エメラルダは辺境の地で、アルベルトと共に古代魔術の探求を始めるのだった。



◇◇◇



 エメラルダとアルベルトが辺境伯領で古代魔術の研究を始めてから、1年という月日が流れた。

 彼女は定期的に両親へ手紙を出したり、帰省したりしているため、今では元気に、そして自由に羽を伸ばしている娘に、両親も安堵の表情を見せていた。アルベルトの存在も公認で、何なら研究費の出資をしてくれるほどだ。


 2人はというと、古代魔術の研究をしつつ、聖女の力との親和性についても掘り下げていた。辺境ということもあってか、研究内容を盗もうと企む輩もいない。


 そんな最適で快適な環境の元、2人は今日も研究に勤しんでいる。


「エメラルダ。もう少し聖女の力の出力を上げられるか?」

「もう少し…これでどう?」

「良い感じだ。あとはこれを~…」


 すっかり敬語も無くなった2人は、最高のコンビとなっていた。研究に没頭するあまり体調を崩し、執事のトーマスに叱られる。そこまでセットになりつつも、やはり研究の手を止めることはない。


 


 

 そんな平穏な日々を送っていた、ある日のこと。

 

「【未曾有の大災害】…?」


 それは王都から発刊された号外の一面を飾っていた。


 大賢者の予言によると、5日後の深夜、突如として大地が裂け、空から隕石が降り注ぎ、街は壊滅的な被害を受けるという。その予言通りならば、間違いなく多くの人の命が失われる。


 ただの預言ならばいい。しかし大賢者の預言となると、軽視するわけにはいかないと2人は思った。


「この様子だと、こっちまで被害が来そうだな」


 アルベルトは号外を見つめながら、悩ましげに唸った。王都から辺境伯領までは、随分と離れている。しかし、被害の規模が分からない今、事前に手を打っておく必要はありそうだ。


「事前に結界を張りましょう。この地だけでも守らないと」

「…いいのか?」

「今はただの聖女もどき。力を使ったところで、誰にも指摘する権利はないわ」


 そういうと共に立ち上がり、エメラルダとアルベルトは屋敷の中庭に出た。


 晴れ渡った青空に、大災害を思わせる影は見当たらない。しかし、2人の顔は険しい。


「……結界を張ったら、すぐに王都に戻らせてもらうわ」

「わざわざ行かなくても、ご両親なら転移魔術で連れて、」


「__リリアーナの結界では耐えきれない」


 エメラルダは空を見上げたまま、断言した。

 彼女が思い出すのは、古代魔術を初めて行使した日に見た結界。時折桃色の稲妻が走っていたそれは、お世辞にも強固とは言えなかった。


「……エメラルダのことを捨てた王子の国だろ。知らないふりをすることだってできる。王都が滅んでも、俺たちは平和に暮らしていける」

「でも、……力があるなら救いたいじゃない」


 エメラルダは困ったように笑った。


 過去には『神が愛した華』とまで称された彼女。完璧な淑女であったときは見せなかった素の表情に、アルベルトは言葉を詰まらせた。

  

「きっと王都は大混乱。新たな聖女としてリリアーナは、とんでもない期待を向けられている」

「……エメラルダ。君はあの王子や、新たな聖女のことを恨んでいないのか?」

「恨む…?どうして?」


 エメラルダは、本心から首を傾げた。皆目見当つかないといった様子に、アルベルトは驚きつつも、ふっと笑った。


「ははっ、そうだった。君はそういう人だった」

「…馬鹿にした?」

「いやいや、褒めたんだよ。本当、生粋の聖女だな」


 エメラルダは不満げに唇を尖らすも、程なくして祈るように手を組んだ。


 サァー…と風が流れる。そして、風が止むとエメラルダの身体から温かな光が漏れる。


 絹糸のような繊細な光と、淡い緑の奇跡の光。それらは何かに導かれるように、折り合った。


「エメラルダ・ヴァインベルクが祈ります。この土地に、正しい加護とあるべき平穏を」


 その言葉に応えるように、一瞬全ての音が消える。唯一聞こえるのは、軽やかなベル。そして気が付くと、辺境伯領には美しい強固な結界が張られていた。


「すごいな…」

「結界が見えるの?」

「うっすらとだが、綺麗な紋が浮かんでいるのが見える」


 予想外の言葉に、エメラルダは驚いた。結界が見える人は相当限られている。聖女の才を持つものか、余程魔術に長けた人か。きっと後者だろうが、それにしても…


 そこまでエメラルダが考えた時、アルベルトは覚悟を決めたように口を開いた。

 

「俺は市民に国を出ないように通知を出しておく。明日の早朝に立とう。そのための準備を済ませておいてくれないか?」

「え、っと…まさか、アルベルトも王都に来るの!?」

「違うのか?俺はてっきり最初から着いていくものかと思っていたんだが」

 

 心外だ、とでも言いたげなアルベルトの表情に、エメラルダは嬉しそうに頬を緩める。

 戦地にもなりかねない場所だというのに、一緒に来てくれるのか。そんなに嬉しいことはない。


「ぜひ、来てほしいわ。準備しておくわね」

「ああ」


 そんな言葉と共に、2人は屋敷に戻って準備を始めた。



◇◇◇


 

 大賢者の予言の後、王都は大混乱を極めていた。

 国の上層部は見た目こそ落ち着いているものの、内心は穏やかではなかった。一同は大聖堂に集まり、大災害の瞬間に震えていた。

 

「リリアーナ聖女!結界と加護は、大丈夫なんだろうな!!」

「た、たぶん…」

「多分だと!?いい加減にしろ!!エメラルダ前聖女なら、確実に守ってくれたぞ!!そもそも、大聖堂の加護もこんなに弱くてどうする!!!!」


 国の上層部から飛んでくるのは、どれもリリアーナを非難するもの。


 リリアーナは思っていた。前聖女のエメラルダの力がおかしいのだ。あんなに桁違いの加護と比較されては、この世の誰も敵わない。彼女の結界も見たことがあるが、あんなにも精巧な造りをした結界なんて芸術の域だ。


 しかしそれを言えるような場ではない。リリアーナが耐えていると、隣に座っていた王太子のアルフォンスが震えていることに気が付いた。


 アルフォンスもまた思っていた。今更ながら、婚約破棄を言い渡した時の彼女の言葉の意味が分かったのだ。


__

 

「ご自身が望むものを手に入れるためとはいえ、国にとって最も重要な聖女に自由を与えるなど…。殿下も随分『可愛らしい』お方であると、そう再確認したまでです」


 __


 その言葉はきっと、リリアーナの聖女の力の弱さを見越してのものだったのだろう。エメラルダは見抜いていたのだ。リリアーナの力の限界を。そして、自分を捨てることが国の崩壊に繋がる選択であると。


 聖女が王族と結婚する意味を、アルフォンスは今更ながら理解した。王族が目先の愛にうつつを抜かしてはいけなかった。王族という身分は、聖女を縛り付けておくための体のいい枷なのだ。


 

 国を守っているのは王族ではない。__聖女なのだ。聖女こそが、真の王だったのだ。


 

 さらに、エメラルダは公務の手際も良かった。婚約者という立場であるにも関わらず、しっかりと仕事をこなしてくれた。リリアーナはどうだろう。右も左も分からなければ、誤字も酷いし、資料は見にくい。そのうえ仕事が遅いときた。


「エメラルダ前聖女は見つからないのか!!!」


 国王が苛立ったように叫ぶ。しかし、大臣は平謝りをするばかり。



 予言が出た日、国王陛下は直々にエメラルダの実家であるヴァインベルク邸を訪れた。エメラルダに謝罪し、何とか国を守ってもらうためである。

 

 しかし、エメラルダは不在だった。行方を教えてもらうことも叶わず、現状に至っていた。



 

   「失礼します!!!! 大災害が始まりました!!!!!」



 

 兵士の叫び声。皆が席を立った時、地面が大きく揺れた。

 

 人々は恐怖に震え、リリアーナの聖女の力に最後の望みを託した。しかし彼女の力は、この未曽有の災害の前ではあまりに無力だった。

 

 アルフォンス王太子もまた、成す術もなく、ただ呆然と立ち尽くすばかりだった。


「どうして……どうしてこうなったんだ」


 崩れ始める聖堂から、皆が命からがら逃げ出した時だった。

 

 

「我が名は、エメラルダ・ヴァインベルク」 

「我が名は、アルベルト・エルダンジュ」



「 「ただいまより、古代魔術の行使を宣言する」 」


 

 凛とした声で、堂々たる宣言が響いた。ローブを纏った2人は、隕石の降り注ぐ天に向かって真っすぐ手を伸ばした。


 その瞬間、光の塊と美しい泡が一切に広がる。それは時折弾け、生き物の怪我を治し、地面を補強し、人々を守り続ける。隕石も打ち砕き、その被害を無にする。砕かれた隕石の破片さえも、光の粒子に変わっていく。


 人々がその奇跡のような光景に見惚れている内に、大災害はあっという間に終息し、王都には静けさが戻った。


 アルフォンスは、ただ呆然と、エメラルダとアルベルトの偉業を見ていた。かつて自分が「可愛げがない」と言い放った女性が、国を救ったのだ。



「エメラルダ、?」

 

 アルフォンスの言葉は、小さく小さく零れ落ちた。フードが取れ、彼女の素顔が露わになる。名前を呼ばれたエメラルダは、そっとアルフォンスに近づいた。


「お久しぶりです」


 エメラルダの瞳は、静かな光を宿している。


「エメラルダ……!なぜ、ここに?もしかして、僕のことが、」

「いい加減にしてください」


 エメラルダはそれはそれは綺麗な笑顔で、伸ばされた手を勢いよく叩き落とした。


「元婚約者といえど、今では無関係の身。無遠慮に触れようとするなど、虫唾が走ります」

「えめ、らるだ、?」

「その愚かな口をさっさと閉じて、少しでも国民のために動いてください」

「な、」

 

 

 「おーおー。よく言った。スカッとしたわ~」


 

 アルベルトは楽しげに笑いながら、自らフードを外す。その瞬間、現国王が驚いたように声を発した。


「ア、アルベルト、!?お前、生きていたのか!!!」

「ははっ、どーも。俺のことを捨てたっきりだったか、クソ親父」


 私の隣に立ちながら、口悪く言い放つアルベルト。突然のことにエメラルダが驚いていると、アルベルトは笑う。


「俺は、あのクソ親父と愛人の間にできた子どもだ。バレると面倒だからって、辺境拍をしていた遠い親戚に俺のことを押し付けたんだよ。ほら、エメラルダの元婚約者に名前似てんだろ」

「な、なんでそれを、」

「あ?それぐらいのことなら調べられるわ。どれだけ自分の血で古代魔術の研究したと思ってんだ」

 

 口悪く煽り散らかすアルベルト。エメラルダは止めるどころか、心底楽しそうに笑う。


「もういい?」

「ああ。言いたいことは言えて満足した」


 エメラルダはアルベルトに確認を取ってから、大臣たちに向き直った。

 

「我々が救いの手を差し伸べるのは、今回きりです。今後、救済する気は一切ありません」

「今回だけでも救いがあっただけ、マシだと思え。エメラルダの寛大さに感謝しろよ」


 2人はそれだけ言うと、さっさと帰ろうとする。長居する気はない。用事は全て終わったし、大満足だ。


「エメラルダ……!どうか、私の元へ戻ってきてほしい!今なら分かる!お前こそが、この国に必要な女性なのだと!!」


 足がもつれながら、アルフォンスはエメラルダに縋りつく。しかし、途中で足が動かなくなった。


 アルフォンスの足元には、先ほどまで人々を救っていた光が絡みついてる。意思を持つように、ギチギチとアルフォンスの足を締め上げていた。骨が軋み、アルフォンスは苦しげに唸った。


 その声でようやく気が付いたとでも言うように、エメラルダは優雅に振り返る。冷たく、そして静かに言い放った。


「殿下、ご冗談はよしてください」


 無感情な声に、その場にいる人全員が小さく悲鳴を上げる。全員が、彼女が本気で怒っていることを察する。下手に刺激すれば殺される。そんなことを本能で感じてしまうほどの殺気。


「あっ、そうだ。リリアーナ聖女」

「ひぃ、」


 思い出したかのように、エメラルダは視線をリリアーナに向ける。彼女は怯えているが、エメラルダは優しげな表情だ。


「あなたの愛らしさは、私も惚れ惚れするほどものです。しかし、それを自分にだけ向けてくれていると勘違いする馬鹿は五万といます。どうぞ、扱いには注意してくださいね。自分の武器で自分の首を絞めては、元も子もありませんから」

 

 それだけ言うと、2人は王都を去ったのだった。





 

 後日、平和な辺境伯の屋敷で2人はお茶会をしていた。

 その日は執事のトーマスに、研究に熱中しすぎだと説教され、1日研究を禁じられた日だった。


「にしても、愛嬌まで計算済みってか」

「東洋の言葉に『能ある鷹は爪を隠す』というものがあるそうよ。私の愛嬌は、まさに最終手段。そもそも、聖女に愛嬌は不要よ。人を必要以上に誑かしかねない」

「面白い言葉だな。その完璧さで、さらに爪まで隠していたとは」


 カップをソーサーに置きながら、エメラルダはアルフォンスをじとっと睨む。


「それを言うなら、私だってあなたが王族の血を引いているとは存じ上げなかったわよ」

「言う必要がないと思ったんだ」

「知っていれば、」

「俺の元に来なかった?」


 一瞬、中庭が静かになる。アルベルトは目を伏せ、エメラルダの言葉を待った。


 少しの間の後、

 

「王族の愚痴をもっと共有できたじゃない」


 むすっと頬を膨らませ、エメラルダはクッキーを齧った。そんなエメラルダを、アルベルトは愛おしそうに見つめる。


「今からでも遅くないんじゃないか」

「でも本人にぶつけたスッキリしちゃった」

「あれは良かったな~。今思い出しても最高だ」

「アルベルトの煽りだって、聞いていて楽しかったわよ。口は悪かったけれどね」

「あの後、王妃と揉めたらしいな。ざまあみろってんだ」


 

 楽しげに笑う、エメラルダとアルベルト。


 

 古代魔術が繋いだ不思議な縁は、きっと切れることはないのだろう。



【作者からのお願い】


「面白かった!」「続きが気になる!」


と思ってくださったら、


下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援をお願いいたします。


星5つをいただけると嬉しいですが、正直な気持ちで勿論大丈夫です!

ブックマークもいただけると本当に嬉しいです!


何卒よろしくお願い致します。


※沢山の反響をいただけた際は、長編化したいと考えております!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
主人公2人の性格が良き!シリーズ化してほしいです。 面白い作品を、ありがとうございました。
エメラルダとアルベルト最強♡ 残り2人の古代魔術の使い手との絡みや、4人が勢揃いして織り成す偉業を想像してワクワクドキドキです( *´艸`) エメラルダとアルベルトの楽しく幸せな日々や、執事の苦悩なん…
なんか辺境伯領と王都が別の国であるかのような描写がちょっと気になりました 同じ国ですよね? 面白かったです エメラルダとアルベルトの関係が、現状では同士止まりな所も変に甘ったるくなくて良いですね こ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ