祭りの夜に
祭の太鼓とお囃子の音が聞こえる。
大学の夏休みで久々に実家に帰っていた僕は、散歩の途中で神社のお祭りに遭遇した。
「懐かしいな……」
そうつぶやいて鳥居を見上げると、東から西に向かって、空には紺から橙へと美しいグラデーションが描かれていた。小学生の頃に友だちと一緒に来たときに見た空と同じで、思わず懐かしさと同時に切なさを覚える。陽気でありながらどこか郷愁を呼び起こすリズムに誘われて、鳥居をくぐり、人混みへと紛れ込んだ。
両脇には出店が並び、りんごあめや金魚すくいなど、お祭ならではのラインナップにだんだんと楽しい気分になる。小学生当時はお金がなくてほとんど眺めるしかなかったが、今となっては欲しい物が普通に自分で買える。大学生って素晴らしい。
僕は、イカ焼きを買って舌鼓を打ちながら、いい気分で参道を歩いていく。
境内に入ると、ど真ん中の楠は相変わらず大きくて、僕を圧倒させる。その後ろの建物は鮮やかな朱色で、昔の偉い人が奉られているらしい。
僕は、せっかくだからとお賽銭を投げ込んで、願掛けをすることにする。
しかし、何を願おうか?
目をつぶって両手を合わせていると、不意に頭をよぎる既視感。
妙だなと首をひねっていると、突然背中に衝撃が加わり、危うく賽銭箱にダイブしそうになる。
かろうじて踏みとどまって振り向くと、そこには懐かしい顔があった。
「よっ!拓斗」
「えーっ、拓斗かっこよくなってるじゃないの」
「すげぇな。都会効果(笑)」
「みんな立派になったよねぇ」
口々に言いたい放題放つこの四人は、小学校の時、毎年一緒にこの祭に行った仲間だ。
何年ぶりかの再会に、僕も興奮気味になる。
「やっぱり、お前らも来てたんだな!」
「懐かしいねー。何年ぶりだろー?」
大学二回生になってもまだ可愛さの残る北沢七美が目を輝かせた。
「あたしは中二で引っ越したから八年ぶりかな」
姉御肌の瀬野涼子が短い髪をかき上げながら応える。
「全員揃うので言えば、小六以来じゃね?」
今では茶髪青年となった黒崎龍が顎に手をやりながら記憶を探る。
「本当に懐かしいなぁ」
穏やかな微笑みを浮かべて楠誠太がしみじみとつぶやく。
「まさか、この歳になって五人が揃うことがあるとは思いもしなかったよ」
一堂に会した懐かしい友に自分も自然と笑顔になる。
全員を見回して、七美が元気に声を上げる。
「お祭回ろうよ!」
「おお、今日は食って遊んで楽しもうぜ!」
「相変わらずだなぁ、龍は」
僕はそう言って苦笑する。
ぞろぞろと固まって、思い出話に花を咲かせながらお祭を散策していると、七美がまた懐かしい物を見つけた。
「あっ、串ころコロッケだー」
「うっわ、懐かしー!」
女子二人が盛り上がっているところに男子が更に付け加える。
「そうそう、これこれ。金がないから一串買ってみんなで分けたんだよな」
「一人一個でも美味しかったなぁ」
そんなことを聞いていると、そのときの味を思い出して口の中につばが滲み出てくる。
「よし、買ってくる!」
僕は七美に負けず劣らずの勢いで、出店へ突撃する。
もう大学生でバイト代があるから、みんなに一人一本ずつおごることもできた。しかし、あの日が懐かしく、僕はあえて一本しか買わずにみんなのところへ戻った。
「まず一個もーらい!」
サクサクの衣を口の中で破るとホクホクの中身が出てきてこれがまた、ソースと相性抜群で美味しい。
幸せを堪能した後、次に回そうと思ってふと串を見ると、コロッケはあと三つしか無かった。
「えっ!?」
思わず声を上げた僕をみんなが見て、同時にコロッケの数に気づく。
「え?拓人二個食べちゃったの?」
涼子がしょうがないなぁと笑ってため息をつく。
「ち、違うよ。僕は一個しか食べてない!」
いじきたないと思われるのが嫌で、僕は必死で弁明した。
「コロッケ美味しいもんねぇ」
七美がからかい気味に追い打ちをかける。
「だから、違うんだって!」
「まあまあ、落ち付けって」
僕たちのやりとりがヒートアップしていくのを見て、龍が仲裁に入ってきた。
「もう小学生じゃないんだから、もう一本買えばいいじゃないか」
そう言って、龍はもう一串買いに行ったのだが、首をひねりながら戻ってきた。
「串ころコロッケって一串四個だったっけ?」
龍が買ってきた串をみんなで見ると、そこには四個しか刺さっていなかった。しかし、四個ではみんなで分けるには一個足りない。
みんなで不可解だと思いながら顔を見合わせる。
「ま、何年もたってるから、数が変わったんでしょ」
「そうですね。不景気で四個に減ったのかもしれませんね」
涼子が話を切って、誠太が分析的に結論づけた。
「かもなー。それよりも冷める前に食おうぜ」
龍の提案にみんなはその通りだと、次々に串を回してコロッケをほおばった。濡れ衣が晴れた僕は二個目だ。
やっぱり、あの日と同じ懐かしい味で、しみじみとみんなで笑顔を見合わせた。
一通り、お祭を楽しんだあと、龍のおごりでたこ焼きを食べる。休憩用として端におかれた木のベンチに腰掛け、まったりとしていると、いち早く食べ終わった龍が何気なく言った。
「それにしても、全員が偶然今日集まるってすごいよな」
幸運を喜ぶように一息ついて、僕も言う。
「本当、そうだよね。僕はたまたま、実家に帰ってて、散歩してたら出くわしたんだけどね。みんなは?」
「俺はずっと地元だからな。町内のスケジュールはバッチリだぜ」
龍は親指を立てて、ニカッと笑った。
「僕もずっとそうだよ」
誠太が頷いて言った。
「へー、二人ともずっと地元なんだ。私は引っ越して以来だわー」
感心したように涼子はそう言った後、続きを言うために口を開けたまま、沈黙した。
「どうしたの?」
七美が不思議そうに聞くと、涼子はしばらく躊躇した後、うつむいてぽつりとこぼした。
「私、どうしてここにいるんだろう……?」
「!?」
七美や龍が目を見開いて驚いている。しかし、僕もきっと同じ顔をしているだろう。
「どういうことだ? まさか、記憶喪失……とか言うなよな」
龍がわざとふざけたことを言って茶化してみた。
「涼子、ちゃん。わたし、も……」
血の気が無くなった顔で、七美が言った。
「七美!?」
龍が驚いて二人の顔を交互に見る。
そして僕もふと思い当たる。
そういえば、僕は何で今年に限って里帰りなんかしようと思ったんだっけ?
一生懸命思考を巡らせるが、祭のせわしないリズムが筋道立った思考を妨げる。
自分のことがわからない事に、不安を通り越しておぞましさすら感じ、背筋に悪寒が走る。視線を上げると、七美と涼子も同じようで自分の身体をぎゅっと抱きしめていた。
途方に暮れる僕たちの隣で、すっと人が立ち上がる気配がした。
誠太だ。
「七美ちゃん、涼子ちゃん、龍くん、そして拓斗くん」
誠太に穏やかな声で名を呼ばれ、一人一人が顔を上げると、誠太は静かに微笑みながら、けれども目にはいっぱいに涙をためて立っていた。
誠太はみんなの顔をもう一度、今度は惜しむようにゆっくりと眺め、意を決したように息を吸った。
「 ご め ん ね ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」
その瞬間、視界は一気にホワイトアウトし、暗転した。
そのため、「ごめんね」の後、誠太が言った言葉は僕には届かなかった。
真っ暗な闇の中で、最後の記憶が映し出される。
お祭の最中、四人並んで賽銭を投げ、願掛けをする幼い僕たち。
わくわくしながら嬉しそうな顔で小六の僕が一生懸命願っている。
「十年後も、僕たちがこうしてみんな仲良くお祭に来られますように」
はっと目を覚ますと、やっぱり真っ暗だったけれど、丸い月と星々がうっすらと辺りを照らしていた。それ以外にも、頭上には大きな影があり、目を凝らすとそれは古ぼけた鳥居だった。
次いで、やけに身体がひんやりすると身を起こしてみれば、自分が鳥居の根本の土の上に寝転がっていたことに気付く。
よろめきながらも、土を払って立ち上がり、見回すと反対側の鳥居の足下にも横たわる人影があった。あわてて駆け寄ると、それは龍だった。
「おい、龍、起きろ!おい!」
頬を叩いたり、肩を揺らしたり一生懸命龍を起こそうとする。しかし、龍はぐったりしたまま目覚めない。
恐ろしくなって、いっそう激しく龍の肩を揺らしながら、龍の名を呼ぶ。
「龍!龍!おい!起きろよ!龍!」
涙が出そうになる。
「龍……!」
唇ををかみしめ、龍の体を揺らしながら嘆くことしかできない。
「拓……斗?」
聞こえた声に一瞬息がつまった。そして涙があふれた。
「バカ野郎ぉ……」
力が抜けた僕は右腕で涙を隠しながら仰向けに転がった。
体を起こした龍からの視線を感じる。
「拓斗、悪ぃ……」
龍が申し訳なさそうながらも元気に笑った気配がした。
そのまま、それぞれが沈黙していると、ザアッと木々がざわめく音がした。僕は顔の上から右腕をどけて体を起こす。振り返ると土砂に半分以上埋められながらも、勢いよく枝葉を伸ばした大きな楠が立っていた。
そうだ、この神社は、僕が中学生の時に土砂崩れで無くなったじゃないか。
龍も同じ事を思ったようで僕たちは同時に顔を見合わせた。
「お祭、してたよな」
「ああ。串コロ、食ったよな」
楠がもう一度大きくざわめいた。
後日、七美と涼子の現住所を調べて聞いたところによると、二人とも同じ日に同じ夢を見ていたそうだ。
きっと、御神木の楠が十年前の願いを聞き届けてくれにちがいない。
ありがとう。今度は、本物の四人で会いに行くからね。
土砂に埋もれたまま。逞しく枝葉を伸ばす楠。
太陽と水さえあれば生きていける。
それでも――
「 ご め ん ね 。 さ み し か っ た ん だ 」