夜を編むひと
恋とは、光よりも静かなものかもしれない。
声にならないまま交差するまなざしの、その奥底にだけ存在する確かな輪郭。
この物語は、名前を超えて呼び合うふたりの、夜の沈黙とぬくもりの記録である。
気づけば始まり、気づけば終わるように見えて、実はずっと、そこに在る——
そんな関係の話だ。
六本木の空は、どこか人工的だった。
広告のネオンが星よりも先に瞬き、店先のワイングラスが、反射のなかで赤く笑った。
「寒くない?」
そう聞いたのは、背の高いほう。
マフラーを巻く手つきが、冬よりやわらかかった。
「ううん、大丈夫」
そう答えた彼女の声には、まるで誰かのセリフのような余白があった。
本心は隠されているのではなく、まだ言葉に変換されていないだけだった。
ふたりは歩く。
並ぶ。
話す。
笑う。
けれど、すべての動作のすき間に、「触れてはいけない感情」が透けていた。
「ねぇ、もしも、女の子同士で恋をしたら……って、変かな?」
交差点の手前で立ち止まりながら、彼女がこぼした。
「変じゃないよ」
そう即答できたのは、あまりに遅くて、逆に早かった。
ふたりはもう、歩道橋の上にいた。
赤信号の下に浮かぶ影が、無言で絡まっていた。
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ある晩、部屋のソファで、映画も観ずに肩を寄せていた。
互いの呼吸を測るように。
ピッチとリズムを揃えるように。
「好き、なんだと思う。あなたが」
「うん……私も」
確認ではなく、合唱だった。
旋律のない歌が、沈黙の中でゆっくり再生された。
——そしてその夜から、世界の色が少しだけ、透明になった。
彼女たちが言葉を選びながら愛を伝えるのは、
それが「普通じゃないから」ではない。
大切すぎて、口に出すことが怖いからだ。
恋のかたちは人の数だけある。
けれど、そのぬくもりだけは、誰と交わしても、同じだけ尊い。
この物語の余白には、読者自身の記憶が宿るだろう。
いつか愛した誰か。
または、まだ愛せなかった誰か。
それらすべてが、この物語と響き合ってくれることを願って。