優しかった誘拐犯
セリナがロメオと共に倉庫を出ると、満月の柔らかな光に包まれた。
「「「セリナー!!」」」
そこに重なる三つの声。
「あ、みんな……」
最初にユキミが駆け寄ると、セリナの手を握る。
「無事だったんだ……!」
「何、黙って飴を買いに行ってんだよぉ!」
リコも、ほっとしたように声を荒げる。
「ほんと……無事で良かったぁぁあ!!」
ミキが勢いよく抱きついた。
「ちょ、ありがとう……ミキ……!く、苦しい……このままじゃ無事じゃなくなる……!!」
力いっぱい抱きしめられ、セリナの顔が歪む。
「あ、ごめんごめん!」
ミキはあっさり腕を離し、悪びれた様子もない。
その様子を見て、ロメオが小さく笑った。
「ふふ……」
セリナはロメオに向き直る。
「ロメオ……助けてくれて、ありがとう。それと……どうして私がここにいるって分かったの?」
「彼のおかげだよ。誘拐現場で会ったんだ。」
そう言って、ロメオは中尉の方を見る。
「私は、仕事をしたまでです。」
淡々と答える中尉に、ロメオは苦笑した。
「そんなにきっぱり言わなくても……えっと……名前を聞いてもいいかな?」
「桐生颯と申します。」
「ありがとう、桐生君。」
ロメオがにっこり微笑んだ瞬間――
セリナとリコが、同時に小さく息を呑んだ。
「あっ……桐生さんって、あの時の……」
「ウチも、見たことあるなーって思ってたら!!」
二人が思い出したのは、この世界に来て二番目に出会った人物。
墨男のことを殺そうとしていたあの男だ。
「ご無事で何よりです、青の御方。」
「桐生君、すごいんだよ。匂いでセリナの居場所を突き止めたんだ。」
「匂い……?」
セリナが首を傾げる。
「あなた様が持っていた飴と、香り袋。手がかりが多く、探しやすかったので。」
「本当は犬を使う予定だったんだけどね。その前に、あの人が自分の鼻で見つけちゃった。」
若干引いた笑顔でユキミが言う。
「そうだったんだ……」
セリナは改めて桐生を見る。
「ありがとうございました、桐生さん。それと……ご迷惑をおかけして、すみません。」
桐生は静かに首を振った。
「いえ。妙に手がかりが分かりやすかったので……すぐに見つけられたまでです。」
「……妙に、分かりやすかった?」
首を傾げるセリナに、ロメオが続ける。
「桐生君、説明してあげてくれる?」
「はい。妙だったのは、青の御方が所持していた紙袋入りの大量の飴がこの倉庫まで運ばれていたこと。それと、現場に飴の一つが落ちていたことです。」
桐生の説明にセリナが考え込む。
「……確かに、変だね。」
「何が変なの?ミキたち、ただロメオたちを追いかけただけだから、よく分かんなくて。」
ミキの問いに、セリナが答える。
「匂いの強い飴もあったのに、なんで私と一緒に倉庫まで運んだんだろう。しかも、現場に一つ残すなんて……『これを手がかりに追ってください』って言ってるみたいじゃない?」
桐生が頷く。
「その通りです。犯行がかなり中途半端でした。ウッカリの可能性は拭えませんが……」
「それに、僕がセリナに渡した香袋もそのままだ。彼なら、きっと気づいていたはずなのに……」
ロメオは、少しだけ視線を落とす。
「え……ロメオ。アズールと、知り合いなの?」
セリナが食いつく。
「知っている、という程度だけどね。直接話したことはない。」
「じゃあ……アズールは、ロメオの国の?」
「うん。バレンティアの国民だよ。だから……これから、会いに行こうと思う。」
「……!!それなら、私も行く!」
「それは……」
ロメオは一瞬ためらい、
セリナの真剣な目を見て、静かに頷いた。
「……分かった。でも、僕のそばから離れないで。」
「……ありがとう、ロメオ。」
セリナは、三人の方を振り返る。
「ごめん。少し、待ってて。」
頷く三人。
「待っててあげるよ。」
リコが、軽く手を振る。
捕縛されているアズールのもとへ、ロメオとセリナは歩き出した。
ーーーーーー
倉庫の裏手。
簡易的に仕切られた一角で、アズールは胴を柱に括り付けられ座っていた。
左腕は肘の先から失われ、白い布と包帯で幾重にも巻かれている。
止血はされているが、布越しにも血の色が滲んでいた。
「…………出てくるばってん」
小声で歌うアズール。
視線は伏せられたまま。
あれほどの激戦のあととは思えないほど、彼は落ち着いていた。
そこへ――
「アズーロ君。」
ロメオの声が、穏やかに響く。
アズールはゆっくりと顔を上げた。
「……殿下か」
皮肉でもなく、驚きでもない。
ただ事実を確認するような声音だった。
その隣に立つセリナの姿を見て、アズールの視線がわずかに揺れる。
「セリナ……」
「アズール……腕、大丈夫?」
「大したことはない。」
短く答えた後、アズールは穏やかに笑う。
ロメオが一歩前へ出た。
「アズーロ・ディ・セレステ。この誘拐事件の、主犯の一人だね?」
名を呼ばれ、アズールの瞳が僅かに揺れた。
「本名までバレておったか。」
ロメオは静かに頷く。
「アズールとアズーロ。ほとんどそのままだね。」
「ははっ、咄嗟に偽名が思いつかなくてな。」
「そしてもう一人の主犯、ブルーノ・ディ・セレステ。君のお兄さんだね。」
「……兄様のことまで知っておったのか。」
アズールがはっきりとロメオを見る。
「ああ。ブルーノさんとは、少しだけ話したことがある。彼は小隊の指揮官だったから、話す機会があったんだ。……穏やかで、部下思いの人だったよ。だけど……」
ロメオは苦い表情を浮かべる。
「正直、今日見た姿には……驚いた。」
「……戦争で、兄様は薬に頼った。」
アズールは淡々と告げた。
「身体を保つための薬じゃ。最初は……。だが、次第に……」
その先は、言わなかった。
ロメオは目を伏せる。
「……君のことは“ 西統戦争”の功労者だったから知っているよ。表彰式に来なかったのはなぜだい?」
アズールは小さく笑った。
「人を殺して、表彰など……嬉しくもなんともない。」
その言葉に、セリナは胸が締めつけられる。
「……ねぇ、アズール」
意を決して尋ねた。
「そんなに優しいのに……どうして、私を誘拐して……殺そうとしたの?」
アズールは、首を横に振った。
「それは話せん。きっと兄様は喋らぬからな。オンシには悪いが……」
それ以上は、言わなかった。
――その時。
「見つけたぞォォ!!」
ブルーノが、血走った目でセリナ達の前に現れる。
「兄様、拘束を解いて逃げて来たのか?」
「クソ……クソクソクソ!!クソッタレがぁああ!!」
錯乱しきったブルーノは、もはや問いに答えることすらできていない。
「お前が……お前がヘマをしたからだろうが!!いつも、昔からそうだ!!俺の足ばかり引っ張りやがって!!邪魔ばかりしやがって!!!」
怒声は次第に悲鳴へ変わる。
「殺したい……殺したい……!!
あぁぁぁぁぁぁああああああ!!」
「……申し訳ない、兄様。」
アズールは、ただ謝った。
それが、火に油を注いだ。
「あぁぁあ!?!?黙れぇえ!!グズが!!!」
ブルーノの視線が、セリナに向く。
「お前、お前だよオマエェェェェェ!!!お前みたいに!!戦争で戦う俺たちのことなんか考えもせず!!
戦争も知らず!!呑気に笑って生きてるやつはなぁ!!」
拳を振り上げ、走り出す。
「ぶっ殺したくなるんだよぉおおおおお!!」
その時。
――パンッ。
乾いた銃声。
ブルーノの頭が、後ろに跳ねた。
その場に、崩れ落ちる。
「え……」
セリナが信じられない、という顔でロメオを見る。
「……」
銃を下ろしたロメオは、静かに告げた。
「……すまない…」
「あ、兄様ぁぁぁあああああああ!!!」
アズールが取り乱す。
「オ、オマェェエエ!!」
そして、この世の憎悪をかき集めたような目でロメオを睨んだ。
「彼はもう……楽にしてあげよう。」
しかし、ロメオは動じず無表情。
その顔を見たアズールは口を歪めて笑った。
「ククっ………………さすが、ロメオ殿下じゃ。西統戦争の“ 英雄”!!確か、表彰式で我らの代表を務めたのはロメオ殿下じゃったなぁああ!?なぁ!?」
「え……ロメオ……?」
セリナが現実を受け入れずにいると、アズールがセリナに叫ぶ。
「セリナ!!この男はワシ以上の人殺しじゃ!!だから兄様を顔色一つ変えずに撃ち殺した!!一人で何人殺したんじゃ???ワシには想像も出来んよ!!ワハハハハハ!!!」
狂ったように笑うアズール。
そこに……
「二千人以上は殺した。」
ロメオが冷たく言い放つ。
「「……」」
その言葉に、セリナだけでなくアズールまでもが固まった。
「僕は……殺人鬼だ。……でも……戦争なんてしたくなかった……人を……殺したくなかった……僕は…」
拳を握りしめ震えるロメオ。しかし、すぐに冷静さを取り戻す。
「……言い訳なんてできる立場じゃないか。僕は君のお兄さんを殺した。その時、なんの感情もなかった。」
「……そうじゃろうな。自分の感情なんて……感じていたら人なんて殺せん……戦争なんて……出来ん……」
肩を落とすアズール。
「ワシも同じじゃ……なんの感情も持たず、セリナを殺そうとした。……なぁ、セリナ。」
アズールとセリナの視線が交じる。
そして、アズールの目から涙がこぼれ出した。
「本当に……スマなかった……」
その涙に、セリナは思わず首を振る。
「もういいよ……アズールがワザと証拠を残したおかげで、私は助かったんだし……」
「なんの……ことじゃろうな……ハハッ」
アズールがニッと笑う。
その口端から、赤い筋が垂れる。
「……!!アズール!?」
「……しまった!!」
バタン、と倒れるアズール。
ロメオが駆け寄り、アズールの口を開くと……
「歯の奥に……毒を仕込んでいたのか……!!」
「え!?」
セリナもアズールの元へ駆け寄る。
そんなセリナを、アズールは優しく見つめる。
「なぁ……セリナ、オンシの問いに……まだ答えとらんかったなぁ……」
「なんのこと!?それより毒を吐いて!!アズール!!」
セリナは無茶なことを言っている自覚はあるが、動揺が止まらない。
その手をアズールが握る。
「それは無理じゃ……それより……」
まだ混乱するセリナの背を、ロメオが優しく叩く。
「セリナ、聞くんだ。」
「ッ……!!」
セリナはアズールを見た。
「オンシの友に……戦争で笑えなくなったと…いう……者がおったな……?」
「うん……」
「……そんな顔をするな」
アズールは指でセリナの目元の雫を拭う。
「兄様は……オンシにあぁ言っておったが……ワシはお前の笑った……顔に……安心を覚えた……」
「……え?」
「ハァ……まだ……兄様と……仲良く…していた頃の……自分を思いだせた……戻れた気が…した……ハァ……」
アズールの顔が、どんどん土色へ変化していく。
「オンシには……その者の…気持ちは……分からんじゃろう…が……ハァ……寄り添い……元に戻して……やれ……」
「アズール……!!」
「……オンシから……ハァ…教わった……あの歌……スカー……っと……する……あの歌……ワシは……」
「……アズール!?アズール!?」
アズールが、動かなくなった。
「ねぇ、アズール!?その先も教えてよ!!気に入ったならまた歌おうよ!!だから起きて!!」
セリナは必死に縋るも、アズールは目を覚まさない。
「セリナ……」
ロメオがセリナの肩に手を置く。
セリナはロメオの目を見てようやく悟った。
「アズール……アズール……い……いやあぁぁぁぁあああああああ!!!」
ーーーーーー
セリナの叫び声が、倉庫裏に響き渡った。
「……!!」
それを聞いて、駆けつけてきたのは――
ユキミ、ミキ、リコ、そして桐生だった。
四人が目にしたのは、簡易的に仕切られた一角で横たわる、青い髪の男。
そして、その傍で――
セリナが、崩れ落ちるように泣いていた。
「……セリナ?」
リコが、恐る恐る名前を呼ぶ。
「なん……で…………」
答えは返らない。
セリナはただ、声にならない嗚咽を漏らし、肩を震わせている。
その背中を、ロメオが黙ってさすり続けていた。
言葉はなく、逃げ場を作るように。
「……状況を教えていただけますか。」
静かに問いかけたのは、桐生だった。
ロメオは、視線を伏せたまま答える。
「……主犯の一人が、セリナに襲いかかろうとした。だから……僕が射殺した。」
一拍置いてから、続ける。
「もう一人の主犯は……自決した。」
その言葉に、桐生は一度だけ目を閉じた。
「……そうですか。」
感情を挟まず受け止めながらも、視線は自然と、倒れている男と泣き続けるセリナへ向かう。
ユキミ、ミキ、リコは、状況が飲み込めずに立ち尽くしていた。
「……射殺?……自決?」
ミキが、小さく呟く。
「ねぇ……何がどうなってるの…?」
答えは、誰にも分からなかった。
ただ一つ分かるのは……
セリナが、深く傷ついているということだけ。
三人は言葉を失いながらも、そっとセリナのそばへ寄る。
「……セリナ、落ち着いて。」
ユキミが、優しく声をかける。
「……ウチら、いるよ。」
リコも、ぎこちなく頷いた。
その時だった。
「桐生中尉!!」
倉庫の外から、部下の兵が駆け込んでくる。
「捕縛していた他の関係者ですが……全員、歯に仕込んでいた毒で自決しました!」
桐生の表情が、僅かに険しくなる。
「……全員、ですか。」
「はい……間違いありません。」
重い沈黙が落ちた。
「……となると」
桐生は、低く息を吐く。
「今回の事件の全容は……青の御方の証言が、重要な手がかりになりますね。」
視線をセリナから離さない。
涙に濡れ、声も出せずにいるセリナ。
ロメオが小さく首を振った。
「……いや。」
そして、はっきりと言う。
「今は無理に話を聞くべきじゃない。少し休ませてやってくれないか。」
ロメオが、ゆっくりと顔を上げる。
桐生はやや渋った顔で頷いた。
「……かしこまりました。」
一時間ほどが、過ぎた。
あれから十五分ほどで、セリナは激しく泣くのをやめた。
ただ、呆然としたまま、頬を伝う涙だけは止まらなかった。
それでも、ゆっくりと立ち上がる。
「……話します。」
ぽつりと、セリナが言った。
誘拐されたときのことを。
倉庫で起きたことを。
すべて。
桐生は一瞬、セリナの表情を観察して静かに頷いた。
「では、関係のない方々は下がってください。」
丁寧だが有無を言わせぬ声音。
ユキミ、ミキ、リコは一斉にセリナを見る。
「セリナ……」
「ほんとに大丈夫?」
「無理すんなよ。」
心配が滲む声に、セリナは小さく微笑んだ。
「大丈夫。ちょっと話すだけだから。」
それでも三人は名残惜しそうに立ち尽くしていたが、桐生の部下の一人が静かに頭を下げ、別の場所へと案内する。
「……待ってるから。」
リコの言葉に、セリナは一度だけ、強く頷いた。
やがてその場に残ったのは
セリナ、ロメオ、桐生、そして記録を取る部下だけになった。
桐生は部下に目配せする。
「記録を。」
「はい。」
万年筆の音が、静かな倉庫裏に響き始めた。
セリナは、ゆっくりと語り始めた。
紫水と話し、飴屋に向かったこと。
背後から口を塞がれ、首に何か注射されたこと。
倉庫へ連れて行かれ、アズールと名乗る男と出会ったこと。
乱入してきた、ブルーノのこと。
殺されそうになったこと。
そして、その前に会話をしてくれたおかげで、救助が間に合ったこと。
そして――
「……本当は、誘拐されるはずだったのは紫月さんだったみたいです。彼は私を、最初は紫月さんだと誤解していました。」
その言葉に、桐生の眉がわずかに動く。
「私は……間違えられて連れて行かれました。アズールが色弱だったこと、私の着物の柄に藤が入っていたことが原因みたいです……」
「なぜ、あなたの着物に藤の柄が?それは藤堂家の御方しか入手できない意匠のはずですが?」
桐生から即座に飛んでくる問い。
「これは……紫月さんがプレゼントしてくれた着物です。お揃いだって、言ってくれました。」
「……そうでしたか。では、もう少し主犯のアズーロ・ディ・セレステの話をお聞かせください。」
セリナの頬に、新しい涙が流れた。
「今考えても……アズールは変な人でした。毛布かけてくれたり、アロマキャンドル焚いたり……誘拐犯とは思えないくらい陽気で」
一度、言葉を詰まらせる。
「……最後は殺そうとしてきたけど、その前に私の質問に色々答えてくれて……」
「……誘拐犯に、かなり良い印象をお持ちですね?」
桐生の一言で、セリナが眉を寄せる。
不穏な空気を察し、ロメオが補足する。
「アズーロとブルーノは、バレンティアの国民だ。二人とも、西統戦争で功績を上げた優秀な兵士だったよ。誘拐の手口がスムーズなのも頷ける。」
桐生は軍帽を摘み、深く息を吐いた。
「……なるほど」
そして、淡々と告げる。
「分かりませんね。」
「……何がだい?」
ロメオが問う。
「ロメオ殿下がそこまで評価される男でありながら、犯行が中途半端すぎる理由です。まるで目的が分からない。正直、中途半端すぎて呆れているくらいです。」
「は……?」
セリナが、キッと顔を上げる。
「それは……お兄さんに嫌々従ってたからでは?アズールはお兄さんに負い目を持っていましたから、誘拐を実行しましたけど……心の底では嫌がってたんですよ!!」
頭に血が上り、大声で話すセリナ。
しかし、桐生は動じない。
「証拠を残したこと。誘拐犯のくせに、被害者に妙な気遣いを見せたこと。兄に従い誘拐は実行したのに、全面的に従う気配はなかったこと。あなた様を殺そうとしたかと思えば、無駄話をして決定的な行動に出なかったこと。」
一つ一つ、冷静に列挙される言葉。
「すべてが中途半端です。覚悟も、行動も。何がしたかったのか分からない。」
「やめてください!」
セリナが、思わず声を荒げた。
「アズールは……もう死んでしまったんです!なのに、そんなふうに悪く言うことに……何の意味があるんですか!?」
桐生は一瞬だけ目を細める。
「……誘拐犯にまで、随分とお優しいのですね。それとも……たかが数時間で、そこまで情を抱かせた彼がそれほど巧妙だったということでしょうか。」
皮肉を含んだ声音。
セリナは再び、声を荒げようとする。
しかし、
「桐生君。」
それをロメオが制した。
「今は、その言い方は必要ないだろう。君は公務に一生懸命だけど……被害者の気持ちに寄り添うことも大事だと、僕は思うな。」
「……失礼しました。」
桐生は一礼し、言葉を改める。
「敵の真の目的が見えない以上……藤堂様を御守りする体制を整えることが先決です。」
視線を上げ、続ける。
「倉庫にいた実行犯全員が自害しました。藤堂様の誘拐未遂…ことの大きさを考えると、これが意味することは……」
「……親玉が、別にいるってことですか?」
セリナの問いに、桐生は頷いた。
「その可能性が高いでしょう。今回の事件はまだ、終わっていません。」
「そうだろうね……」
ロメオが息を吐く。
「……申し訳ないけど桐生君、この後のことは頼むよ。僕はセリナを、待っている人の元へ帰さなきゃいけない。」
「承知しました、ロメオ殿下。あとは我々にお任せ下さい。」
桐生は敬礼する。
ロメオも軽く頭を下げ、セリナを見た。
「帰ろう、セリナ。紫水君が心配していたよ。」
「……そうだね。心配……させちゃったね……」
力なく頷くセリナ。
「アズールは……」
ーーーーーー
コンコンコン
紫水の部屋が、3回ノックされた。
「若様、ロメオ殿下と皆様が戻られました。」
「……!!………そうか。」
平静を装い、足早に玄関へ向かう紫水。
歩幅は大きいが、決して走らない。
到着すると、ロメオと四人の姿があった。
「っ……ロメオ兄様……アイツ……」
紫水が、駆けるようにセリナの前へ出た。
「……何やってたんだ!」
大きな声。
叱責にも聞こえるが、視線はセリナの全身を素早くなぞっている。
無事か。
怪我はないか。
――その確認を終えた後で、ようやく息を吐いた。
「……どうしたんだ。」
短い問い。
だが、そこには抑えきれない苛立ちと不安が混じっていた。
セリナは一瞬だけ言葉に詰まり、それから――
「……心配させてごめんね。」
心配させないように、柔らかく笑った。
その笑顔に、紫水は眉を寄せる。
(……コイツ、無理していやがるな…)
すぐに、そう分かった。
目が違う。
紫水は、自身に付いてきた使用人に命じる。
「……それぞれに休める部屋を用意してある。お前、この者を案内しろ。」
有無を言わせぬ命令口調。
「おい、他の者は順に案内させる。早く行け。」
ぶっきらぼうな言い方だったが、
セリナを急かす視線だけは、どこか柔らかかった。
「……ありがとう。」
セリナは小さく頭を下げ、使用人の後を追う。
紫水は、その背中が見えなくなるまで動かなかった。
そして――
「ロメオ兄様。」
押し殺した声で紫水が口を開く。
「……何が、あったんですか。」
ロメオは、静かに息を吐いた。
「……立ち話はよくないね。どこか部屋へ移動しよう。
そこで話すよ。」
そう言ってから、リコ、ミキ、ユキミに視線を向ける。
「君たちは、どうする?」
三人は一瞬顔を見合わせ――
リコが一歩前に出た。
「ウチらも聞く。」
短く、強い口調で。
紫水は頷き、即座に言った。
「では、ロメオ兄様。二階の客間へ行きましょう。もう整えさせています。」
「さすがだね。本当に君は賢い。」
ロメオが微笑む。
だが、紫水は視線を落とした。
「……ロメオ兄様は、オレを買いすぎです。今回のことは……オレの……」
言葉が続かない。
俯く紫水を見て、ロメオは内心で思う。
(……責任を感じているな。紫水君は優しい。だからこそ……これ以上、追い詰めないように言葉を選ばないと。)
長い廊下を歩きながら、ロメオはどう話すべきかを考え続けた。
ーーーーーー
ロメオの話が、終わった。
誘拐された経緯。
倉庫で起きた出来事。
二人の男の正体。
最初は、そこまでにしようとした。
だが、
「……続きは?途中で止められる方が、しんどいって。」
リコの言葉に、ミキとユキミも小さく頷いた。
ロメオは一瞬だけ目を伏せ、それから――
すべてを話した。
誰が撃ち、誰が倒れ、誰が、もう戻らなかったのか。
声を荒げることも、感情を挟むこともなく。
ただ、事実を順番に。
語り終えたあと、部屋は深い沈黙に包まれた。
紫水は、俯いたまま動かない。
拳は膝の上で固く握られ、
爪が食い込むほどだった。
逃げ場のない痛みだけが、そこにあった。
(……オレの、せいだ)
口には出さない。
だが、その思考だけがはっきりと伝わってくる。
「……ねぇ。」
その様子を見たリコが紫水に話しかける。
「セリナが勝手に約束して、勝手に動いたんだよ。だから……紫水君が、そこまで気に病むことないって思う。」
励ましだった。
少し乱暴でも、精一杯の。
紫水は顔を上げなかった。
「……」
ミキとユキミも、何も言わない。
リコは二人を見て、眉を寄せる。
「……ミキ?ユッキー?」
「……うん。」
「……聞いてるよ。」
返事はある。
だが、それ以上は続かない。
二人はロメオの話が終わると、俯いたままだった。
――セリナの体験が壮絶だったから。
それも、理由の一つではある。
だが、それ以上に――
目の前にいるロメオが、人を撃ち殺した。
その事実を、まだ受け入れられていなかった。
優しくて、穏やかに笑う王子様。
その人が銃を引いた。
その現実が、喉に引っかかって、言葉にならない。
それを察したのだろう。
ロメオは、話題を切り替えるように紫水を見る。
「……紫水君。紫十郎さんは、今どこに?」
紫水は、少し間を置いて答えた。
「数刻前に、国務でここを出ました。終われば、緑に呼ばれるでしょうから……しばらくは戻らないと思います。」
「そうか……教えてくれてありがとう。」
ロメオは、椅子から立ち上がる。
「僕も、じきに緑に呼ばれるだろう。だから……今日はここまでにしよう。」
そして三人に向けて、穏やかに言った。
「君たちも、今日はゆっくり休んで。」
部屋を出ようとした、その時。
「……オレも行きます、ロメオ兄様。」
紫水が立ち上がった。
一緒に扉へ向かい、紫水は振り返らずに言い残す。
「後で使用人を寄越す。お前たちは使用人に従え。」
扉が、静かに閉まる。
残された三人は、
しばらく、その音の余韻の中に立ち尽くしていた。
少しして、ミキがようやく口を開いた。
「……ねぇ。なんか、大変なことになってきてない?」
張りつめていた空気が、少しだけ揺れる。
「それ、思った……しかも……ロメオ…」
ユキミが小さく頷く。
「誘拐犯の兄貴を、撃ち殺したって言ってたね。」
リコは、淡々と事実だけを口にした。
「……なんで、あんなにあっさり言えるの?」
ミキの声が、かすかに震える。
「人を……殺したのに……」
三人は知らない。
ロメオが、意図的に戦争の話を避けていたことを。
それが彼なりの優しさだったことを。
だから三人には――
まるで、ためらいもなく引き金を引いたように聞こえてしまっていた。
「……実はさ。」
ユキミが、視線を落としたまま言う。
「あたし、ロメオさんのこと……ちょっと信用できてなかったんだよね。」
「「え!?」」
ミキとリコが、同時に声を上げる。
「だって……紫月さんが、あそこまで嫌がるんだよ?」
ユキミは続ける。
「いくら墨男さんが好きだからって……あの拒絶、普通じゃないよ。」
「それは……」
ミキは、思い返す。
確かに。
紫月のロメオに対する態度は、どこか異様だった。
ユキミの言葉が、
ミキの胸にも、じわりと疑念を広げていく。
だが――
「ウチはさ。」
リコが、はっきりと言った。
「ロメオは、悪いやつじゃないと思う。」
それは、バラ庭園で聞いた覚悟。
友人として感じた、確かな感情。
「それにさ、セリナからも話を聞いてみよ?」
少し肩をすくめるリコ。
「その辺の事情も知ってるかもだし……ウチらが考えても、アホだから分からんよ。」
「……うん……」
ミキは渋々ながらも頷いた。
「でも……これから、どうするの?」
ユキミの声が、不安に揺れる。
「誘拐されたり……人が死んだり……正直、怖いよ……」
「それは……」
リコは一度、間を置いた。
「セリナと……佐々木さんも含めて話そう。明日、ね。」
その時。
コン、コン、コン。
ドアが、三回ノックされた。
「ユキミ様、ミキ様、リコ様。
お部屋まで、ご案内いたします。」
使用人の声だった。
「……今日は寝よう。ウチも、さすがに疲れた。」
「……うん、そうだね。」
ミキが頷く。
「……寝ようか。」
ユキミも、静かに答えた。
こうして三人は、それぞれの部屋へ案内され――
重たい一日を、眠りで閉じることになるのだった。
ーーーーーー
高価なベッドの上で、
セリナは天井を見つめたまま、ぼんやりと考えていた。
「……オンシから……教わった……あの歌……」
その先の言葉が、どうしても思い出せない。
「やっぱ……気に入った、とか…………また歌いたかった、とかかな……」
けれど、もう確かめようがない。
アズールは、死んでしまった。
「……アイツが来なければ……アズールは、歌えたのに……」
胸の奥で、何かがくすぶる。
フツフツ……フツフツ……
考えれば考えるほど、
セリナの中で、怒りが形を持ち始めた。
「弟に……あんなことして……あんな顔、させるやつなんて……」
ぎゅっと、シーツを握りしめる。
「兄貴じゃない……」
自分にも、弟がいる。
だからこそ、余計に許せなかった。
「……きっと、アイツが死んだから………アズールは、毒を……」
指先が、白くなる。
「……許せない……」
小さく、呟く。
「……許さない……」
もう一度。
「……絶対に……許さない……」




