没落予定の伯爵令嬢は腹黒執事さまがお好き?
「お嬢様、失礼いたします」
発言しながら扉を開いて入室した執事に、主である十八歳のリズベットは高圧的に言い放った。
「ま、まだ、入っていいなんて、言っていないじゃないのよおお」
ただ半泣きだったので威圧感のカケラもなく、情けない声になってしまったのはご愛敬。寝台の上でシーツをかぶってうずくまっていたので声も籠ってはいたが、有能な執事はきちんと聞き取ってくれたらしい。ズカズカと遠慮なく近づいてくるとシーツの端を握り引っ張るので、剥がされないようにリズベットは必死だ。
「やめなさいよ、乙女の寝所に立ち入るなんて破廉恥極まりない行為だわ」
「乙女? 私の前にはシーツお化けしかおりませんが」
「誰がお化けよ。たしかに我が家は没落真っ最中だけど、まだ邸は廃墟になっていないはず。ダグはわたしを誰だと思っているのよ」
「私の主であるグレニスタ伯爵令嬢でございますね」
ずりずりと後退してなんとか距離を取ったリズベットは、シーツの中から目許だけを出して、青い瞳で相手を見る。銀髪をオールバックに撫でつけた年上の青年・ダグラスは、皺が寄ったらしい袖を指で撫でつけて伸ばしながら苦言を呈してきた。
「いい加減、引きこもりはおやめになってはいかがですか?」
「だっていきなり結婚相手が訪ねて来るのよ?」
「いきなりではありません。婚約は五歳の折に成立しております」
「記憶にございません」
「政治家のような逃げ口上を使ったところで、事実は覆りません。嬉々としてサインしておいてなにをいまさら」
「だから記憶にないってばー」
貴族家の婚約は家の繋がり。幼いころに相手が決まり、書面にて交わすことが多い。グレニスタ伯爵家も同様だ。
記憶にないとは言ったけれど、サインをしたことは憶えている。
文面などはさっぱりだが、そんなものは五歳児が理解できるはずもないため、大人も詳細な説明などしていない。ただ『婚約者を決める』ということだけを説明されたにすぎなかった。さりとてリズベットはあまり本気にはしていなかったが。
家庭教師に文字を習いはじめ、お上手ですねと褒められて有頂天になっていたころだ。リズベットは『自分の名前を書く』という行為にハマっていた。
だから、ここにリズの名前を書きなさいと父親に言われ、張り切って書いた。それだけである。
「あのころは楽しくてあちこちに名前を書いたし、どれが婚姻締結書だったのかなんて憶えていないわ」
「お嬢様はもうすこし熟慮というものを身につけてください。そのような御心のままでおられると、魑魅魍魎が跋扈する社交界であっという間に食い物にされますよ。いいですか、保証人欄には決して名前を書いてはなりません。あとなにかを購入するときも気をつけてください。うっかり定期購入契約なんてしようものなら、死ぬまで送りつけられますよ」
「なにそれ、怖い」
「怖いのはあなたですよ、考えなしにもほどがあります。この状況に陥ってなお、その能天気さがいっそ羨ましいほどですね」
「ありがとう」
「褒めておりません」
ピシャリと楔を打つように言われ、リズベットは押し黙った。彼が自分の専属になって早十年、この執事にくちで勝てた試しがないのだ。なにかを言っても倍になって返ってくることはわかっている。『沈黙は金、雄弁は銀』と本で読んだ。
リズベットは本が好きだ。
冒険譚から始まり、乙女心をくすぐるお姫様の物語も大好きだ。
夢見がちだと笑うことなかれ。自分の意思での結婚などできない貴族令嬢からしてみれば、せめて物語の中でぐらい夢を見たいのである。
たとえば、親に決められた婚約者と、いつも傍にいて陰に日向に支えてくれる従者のあいだで恋心が揺れ動く物語とか。
そういったものに憧れたりもするわけである。自分の立場に重ねて。
沈黙を選択したリズベットは己の状況を振り返る。
執事が部屋に押しかけてきた理由はきっと婚約の話。この場合、婚約をするのではなく、婚約期間を延期しつつ、できればそのままフェードアウトできないかという目論見の話。
リズベットの考えをダグラスは反対していた。
反対する理由がときめき方面に振れたものであれば心も騒ぐのだが、「契約を解消するとなれば諸手続きが必要です、お嬢様の有責ですので慰謝料も発生しますが支払いはできますか?」という極めて現実的なものなので、リズベットの乙女心は崩壊寸前である。この男には情緒がないのか。
(でも、うちはもう風前の灯火なわけで、沈むことがわかりきっている船に乗り込ませるなんて、気の毒だと思うのよ)
グレニスタ伯爵は没落待ったなしの家である。
お人好しの当主が、世話になった恩師の頼みを断りきれず投資話に一枚噛んだ結果、恩師は逃亡。彼のぶんまで負債を背負い返済期限はもうすぐそこ。
お金を掻き集めようにも時間がないし、借金地獄へ他人を巻き込むのも忍びない。
父も母も根っからの善人なのだ。自身の苦労は厭わないけれど、他者へ迷惑をかけるのはよしとしない性質である。
その血をしっかり受け継いでいるリズベットは、使用人の再就職先として友人知人の家を紹介したし、頭だって下げた。学院の同級生の中には、へりくだる伯爵令嬢を嗤う者もいたが、貴族の矜持なんて知ったことか。そんなものでご飯は食べられないのだ。
助けようとしてくれる友人もいたが「今はわたしに近づかないほうがいいわ、またいつか会いましょう」と言って、みずから疎遠になった。借金取りが魔の手を伸ばしたところで、リズベットの交友関係に影響はないだろうというところまでもっていったが、どうしても切れなかったのが婚約相手。
そんなわけで、自然消滅を狙って連絡を絶っているのが今である。
相手は現在二十四歳のスロー子爵令息。リズベットが学院を卒業するまで待ってくれているらしいと聞いた。伝聞のみなので真意はわからない。
なにしろリズベットは自分の婚約が継続していることを知らなかった。ちっとも音沙汰がないものだから、とっくに破談になっていると思い込んでいたのだ。
だというのに急に連絡が入った。
おそらくグレニスタ伯爵家の窮状を知ったのだろう。いままで放置していたのが嘘のように押してくる、いっそ怖いぐらいに。
しかし、平民落ちする貴族令嬢には需要でもあるのだろうか。
じつは婚約者だけではなく、他の令息からも誘いがかかっているのだ。
正妻としてではなく愛妾としての声かけではあるが、「うちに来ないか」という手紙が舞い込んでくるようになっている。融資を盾に迫ってきており、つまるところリズベットは、お金で買われようとしていた。
社交界の華と讃えられた美人の母に似ず、リズベットはいたって普通の容姿をしている。
ただ際立って美しいと褒めそやされるのが、はちみつ色の艶やかな髪。癖のないまっすぐな髪はサラサラで、友人たちには羨ましがられる。話題のドレスや小物を身に着けていても、褒められるのは髪の美しさ。ダンスを頑張っても、相手は「なびく髪が美しい」としか言わない。後ろ姿で惚れられて、前を見て苦笑いを浮かべられる残念令嬢の異名を取っているリズベットである。
ここまでくると、もはやコンプレックス。髪の話が出るとお腹が痛くなる。
町で見かける平民女性たちのなかには、まるで男性のように髪を短くして働いている者もいて、リズベットはあれを羨ましいと思っていた。もちろん彼女たちには彼女たちの悩みがあるだろう。こういうのを『隣の芝生は青い』というのだ。これも外国の本で読んで憶えた言葉。
とにもかくにも金策である。
かといって身売りする気はない。愛妾として生きていくつもりはさらさらなかった。
同じ返事を書くのが面倒になってきて、最近ではダグラスが代行して書いてくれるので助かっているところ。
手紙だけでは飽き足らず直接訪ねてくる男も若干名居たのだが、それらもすべてダグラスが追い返してくれた。慇懃無礼という言葉は彼のためにあるのではないかというほどの言動で、相手を丁寧に遮断して精神を叩き割って追い返す姿は見事といっていい。
リズベットが幼いころから家族総出で我が家に仕えているため、兄のように慕っている父の従者の青年・ジムは「えげつねえ男だな」と顔を青くしていたが、リズベットはそんなダグラスにひそかにときめいていた。我ながら、ちょっといろいろ終わっていると思わなくもないけれど、恋とは自分ではどうにもならないものらしいので仕方がない。
つい重い溜息を吐いてしまったとき、ダグラスもまた息を吐いた。
「未だ覚悟はつかないとおっしゃいますか」
「そこまで人でなしではないつもりよ。負債を抱えた実家持ちの女が嫁いでくるのも問題だと思うけれど、今回の場合は相手方が婿入りをする結婚なのでしょう? 問題しかないわ」
「相手が納得済なのですからよいではありませんか」
「負い目を背負ってこの先を生きていくなんて、いびつすぎるわ。どうしても婚約を回避できないのであれば、負債額を減らしてからにしようと思うのは間違っていないはずよ」
だから日程を延期したいのだ。両親にはそう進言し、お相手のスロー子爵へ連絡をしてもらっている。
先方のご両親は「そちらの状況を鑑みて、提案を受け入れるのはやぶさかではないが、肝心の息子が納得していない」と言ってきた。息子氏は譲らないらしい。曰く「もういい加減待ちくたびれました、先延ばしにしたところで結果は同じでしょう」とのこと。
相手は次男で、そろそろ長男が子爵を継ごうかと考えているらしく、身の置き所に困っているのかもしれない。
(だけど、書面でのやり取りのみで、顔合わせすらしていないというのに、どうして私にそこまでこだわるのよ)
謎である。
問題は他にもあって、婚約者の名前はなんとダグラスというのだ。
よりにもよってダグラス。
秘めたる想いを一方的に抱いている執事、ダグラス・タームと同じファーストネームを持つ相手と結婚生活を送る。苦行でしかない。運命の神様とやらは意地悪がすぎる。
婚約者のD氏は、父親から伝え聞くところによれば、とても優秀。貴族男子が通う学院では、入学以降ずっと学年首席を譲らなかったという。
引く手あまたのなか、王宮で王子付きの仕事をしつつ、しかし普段は顔を見せない。いわゆる表立ってはできない陰の仕事を請け負っているともっぱらの噂だ。そんな噂が立っている時点でちっとも隠れていないとも思うが、それすらもフェイクなのかもしれない。
「そうだわ、どうあっても結婚を覆せないのだとしたら、いっそ『別居婚』というのはどうかしら」
「……はあ?」
「ほら、世の中にはそういった形態もあるでしょう? 奥方は領地で暮らし、旦那さまは都でお勤めをする。『亭主元気で留守がいい』っていうの。外国の本で読んだことがあるわ」
「それは庶民向けの物語で、貴族階級に持ち込んだところで認識が異なります」
「愛妾として囲われるよりはマシかなって」
「まだ愛妾などという戯言を持ち掛けてくる輩がいると?」
ダグラスの声が低くなった。これは彼の機嫌を損ねたときのトーン。
主にリズベットが異性の話をしたときに起こる現象で、よほどこちらを箱入り娘にしたいらしい。
六つも年が離れているせいか、幻想を抱きすぎだと思う。リズベットを世間知らずの能天気に仕立てあげているのは、むしろダグラスのほうではないだろうか。
「わたしは認識していないわ。お父さまのところへ来ているかはわからないけれど」
「結構」
不敵に笑った。
ダグラスの顔は整っているほうだと思うけれど、この笑みは『腹黒い』とメイドの中でも評判だ。悪い方向での評価であるので、リズベットは安心している。ライバルは少ないほうがいい。
出会いの少ない使用人たちが、職場結婚をすることは喜ぶべきこと。現にそうして家族で仕えてくれている者はいるし、応じて結束も固くなる。
けれどダグラスがメイドと結ばれてしまうと、リズベットは祝福できそうにない。お相手の女性に対して普通に接する自信がないし、意地悪をしてしまいそうになる。我儘なお嬢様の爆誕だ。
こういうのを『悪役令嬢』というのだ。
いやちょっと違うかもしれないけれど。だが――
「……そうなると、家を離れたほうがスッキリするのかしら。見なくてもいいものを見るよりはマシよね」
「また何か見当違いのことを考えていらっしゃいますよね」
「失礼ね、今度はきちんと結婚のことを考えているわ。伯爵家を出てお相手に家に嫁げば気分も変わるかしらって」
「婿を取るお立場でしょうに」
「あ、そうだったわ」
男子のいないグレニスタ伯爵家を継いでいくのはリズベット。それでいて愛妾として望まれる話が絶えなかった理由は、リズベットと一緒に伯爵位が付いてくるからという理由もあると思われた。
伯爵位が国へ返還されるならそれはそれ、なんとか食いつないだとしたら、保たれた爵位を手に入れることができる。
「つまるところ、わたしってば爵位のおまけなのよね」
「どうしたんですか。自虐とは、らしくないことを」
「ダグは本当にわたしをなんだと思っているのかしら。わたしだって年頃の女なのよ、マリッジブルーにもなるものなのよ」
「ついさきほどまで、どうすれば顔合わせの日が延びるか考えていた方が、マリッジブルーですか」
鼻で笑いつつ溜息を落とすという器用なことをしたダグラスは、ふと沈黙をつくる。常に毒舌が漏れるくちをいつになく長く閉ざしたのち、彼にしては珍しく慎重気味に問いかけてきた。
「ところでお嬢さまはご存じでいらっしゃいますか?」
「なにを?」
「ついにジムが結婚するそうです」
「まあ、もしかしてマキナと?」
「相手をご存じだったのですか」
「色恋に鈍いくせにって言いたいのね。気づくわよ、気づくに決まっているじゃない」
家族総出で仕えている使用人一家は、親戚のような存在。
なかでも、年の近い長男のジムには懐いており、ひとりっ子のリズベットにとっては兄妹のように気安い存在である。キッチンメイドのマキナといい関係を築きつつあることに気づかないわけがない。マキナが作る美味しいお菓子をジム経由で手に入れる率が上昇したここ数年は、いったいいつゴールインするのかヤキモキしていたのだ。
お祝いはなにがいいかしらとソワソワしはじめたリズベットを見て、ダグラスは不審そうな眼差しを向けてきた。
「よいのですか?」
「なにが?」
「お嬢様はジムのことを好いていたのでは?」
「好きよ。――え、ちょっと待ってちょうだい、もしかしてその『好き』は恋情という意味で言っているの?」
「それ以外になにがあると」
「あるに決まってるじゃない。ジムとは子どものころから一緒に過ごしているのよ、お兄さまみたいなものだわ。むしろ、どうしてそういう勘違いができるのよ」
あのダグラスが。
優秀で、頭の回転がよくて、一を聞いて十を知ると言わしめたあのダグラス・タームが、何故そのような考えに至ったのか。
ポカンとくちを開けてしまったリズベットを見て、これもまた珍しく動揺したようすを見せたダグラスが反論する。
「あなたはあの本を愛読していたでしょう。自分に重ねているのではないかと、ほかならぬジムがそう言っていた」
「どの本かしら?」
「決められた婚約者ではなく、傍にいる従者と添い遂げたいと願う令嬢の恋物語ですよ」
「!!」
なんということ。たしかにジムにはそれを指摘されていた。兄がわりの男にはリズベットの心情などモロバレで。でもだからといって、それを本人に言うだなんて。
脳内にいるジムは「いい加減に観念して、ダグラスに好きって言えばいいだろう」とせせら笑う。ぐっと唇を噛みしめ、目線を落とす。
頭から被ったままの大きなシーツは、しがらみのようにリズベットの体に未だまとわりついている。ぐるぐる巻き状態になっており、イモムシのようだ。いっそこのまま地中に埋まってしまいたい。
「……イモムシのほうがマシだわ。いつか綺麗な蝶になれるもの」
「また突然なにを言い出すんだか。そんなにも結婚が嫌ですか」
「貴族令嬢だもの、物語のようにはいかないってわかっているのよ。件の本は物語として楽しんでいただけ」
「ではジムが言っていたことは?」
「ジムが勝手に言っただけでしょう? だってあのお話における恋の相手は従者じゃないの。わたしの場合はしつ――」
うっかり執事と口走りそうになって固まった。
あわてて口許に手を当てたけれど、ダグラスの耳にはきちんと入っていたらしい。生来の察しの良さを如何なく発揮した男は、くちの端をにやりと引き上げた。
「私の聞き間違いでなければ、今、執事とおっしゃいましたか?」
「と、途中でやめたから、すべてをくちにしたわけじゃないわ!」
「言ったも同然だろ、それ」
ぼそりと吐いた言葉は彼らしくない粗野なもの。目を見開いて驚くリズベットを見やり、ダグラスは大きく息を吐いて肩を落とした。
「なんだよ、ジムの野郎。あの笑いは勝者の笑みじゃなくて、俺を煽るためのものだったのかよ」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってちょうだい、あなた本当にダグなの?」
「いつもの畏まったほうが好みですか? 戻しましょうか?」
「あなた、嘘をついていたのね!」
「失敬な。お仕えする主に丁寧に接するのは当然でしょう。嘘ではなく、演技ですよ演技」
「演技?」
「だって、そういうほうが好きなんだろう? 好んで読む恋愛小説は、お嬢様に仕える忠実な男が相手役だ」
リズベットは顔が熱くなるのを感じた。たしかにそういう物語を好んで読んでいたけれど、指摘されるとものすごく恥ずかしい。
「なによ、笑いなさいよ、どうせわたしは不埒な女よ、婚約者がいながら別のひとを好きになっちゃう、ダメな女よ!」
「この問題における最大の笑いどころは、婚約者と好きになったひとが同一人物であることに、本人が気づいていないってところだろう」
「――は? なにを言っているの。それじゃあまるで、わたしの結婚相手がダグみたいじゃない」
「そうだと言っている。むしろなんで気づかないんだ。名前でわかるだろう。わざとなのか?」
「でもだって家名が」
婚約者はスロー子爵の次男のはず。
対してダグラスは、十四歳のときに我が家へ入った使用人だ。
さらにいえば、婚約者のダグラス氏は王宮で仕事をしているのではなかったか。
リズベットの疑問をダグラスは潰していく。
「タームはうちが持っている男爵位のひとつ。兄がスロー子爵を継ぐことになってるから、タームを貰った。王宮の仕事に関していえば、やってるよ。お嬢様が学院でお勉強しているあいだにね」
「爵位って、そんな簡単に手に入るものなの!?」
「俺の祖父はあのザード侯爵だ」
侯爵閣下は、愛妾をたくさん持ち、子どもをたくさん作った男としてよく知られている。
ダグラスが言うに、祖父の子どもは十人。その子どもたちがそれぞれ結婚して子を成しているため、孫の数は倍以上。会ったこともない従兄弟もたくさんいるし、現在進行形で増えているという。
ザード侯爵家はいくつも爵位を持っており、それぞれの子どもへ渡している。ターム男爵もそのひとつにすぎない。
「祖父の代では、税収を上げるために爵位をたくさん作って付与したらしいな。子沢山のザードには、多くの爵位が与えられた。持て余している男爵位に、たいした価値なんてないよ。王子のところでやっている仕事は、爵位の見直しだ。祖父のツケを払わされている」
「うちも爵位整理の対象で、ダグはずっとわたしを見張っていたのね」
体を悪くして第二子を望めなくなったグレニスタ家において、リズベットが女性伯爵となるに相応しいのかどうか。
「見張りといえば見張りかもしれないけど、婚約が成立したのは俺が十歳ぐらいだぞ、そんな意図はなかっただろうさ」
将来を見据えて、ダグラスは十四歳のときにグレニスタ伯爵家へやって来た。学院に通いながら執事見習いとして仕え、次期伯爵を支えることになった。リズベットが八歳のときである。
「……ダグは、そのころからわたしをそういう目で見ていたの?」
「そんなわけないだろ。俺は幼児愛好者ではない」
ピシャリと断じる。嬉しいようなそうでもないような、じつに複雑な気分だ。ダグラスは大袈裟に溜息をついて、リズベットの傍に腰かけた。
「ずっと見てきたよ。夢見がちでふわふわしているが、きちんと他者を思いやれる。使用人に対しても階級を超えて分け隔てなく接することができるし、頭を下げることも厭わない。危なっかしくて心配になるぐらいだけど、そこは俺がなんとかすればいい。そう思うようになった」
「わたしは合格なの?」
「主としても、女としても、俺は極上だと思ってる」
直球の言葉に一気に体温があがり、頭巾のようにかぶったシーツの端をさらに引き下げる。唯一、表に現れていた瞳すら隠してしまったリズベットは、見えない視界の向こう側でダグラスがかすかに笑うのを感じた。
「それで、いつまで隠れているつもりなんだ。婚約者との顔合わせだぞ」
「なによ意地悪。顔も知らないどころか、嫌ってぐらい知っている相手じゃないの。黙っているなんてひどいわ」
「嫌味ぐらい言わせろよ、こっちは婚約者が別の男に気があると思わされてたんだぞ」
「そんなの勘違いしたほうが悪いのよ。わたしはダグのことしか見てなかったのに」
「……そういう可愛い台詞は顔を見て言って欲しいんだが」
ダグラスの手がシーツを剥ぎ取る。
そうはさせじと押さえるリズベットだったが、力では敵わずあっさり頭部が露出した。いままでずっと手加減されていたのだと思い知る。悔しい。
黙り込むリズベットを見て、ダグラスもまた言葉を失ったようだ。彼を驚かせられたことで、すこしだけ溜飲を下げる。
「……その惨状はどういうことか訊いても?」
「あのね、髪の毛って売れるのよ。わたしの髪って高いんですって。手入れが素晴らしいって褒められたわ」
「だからって貴族令嬢が髪を切って売るかよ、バカなのか」
腰まであったストレートの長い髪は、今は肩の上で揺れている。
断髪した理由としてはいくつかある。
小鳥の涙ほどではあってもお金になること、一定の長さがあればウイッグとして活用され、病気のために髪を失ったひとの役に立つと知ったこと。
「わたし、自分の髪があまり好きではなかったけど、喜ばれて嬉しいの。どうせ髪はまた伸びるし」
「結いあげる髪がないから結婚式も延びるだろうと?」
「……なんのことかしら」
敢えてくちにしなかった残りの理由を挙げられて、バツが悪くなったリズベット。視線を逸らせて言うと、ダグラスはリズベットの頬に手を伸ばす。
「この頬がどこまで伸びるか試してみようか?」
「やめなさいよ、嘘をついて伸びるのは鼻だけよ」
「なるほど。つまり嘘はついていないと」
「鼻が低くて悪かったわね! どうせわたしは、お母さまみたいな美人じゃないわよ」
「いいじゃないか。俺はリズのすべてを愛している」
これは本当にダグラスなのだろうか。ひとが変わりすぎていて信じがたいといったリズベットに、男は笑う。
「言っただろう、もう待つのはやめた。式に関しては髪が伸びるまでは待ってやるが、それ以外は好きにやらせてもらう。旦那様の許可も取ってるしな」
「な、なにをするつもりなのよっ」
リズベットの問いかけには答えず、いつもどおりニヤリと笑う。
腹黒さ満載の笑みにうっかりときめいてしまったリズベットは、やっぱり自分はいろいろ終わっているのかもしれないと感じつつ、それでもいいかと心から笑った。
だってどうあったところで、リズベットは、この腹が黒い、忠実な執事のことが大好きなのだから。
お読みいただき、どうもありがとうございました。
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2024.07.31追記
こちらの作品、エブリスタの超妄想コンテスト第222回「のびる」に参加していたのですが、佳作に選ばれました!