【書籍発売記念SS】ミーナの3つの願い事
書籍発売記念SSです。
アンバー子爵のせいで小説から省かれてしまったミーナのお話です!
「あ。一番星だっぺ・・・」
少女は窓から見える、一際光り輝く星を見つめた。
だけど、体を起こす力は、少女にはもうなかった。
「お星さま、小っちゃい頃は、な~んでおらがこんな目に合うんだかって恨んだりもしたけんども。
もう今はちゃんと受け入れてるだ。
だけどもし、神様か仏様がいらっしゃるなら、おらの最後の願いを聞いてくんろ?」
少女はかすむ目で一番星を見つめ続ける。
「生まれ変わったら、丈夫な体が欲しいな・・・」
「ミーナ。私の可愛いミーナ・・・」
母親の優しい声に、生まれて数日のミーナは覚醒する。
母親が優しく自分の頬を撫でる。
その手を追いかけようとした自分の手が目に映り・・・。
(あれ? おら・・・・・・・。
!!!!!!
おろろろろ???)
自分の手があまりに小さくて、ビックリしたミーナは起き上がる事もできずに手足をバタバタさせる。
ミーナは自分が赤ちゃんになっていることに気付いてビックリした。
しかも母親と思われる女性は、見た事も無い若い女の子。
「私の可愛いベイビー。ご機嫌ね」
(おら、もしかして死んじまって、生まれ変わったんだろうか???
この人がおっかぁだっぺか・・・。
えろ~、べっぴんさんだなぁ・・・)
ミーナは数日間混乱していたが、そこは天性の能天気を発動して、徐々に新しい生を受け入れていった。
しかし、母親のおっぱいからミルクを飲む時だけはちょっとだけ恥ずかしかった。この頃はまだ、中学校に通えなかった前世の記憶がハッキリと残っていたのだ。
(失礼しますだべ~)
そう(心の中で)言いながらも、それしか摂取出来ないのだから仕方が無いと自分に言い聞かせた。
時々父親と思われる男性が来るが、ミーナは母親と二人暮らしだった。母親は働いておらず裕福ではなかったが、働かずとも食べていけるほどの援助を受けていたようだ。
ミーナは母親からの溢れんばかりの愛情を受けて、すくすくと育っていった。
そしてミーナは、お星さまがミーナの願いを叶えてくれた事に気付いた。
今世で、ミーナは丈夫な体を手に入れたのだ。
嬉しくて嬉しくて、ミーナは部屋中を高速のハイハイで動き回っていた。それはもう、母親が止めようとしても追いつけないほどの高速で。
六歳になったミーナは、野を駆け山を掛け、丈夫な体で人生をエンジョイしていた。
そんなある日、ミーナが友達と外で遊んでいた時、友達の姉が彼女を迎えに来た。
「帰るよー」と言われて、姉と手を繋いで帰って行く友達を見て、ミーナは彼女が羨ましかった。
「いーな~・・・。おらもねぇねが欲しかったな・・・」
指を咥えて姉妹の後ろ姿を見つめていたミーナは、ちょっと寂しくなってしまい、優しい母親が居る家まで走って帰って行った。
その夜、ミーナは一番星を見つけて願い事をした。
(おらにもねぇねができますように!!!)
それから数日後、ミーナの願いが叶えられた。
「ほら、お姉ちゃんだよ。挨拶しなさい、ミーナ」
時々しか会っていなかった父親に連れられて、男爵家に迎え入れられたミーナは、異母姉のサマンサと対面した。
ふわふわの金色の髪に、薄い茶色の瞳をしたサマンサは、今まで平民だったミーナとは質の違う、お出かけ用でも見た事が無い様な高品質なドレスを着ていた。
ミーナを忌々しそうに見るサマンサだったが、その綺麗な顔にミーナは惚れ惚れとして、自分が睨まれている事はスルーした。
(念願のねぇねが出来たっぺ!!!)
「おっす! おら、ミーナ! よろしくおねげーしますだっぺ!!!」
興奮したミーナは、大きな声で元気いっぱいに挨拶をして、腰から上半身を折り曲げて頭を下げた。
サマンサは大きな声にビックリしたが、驚いてしまった事を何とか隠して、ミーナとミーナの母親をきつく睨んだ。
「わたくしには異母妹はいませんし、母親は2年前に亡くなった、ジョーンズ男爵夫人だけです!」
そう言って、部屋を出て行ってしまったのだ。
「伊保、舞(もしくは麻衣)・・・。おら、そんな名前だったっけ???」
ミーナのそのすっとぼけた回答を聞いたジョーンズ男爵は、大笑いした。
「アハハハハ! やっぱりミーナは面白いなぁ!」
そう言って、犬の頭でも撫でるかのように、わしゃわしゃとミーナの髪を撫で捲った。
因みにこの撫で方を、サマンサは嫌悪している事に彼は気づいていなかった。
若い頃はそのシュッとした容貌で、色々な女性と浮名を流した彼は、女性の心の機微には敏感だったが、子供の扱いはよく分かっていなかった。
子供と言っても貴族の女の子は、いっぱしの淑女の様に振舞うのである。
「二年前にあの子の母親が亡くなってから、元気が無くなってね。
君に母親役をやってもらいたいわけじゃなく、ミーナのこの天真爛漫さが、あの子にいい影響を与えてくれるんじゃないかと思ってね」
男爵はそう言って、ミーナとミーナの母親に、サマンサの家族になって欲しいとお願いしたのだ。
「おらもねぇねが欲しかったから、嬉しいだっぺよ!」
ミーナが本当に嬉しそうに笑うので、男爵とミーナの母親は、すこし様子を見ようと一緒に住む事となった。
それからの日々は、サマンサにとって地獄であった。
「ねぇね! おはよーございますだっぺ!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朝からうるさいのよ、あなたは」
「今日は何して遊ぶだ!?」
「あんたとなんか遊ばないわよ」
「ねぇね! 何してるだっぺか?」
「何でそんな事、あなたに言わなくっちゃいけないのよ」
「ねぇね、オラに何かして欲しいことはあるだっぺか?」
「可能ならどっかに行ってそのまま帰って来ないで」
「加納さん?」
「もういい!!!」
「あなた字も書けないの? これだから平民は」
「ねぇねは字がキレイだっぺ! おらにも教えてくんろ?」
「あなた、みっともない食べ方ね。これだから平民は」
「ねぇねは食べ方がキレイだっぺ! おらにも教えてくんろ?」
「あなた、・・・・・・・・・なんでそんなに田舎臭いの?」
「アハハハハハ! 知らん!」
ミーナと母親がジョーンズ家に来てから一月もしない内に、サマンサの心が折れた。
元々人に嫌味を言うような性格ではなかったのだ。
いつも何を言われていてもニコニコしているミーナとその母親に、サマンサも落ち着きを取り戻していった。
そうして二年の月日が流れて、サマンサとミーナは寄り親のハッセン伯爵家の長女、ナタリーと邂逅することとなる。
裕福な伯爵家のナタリーは、二人が今まで見たことが無いほど豪華な屋敷に住み、キラキラとしたドレスを着ていた。
そしてそんなドレスを着ても霞まないほど、ナタリーは可憐な美少女だった。
((本物のお姫様みたい!)だっぺ!!!)
お姫様の様に可憐で美しい少女なのに、好奇心は自分達と変わらない同い年の女の子で、ナタリーは二人にとって仕えるお嬢様でありながらも親友になった。
ミーナは生まれ変わってから、信じられない程の幸せを感じていた。
丈夫な体と、大好きな家族、そして親友。
ミーナは毎日、お星さまに感謝を告げてから眠りについた。
そんな幸せな日々に、別れの足音が近づいている事にミーナは気づかなかった。
ナタリーが学園を卒業した一年後に、マルティネス公爵令息と結婚することが決まったのだ。
そして彼女が公爵家に連れていけるのは侍女だけであって、メイドになってしまったミーナは連れて行けないと言われたのだ。
納得の行かなかったミーナは、ハッセンの執事長を泣き落とした。
ミーナの熱い演説を聞いてるうちに、ハッセン家の執事長は感情が高ぶっていく。
ナタリーが生まれる前から仕えていた執事長(六十五歳)の瞼の裏には、生まれたばかりのナタリーや、初めてハイハイをしたナタリーが浮かんでは消えて行く。
バレンタインデーには、父親や弟だけでなく、彼にもはにかんだ笑顔でチョコレートをくれた。
執事長(六十五歳)は、滂沱の涙を流しながら史上最高の紹介状を書き上げて、ミーナの手をギュッと握ってそれを渡した。
「我らがお嬢様が公爵家でつらい思いをしないよう、ミーナ、頼んだぞ!!!」
「がってん承知の助!!!」
”がってん承知の助”が何か分からない執事長だったが、是であることは理解したため、二人は滂沱の涙を流しながらきつく、そして熱く抱き合った。
そうして熱い程の推薦字句が記載された推薦状を携えて、ミーナは公爵家の門を叩き、何と公爵家の面接に受かったのである。
そして、サマンサにだけ真実を告げ、ミーナは公爵家のランドリーメイドになった。
そこでも元気いっぱいに働くミーナは、最初はその話し方で下級メイドの中でも遠巻きにされていたが、いつでも笑顔で一生懸命働くミーナは徐々に年上のメイドから可愛がられた。
しかしランドリーメイドのミーナは、ナタリーとは会えなかった。
それでもミーナは、ナタリーに何かあれば走って助けに行ける距離に居ることに満足した。
しかしナタリーが結婚して一ヶ月、ミーナの部屋にナタリーの侍女として公爵家に雇われたサマンサが会いに来た。
同じ従業員棟に住んでいる二人だったが、メイドと侍女では扱いが違うため、部屋の場所も働く時間も違い、ほとんど会うことはなかった。
結婚式を終えて公爵邸に住居を移したナタリーが、軽いノイローゼにかかったのだ。
ただの”ホームシック”だとナタリーは言うが、日に日に食欲が落ちたのだ。
サマンサは、自分ではナタリーを元気づけられないのだと落ち込み、そしてミーナに助けを求めた。
そして、ミーナとナタリーは感動の再会を果たす・・・。
ナタリーに予定の無いとある日の午前、ミーナがサマンサに連れられてナタリーの部屋にやってきて、ミーナがここ公爵邸で働いていた事をナタリーに告げた。
「お嬢!!!」
元気いっぱいのミーナを、目玉が落ちるのではないかと思われるほど両目を見開いたナタリーが凝視する。
そして、
ミーナの元に走っていくナタリー。
涙を流しながら、ナタリーを受け入れるように両腕を広げるミーナの頭の中で、とある曲が流れる。
『エンダ~~~~~~~~~、イア~~~~~~~~~~~~~』(by ホイットニー)
「チェストー!!!!!」
ナタリーは非力ながらも、腕を胸の前で❝Ⅹ❞の様に組み合わせて、ミーナに体当たりをしてミーナを吹っ飛ばした。
「なんでだっぺ~。
ひどいべ、お嬢! 今は感動の再会で涙しながら抱き合うとこだっぺよ~」
「うるさい!
私はね! 居るはずのないあんたの姿が見えたり声が聞こえたせいで、自分がノイローゼになってしまったんじゃないか、ホームシックにかかるほど弱い人間だったんだって、もう滅茶苦茶悩んだんだからね!!!」
吹っ飛ばされたまま床に横座りしているミーナを、上から指で指しながら怒りまくるナタリー。
「人を指で指しちゃぁ、ダメなんだっぺよ?」といきなり正論をぶっこんで、火に油を注ぎまくるミーナ。
状況を察したサマンサは、とりあえずナタリーが心の病気でも何でも無かった事に胸を撫でおろした。
主の前に姿を見せることのないランドリーメイド。しかし元気いっぱいのミーナの行動と声は、主の前にちょびっとだけ飛び出していたようで。
いるはずのないミーナの幻覚に、ナタリーは悩まされていただけだった・・・。
それからの日々も元気いっぱいに幸せに生きていたミーナは、人生で初めての”嫉妬”を経験する。
サマンサが上手いことやって、公爵家長男の乳母になったのだ。
ルークを抱いて、おっぱいをあげて、寝かしつける。
(うらやましすぎるのだ~~~!!!)
そこでミーナは、ナタリーの次の子の乳母を目指し始めた。
まずは結婚しないといけない。ミーナは公爵家で働き始めてから、馬番のサムと付き合っていた。口下手なサムはロマンチストだった。彼はもう少しお金を貯めて指輪を買ってから、夜景の見える美しい丘でミーナにプロポーズをしようと考えていた。
しかし焦ったミーナは、サムの事情やロマンスを一切合切無視して逆プロポーズをする。
いつもの飲み屋で「とりあえずビール」を頼んだ後、ミーナは飲み屋に響き渡る程の大きな声で逆プロポーズをした。
「おらは死にましぇん! おらは死にましぇん! あなたが好きだから! おらは死にましぇん! だから結婚してくんろ? プリーズ SAY YES !!!」
サムは泣きながら、ハニカミながら言った。
「はい。 幸せにしてください!」
その日、場末の飲み屋で、ロマンチストな夫と野獣のような妻というカップルが誕生した。
サマンサとナタリーは、平民のミーナは貴族の乳母にはなれないと、どうしても言えなかった。
そして真実を言えないまま、ミーナではなくサムの努力と忍耐とそして根性で、ナタリーとほぼ同時期に妊娠することが出来たのだ。
(ヤッタ! ヤッタだべ~~~!!!)
ミーナはこの世界では確立されていない競歩でナタリーの部屋へと向かう。しかしその途中でメイド長に呼び出された。
そして、乳母にはなれない事はもちろん、ルークに近づく事も禁じられたのだ。
その理由は彼女が平民であることもそうだが、彼女の話し方がネックとなっていた。
「忘れないで。あなたは侍女ではなくメイドなのよ。それも下級のランドリーメイドなの。
・・・ここはハッセン伯爵家ではなく、過去には王家の姫様が降嫁されたこともある、格式高いマルティネス公爵家です」
メイド長は、絶望に色を染めたミーナの目を見て、悲しくなった。
しかしここは公爵家であり、自分はメイドを統括するメイド長なのだ。ここでミーナを甘やかして、彼女が侍女長や公爵夫人に目を付けられたらミーナは追い出されてしまうのだ。
メイド長は可愛がっているミーナを根気強く諭す。
「今後は呼ばれない限り若奥様の部屋には行かないように。
サマンサにも伝えていますので、ルーク様とも接触しないように気をつけなさい」
ミーナは何時もの様に声を出して泣かなかった。ただ静かに涙を流し続けた。それが余計に彼女の悲しみを表すようで、メイド長はそれ以上声を掛けることが出来なかった。
それからの日々を、ミーナは静かに過ごした。
体調が安定していた為、妊娠中も仕事を続けた。
だけど以前の様に、底抜けに明るく笑うことはなかった。
そんなミーナの住む部屋に、サマンサが自身の娘を連れてやってきた。ナタリーの伝言を渡しに来たのだ。サマンサにお手製のハーブティを入れて、向かいの席に座る。ミーナは静かに自分の膨れてきたお腹を摩りながら、目線を下げた。妊娠六ヶ月目だった。
「若奥様からの伝言。
たぶん今のお子様が生まれたら、若旦那様が公爵家を御継ぎになられるわ。そうしたら若奥様が公爵夫人としてこの屋敷で采配を振られることになる。あなたを乳母にすることは出来ないけど、部屋付きのメイドには出来るから、それまで大人しくしていなさいって」
ミーナはハッと顔を上げてサマンサを見つめる。
「そんなに落ち込んでたら、体に良くないわ。若奥様もあなたに会いたいって。だから待っていてって」
ミーナは嬉しくて、顔をくしゃくしゃにして涙を流した。
鼻水を流しながら、うんうんと頷く。
サマンサはそんなミーナを優しく見つめて、ハーブティを一口すすった。
「くっそ まっず!」
口に入れたハーブティを呑み込めず、そのままもう一度カップに戻した。
「不味くないっぺよ~~~。体にいいんだべ?」
ミーナは泣き笑いしながら、自分にも入れたハーブティを飲んで、そして吐き出した。
「こりゃ失敗作だっぺな」
サマンサとミーナは大笑いした。
サマンサはミーナの心の底からの笑顔を見て安心した。
しかしそれから二ヶ月後、公爵家に事件が起きた。
まだ二十四週目なのに、ナタリーに陣痛が来たのだ。
あまりにも早い出産で、公爵家に緊張が走る。
この国では医療が発達しているが、それでも早産などの出産に関する分野ではまだ未発達な部分が多く、未熟児の出生率が低いのだ。
ナタリーが気力を振り絞って産んだのは女の子だったが、体重はルークの時に比べて半分しかなく、しかも大きな声で泣くこともできず、母乳も飲まなかった。
公爵邸の専属侍医は、今夜が峠かもしれないと、夫のアーロンと公爵夫妻に告げた。
誰にも見つからないように廊下の陰でそれを聞いていたミーナは、急いで外に出て一番星を探した。
あいにくの曇り空で星が一つも出ていない。
ミーナは泣きながら公爵邸の庭を競歩で歩き回って星を探した。
そしてやっと見つけた。
彼女は膝をついて一番星に願った。
「お星さま! どうかお嬢の命を持っていかんとって! おねげーしますだっぺ! おら達の大事な大事なお嬢様だっぺ!
持って行くならおらの命を持って行ってくんろ!
おらは十分に生きたべ!
前世より長く生きた!
しかも元気いっぱいに!
おらはもう十分だ!
だからおらの命をお嬢にあげてくんろ!!!」
ミーナの叫びに、ミーナのお腹の中から蹴る音が響く。
ミーナはハッと気づいて、自分の膨らんだお腹を撫でた。
滂沱の涙を流しながら、ミーナはお腹の我が子に話しかけた。
「ごめん、ごめん。 悪いかーちゃんだった・・・」
ミーナは涙で滲む目で一番星を見つめる。
「おらの命をあげらんねぇ・・・。
この子の為におらは死ねねぇ・・・。
どうすりゃいいだ?
いつもおらの願いを叶えてくれたべ?」
ミーナはお腹を抱えてその場に蹲った。
「お星さま・・・。おらの願いを叶えてくんろ?
おねげーします。おねげーします・・・」
それを見ていた公爵夫人は、名前の知らないメイドの慟哭を背に屋敷へ戻って行った。
ミーナはその日、そのまま夜が明けるまで、その場に蹲って星に願い続けた。
ビアンカと名付けられたその赤子は、その日の山場を無事に乗り切った。
まだまだ予断を許さない状況が続いているとメイド長から聞いたミーナは、ナタリーが心配で本邸のドアの前でうろうろしている所を侍女長に呼び出された。
そして連れていかれたのは、若奥様の寝室の前。
そこにいたのは、
「公爵夫人ですよ。頭を下げなさい」
侍女長にそう言われて、ミーナは頭を下げた。
公爵夫人は何も言わずにミーナの横を通って、部屋を出て行った。
意味が分からず混乱するミーナに侍女長が説明する。
「一昨日の陣痛から、若奥様は心も体も休められておりません。しかも昨夜はずっと生まれたばかりのお嬢様につきっきりで一睡もされていないのです。
こんな時は公爵家のメイドや侍女よりも、サマンサや貴女の様な心置きない友達が傍にいた方が良いでしょう」
そう言って、ミーナの背を優しく押した。
ミーナが部屋に入って来た音に振り返ったナタリーの目元は、疲労が色濃く出ていた。
ミーナの姿を見てナタリーは、ミーナが魅了されたエメラルドの瞳に涙の幕を張る。
ミーナは競歩でナタリーに近づききつく抱きしめた。
「ミーナ。ミーナ・・・」
「大丈夫だっぺ! おらが付いてるからな! 昨晩お星さまにもお願いしたから。
お嬢も知ってるべ? お星さまはいつもおらの願い事を叶えてくれるって。だから大丈夫だ!」
ナタリーはミーナの腕の中で、泣きながらうんうんと何度も頷いた。
ナタリーは泣き疲れてそのまま気絶するように眠ってしまった。
ミーナはナタリーをベッドに寝かしつけた後、ずっとビアンカの傍についた。
「がんばれ、お嬢。がんばれ。お嬢はおら達の大事な大事なお嬢だからな。・・・がんばれ」
部屋に入ってきた侍女長はじっとミーナを見つめて、そしてポロっと零した。
「ビアンカ様が早産で想像以上に早くに生まれてしまった為に、乳母になる予定だった伯爵夫人もまだ出産を終えていないのよね。困ったわ~。今すぐに乳母が必要なのに。しかも若奥様が心から信頼している人間が乳母になってくれたら助かるのに・・・」
そう言った後、侍女長はミーナを一瞥してそのまま部屋を出て行った。
ミーナは満面の笑みを浮かべてお腹の子に話しかけた。
「ジョン! 聞いたべか? 急いでおっかぁのお腹から出て来てくんろ? そしたら乳母になれるべ! おっかぁが乳母になったら、ジョンはお嬢の、ビアンカ様の方だべ? そっちのお嬢の乳姉弟になるべ!!!」
その瞬間、お腹の中から蹴られたミーナは、ベッドから起きてきたナタリーに「ちょっくら産んでくるべ!」と声を掛けてきた。
疲れ果てていたナタリーだったが、ミーナのこの発言にはびっくりした。ミーナもまだやっと九ヶ月目に突入したところだったからだ。
「今ならおらでも乳母になれるべ! そしたらお嬢の傍におれるだ!
そしたらおらも守ってあげられる!
おらが守ってあげる! お嬢も、・・・そしてお嬢も!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ややこしいから、今後は私のことは”若奥様”と呼ぶように」
ナタリーが冷静な突っ込みを入れたので、ミーナは笑った。
ナタリーも、やっと少し笑えた。ミーナが味方だと何だか大丈夫な気がしたのだ。
「おんろ? ジョン! ちょっと待ってくんろ!
お嬢・・・じゃなくて若奥様、ジョンが先走って頭がちょびっと出て来ちまっただ!」
ミーナは自分の股の間に手を添えて、すこし内股の競歩で自分の部屋に帰ってしまった。
少しフリーズしていたナタリーだったが。
「・・・え??? ・・・・・・・・・えええ~~~~~~~!!!???
サ、サ、サマンサ!!! 急いでミーナを手伝いに行って来て! 陣痛が始まったのか知らないけど、頭出てきたって!!!」
ナタリーの大声で、ルークの部屋にいたサマンサが慌てて駆けつけて、説明を受けたサマンサは顔を真っ青にして従業員用の生活棟へと走って行った。
その後ミーナは家に帰って十分後に無事に男の子を生んだ。
そして夫に相談せず勝手に”ジョン”と名付けた。
それが、ミーナが前世に飼っていた犬の名前なのは、誰も知らない。
しかも出産から二日後には、ジョンを抱っこしてナタリーの部屋にやってきた。
その根性に、誰もミーナが平民でありながらもビアンカの乳母になった事に文句を言う者はいなかった。
しかもミーナは片時もナタリーやビアンカの傍を離れず、献身的にお世話をした。
公爵夫人は自室の窓から庭を眺める。
そこには、ビアンカを抱っこ紐で前に括り付け、ジョンをおんぶ紐で背負った状態で、ミーナが庭をえっちらおっちら歩いていた。
「お嬢、ジョン。いい天気だべ。おテントウ様が二人の前途を祝福してくれてるだっぺ。
めんこい二人はこれからも幸せに生きて行けるだっぺ。 心配しなくてもいいべ~」
上機嫌で赤子をあやすミーナを見ていた公爵夫人に、部屋にいた侍女長が声を掛けた。
「あの子を若奥様かビアンカ様の部屋付きのメイドにしますか?」
「その必要はないでしょう。夫が爵位をアーロンに譲ったら、ナタリーが自分で彼女をメイドにするわ」
公爵夫人は優しい目で侍女長を見つめた。
「あの子は、あなたにそっくりだわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・忠誠心だけですよね?」
「ふふ。あなたも田舎者だったじゃない」
「いや、それは否定しませんが、あの訛りはないですよ・・・」
「そうね・・・。あれは・・・無いわね。
ナタリーの部屋付きはともかく、ビアンカの部屋付きのメイドには、・・・無理ね」
自分の頭上でそんな会話がされていることも知らず、ミーナは調子の外れた歌でビアンカとジョンをあやし続けた。
「まるまるもりもり みんな食べるよ~ ・・・だんご三兄弟、オレィ!!!」
「ミーナ~。お昼寝の時間よ~」
庭に続くテラスから、ルークと手を繋いでナタリーが姿を現す。
隣にはサマンサが居て、皆がこっちを向いて笑っていた。
ミーナはその光景を目に焼き付けるように見つめた後、感謝の言葉を伝えるために空を見上げる。
そこには、確かに一番星が見えた。
薄い空色の中に、ポツンと小さく白く輝く星。
ミーナはこみ上げる幸せを飲み込んで。
(ありがとうございますだっぺ、お星さま・・・)
ミーナはビアンカとジョンがびっくりしないように、だけど最短で皆の所に辿り着くため、ギリギリの所を攻めるように自己最速の競歩で歩き出した。