③悪役令嬢とヒーロー
結局、ビアンカは婚約者になった。
公爵家総出で「丁重にお断り致します!!!」と拒否してきたが、国王陛下がものすっごい笑顔で王命を出した。
何だかよく分からないが、公爵への嫌がらせのようだ。
王宮での恐怖体験のせいで、婚約者同士のお茶会であっても王宮に行きたくないと、駄々をこねるビアンカに、なら行かなくていいと言う公爵とルーク。
そして「我儘な娘ですみません・・・。 こんな娘には王子妃なんて無理なんで・・・ね? このまま・・・無かった事に、ね? ね?」と、婚約を無かった事にしようとする夫人。
「あ、じゃぁ・・・」と了承しそうなリチャードのお尻を蹴り上げて、国王はリチャードを公爵邸に送らせた。
彼女が異世界の魂を持つ者でもなく、あれがただの鼻提灯であったと知ったリチャードは、心の底からガッカリしていた。
3歳の時に自分だって、異世界の魂を持つ者でなかった事で理不尽な目にあっていたくせに、喉元過ぎれば何とやら、である。
しかしそこは天才児。
自分が理不尽な目にあって不愉快に感じた事を人にしてしまうなんて!
心の中でビアンカに謝り、気持ちを切り替えて公爵邸にやってきた。
「王太子殿下にご挨拶いたします」
淑女然としてカーテシーで挨拶をするビアンカ。
リチャードにはそれが少し面白く感じた。
(あんなギャン泣きを見られた相手に今更澄ましても手遅れなのに・・・)
ビアンカ付きの侍女がお茶を用意して部屋の隅に下がると、ビアンカが口火を切った。
「あの・・・、王宮に行けなくて申し訳ございません」
少し目線を下げてもじもじしながら言うビアンカは、控えめに言っても天使だった。
公爵かルークが見ていたら、鼻を押さえて悶絶していたことであろう。
その様子はリチャードにとっても大変好ましかったようで、「じゃぁ来なくていいよ、お茶会は無しで」って言おうとしていた事など無かったかの様に微笑んだ。
「別に構わないよ。僕が公爵家に来ればいいだけだから。
怖い思いをしたんだから、しょうがないよ。彼女の家からは謝罪はあったんだよね?」
リチャードは話を広げようとしたが、そこはビアンカによりぶった切られた。
「あ、はい。 それはいいのですが・・・。
あの、その、あの日、私、少し泣いてしまって、その時に、あの、淑女として、とてもみっともない姿をお見せしてしまって・・・(ごにょごにょ)」
(え? 少し???
まさか、鼻提灯の事気づいてないの???
鼻提灯が出たり入ったりする際、鼻がピスピス鳴っていたのに!!!
っていうか、薔薇園に響き渡るほど「びえん」って泣いてたのに、ちょっとなの???
って言うか今更だけど、「びえん」て泣く人間、いるんだな。)
一瞬思考が逸れたが、空気の読める王子はアルカイックスマイルで、乙女の恥じらいを汲み取ってあげる。
「僕は遅れてあのガゼボに着いたから、何も見ていないよ」
嘘である。
公爵夫人の横に居た。
しかしビアンカはリチャードの嘘を信じて、ホッと胸を撫で下ろす。
その心から安心した、無防備な笑顔はとても愛らしいもので、リチャードはそれを微笑ましく見ていた。
自分にすり寄って来る、女の顔をした他の少女達とは全く違うビアンカに、リチャードは早くも居心地の良さを感じたのだ。
まとめると、二人のお茶会はその後、当たり障りのない会話となった。
特別会話が盛り上がる事も無く、だけど無言になるでも無く、ビアンカは淑女然とした表情を崩さなかった。
(何かちょっと残念だな・・・)
リチャードがそう思っていた頃、公爵が仕事を終え屋敷に戻って来た。
そしてもの凄い勢いで応接室の扉を押し開けたのだ、王子が居るにもかかわらず。
さらに第一声が、
「ビアンカたん! パパでちゅよ!!!」
(ブーッ!!!)
リチャードは紅茶を噴き出してしまった。
(パ! パパ!!??)
公爵家の侍女が茫然とするリチャードの手にハンカチを持たせ、メイドが辺りを拭いてリチャードの粗相を無かった事にする。
その間、王子の侍従や騎士は、ただただ口をあんぐりと開いて、同じくらい目も見開いて、城では美貌の公爵閣下で通っているビアンカパパの、やに下がったデレデレ顔を穴が開くほど見つめていた。
公爵家で働く者にとっては日常茶飯事であるため、何事も無かったかの様に部屋の隅に戻る。
「パパ! じゃなくてお父様!
リチャード殿下に挨拶しないとダメですよ!」
ビアンカは公爵にプンプンと怒りながら、人差し指を立てて注意をする。
挨拶をちゃんとしないと、公爵夫人に怒られるのだ。
「王子殿下にご挨拶申し上げます。
ちゃんと挨拶したので、ビアンカたん、ご褒美のチューください!」
キリっとした顔でリチャードに臣下の礼をした後、デレデレにやに下がった顔でビアンカに抱き着く公爵。
ビアンカも満面の笑みで「よくできました!」と、公爵のほっぺにキスをして抱き着く。
リチャードは目の前の光景に驚き、固まったまま動けなかった。
そこに、夫人とルークもやってきた。
「お父様! ずるいですよ! 僕が手を洗いに行ってる間に!!!
手も洗わずにビアンカに抱き着くだなんて、何を考えているんですか!!!
ビアンカ、おにーちゃまにもお帰りのチューしてくだちゃい!」
ルークにギュッとされて、ビアンカも「キャー」と楽しそうな声を出し、ルークのほっぺにキスをした。
「あらあら、まぁまぁ、あなた達、殿下の前でみっともない!
申し訳ございません、殿下・・・」
そういってリチャードに謝罪をした夫人に、公爵とルークが順番にただいまのキスをする。
自分と両親の関係性とは全く違う公爵家に、リチャードはただただ茫然とした。
自由恋愛の傾向が強くなったとはいえ、王家と公爵家は政略結婚が基本だ。
王家の姫を三大公爵家に降嫁させ、そして公爵家の娘を王子の妻にする。
王家の血が途絶えないように。
王と王妃も政略結婚だったため、不仲では無いが、公爵夫妻の様に愛し合っているわけでもない。
自分達兄弟の事は愛してはくれているが、僅かだが確かに、次代の王とそのスペアを見る様な目で見てくる瞬間があるのだ。
そんな時、リチャードにとっても二人は、親ではなく国王と王妃だった。
この様に無償の愛に包まれた家族の時間を、リチャードは初めてみた。
リチャードは純粋に、ビアンカとルークが羨ましかった。
公爵家で晩餐を頂いたリチャードは、優しさが溢れる空間に身を任せた。
その夜リチャードは考えた。
王家であれど、家族の時間にはあの様な家族団欒を持ってもいい筈だ。
ビアンカと結婚したら、彼女が自分にも、あの様な家庭をもたらしてくれるかもしれない、と。
幸運な事に、ビアンカは自分に好意を示している。
自分が話し掛けたり褒めると、顔を赤らめてもじもじするのだ。
リチャードは、ビアンカとの婚約は僥倖であったと思った。
しかし、日々を過ごしていく中で、リチャードは少しずつ自信を無くしていく事となる。
ビアンカは確かにリチャードが好きである。
それは言葉の端々に感じることが出来る。
でもその“好き”とは特別の好きなのか、リチャードには分からなかった。
ビアンカは好きなものがたくさんあって、それをランキングにすると、自分への好きはとても低いんじゃないかと、リチャードはふと思った。
それを裏付ける様な出来事が ————
ビアンカは無類の甘い物好きである。
そんな彼女の為に、毎回王都で人気のパティスリーのスィーツを持って、リチャードは公爵邸を訪れる。
ビアンカはリチャードを見ると、可愛らしいピンクのほっぺをバラ色に染めて、エメラルド色の瞳をキラキラさせるのだ。
しかし、リチャードの侍従が手土産を渡した瞬間、バラ色の可愛いほっぺは真っ赤に染まり、エメラルドの瞳は、リチャードを見た時とは比較にならないほどキラキラする。
それはもう、キラッキラ、キラッキラと・・・。
淑女教育が(中途半端に)行き届いて(?)いるので、メイドに手渡されたお土産を、マジマジと見たりはしない。
しかしリチャードを見つめながらも、目はチラッチラ、チラッチラ、チラッチラ、何度も手土産を見つめるのだ。
リチャードは思った。
自分が来た事が嬉しいんじゃなくて、スィーツを持って来てくれるから好きなんじゃないか・・・?
またある時は、(ルークが割り込んできた為)三人で公爵邸の庭でお茶をしていた時の事。
ミツバチが飛んできた事に驚いたビアンカは、兄に走り寄って抱き着いたのだ。
ルークとリチャードのビアンカからの距離は同等。
いや、どちらかと言うとリチャードの方が若干近い。
なのにビアンカは、婚約者のリチャードではなく、兄のルークに抱き着いたのだ。
その時のルークの嬉しそうな、やに下がった顔と言ったら・・・。
リチャードは悔しさのあまりルークを睨みつけてしまったため、それに気づいたルークがまさかのどや顔で応戦。
二人の間に火花が散った。
それを見ていたビアンカ付きのメイド、ミーナの頭の中でゴングが鳴った。
戦いの火蓋が(ミーナの手によって勝手に)切られた瞬間である。
リチャードは、少し不安になった。
ビアンカは本当に自分が好きなのか???
何気にビアンカ(と公爵家の面々)に振り回されるリチャードであった。
何だか自信が無くなりかけたある時、ビアンカが自分の母親を大層尊敬している話になった。
(確かに夫人は一歩下がって公爵を立てて、内助の功って感じだな)
そう思ったリチャードだが、ビアンカの話では全く違った。
「はい! ママはとてもパパを転がすのが上手で、いつもビアンカに『男は上手に手の平で転がすのよー』って教えてくれます。
おだてて上手く使うのですって!」
「・・・え? それ、未来の夫になる僕に言っちゃうの・・・? って言うか、僕を転がす指導を受けてるの!?」
「は!!!」
ビアンカは失言してしまった事にびっくりして、手に持っていたマカロンを落としてしまった。
お菓子が大好きなビアンカが、お菓子を落としてしまうのは公爵家では未曾有の出来事だった。
ビアンカはその瞬間、失言よりもマカロンを落とした事にショックを受け、侍女が回収していったマカロンを目で追い続けていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
「アハハハハ!」
リチャードはお腹を抱えて笑ってしまった。
(母親自慢をしたくて、ついボロを出してしまうなんて。
しかも失言すらも忘れさせる落ちたマカロン!)
普段は博識な母親から教育を受けているビアンカは、時々リチャードがびっくりする程の知識や意見を披露する。
その才媛振りに舌を巻くこともしばしばあったが、こんな風に自爆してしまう時は、年相応で可愛らしく感じた。
(昔の僕なら、馬鹿だなって思っただろうけど・・・。
いや、ビアンカ以外には今でもそう思うかも・・・)
やっちゃったという顔で目線を下げるビアンカに、リチャードは追い打ちをかける。
「家族間では、今でもパパ、ママって呼んでるんだね」
「!!!!!!」
顔を真っ赤にして、ビアンカは俯く以外何も出来なかった。
その日王宮に戻ったリチャードは、今日のビアンカを思い出して笑ってしまった。
隣にいた宰相は、子供らしいリチャードの様子に目を細める。
「何を思い出していたんですか?」
「いや、ちょっと。婚約者殿をね」
そう言って、またふふっと笑ったリチャード。
「殿下、今までに思い出し笑いをした事はありますか?」
「え?」
「マルティネス公爵令嬢とお茶会をした後、彼女の事を思い浮かべたりしますか?」
「・・・するかも。ビアンカは僕を驚かせるような事をするから・・・」
「あなたは何歩も先を読むから、きっと普通の人間に対して退屈を感じるのでしょう。
あなたはいつもこの王宮を、退屈そうに歩いていた。
だから私は今日、とても安心しました」
宰相は、この類まれなる神童に優しく微笑んで、頭にそっと手を触れた。
リチャードにとって外祖父に当たる宰相は、そのまま立ち去った。
あのマルティネス家に関わっていなければ、リチャードはこの宰相の行動を不愉快に思ったかもしれない。
外祖父であっても、身分の高い王太子の頭を撫でるなど、と。
しかしマルティネス公爵が、いつもルークやビアンカの頭を撫でている所を何度も見ていたリチャードは、何故自分には頭を撫でてくれる人がいないのかと、思った事がある。
(ふむ。くすぐったいものだな・・・)
そんな事をふと考えてから・・・、ほんの些細な出来事で、人の考え方とは左右されてしまうのだな、とリチャードは思った。