①悪役令嬢、初めてのお茶会
短編版の「悪役令嬢、物語が始まる前はただの美幼女。戦いを挑んではいけません。」と同じストーリーですが、少し加筆修正しております。
「あなた、全然悪役令嬢の仕事してないじゃない!
もしかしてあなたも転生者??!!
原作のストーリーを壊すなんて最低よ!!!」
ビアンカ・マルティネス公爵令嬢、5歳、初めての世界に触れた瞬間だった。
マルティネス公爵家は、四方を海に囲まれた資源の豊富な国の、三大公爵家の一つである。
5年前に生まれた長女ビアンカは、ミルクティ色のサラサラなストレートヘアに、大きなエメラルド色の瞳をした、たいそう美しい幼女だった。
父親である公爵と、5つ上の兄ルークは、そんなビアンカにべたべたの甘々。
それを危惧する母親である公爵夫人は、二人分の甘々を相殺するかのようにビアンカを厳しく育てているが、お人形の様にかわいらしい愛娘を心の底から愛していた。
使用人たちも、(癇癪を起したら夫人に拳骨をくらうため)末っ子特有の我儘しか言わないこのお嬢様を心から愛していた。
ビアンカはそんな、優しい世界で育った。
幸せな世界しか知らなかったお嬢様が、王宮のお茶会に参加することになった。
ビアンカより2つ年上の王子の、婚約者候補と側近候補を見極めるお茶会である。
綺麗なドレスを着せられて朝からご機嫌なビアンカは、母親に連れられて会場となる王宮の薔薇園についた。
母親から口が酸っぱくなるほど注意を受けているが、右から左である。大興奮である。
王子様に会うのは初めてのビアンカ。
童話の王子様が大好きなビアンカは、王子様に会えるのがとても楽しみだった。
しかしビアンカの1番の興味は、実はお茶会で出されるお菓子であった。
王宮で役職を持っている父は、たまにお土産で王宮のお菓子を持って帰ってきてくれる。
公爵家のお菓子も大変おいしいが、王宮のお菓子は別格なのだ。
母親と手を繋いでお澄まし顔で歩いているが、どんなお菓子がでるのか想像して大興奮である為、鼻がふんすふんすしている。
綺麗な王子様にキラキラ薔薇園。
お茶会はビュッフェスタイルで、一角に山の様にお菓子が並んでいる。
どれも一口サイズになっているが、5歳のビアンカは全種食べられるか、一生懸命小さな脳みそで考える。
きょろきょろすると母親から拳骨が飛んでくるのは知っている。
あの痛みをこの体が覚えている。
そのため、ビアンカは器用に眼球を動かして、母親にバレないように辺りを見渡す。
だけどやっぱり鼻がふんすふんすと鳴る。 つまり大興奮である。
「まずは王子様にご挨拶しましょう」
王妃様と一緒にいるリチャード第一王子に挨拶をするため、母親と主賓席へと向かう。
王子様は絵本と同じ様にキラキラしていた。
金髪に、夕暮れ時の茜色の空の様な瞳。優しい眼差しでビアンカに声を掛けてきた。
覚えたてのカーテシーを披露すると褒めてくれた。
褒められた事が嬉しくて、ビアンカのピンク色のほっぺが少し赤くなった。
もう少し話したかったが挨拶の列は続いている為、母親に促されてビアンカは、後ろ髪を引かれる思いで列から離れた。
大人たちは別の場所で集まっていたため、母親とはここでお別れ。
初めての場所で母親から離されて、多くの子供達が戸惑う中、ビアンカは一直線にビュッフェカウンターへ。
後ろ髪を引かれたのは一瞬の出来事だったようだ。
計画通り、食べたい物から順番に取っていく。
あれもこれも食べたいが、お皿にお上品にお菓子を並べて、自席で優雅に紅茶を嗜むビアンカ。
食いしん坊でも公爵家の娘、外面は完璧である。
お上品な数だけをお皿に乗せるので、何度も何度も自席とビュッフェカウンターを行ったり来たりする。
何度か一人の令嬢とニアミスするが、母親の拳骨によって鍛え上げられた体幹が、令嬢を察知した瞬間に方向転換。辛くもあわやの事態を回避する。
「あの、ビアンカ様、少しよろしいでしょうか?」
先ほどぶつかりそうになった令嬢から声をかけられた。
ビアンカはドキドキした。
同年代の女の子に声をかけられたのが初めてだからである。
通常、身分の下の者から上の者へ、声をかけることは許されていない。それは子供の世界でも一緒である。
つまり、公爵令嬢であるビアンカが話しかけない限り、誰もビアンカと話せないのである。
そして、ビアンカは自分から話しかけるという行為を、家族(使用人も含む)以外にしたことがなかった。
つまり、同年代の友達がいないのである。
初めての友達(まだ友達ではない)にビアンカは興奮した。
興奮しても公爵令嬢。サッと状況を見渡す。
とりあえずデザートは全種食べる事ができた。何ならこれから二回戦に挑もうとしていたところだ。
王子は挨拶を終えて、前の席から順次テーブルについて談笑している。
ここはビュッフェカウンターに近いため、王子が来るのはもう少し先。
そして、友達のいないビアンカの席は、ビアンカ以外誰もいない・・・。
ビアンカは快く了承し、二人で薔薇園のガゼボまで行くことにした。
ビアンカは初めての友達(まだ友達ではない)と、遠出(お茶会会場のすぐ横)をすることに興奮した。
なので、令嬢の様子がおかしい事には気づかなかった。
そして、ガゼボについてすぐ、冒頭の会話である。
ビアンカは何が起こっているのか理解できず、友達 (ではない)の態度の変化に付いていけなかった。
あんなに可愛らしかった顔を般若の様に歪めてる彼女こそが、(自称)ヒロインである。
メリッサ・アンバー子爵令嬢。
しがない男爵家だったが祖父の代に莫大な資産を作り上げ、最近子爵になった新興貴族である。
陰で成金と呼ばれて肩身の狭い思いをしているが、持ち前の明るさで前向きに頑張る、令和の時代の恋愛漫画のヒロインである。
漫画のストーリーが始まるのは、メリッサと王子が学園に入学してからなので8年先のこと。
王子と同じクラスになり、二人は徐々にお互いを意識し合う。じれじれしながら距離を縮めていく二人に、邪魔と言うスパイスをふりかけまくるのが、王子の婚約者であり悪役令嬢である、このビアンカだ。
このお茶会は王子との恋愛を進めるのに必要なフラグで、ビアンカとぶつかり、罵られているところを王子に助けられる必要があるのだ。
自分が大好きな漫画のヒロインに転生した事に気づいたメリッサは、大興奮でこのお茶会に挑んでいた。
それなのにこの悪役令嬢は、さっきからそのフラグを避けまくっているのである。
これには可憐なヒロインも、般若顔になってクレーマーへと化した。
「あなた、今日が大切なフラグの日だって、気づいているのよね?
なのに避けるなんて卑怯よ!
せいせいどうどうと悪役令嬢やりなさいよ!
それがあなたの宿命なのよ!!!」
友達(違う)の変わり様に、優しい世界しか知らないビアンカは限界だった。
母親からの注意事項も全て飛んだ、公爵令嬢ではない、ただの5歳児が起こした行動は・・・
「びえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!」
ぎゃん泣きである。
ビアンカの泣き声は会場中に響き渡ったが、声の主に一早く気づいたのは、重度のシスコンの、ビアンカの兄ルークである。
「ビアンカ!!! おにーちゃまがすぐに助けに行くぞ!」
ピコーン!という音がルークの頭から聞こえそうな程何かに反応して、背筋をピーンっと伸ばしたルークは、声の方角からビアンカがいるであろう場所を特定し最短ルートで走り出した。
そこで見つけたのが、新興貴族の令嬢とビアンカ。
瞬時に状況を判断したルークはビアンカを抱きしめ、目の前の令嬢に詰め寄る。
「うちのビアンカに何をしたんだ! 下級貴族の分際でこんなにビアンカを泣かせて!
ビアンカ、おにーちゃまが来たからもう大丈夫だよ。
さぁ、涙を拭いて?」
ヒロインびっくりである。
自分に向けては鬼のような形相だったのに、ビアンカには甘々である。
自分がヒロインなのに・・・。
「なんで? 私がヒロインなのに・・・」
「はぁ? ・・・こいつ殺されたいのか? (お前の家)潰してやろうか?」
ヒロイン、シスコン公爵令息の地雷を踏んだ瞬間であった。
シスコンの頭の中では、ヒロインはいつでも可愛い妹なのだ。
そこへ、お茶会に集まっていた他の人たちも、ビアンカ達がいるガゼボに到着した。
ヒロインが兄に威嚇されている間もえぐえぐ泣いていたビアンカは、母親の顔を見て恐怖に慄いた。
今更にしてげんこつの痛みを体幹が思い出し、背筋を伸ばし顔を上げる。
淑女は下を向いてはいけないのである。
ビアンカが真っ直ぐ前を向いた事によって、大勢の人の前で泣き顔を晒す事となった。
大きな瞳からこぼれる大粒の涙に、小さなお鼻からも確かに零れる・・・しずく。
泣き声が出ないように真一文字に閉じられた口。
上気して真っ赤になったほっぺ。
淑女としては失格だが、5歳児としては100点満点の可愛らしさである。
シスコンでなくてもその場にいる全員がメロメロである。心臓を押さえて悶えている大人が多数。
もちろん、普段は淑女教育の鬼教官である母親も、殺られてしまっている。
「ビアンカ、いらっしゃい」
怒られると思ったビアンカは、思いがけない母の優しい声音に、またもやえぐえぐ泣きながら母親に飛びついた。
そんな愛娘を抱きしめて、公爵夫人は冷ややかにヒロインを上から見下ろす。
ヒロイン、出遅れた事に気づいた瞬間である。
漫画では、大粒の涙を溜めて大人達を味方につけるのは、ヒロインである自分の筈だった。
今更泣き顔を見せても、ビアンカには勝てない。
悪役令嬢になる前のビアンカは、ただの美幼女である。しかも国宝級の。
そしてヒロインは、前向きに頑張る健気な子というプラスアルファがなければ、可愛らしいが貴族社会ではどこにでもいるレベルの子だった。
国宝級美幼女には勝てない。
ヒロイン、悪役令嬢に完敗した瞬間である。
ビアンカはえぐえぐ泣きながら、母親に抱っこしてもらってお茶会会場を後にした。
それは貴族令嬢としては許されない失態であるが、王妃含め御婦人方がメロメロになっていた為、誰も言及しなかった。
会場を後にする時、ビアンカの目はずっとビュッフェカウンターに釘付けだった事に気づいた者は、会場にはいなかった。
しかし王宮での仕事を終えて帰って来た公爵が、ビュッフェカウンターのお菓子をお土産に持って帰ってきたのだ。しかも全種。
寝る前だったビアンカだが、公爵から(ママには内緒で)マカロンを貰って、ベッドの上で食べながら今日の出来事を父親にたどたどしく伝えた。
思い出してまたちょっと涙が出てきたが、父親の頭ナデナデと甘いマカロンに助けられ、ビアンカは笑顔で眠りについた。
その時の公爵が、目は笑っていないが、もの凄っくいい笑顔であった事を知る者は、いない。