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第5話 穢多頭弾左衛門とは

 今回から第2章「遊神様」に入ります。

 りんに一目惚れした勇次ですが、2人の間にはこの時代ならではの壁が立ちはだかります。

 今回はその時代背景のお話になりますが、ちょっとややこしいので後回しにしていただいても大丈夫です。

 30分後に次話を更新いたします。


【前回のお話】

 勇次は邑咲屋の若い衆を連れて石原宿へと出かけた。 

 そこの水茶屋で、りんという茶汲み娘に一目惚れしてしまう。

 勇次が能天気にりんに見惚みとれている一方、邑咲屋では……。

 (むら)(さき)()に緊張感が漂う。


 普段は双六や碁を差したりしてだらだらと休んでいる遊女たち。その彼女たちも、遣り手婆のお亀と番頭新造のお甲が何やら神妙な面持ちでひそひそとささやき合っているのを見て、大人しく馴染み客に付け文を書いている。


「伊左衛門さんが()ぇってきたって本当かい?」


 大見世『(きん)舟楼(しゅうろう)』の若旦那・甚吾郎が邑咲屋の番頭・松吉に小声で()く。


「ええ。いつもなら晦日(みそか)に帰って来るんですがね、今年はどうしたわけか早めに帰ってきちまって、皆てんやわんやですよ」


 間の悪いことに、勇次が石原宿へ行って留守の最中に帰ってきたものだから、すこぶる機嫌が悪いのだと嘆く。


「ご楼主は勇次がお気に入りですからねぇ」


 伊左衛門は邑咲屋の妓楼主——お亮の夫、つまり勇次の義兄である。先代妓楼主の先妻の子であり(たつ)()の異母兄でもある。


 各地の遊里巡りが趣味で放蕩三昧、毎月朔日(ついたち)に開かれる名主の寄り合いには顔を出すため、回遊の範囲は関八州に限られる。寄り合いの日以外はほぼ留守のくせ、気まぐれにふらりと帰ってきては皆を慌てさせる困った人物なのである。


「今、お内儀が相手をなすってるんですがね……」


「しゃあねぇ。助け船を出してやるか」


 甚吾郎は自分の妓楼から正月用の菓子折りを持って戻ってきた。


「伊左衛門さん、年末の挨拶に来たぜ」


「おう、甚か。せっかく早めに帰ぇってきて勇次を飲みに連れてってやろうと思ったのによ、あの野郎、石原宿の飯盛り女と遊んでやがるんだと。相変わらずの女ったらしだぜ」


「たまにはいいじゃねぇか。俺が代わりにお相手するぜ」


 と言ってもこれからまだ夜見世の営業があるから酒の相手はできない。狭山茶を()れながらお亮が甚吾郎に頭を下げる。


「甚さん、すみませんねぇ。本当なら年末のご挨拶は(はん)(まがき)邑咲屋(うち)から伺わなきゃならないってのに」


「いいってことよ。伊左衛門さんの遊女談義も聞きてぇしな」


 甚吾郎はくるりと伊左衛門を向いた。


「で、今回はどちらまで? 府中かい? それとも八王子?」


「馬鹿言っちゃいけねぇよ。多摩なんか目じゃねぇ。今、時代は吉原より断然根津だぜ」


 お、龜屋(かめや)の饅頭じゃねぇか、と伊左衛門は菓子折りの蓋を開け、舌鼓を打った。


「そんなことよりも一大事だぜ」


 早速饅頭を頬張り、話の端を切る。甚吾郎とお亮は狭山茶をすすった。伊左衛門の言う一大事とは、どうせ何処何処(どこどこ)の遊女が誰某(だれそれ)と心中したとかいう手垢のつきまくった話で、耳に胼胝(たこ)ができるほど聞き飽きているどころか見飽きている。


「へぇ、一大事って?」


弾左衛門(だんざえもん)平人(ひらびと)になりやがった」


「は?」


 お亮は目を真ん丸くして夫を見つめ、甚吾郎は狭山茶を吹き出した。


 珍しく伊左衛門がまともな話をしたこともさることながら、それ以上に驚いたのは、すでに今年1月、穢多(えた)(がしら)弾左衛門が北町奉行で平人に引き上げられていたという事実だった。翌月には穢多の手代65人も平人となったという。徳川幕府の為された決定は新政府にも引き継がれたのだそうだ。


 吹き出した狭山茶を拭きながら甚吾郎が訊いた。


「するってぇと、弾左衛門が平人になったってこたぁ、もう穢多じゃねぇってことかい?」


「わっちら傾城屋はどうなるんだい?」


 甚吾郎に続いてお亮が不安げな顔を見せる。それもそのはず、傾城屋は穢多頭弾左衛門の支配下にあるのだ。


 穢多は非人と共に徳川幕府が生み出した士農工商という身分制度の最下級に位置する。そのことから被差別民の代表のように語られるが、古代においては皮革の精製に携わる職業集団であった。


 皮革製品を身に着ける高貴な身分層からは重宝されたが、如何(いかん)せん斃牛馬(へいぎゅうば)を扱うため、(けが)れを(きら)う人々からは忌避されるようになる。


 差別も手伝ってか、彼らの居住地(穢多村)は城下町の外、それも川の向こう側とされた。皮革加工には大量の水を要するため、彼らにとっては都合も良かったのかもしれない。


 彼らの仕事には灯心の商いもあった。弾左衛門は専売特許権を与えられ、けっこうな富を手にしている。


「そもそも、弾左衛門ってのは何者なんだい?」


 お亮の疑問には甚吾郎が説明した。


「徳川家康が豊臣秀吉に江戸に転封を命じられたときのことだがな……」


 当時、武蔵国の江戸は未開の地であった。巨大な都市づくりのため、幕府は大量の労働力を必要とした。そこで彼らが目をつけたのが非人だった。


 その結果、多くの無宿者が江戸にあふれることになる。


「そいつらの管理を任されたのが穢多頭弾左衛門だったってわけさ」


 ちなみに「弾左衛門」というのは役職名のようなもので、代々世襲で受け継がれている。今の弾左衛門は弾内記だ。


「弾左衛門の先祖ってのはよ、元々摂津国池田にいたらしいんだがな、相州鎌倉まで下ってきたところで源頼朝に出会ったらしい」


 その源頼朝より、長吏(ちょうり)以下の身分の者を支配して良いとの証文を賜わり、鶴岡八幡宮に奉納してある。が、真偽の程はわからないという。


 ただ、その証文の中には、支配下の職業が連ねてあった。


 ——長吏、()(とう)舞々(まいまい)猿楽(さるがく)陰陽師(おんみょうじ)壁塗(かべぬり)土鍋師(どなべし)鋳物師(いものし)辻目暗(つじめくら)、非人、猿曳(さるひき)弦差(つるさし)石切(いしきり)土器師(はじし)(ほう)下師(かし)笠縫(かさぬい)渡守(わたしもり)山守(やまもり)青屋(あおや)坪立(つぼたて)筆結(ふでゆい)墨師(すみし)関守(せきもり)獅子(しし)(まい)(みの)作り、傀儡師(くぐつし)傾城屋(けいせいや)鉢扣(はちたたき)鐘打(かねうち)


 これ以外の同類の者も皆長吏以下、盗賊は長吏と同等、湯屋・風呂屋は傾城屋の下、人形舞は一番下——


 お亮はなるほどとうなずいた。


「そのときからすでに傾城屋は弾左衛門に支配されていたんだね」


「まぁ、もっとも弾左衛門の支配は東のほうに限られていてな、上方はまた別の組織が支配してるんだ」


 江戸開拓の際には、大量にあふれた労働者である男たちの欲望を満たす必要が生じた。そこに目をつけたのが上方の遊女の抱え主たちだ。その彼らが江戸で始めたのが遊里、傾城屋というわけである。


 そしてあちらこちらと無秩序に出現した遊女たちを一か所にまとめ幕府公許とした——それこそが吉原遊郭なのだ。


 吉原遊郭は、弾左衛門の支配に組み込まれることとなった。


 傾城屋は町民という扱いだが、穢多に支配されていることから非人と同等に見る者もいた。人身売買という鬼畜極まりない悪業でもあるから蔑視もされている。だから勇次たち(あか)()遊郭の若い衆は城下町へ出るとき、付け馬(ツケの回収)等の仕事以外では吉原つなぎを着替えるのだ。


「くそぉ、弾左衛門の野郎、一人だけ抜け駆けして平人になりやがって」


 伊左衛門が歯を(きし)ませる。だが、驚いたのはこれだけではない。


 4月には死牛馬勝手処置令が出され、弾左衛門の皮革生産独占権がなくなったというのだ。身分引き上げと引き換えに最大の収入源を絶たれた弾左衛門は、それまでの裕福な暮らしから一変、窮乏に陥っているという。


蜻蛉(かげろう)はどうしているかねぇ?」


 お亮がぽつりと呟いた。先月、邑咲屋の遊女だった蜻蛉を身請けしたのは長吏の亥之吉だからだ。現在は城下町外れの赤間川河川敷で夫とともに皮革生産で生計を立てている。優先的に斃牛馬の処理を請け負えなくなれば、たちまち困窮してしまうだろう。


「そんときゃ夜鷹(よたか)でも船まんじゅうでもなんでもやりゃあいいんだ。なにしろ元女郎なんだからな」


 がははと下品な笑い声を立て、伊左衛門は我関せずと三つ目の饅頭を頬張った。


「おう、それより勇次はまだ帰ぇってこねぇのか。誰か呼びに行かせろ」


「放っておいても夜見世を開けるまでには帰ってきますよ。それまで少し横になったらどうです? 長旅でお疲れでしょう」


 それもそうだな、と伊左衛門はその場で横になった。すぐに大いびきを掻き始めた伊左衛門を見届け、甚吾郎が腰を上げる。


 お亮は甚吾郎を見送るため、裏口までついていった。朱座の妓楼は長屋のように裏口側の通路が繋がっているため、しばしばそこで煙草をふかしながら他愛もない話をしていたりする。


 お亮と甚吾郎は、この日もしばし立ち話をした。


心配(しんぺえ)するな、お亮。この朱座はなにも変わりゃしねぇよ」


 うん……と目線を落としたままお亮がうなずく。


「親父が冥加金(みょうがきん)を納めてきた際、藩のご家老がしっかり約束してくれたらしい。朱座のことは新政府にばれねぇようにしてくださるって」


 川越藩は、慶応2年の棚倉からの転封に多額の費用を要したのが尾を引いて財政難にあった。朱座遊郭からの莫大な冥加金は貴重な財源、これを手放すはずがない。


 お亮に微かな笑みが戻った。それを見て甚吾郎の顔も緩んだ。


「親父の次は俺が朱座の惣名主を継ぐし、邑咲屋も勇次の代になりゃもっと良くなる。寄り合いで(おお)(まがき)に推してやってもいい。だから、な、それまでの辛抱だ」


 そのときは俺と……と言いかけてやめた。お亮は(にじ)む天を仰ぎ、瞬きつつ甚吾郎から視線を逸らした。彼の想いには気づかぬふりをしたかったのかもしれない。


 16歳で弟の勇次と共に邑咲屋に売られて13年。甚吾郎は10年の年季を全うしたお亮を隣でずっと見てきた。禿出身でもないのに最高級花魁の呼び出し昼三まで上り詰めたお亮。その上、藩の重臣からの身請け話を蹴り、弟を支えるために好きでもない男・伊左衛門と夫婦になったのだ。


「次の惣名主は甚さんかぁ。邑咲屋も勇次が継ぐんじゃ頼りないねぇ。この2人には朱座を任せとけないし、わっちもまだまだ頑張らなきゃだ」


 んーっと鼻っ柱にシワを寄せ、お亮が子供みたいな笑顔を見せる。おいおい、と甚吾郎は苦笑いした。芯の強い女だ、とあらためて惚れ直すのだった。






 確かに頼りないかもしれない。


 穢多頭弾左衛門の身分が変わり、姉たちに動揺が走っているとは露知らず、14歳だという茶汲み娘に一瞬で心を奪われて鼻の下を伸ばしているのだから。

次回は第6話「りん」です。

りんはここから本格的に登場します。


時代小説の宿命で、時代背景や当時の価値観についての説明は避けて通れないのがつらいところです。

しかし、これから勇次の頭の中はりんでいっぱいの恋愛モードになります。

温かく見守ってやってください。

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