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第44話 再再会

【前回のお話】

 勇次はりんに一目会いたいと願い、雨の中一晩中温かい五百羅漢像を探し回っていた。

 失意のうちに戻ってきた彼は、とうとう高熱を出して倒れてしまう。

「高林先生、ただの風邪でお呼び立てしちまって申し訳ありませんでした」


 妓楼の廊下を静かに歩きながら、お亮が小仙波村の開業医高林に頭を下げる。朝が遅い遊郭は、まだ遊女たちが眠っている時間だ。


「風邪は万病の元だ。(あなど)ってはならぬぞ」


 高林は温和な笑みを浮かべ、ついでに揚羽が養生している行燈部屋を訪ねた。揚羽は梅毒患者だ。もっとも、伊左衛門は医者に診せることを嫌うため、往診は彼の留守時に限られるのだが。


 揚羽の診察を終え、行燈部屋から出てきた高林がお亮に告げる。


「ふたりとも滋養のあるものを摂らせるがよい。特に勇次はあまり眠れていないようだから、しっかりと睡眠を取らせ、まずは体力を回復させることじゃ」


「はい」


「それにしても、遊女にちゃんと診療を受けさせるのは邑咲屋(ここ)と金舟楼だけだな」


 高林が苦笑いする。医者としては、病人はすべて助けたい。だが、遊女を使い捨てにする遊郭では聞く耳を持ってはもらえないのが現実だ。


 嘆息を漏らしつつ、高林は邑咲屋の暖簾を出ていった。お亮はその足で内証へと向かう。


「半十郎さん、お待たせしました」


 内証に入ると、女衒の半十郎が狭山茶をすすって待っていた。


「勇次は大丈夫か?」


「ええ。高林先生に処方していただいた葛根湯を飲ませて、今は落ち着いています」


 体力の落ちている今は麻黄湯より葛根湯が良いのだと説明を受けたと言う。高林の診療の間は竜弥が半十郎の相手をしていた。半十郎の背中に隠れて、ひとりの娘が怯えたように正座している。お亮は竜弥と半十郎から一連の話を聞きながら、明眸はその娘をじっと見据えていた。


「よござんす。その娘、邑咲屋(うち)で引き取りましょう」


「お義姉さん、いいのかい? 異母兄(あに)きにばれたらただじゃ済まねぇぜ」


 竜弥が驚きの眼を向ける。お亮は平然と言い切った。


「そんときゃそんときさ。あんな盆暗(ぼんくら)いちいち気にしてたら花車なんかやってられないよ」


 桁違いの肝の座り方に、竜弥も半十郎も敬服するばかりだ。そんな腰抜けどもを尻目に、お亮は燃え残った川越唐桟を撫でた。


結縁(けちえん)……ってやつかねぇ」


 仏の導きならば素直に従えばよい。それに、朱座は制外者の受け皿だ。人別帳から抹消され、行き場を失くした娘を受け入れることに何の迷いがあろうか。


 きりっと切れ長の目尻を上げ、お亮は立ち上がった。竜弥が即座に障子を開ける。内証を出てゆくお亮の後を、竜弥、半十郎、そして娘が続いた。


 4人が向かった先は勇次の部屋だ。娘は何もわからず、ただ彼らの背中をついてゆくだけ。その顔は生気がなく、無表情である。うつむき加減でついてくる娘を、竜弥が時折ちらりと振り返る。そのたびに怪訝な表情を作っては、お亮に諫められていた。


「勇次、()ぇるぜ」


 竜弥が先頭に立ち、障子を開ける。勇次は掛布団を頭からすっぽりと被っていた。


「寒くねぇか?」


「寒い」


「俺があっためてやろうか?」


「おめぇじゃ()だ」


「じゃあ、こいつならどうだ?」


 竜弥が勢いよく勇次の掛布団を引き剥す。勇次は真っ赤な顔で跳ね起きた。


「てめぇ、いい加減にしろよ!」


 と、叫んだところで突如固まる。


「……り……ん……?」


 半十郎の陰に隠れていた娘を見て、勇次は身を乗り出した。


「りん! おめぇ、生きてたのか⁉」


 娘に抱きつかんとする勇次を、寸でのところで竜弥と半十郎が取り押さえる。


「なにすんだ、離せ!」


 藻掻く勇次をふたりはがっちり押さえつけた。娘はお亮の背中に隠れ、ぶるぶると震えている。


「ほら、怯えてるじゃないか。まずは落ち着いて話を聞きな」


「お義姉さんの言う通りだ。そんな落ち武者みてぇな(つら)で飛びかかられたら俺だってびびるぜ」


 竜弥は勇次の頬をぴたぴたと軽く叩いた。


「これが落ち着いていられるかよ」


 とは言いつつも熱に浮かされた身体は言うことを聞かず、勇次はその場にへなへなとへたり込んだ。ほらほら、と竜弥が彼を布団に戻す。再び仰向けになった勇次は娘を凝視した。そこでようやく、娘の様子がおかしいことに気づく。自分を見てもまったく反応しないのだ。りんではないのか。


「幻か?  幽霊か?」


「いや、生身の人間だ」


 竜弥が答える。幻でなかったらなんだというのだ。人違い……もしやそっくりさんか? 様々な憶測がぐるぐると駆け巡り、高熱と相まって次第に訳が分からなくなってきた。


「勇次、よくお聞き」


 お亮が切り出した。4人が布団を取り囲み、正座する。


「取り乱すのも無理はないよ。わっちだって最初は腰を抜かすほど驚いたもの」


 勇次の眼は姉と娘の顔を行ったり来たりしていた。


「半十郎さんがたまたま、女衒仲間がこの娘を連れているところに出くわして、その女衒から買い取ってくれたんだ」


 女衒仲間は娘が入間川河川敷をふらふらと彷徨っているところを拾ったらしい。


 お亮は燃え残った川越唐桟と、煤けた着物を勇次の見えるところに置いた。どこをどう見ても、元は一つの着物に間違いないという。


「こっちの唐桟は、この娘が見つかったときに来ていた着物だそうだよ」


「……!」


 勇次はゆらりと起き上がった。ふらつく身体を竜弥に支えてもらいながら確認する。


「それって……やっぱり本人ってことじゃねぇか」


 この娘がりん本人であるならば、彼女は大火から逃れるために城下町とは反対側を流れる入間川へと向かい、無事逃げおおせたことになる。


 半十郎が懐から一冊の本を取り出した。


「勇次、おめぇ、これに見覚えあるか?」


 半十郎が差し出した本は『源氏物語』の第一巻「桐壺」。娘はこれをしっかりと抱えていたそうだ。


「これ、俺がりんに貸してやったやつだ」


「やっぱりね。さっきうちの書庫を見たら、桐壺だけ見当たらなかったからそうじゃないかと思ったんだ」


 姉の言葉を聞き、勇次は確信をもって娘を見つめた。やはりこの娘はりんに間違いない。いや、見た瞬間からわかっていた。間違えるものか。りんは生まれて初めて本気で惚れた女だ。それほどまでに惚れ込んだ女を見間違えるはずなどあろうものか。


 喉の奥から熱いものが込み上げる。だが、伸ばしかけた手を、またも竜弥がぐっと押さえた。


「話は最後まで聞け」


 勇次は皆の顔を見回した。先ほどからどうも様子が変だ。彼らとてりんとは面識があるはず。これだけ物的証拠が揃っていながら、なぜ再会を喜んでくれないのか。なにより当の本人が勇次に対して無反応だ。絶対になにかがおかしい。


「勇次、気を確かに持って聞いておくれ」


 姉が神妙な顔つきで明眸を向けた。竜弥と半十郎も険しい顔で勇次を刮目している。不穏な空気に呑まれそうになりながらも、勇次は気力で身体を支えた。


 お亮が重い口を開く。


「この娘は記憶を失くしているみたいなんだよ」


「え……」


 勇次の全身から一気に力が抜けていった。頭の中は真っ白だ。りんは、この顔も、声も、思い出さえも、すべて忘れ去ってしまったということか。


 衝撃を受ける彼に、続く言葉がさらに追い打ちをかけた。


「それにね、耳も聞こえていないようなんだ」


 かろうじて竜弥に寄り掛かっていた身体が滑り落ち、布団へとなだれ込んだ。腕で隠した両の目から一筋の涙が零れ落ちる。あまりの無情に思考が追いつかない。声を聞いてもらえないのに、どうやって自分のことを説明すればよいのか。思い出してもらおうにもその術を奪われた現実には絶望しかない。


「しっかりおし、このあんぽんたん! 甘ったれるのも大概にしな!」


 姉の一喝にはっとする。腕を外すと、眼前に姉の形相が迫っていた。


「今、一番つらいのは誰だい? おまえかい? 違うだろ?」


 音のない世界で自分が何者かもわからず、見ず知らずの場所で見ず知らずの人間たちに囲まれている。りんはこんな不安定な状況に必死で耐えているのだ。その彼女を、まずは一番に思いやらなければいけないのではないか——。そう姉の目が叱咤している。


 1月の大火で父を亡くし、心に深い傷を負ったのは他ならぬりんなのだ。記憶を失くし、聴力をも失うほどの衝撃をあの業火の中で体験したであろうことは容易に察しがつく。それを気遣ってやらないでどうする。


 勇次は再び娘に視線を移した。ああ、やはりこの娘はりんだ。だが、あの快活だった彼女は見る影もなく、きらきら輝いていた瞳からは光が消え失せている。自分はどうしたらこの瞳に光を取り戻してやれるのだろう。何をすれば彼女の世界に色を塗ってやれるのだろう。


 興奮したことで熱が先ほどよりも上がってきたようだ。勇次はりんを見つめたまま、薄れゆく意識の中であれこれとまとまらぬ考えを去来させ、やがて気を失った。

次回から最終章「結び玉」に入ります。

次回は第45話「目覚め」です。

勇次、復活。

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