第43話 雨上がり
【前回のお話】
喜多院の五百羅漢像の中からりんに似た像を探そうとする勇次。だが、見つけられずにまた涙に暮れる。
翌月、熊次郎が邑咲屋にやってきて、放火の下手人が捕まったと告げた。犯人はさちだと言うが勇次はそれを否定する。
「勇次……。おめぇ、今の話……」
「全部聞かせてもらった」
勇次は縁台に座ると、煙管を取り出し、刻み煙草を丸め始めた。
「りんはな、昼間、名主んとこに奉公に行ってたんだ。火が出た時間はまだ名主の家にいたはずだ。りんを確実に殺したきゃ家にいる時間、それも寝込みを狙うだろ」
熊次郎はポンと膝を打った。確かに庄之助の話では、りんが火事に気付いたのは庄之助の家にいるときであった。
勇次は竜弥に火を借りると、ゆっくりとすすり、口の中で香りを味わうように転がした。吐き出した煙の行方を追いながら、竜弥が腕を組む。
「じゃあ、怪しいのは貫太って野郎か」
「貫太にゃりんを殺る動機が無ぇ」
勇次がふた口目を吸う。
「女は女を邪魔に思い、男は女が邪魔になる」
ふーっと煙を吐き出し、ぽつりと呟いた。
「なるほど。貫太はさちが邪魔になったから噓の証言でさちを火付けの下手人にでっち上げたってわけか」
甚吾郎が2回目の刻み煙草を丸めながら頷く。竜弥も納得した。
「下手人はほかにいるってことか」
「火付けとは限らないかもしれないよ」
お亮も考えた。火元は兼造宅ということはわかっていたが、小久保村には兼造という名の百姓が幾人かいる。甚吾郎によると不浄同心の巳之助は、そのうちの誰が火元の兼造なのかということまでは教えてくれなかったらしい。
「怪しいね。お役人は何か隠してるんじゃないのかえ?」
お亮が訝る。
「差し詰め、村の焼け方が酷くて火元を特定できなかったか、新政府に報告を急かされたってとこだろな」
甚吾郎は答えと煙を吐き出し、竜弥は顎をさすった。
「だからとっとと幕引きを図るために火付けの下手人を仕立て上げたのか」
その可能性無きにしも非ず、といったふうに皆が頷く。藩は新政府の心証を少しでも良くしようと画策しているのかもしれない。
彼らの考察を黙って聞いていた勇次は、三口目を吸い終えたところで立ち上がった。雁首の灰皿に残った灰を見つめる。新政府への報告の中身がなんであろうとそんなことはどうでもいい。骨も残らぬほどの業火でりんが焼き尽くされたという事実は変わらないのだ。彼女はもうこの世にはいない。大火の真相が究明されたところで、りんが自分の元に帰ってくることは二度とないのである。
灰筒に煙草の灰を落とし、煙管筒に煙管を仕舞うと、勇次は路地に向かって歩き出した。
「どこ行くんだい? もうすぐ道中が始まるんだよ」
「遊神様にゃ竜弥の肩貸しのほうが似合ってるぜ」
姉の言葉には耳も貸さず、出掛けてしまった。弟の背中を見送り、お亮が舌打ちする。
「落ち込むのもわかるけど、みんなの手前、いい加減立ち直ってくれないと困るねぇ」
「お義姉さん、俺が勇次の分まで働くから、四十九日までそっとしといてやってくれねぇか」
竜弥も灰筒に灰を落とし、道中の準備へと戻っていった。思いがけぬ竜弥の頼もしい言葉に3人が一様に目を見張る。熊次郎はふたりに顔を向けた。
「竜弥は本気で跡取りに戻る気なんだな。良かったな。これで勇次も晴れて自由の身だ」
「んっ?」
ふたり同時に熊次郎を見る。熊次郎は焦った。
「え? まさか、竜弥から何も聞かされてねぇのか?」
「何も」
首を横に振るふたりに、熊次郎は慌てて事のあらましを語って聞かせた。竜弥が兼造宅へ赴き、自分が邑咲屋の跡取りであり、勇次を人別帳に戻すと断言したこと、故にふたりの仲を認めてやってほしい旨を暗に伝えたことなど、事細かに説明する。
「竜弥……あの子、そんなこと一言も……」
お亮が口を押える。甚吾郎も鼻を掻いた。
「竜弥らしいじゃねぇか。意外といいとこあるんだよな、あいつ」
でもな……と、今度は顔を曇らせる。勇次はこのことをまだ知らずにいるのだ。仮に伝えたところで、今更、である。もしくは悲嘆がさらに増すかもしれない。
教えるべきか、それとも黙っているべきか。悩みどころではあるが、このことは慎重に、竜弥とも相談して決めることとしよう、と3人は頷き合った。
明け六ツ、折々降り続いていた雨は、大門が開門するのを待っていたかのようにすっきりと晴れ上がった。広小路の桜並木も満開を保ち、花散らしの雨に耐えた。白みはじめた空の下、水溜まりを避け、各妓楼の遊女たちが泊り客を見送りに大門まで集まっている。後朝の別れを惜しんでいるのだ。その中には竜弥に支えられた孔雀の姿もあった。
ふたり寄り添い、山下屋の御曹司綿貫徳隆を乗せた籠を見送る。ふっ……と大門の外に消えた残像へと顔を向け、孔雀が呟いた。
「勇さん、結局帰ってこなかったね」
「まぁ、どこにいるのかは察しがつくけどな」
おそらく勇次の行き先は喜多院の五百羅漢像だ。夜中に温もりを感じる一体を探し当て、翌朝見に行くと会いたい故人の顔になっているという言い伝えを試しているのだろう。
「そろそろりんの四十九日じゃないかえ?」
「ああ、確か明日……」
年々、時が過ぎるのが早くなるな、と竜弥が顎に手を当てる。最近では勇次の泣いている姿を見ることはだいぶ減ってきたが、それでも何かの拍子に突然押し黙ってしまうことがままある。
「骨でも見つかりゃ供養のし甲斐もあるんだろうけど、如何せん骨ごと灰になっちまうくれぇひでぇ焼け方だったからな。現実を受け入れられねぇのも無理はねぇ」
「ふうん。骨なんてそんな簡単に灰にはならないもんだけどね」
そうなのか?と竜弥が孔雀を見る。目線は合わないが、孔雀は彼の視線を感じ取っていた。
「一刻も燃え続けてりゃ話は別だけどね、百姓の家なんか四半刻もかからずに燃えちまうだろ? そんな短い時間で骨が灰になるなんての、400年以上生きてたうちで聞いたことないよ」
孔雀の言葉に、竜弥は顎に手を当てたまま首を捻った。
「りんはチビスケでやせっぽちだったから、燃えやすかったとかじゃねぇのか?」
うーん……と孔雀も首を捻る。まぁこんなところで考えていてもしょうがない、風邪を引かないうちに帰ろうと、ふたり腕を絡めて踵を返そうとしたときだった。
「勇次……」
大門の外から、ふっ……と勇次が現れた。一晩中雨に打たれていたのか、総髪から吉原つなぎ、果ては雪駄までずぶ濡れである。
「勇次、おめぇ、びっしょりじゃねぇか。傘持ってかなかったのか?」
「……見つからなかった……」
ふらり……と覚束ない足取りで勇次がふたりの前に立つ。顔はもはや雨なのか涙なのかさえもわからぬほどぐしょぐしょだ。
「538もあるのに1個もなかった……」
538体の羅漢像を一体一体手で触って確かめたが、温もりを感じる像は一体としてなかったとうなだれる。何度も何度も繰り返したが、それでも探し当てることはできなかったと。
「ただの言い伝えだ。真に受けるな」
竜弥が勇次の濡れた肩を揺さぶる。孔雀も勇次に身を寄せた。
「勇さん」
聞いているのか聞いていないのか、勇次はずっとうなだれたままだ。そんな彼に孔雀が語りかける。
「明日で四十九日が明けるんだろ? このままじゃ、りんは成仏できないよ」
ぴくっと勇次の身体が揺れた。孔雀が続ける。
「勇さんがいつまでも悲しんでいたら、りんはこの世に思いを残したまま成仏できないんだよ。四十九日の間に成仏できなかったら、りんの霊魂は永遠にこの世を彷徨い続けて、生まれ変わることもできずに苦しみ続けることになるんだ」
「……」
「愛しい娘にそんな苦しい思いさせていいのかい?」
勇次は目を閉じ、震える唇に拳を押し当てた。竜弥は勇次のおくれ毛から滴り落ちる雫をじっと見つめたまま孔雀の話を聞いている。
「酷なこと言うようだけどね、りんは勇さんを忘れないと、いつまで経っても成仏ができないんだよ」
「りんが俺を……忘れる……?」
勇次が顔を上げる。孔雀を見ると彼女は頷いていた。
「四十九日ってのは、亡き人がこの世への未練を断ち切る時間でもあるのさ」
死者は四十九日の間に生前世話になった人々へ別れの挨拶を済ませ、思い残すことなく極楽浄土へ旅立つのだという。
「だったらなんで挨拶に来てくれねぇんだ? 夢にだって出てきてくれねぇんだよ。羅漢様だって会わせちゃくれねぇ……」
勇次はその場に泣き崩れた。つないだ手、重ねた唇、抱きしめたやせっぽちの身体。すべての温もりはこんなにも鮮明に憶えているというのに、どうして同じ温もりを現してくれないのか。
「一目で良かったんだよ。一目だけでも会いに来てくれたら謝って……」
守ってやれなかったことを詫びたい、ただそれだけなのに——。
「勇さん、りんは謝ってほしいだなんてこれっぽちも思っちゃいないよ」
もう孔雀の言葉も届かないのか、勇次は青空を映した水溜まりに拳を叩きつけた。
「死にたい……。俺も連れてってほしい、一緒に……、一緒になろうって約束したんだから連れてってくれたっていいじゃねぇか」
「そんなこと言ったらりんが悲しむってわからないのかい? りんはね……」
孔雀の言葉を待たずして勇次は水溜まりの中にばしゃりと倒れ込んだ。竜弥が慌てて彼を抱き起こす。
「勇次! おい、しっかりしろ!」
「勇さん!」
孔雀も異変に気付き、濡れた地面に膝をついた。竜弥の緊迫した声が聞こえる。
「やべぇ、すげぇ熱だ」
盲目の孔雀を置いて勇次を連れていくことはできない。辺りを見回すと、邑咲屋の散茶玉虫がちょうど馴染み客を見送ったところだった。
「おい、玉虫! 孔雀を頼む!」
玉虫は一瞬驚き身を固くしたが、すぐに状況を理解し、孔雀の手を取った。竜弥は勇次を背負って邑咲屋へと急いだ。
次回は第44話「再再会」です。
ようやく光が……。
★活動報告に竜弥のイメージ画を掲載しました。




