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第42話 五百羅漢

※五百羅漢像の説明がありますが読み飛ばしていただいても差し支えありません。


【前回のお話】

 川越城下の大火から10日。勇次はまだりんを失った悲しみから立ち直れないでいた。

 そんな勇次の代わりに竜弥が妓夫として遊女を守る。

 如月上旬。竜弥の実母でもある先代女将の三回忌法要が喜多院にて営まれた。


 朔日(ついたち)に帰ってきていた妓楼主伊左衛門は異母弟竜弥と折り合いが悪く、口をきくどころか目も合わせようとしない。険悪な雰囲気ではあったが、竜弥の采配で法要は滞りなく行われた。


「息子が仕切ってくれて、先代の女将さんも草葉の陰で喜んでるだろうよ」


 朱座惣名主である父の名代で列席した甚吾郎がお亮に耳打ちする。お亮は袖でそっと涙を押さえ、小さく頷いた。抜け殻のようになってしまった勇次では法事一式を取り仕切ることは難しかったであろう。因果な巡り合わせである。


 法要が終わると勇次はお(とき)に向かう列を離れた。五百羅漢像に寄ってから行くと姉に伝える。あいよ……と短く答え、お亮は列に続いた。竜弥も気配に気づいたが、止めはしなかった。


「勇次の野郎、情女(いろ)が死んだくれぇでいつまで落ち込んでやがるんだ?」


 ちっ、と伊左衛門がかったるそうに吐き捨てる。せっかく帰宅したのに酒の相手がいなくてつまらないのだ。いつもはなだめ役に回る甚吾郎もこの時ばかりは無視していた。ほかの皆も無視を決め込んだ。伊左衛門の思いやりにかけた発言に、無言の抗議をしているようにも見える。


 喜多院の五百羅漢像は安政4年(1775年)、関根仙右衛門(つね)(きよ)が両親供養のため「()(なん)()(そん)(しゃ)」を建立寄進したのが始まりだ。その後の天明2年(1782年)に()(じょう)が発展させたという。


 志誠が五百羅漢の建立を始めた時代は百姓一揆や打ちこわしが頻発、さらには数年規模の天明の大飢饉に対応できなかった幕府に対する不信感から、社会情勢が不安定になっていた。


 川越においては寛保4年(1744年)の大水害や天明2年の浅間山噴火の降灰による凶作、さらには同4年、7年と続く冷害に民衆は苦しめられた。そんな救いのない時代の再起を願い、志誠が数十年かけて建立したという五百羅漢。その顔は一つとして同じものはない。


「見つかったか?」


 五百羅漢像の間をゆっくりと歩く勇次に背後から近づく一つの影があった。妙海だ。勇次は振り向きもせず、538体ある羅漢像の顔を一つ一つ確かめていた。似ている顔を探すため、一つも漏らさず念入りに。


 大火の数日後、本応寺でりんと兼造の供養が営まれると聞いたが、りんの死を認めたくなくて行くのを躊躇ってしまった。だが、日が経つにつれ、次第に現実と向き合わなければと思い直し、今回の法要でりん父子のためにも阿弥陀如来の前で経を唱えた。


「羅漢とは阿羅漢のことじゃ。阿弥陀様の教えを極め、その心理に達したお方を示すのじゃ」


「天の域に達したってことか。だから死者に会わせてくれると信じられてるんだな……」


 勇次は空を見上げた。散る花びらは早桜か、それとも山桜のものか。多くの花は(しお)れてから散るというのに、桜は美しいままで散ってゆく。まさか散る時とは微塵も思わせず、なぜそれほどまでに散り急ぐのか——。


「夜になったらまた詣でよ。一体一体触れ、一つだけ温もりを感じる像を見つけたら……」


「その話は聞き飽きた。川越の人間ならガキでも知ってるぜ」


 真夜中、一体だけ人肌と同じ温もりを感じさせる羅漢像があるという。それを見つけたなら印をつけ、翌朝その像を見にくると、会いたい故人の顔に変化しているのだと。


「見つけてどうする。どうせ虚しくなるだけだ」


 似ているだけで本物ではない。会話もできず、(まやかし)の温もりを抱きしめたところで何の喜びがあろうか。それなら小石を投げれば返事をしてくれるという遊女(よな)川の方がまだましだ。


「ならば勇次、なにゆえおまえはここにおるのじゃ?」


 妙海の問いに、勇次はぎりりと唇を噛み締めた。一目会いたい——。そう思うのは必然なのだと真理を突かれた気がした。そうだ、会いたい、一目でいいから会って謝りたい。


 ——俺は守ってやれなかった……。


 自分が守ると約束したのに、守り切れなかった。この悔いは生涯胸に突き刺さったまま消えはしまい。


「この話には続きがあってな……」


「生臭坊主のいかさま説法なんざ聞きたかねぇよ」


 仙台平(せんだいびら)の縞地の袴を蹴り上げ、足早に立ち去る。鼻をすする音で妙海に気づかれてしまっただろうか。


 今でも勝手に涙が出てくることがある。何故だかわからないのだ。別に思い出すつもりがなくても、何の前触れもなく下から突き上げるように溢れてくるときもあれば、無意識に流れ出ているときもある。時と場所を選ばない、実に厄介な代物である。本当に自分でもどうしたらよいかわからず、抑えようがないのだ。


 りんが死んでからひと月足らず、いまだ悲しみの淵から浮かび上がることができないでいる。よほど前世での縁が深かったのだろうか。出会ってから夫婦の約束をするまでたったの二十日(はつか)程度だというのに、まさかここまで情を結び、想いを引きずることになろうとは想像だにしていなかった。


 どろぼう橋の真ん中で立ち止まり、勇次は胸のあたりで何かを掴むようにぎゅっと握りしめた。ほら、また涙が頬を伝う。はらはらと零れる雫が、ひらひらと舞う花びらを濡らし、一つになって落ちていった。


 自分もこの雫のように消えて無くなってしまえたら——。


 袖で顔を隠し、そこでひとしきり、また泣いた。






 弥生月3日、桃の節句は紋日でもある。朱座では先月下旬に広小路に植えられた染井吉野が満開を誇っている。小見世以上の傾城屋には豪華な雛人形が飾られ、遊女たちは思い思いの衣装を身に(まと)った。


 邑咲屋は、妓楼主伊左衛門が朔日の寄り合いに顔を出すとすぐに回遊の旅に出てしまったため、遊女や禿は気兼ねなく客人と遊び惚けている。外では猿飼いや曲乗りなど、乞胸たちが道行く人々に芸を見せ、大いに活気づいていた。この日は男性客のみならず、女性客も子供たちも遊郭を訪れ、春の行事を満喫していった。


 そんな賑わいの中、花魁道中まではまだ少し間がある夕方のこと。お亮、甚吾郎、そして道中用の着物に着替えた竜弥の3人が裏口で煙草を吸っていると、熊次郎が血相を変えて駆け込んできた。放火の下手人(げしゅにん)が捕まったという。3人は顔を見合わせた。まず、大火の原因が放火であったことに驚きを隠せない。甚吾郎が熊次郎に訊ねる。


「で、捕まったのはどこのどいつだ?」


「さちって若ぇ飯盛り女だ。小太郎の情女の幼馴染らしい」


 熊次郎が発した名前を聞いた途端、竜弥の顔色が変わった。


「どうした、竜弥。おめぇ、なんか知ってるのか?」


 甚吾郎に問われ、説明しようとしたが、何からどう説明したらよいのかわからず、たどたどしく答える。


「えーと……俺が石原宿に泊まってたとき飯盛り女を呼び出したらそのさちってのが来て……」


「ええ? おめぇ、さちって女の客だったのか? それで?」


「そういや、そいつ、りんに嫉妬してたわ」


「そのさちって女がりんの家に火をつけたってのか?」


 小太郎の情女なつの幼馴染ならばりんとも接点がある。嫉妬は動機として十分だ。竜弥の相手をした「さち」は放火犯と同一人物とみて間違いないだろう。


「ちきしょう!」


 お亮は憤りを隠さずに地面を蹴り上げた。甚吾郎が彼女を落ち着かせようと肩を押さえながら、熊次郎に訊ねる。


「けど、なんでそのさちってのが捕まったんだ? 証拠は?」


「証拠はねぇんだと。けど小久保村の貫太ってのが、さちが兼造の家から出てくるのを見たってお役人に垂れ込んだそうだ」


 火が出たのはその直後だと証言したとのこと。熊次郎が続ける。


「小太郎が言うにはな、貫太はさちとも関係を持っていたらしいんだが、前々からりんを狙ってたみたいで、それを知ったさちが逆上したって話だ」


「くそったれが。恨むなら男を恨めってんだ」


 竜弥は嫌悪感を(あら)わにした。遊郭で生まれ育った彼は、嫉妬に狂った女同士の(いさか)いをうんざりするほど見せられてきた。それは甚吾郎も同じなのだが、彼ほど割り切れないのが竜弥の性分である。


「いや、違うな。そのさちってのは下手人じゃねぇ」


 背後から聞こえた声に、4人が一斉に振り返った。裏口から顔を出したのは勇次だった。

次回は第43話「雨上がり」です。

鬱回も次回までです。

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