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第38話 竜弥の決断

【前回のお話】

 竜弥と話した翌日、勇次は姉お亮を伴ってりんの父親に挨拶へ出向く。

 そこでりんに、制外者の現実を見せつけた。

 最初は戸惑っていたりんだったが、覚悟を決める。

 勇次とりんは、家から少し離れた木陰へと移動した。


「もう泣くな、りん。俺はおめぇの覚悟を知れただけで十分だ」


「けんど、お亮さんにまで土下座させちまって、おら、申し訳なくて……」


「そうだな。だから俺は、やっぱり姉ちゃんを邑咲屋に置いて出てくわけにゃいかねぇ。それだけはわかってほしいんだ」


「もちろん、わかってるべ。おらだって、おとうちゃん残して嫁には行けねぇもんな」


 病身の父をひとり置いては行けない。求婚されたことで舞い上がっていたものだから、正直、そこまで頭が回っていなかった。そんなりんを見かねて、勇次が優しく声を掛けてやる。


「それはちゃんと考えてあるから心配するな。親父さんの世話人はこっちで手配するよ」


 願ってもみなかった申し出に、りんはまたも瞳を潤ませた。溢れる涙を拭いもせず、ありがとう、と何度も頭を下げる。


「おら、ひとりっ子だに、あんな綺麗で優しいお義姉さんができるなんて夢みてぇだ」


 優しいという部分が少々引っ掛かるが、勇次はとりあえず頷いた。


「おとうちゃん、早く許してくんねぇかな……」


「俺は何年でも待つって言ったろ。おめぇがまだ若ぇからほかの男に取られたくなくて、今のうちに約束しておきたかっただけなんだから」


 自分の気持ちを受け入れてくれた今、もう何も焦ることはない。


「信じるって言ってくれたの、俺も嬉しかったぜ。俺もおめぇのこと信じてるからな」


 うん、と大きく頷くりんの頬から涙が伝い零れた。勇次は涙の筋を指で拭ってやる。


「だから、もう泣かなくていいんだ。笑ってくれ」


 懐から小さな巾着を取り出す。紐を解いて中から小さな石を取り出し、りんの掌の上に乗せてやった。


「これって、もしかして……」


 透き通るような純白の丸い石。りんは思わず魅入った。


「綺麗……」


「氷川さんの結び玉。おめぇ、欲しがってただろ?」


 元日に参拝した折に拾った結び玉。大の大人が年甲斐もなく探している姿を想像されるのが恥ずかしくて、つい渡しそびれていた代物だ。


「覚えててくれたんだ。ありがとう、えら嬉しいべ。ありがとう、勇次さん」


 りんは結び玉をぎゅっと握りしめ、胸に当てて喜びを噛み締めるように目を閉じた。どんなに高価な珊瑚よりも、どれほど希少な翡翠よりも、些細な一言を覚えていてくれたことが何より嬉しかった。


 静かに瞼を開き、勇次を見つめる。その顔にもう涙はなかった。


「りん、俺はな、おめぇのきらっきらした笑顔に一目惚れしたんだ。その笑顔を毎日見ていたくて一緒になりてぇって思ったんだよ。だから笑ってくれ。俺のために一生笑っていてくれ」


 思わず込み上げそうになる感情を掌で押さえ、りんは唇を噛み締めた。この人と一緒ならきっと一生笑って過ごせる。そう確信を持てたのだ。


 大きく深呼吸をし、顔を上げる。


「はい!」


 りんはきらっきらした笑顔を勇次に向けた。それはとびきりの笑顔、勇次の大好きな笑顔、ふたりがはじめて出会った日に見せた笑顔だ。


 勇次は満足したようにりんを抱きしめた。りんも精一杯腕を伸ばして勇次の背中をぎゅっと掴んだ。


 真冬の澄み切った空気がふたりを包み込む。赤く染まった休田に、重なったふたつの影法師だけが長く伸びていた。






 15、16日は太客や馴染み客の集まる紋日だ。そのため顔を見せられないとりんに伝える。そのかわり、次は17日に会いに来ると約束した。


 さて、翌日の15日。一方の竜弥は石原宿界隈を当て所なくぶらぶら散歩していた。


 本応寺の境内で逢引きしている男女に気づく。何気なく男の顔を垣間見ると小太郎だった。冷やかしてやろうとにやにやしながら背後に近づく。


「よお、兄ちゃん、見せつけてくれるねぇ」


 小太郎はびくっと身体を硬直させ、直立不動で冷や汗をかきはじめた。このかすれ気味の声はまさか……と恐る恐る振り返る。


「たっ竜弥!」


 逃げようとする小太郎を竜弥はがっちり羽交(はが)()めした。


「つれねぇなぁ、小太郎。ガキの頃からよく遊んでた仲じゃねぇか」


 遊んだというよりもおもちゃにされたと言う方が正しい。子供の頃父熊次郎に連れられ朱座をよく訪れていた小太郎は、年の近い勇次と竜弥の恰好の遊び相手であった。


「竜弥、おめぇ、いつ川越に戻ってきたんだ?」


「いつだっていいじゃねぇかよ。それより、その娘、おめぇの情女(いろ)か? やるじゃねぇか」


 人をおちょくったような態度は相変わらずだ。それでも、困ったときにはいつも勇次と一緒に助けてくれた男気のある奴でもあるがゆえ、実は嫌いではない。


「まぁな。勇次の情女の幼馴染みでもあるんだぜ」


 したり顔で小太郎に紹介され、なつは照れながらぺこりとお辞儀した。


「へぇ、りんの友達か。てこたぁ、あいつらがどうなったか知ってんのかい?」


 竜弥が水を向けるとふたりは顔を見合わせ、口ごもった。先に口を開いたのはなつである。


「りんのおとっつぁんがなかなか首を縦に振ってくれないみたいで……」


 言いづらそうに顔を背けるなつの様子から、竜弥はすべてを悟った。


 ——やっぱ制外者じゃ駄目だよな。


 小太郎の肩に手を置き、竜弥は目を瞑った。


 穢多頭弾左衛門が平人に引き上げられてから1年近くが経つが、制外者がその対象になるのはいつのことなのだろう。いや、それどころか最悪対象にならないかもしれない。


 小太郎が声を掛けようとすると同時に彼は瞼を上げ、小太郎と目を合わせた。


「小太郎、ちょっくらおめぇの羽織、貸してくんねぇか?」


 それから熊さんにも会いたいと言う。小太郎は訝りながらも、とりあえず竜弥となつを連れて一先ず家へと向かうことにした。






「兼造、どうしても許してやれねぇか?」


 熊次郎が兼造の身を起こし、白湯(さゆ)を飲ませてやる。兼造はすまなそうに眉尻を下げるも、愛娘のことは話が別だと(かたく)なに言った。


「いくら熊次の頼みでも、こればっかりはどうにもなんねぇべ。りんを制外者にするわけにゃいかねぇんだ。りんにはあきらめてもらうしかなかんべ」


 兼造の強い意志を聞き、熊次郎が深い溜め息をつく。兼造は鼻で笑った。


「色男に言い寄られて浮かれてるだけだがね。そのうち忘れるべ」


「そうかね?」


 うん?と兼造が怪訝な顔を向ける。熊次郎は戸口に向かって声を上げた。


「おう、入ぇってきな」


 熊次郎の合図とともに、ひとりの男が引き戸を開け、土間に足を踏み入れた。


「誰だ、おめぇ?」


 熊次郎に支えられながら兼造が寝間から顔を出す。男は、兼造が囲炉裏端に腰を下ろすのを見計らい、土間に膝をついた。何事かと驚く兼造に向かって手をつき、彼は口上を述べ始めた。


「お初にお目にかかります。手前は小仙波村朱座より参りました、邑咲屋の跡取り、竜弥と申します」


「邑咲屋? こいつ、あの勇次ってやつの仲間か?」


 兼造が熊次郎に確かめる。熊次郎も驚きの眼を竜弥に向けていた。


「竜弥、おめぇ今、跡取りって言ったか?」


 土間に手をつき、頭を下げたままの姿勢で竜弥が答える。


「いかにも。手前は邑咲屋の跡取りにございます」


「跡取りは勇次ってやつじゃなかったのか?」


 兼造が再び熊次郎の顔を見る。熊次郎もそのはずだと相槌(あいづち)を打った。だが、竜弥は下げたままの頭を振った。


「手前は先代妓楼主の息子ゆえ、邑咲屋の跡取りは手前です。よって勇次はただの若い衆。つきましては今月を限りに勇次を邑咲屋から放免いたします」


「それってぇのはつまり……」


 兼造の代わりに熊次郎が問う。竜弥は身を起こし、精悍な顔つきで毅然と言い切った。


「勇次は人別帳に戻します」


 10両の借金も自分が背負うと断言した。熊次郎が歓喜の眼を兼造に向ける。


「おい、兼造、おめぇ、若ぇやつらにここまでさせたんだ。もういいだろ、な?」


 兼造は言葉を詰まらせ、目頭に拳を当てたまま何度も頷いた。


 熊次郎に抱きかかえられうずくまる兼造に一礼し、竜弥は彼の家を出た。自分にできるのはここまでだ。あとは勇次を信じるのみである。


 表に出ると、心配そうな顔で小太郎となつが待っていた。羽織を脱ぎ、小太郎に返しながらなつを向く。


「お嬢ちゃん、この野郎が浮気しやがったら俺か勇次に言うんだぜ。簀巻きにして遊女(よな)川に沈めといてやるからよ」


 けらけら笑うと小太郎は「それは勘弁してくれ」と縮み上がった。じゃあ早桶に入れて札の辻にさらしてやるよ、と言うと今度は涙目になった。


 ご機嫌な背中をふたりに見せ、竜弥はチャラチャラと雪駄を鳴らしながら石原宿へと戻っていった。

次回は第39話「川越城下炎上」です。

史実です。

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