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第35話 告白

【前回のお話】

 竜弥と話した勇次は彼の心の闇に気づくも、それが何なのかまでは知ることができなかった。

 石原宿で竜弥と別れ、りんと夕景の富士山を眺めているところへ庄之助が現れる。そこで彼と能について論戦を交えることとなった。

 勇次は再び静かに語りはじめた。


「師、答えて(いわ)く。この道の奥義、極むる所なるべし。一大事とも、秘事とも、ただ、この一道なり。()ず、大方、稽古・物學(ものまね)の條々に(くわ)しく見えたり」


 りんの熱い眼差しを顔半分に受けながら、勇次は庄之助を見据えた。


「あんたも手習塾の先生なら、第一の『年来稽古條々』くらいは知ってんだろ。能はそれぞれの年齢に応じて正しく身に着けることを教えている。時分の花に頼り過ぎず、10代で体や声が変わり芸が思うに任せずとも腐らず、日々の努力を怠ることなく稽古に励めと。そこで芸を捨てればそのまま止まってしまうのだと」


「何が言いたい?」


「遊郭に来る客はみんな、でっけぇ夢を期待してやってくるんだ。秘すれば花だぁ? 笑わせんじゃねぇ。遊郭ってなぁ秘せずとも花じゃなけりゃいけねぇとこなんだよ。客の期待に応えられなきゃ途端に飽きられちまう。時分の花のまんまじゃ生き残れねぇんだ。久しからねば天下に名望少なし。久しかるべき誠の花になるべく、日々工夫の繰り返しだ。遊女は(とこ)の相手だけじゃなく、朝になれば眠い目をこすって後朝(きぬぎぬ)の文を書き、昼は昼で休む間も惜しんでお偉いさん方とも話を合わせられるよう教養や芸事を身に着ける。遊女は男どもの知らねぇところで必死の努力を重ねてんだ」


 さらに距離を詰める。


「早く苦界から抜け出したくて血の滲むような努力してんだよ。それを、さしたることのないもの? ふざけんな。命削って春をひさいでいる女たちを馬鹿にする奴は俺が許さねぇ!」


 鬼気迫る物言いに、さすがの先生も為す術なく言葉を詰まらせた。しかし制外者に言われっぱなしでは名主家の沽券にかかわる。


「なるほど。世阿弥は能役者だから非人だものな。同じく非人の遊女がお手本にするのもうなずける」


「確かに世阿弥は芸能を生業とする非人だ。だが、時の将軍足利義満に寵愛され、その庇護の下、芸を昇華させた。非人が権力者を動かし、後世に名を遺すほどの偉業を成し遂げたんだ。大名やお大尽を虜にする花魁だって同じだよ。800年前の遊女なんかなぁ、御堂関白や天子さままでも手玉に取ってたんだ」


 何を言っても()ね返してくる勇次に、庄之助は最後のわる足掻あがきを見せた。


「だが、どんなに立派な理屈を述べたところで、所詮おまえたちは傾城屋だ。女を食い物にしている商売に変わりはない」


「ふん、そんなこたぁお上に言ってくれ。朱座は人別帳から外されて行き場を失くしたもんたちの最後の砦なんだ。制外者の唯一の()り所なんだよ。俺らはただそういう奴らを受け入れてるだけだ。傾城屋を非難するならこの世から遊郭を()くしてくれってんだ」


 勇次に圧倒され、庄之助の引き出しは尽きたようだ。彼は最後に苦しまぎれの暴言を吐き捨てた。


「そうだ、おまえたちは制外者だ。お上から隠されている存在だ。川越藩の恥だからかくし閭として隠されているのだ。誰もおまえたちを人間だとは思っていないのだぞ」


 勇次は呆れたように鼻で笑った。


「あのな、確かに俺は制外者だが、人間やめたつもりはねぇぜ」


 堂々たる風采(ふうさい)に庄之助が言葉を失う。勇次は右手を差し出した。


「貸せよ、それ。そのつもりで出て来たんだろ? 相手してやるよ」


 不敵な笑みを浮かべ、庄之助から木刀を一本借り受ける。りんは蒼くなって勇次を止めた。


「勇次さん、今度こそ本当に駄目だべ。庄之助さんは神道無念流の使い手だ。お侍でも敵わねぇんだぞ」


「りん、離れてろ。これは俺が売られた喧嘩だ。買わねぇわけにゃいかねぇだろ」


 庄之助が静かに構えたのを見て、りんは泣きそうな顔で離れた。


「いい度胸だ。手加減はしないぞ」


「その言葉、そっくりそのまま返ぇしてやるぜ」


 勇次は構えの姿勢を見せると、背筋を正したまま微動だにせず庄之助を見据えた。庄之助も勇次の眼を捉えたまま離さない。二人が動かぬまま、しばしの時が流れる。


 すると、先に動いたのは勇次だった。


 彼がぴくりと片足を動かした瞬間、庄之助が木刀を振り上げた。庄之助の目がきらりと光る。勝算を得たような表情だ。


 だが、木刀を振り下ろそうとするその目に、信じがたい勇次の姿が映った。


 勇次が木刀を投げ捨てたのだ。


 ——なに⁉


 庄之助の太刀筋に微かな迷いが生じる。勇次はそのときを待っていた。太刀筋をかわしたかと思うと、素早く庄之助の手首を掴みながら彼の力を利用し、くるりと回してその背中を取ったのだ。


 一瞬のことで、庄之助も何が起こったのかわからなかったようだ。木刀は力の抜けた手からするりと滑り落ちていった。


 庄之助の背中に回った勇次は彼の肩を押さえて伏せ倒し、手首を捻り上げた。その手は裏を向いている。


「綺麗な手だなぁ。土いじりなんかやったことねぇだろ」


 百姓のくせに、と嘲笑い、勇次は裏に返った手の甲に自分の手を重ねた。ほんのわずかでも力を入れれば簡単に折れてしまうだろう。庄之助は慌てて懇願した。


「俺の負けだ! 頼む、勘弁してくれ!」


 ふんっ、と鼻を鳴らし勇次が手を離してやる。りんは安堵の息を漏らした。庄之助も腕をさすりながら立ち上がった。


「おまえ、どこでそんな腕を磨いた?」


「どこで? おいおい、傾城屋なめてもらっちゃ困るぜ。遊郭にゃ毎日毎晩、氏素性も知らねぇ客がわんさか集まって来るんだ。中にゃいきなり暴れ出す()(ちげ)ぇもいるんだよ。俺ら妓夫はな、そういう輩から女郎どもを守んなきゃいけねぇんだ。刀が怖くて傾城屋なんかやってられっか」


 勇次は身をひるがえし、捨て台詞を吐いた。


「名主の惣領だか何だか知らねぇが、親の(すね)かじって生きてるあんたにゃ一生わからねぇだろうよ」


 庄之助は生まれて初めて味わう屈辱感に打ちのめされていた。


「行くぞ、りん」


 悄然と立ち尽くす庄之助を眼の端にすら入れず、勇次はりんを伴いその場を立ち去った。


 先祖が代々守ってきた土地と財産で自分も偉い人間だと履き違える者なんかより、何不自由ない暮らしを捨てて外の世界にたった一人で飛び込み、底辺を彷徨いながら足掻き藻掻(もが)こうとする竜弥の方がよほど尊敬に値する。


 背中をりんが追ってくる。歩幅を合わせようと気遣い、振り返ると、彼女は穢れのない瞳で微笑んだ。


 ああ、自分はこれだけで救われる。これさえあればほかには何もいらない。


 りんの笑顔に心を満たされ、勇次はようやく肩の力を抜くことができた。






 りんの家が近づいてきた。


「勇次さん、やっぱり強いな。それに、えら物知りだいねぇ。庄之助さんが言い負かされてるとこ見たの初めてだべ」


 やっぱり釣り合わないのかな……と、りんが寂し気に漏らすと、勇次は肩を震わせた。


「あんなのはったりに決まってんだろ。『風姿花伝』を全部そらんじてみろって言われたらやべぇなって内心冷や冷やしたぜ」


「ええっ? そうなん?」


 勇次がこらえきれずにゲラゲラ笑い出すと、りんは安心したように一緒になって大笑いした。


 しばし二人で笑い声を休田一帯に響かせる。笑いが収まったところで勇次が語りはじめた。


「先代の女将さんがよくできた人でよ、俺と息子の竜弥を分け隔てなく育ててくれてな。俺の方は、人別帳に戻っても恥ずかしくないように、って教養を身につけさせてくれたんだ」


「そうだったんだべな」


「ああ。そんな人だったから、竜弥が出ていって、俺を跡取りに定めるときは涙流して謝ってくれてさ。傾城屋継いじまったら一生制外者だからな。そんときゃ悩んだけど、女将さんに育ててもらった恩義があるし、ま、それで受け入れちまったってわけだ」


 やはり器の大きな人だな……と、りんは白い息とともに感嘆を漏らした。


「それにしても、能って面白いべな。なんとか花伝っての? 読んでみてぇな」


「本、読むのか?」


「大好きだべ!」


 きらきらした瞳を向けられ、勇次は目を細めた。


「じゃあ今度、『風姿花伝』貸してやるよ。短ぇからすぐに読み切れるぞ」


「うーん、短いのかぁ。だったらもっと長いのがよかんべな」


「なら『源氏物語』だ。『宇治十帖』入れて54巻全部そろってるぜ。女郎どもの指南書だからな」


「そんなにあるのけ? よかんべな。おら、いっぱい学問してぇ。もっと色んなこと学んで、勇次さんと釣り合う人間になりてぇべ」


 やにわ、勇次が立ち止まる。りんはどうしたのかと振り返った。その円らな瞳を捉える。


 ——制外者の俺と釣り合う人間?


 自分は今まで、りんの何を見ていたのだろうか。今の今まで可愛いだの、色だの、光だの、目に見える魅力だけを(ひとみ)に映していた。だが彼女の魅力はそんなものにとどまらない。飽くなき探求心、差別を持たない純粋な心、人を思いやる慈愛の心。それらを武器に、彼女は貧困や飯盛り女などの逆境にもめげず、抗えない時代の波を必死で泳いでいるではないか。


 彼女の中には制外者も平人もない。彼女は人を身分や種類で(くく)るのではなく、純粋にただ一人一人の人間としての価値を見出そうとしているのだ。そんな彼女だからこそ、自分は心惹かれてやまないのではないか。


 勇次はあらためて、胸に秘めていた想いを口にした。


「りん、俺と一緒にならないか?」


 突然の告白にりんの動きが止まった。その真っ直ぐな瞳から目を逸らさずに続ける。


「返事はすぐじゃなくていい。おめぇはまだ若ぇんだし、無理に急ぐこたぁねぇ。それに俺は制外者だから、夫婦になったらおめぇも人別帳から外れることになる。親父さんも簡単にゃ許してくれねぇだろう。だから、じっくり考えてくれ。俺は何年でも待ってるから」


 勇次がひと息に言い終え、りんが口を開こうとしたときだ。時鳴鐘が暮れ六ツを知らせる音を川越城下に響かせた。


「やべっ、もう帰んなきゃ」


 勇次が慌てる。りんは言葉を呑み込み、急いで長羽織を脱いだ。


「じゃあな、りん。明後日また会いにくるからな」


 長羽織を羽織りながら手を振る勇次の笑顔を、沈みゆく夕陽の欠片(かけら)が微かに照らす。


 りんも笑顔で手を振った。もう一方の手は、ドキドキとワクワクが交互に押し寄せる胸を押さえている。


 ——はい。ううん、違うな。お嫁さんにしてください、かな?


 どんな言葉で返事をしようかなと、りんは嬉しい悩みを抱えながら夕闇の中家路を辿った。






 こちらもドキドキしつつ、足取りは軽い。ついに言ってしまった、どうしよう、やばいよやばいよ、と鳴りやまぬ心臓を抱えながら勇次が石原宿を走る。と、大和屋の2階から聞き慣れたかすれ声が降ってきた。


「よお、色男。ご機嫌だねぇ」


 見上げると、竜弥が煙管を咥えて高欄にもたれかかってにやにやしている。


「なんかいいことあったのか? 顔に書いてあるぜ」


「まだ返事待ちだ」


 勇次は一言だけ答え、走り去っていった。


「返事待ち……って、え? ええええええ⁉ ちょっ勇次、待て待て待て! 勇次ぃ!」


 もしかして求婚? 嘘だろ……。竜弥はゲホゲホと(むせ)込み、高欄から落ちそうになりながら遠ざかる背中を見送った。


 ——やっぱ、勇次にゃ敵わねぇな。


 結婚まで先を越されてしまうらしい。


「あーあ。なんで俺、遊神なんかに惚れちまったんだろ……」


 ぼやいてみても後の祭り。一人高欄にもたれ、夕闇に溶け込んでゆく富士山に、2年半ぶりに望んだ愛しのかんばせを想い映してみる。


 想い人の姿を一目見たらまた旅に出るつもりだった。が、どうやら親友の祝言まで川越に居るしかなさそうだ。

次回から第9章「果報者」に入ります。

次回は第36話「幸せな後ろ姿」です。

評価ポイント・ブックマークをつけていただけたら幸いです。


※活動報告にりんのイメージ画を掲載しました。


【用語解説】

御堂関白:藤原道長の通称。実際には関白にはなっていなかった。道長の日記『御堂関白記』は江戸時代の近衛家煕によって名付けられたもの。これにより、道長が関白であったと誤解されている。

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