第33話 再会
【前回のお話】
竜弥に導かれ、花魁道中を初めて見たりんは終始感嘆の吐息を漏らしていた。
竜弥も2年半ぶりの孔雀の麗しい姿を目の当たりにし、感慨にふける。
その後、りんを連れて朱座遊を出た竜弥は、喜多院境内で呼び止められた。
背後にただならぬ気配を感じ、竜弥が振り返った。
「甚さん……」
竜弥の視線の先に立っていたのは金舟楼の若旦那甚吾郎だった。
久し振り、と竜弥が歩み寄ろうとすると、甚吾郎は突如凄まじい勢いで駆け寄り、いきなり竜弥の頬を拳で殴り飛ばした。受け身を取る間もなく竜弥が玉砂利に叩きつけられる。突然のことにりんは驚いて固まった。
「竜弥、てめぇ! 今までどこ放っつき歩ってた!」
甚吾郎が起き上がろうとする竜弥に馬乗りになり、襟を鷲掴む。
——竜弥さん? この人が?
りんは驚愕の目を竜弥に向けた。熊次郎から聞いた竜弥の印象とはまったく違う。竜弥はもっと気性が荒く、邑咲屋に迷惑をかけた自分勝手極まりない男だと想像していたからだ。
だが、自分に対する彼の態度は多少ぶっきらぼうではあるものの、概ね紳士的であった。どちらが本物の竜弥なのだろうかと混乱する。
戸惑うりんには目もくれず、甚吾郎は拳を振り上げた。
「甚さん、ちょっ待っ……」
突然の仕打ちに竜弥は為す術がない。間髪入れずにもう一発お見舞いされる。
「てめぇが消えてからお亮と勇次がどんだけ苦労したと思ってんだ!」
甚吾郎は竜弥に返す言葉を探す間も与えなかった。
「今、邑咲屋の跡取りは勇次だ」
「勇次が⁉」
「女将はお亮が務めてる」
「は? 女将はおふくろがいるじゃねぇか。おふくろはどうした?」
「亡くなったよ。おめぇが出ていった半年後にな」
「……!」
竜弥の表情が一瞬で固まった。
「おふくろが……死んだ……?」
頭の中は真っ白になっているだろう。だが、甚吾郎は容赦しなかった。
「おめぇが出てったことで心労がたたったんだよ。元々体が丈夫な人じゃなかったからな」
竜弥はまだ信じられないと言った面持ちで甚吾郎を見つめている。実感が湧かないのか、涙はすぐには出ないようだ。
「いいか、耳の穴かっぽじってよーく聞きやがれ。先代の女将さんは、おめぇのことを信じて待ってたんだ。だがな、半年経ったところで高林先生から先が長くねぇことを告げられた。だから勇次に頭下げて跡取りになってくれるよう頼んだんだ」
「おふくろが勇次に……頭下げて……」
「お亮は藩の重臣から身請け話があったんだ。けどな、いきなり重荷を背負わされちまった弟を一人残して出ていけねぇって、その話を断っちまったんだよ。で、惚れてもいねぇ伊左衛門と夫婦になって、邑咲屋に残ったんだ」
「花魁が? 異母兄きと?」
「そうだ、花魁だったお亮が今の邑咲屋の花車だ」
徐々に事態が呑み込めてきた竜弥に、血色が戻ってきた。甚吾郎は構わず続ける。
「お亮はもう少しってところで人別帳に戻れたってぇのによ。勇次だってもしかしたらお亮の伝手で藩士に引き立てられてたかもしれねぇ。それをてめぇが全部ぶち壊しやがったんだ」
甚吾郎は懐からリボルバーを取り出し、竜弥の額に突き立てた。りんが「ひっ」と声にならない悲鳴を上げる。
「俺はなぁ、お亮を不幸にするやつぁ断じて許さねぇ。たとえ赤ん坊のころから可愛がってたおめぇだろうが関係ねぇ。ぶっ殺してやるから覚悟しろ」
甚吾郎の人差し指が引き金に掛かる。りんは腰を抜かしてへなへなとその場にへたり込んだ。
一連の話を聞いた竜弥は脱力し、ふっと寂し気な笑みを浮かべた。
「わかったよ、甚さん。ひと思いに殺ってくれ。だが、その前にひとつだけ頼みがある」
「なんだ?」
「その娘、りんっての、勇次が大事にしてるらしいんだ。だから、小久保村まで送ってってやってくんねぇかな? 途中でかどわかしにでも遭ったら勇次に申し訳が立たねぇからよ」
「おめぇってやつぁ……」
甚吾郎は銃口を外し、竜弥の真横、地面に向けた。竜弥が静かに目を閉じる。
パンッ……。乾いた銃声が喜多院境内に響いた。やり場のない怒りを弾丸に込め、地中にすべてを撃ち込んだかのようだった。
「そこまで親友のことを考えられるなら、なんで邑咲屋を投げ出したりなんかしたんだ」
甚吾郎の言葉を竜弥は目を閉じたまま聞いていた。
投げ出したわけではない、むしろその逆だ——。そう言い返したかったが、熱くなっている甚吾郎に今は何を言っても聞く耳を持ってはもらえないだろう。
閉じられた瞼の隙間から一筋の涙が零れ落ちる。甚吾郎はゆっくりと竜弥の身体から降りた。
「こりゃ、おまえたち! なにをやっておるか! お大師様の御前で殺生はならぬぞ!」
銃声に気づいた妙海が酒瓶片手に五百羅漢像の陰から飛び出してきた。酒臭いのは平常運転。
「殺られてねぇし」
竜弥が涙を拭きながら起き上がる。妙海は竜弥の身体をぐるりと一周した。
「竜弥、やはりおまえじゃったか」
竜弥が妙海に説教を受けている傍らで、甚吾郎がリボルバーを仕舞い、腰を抜かしたままのりんの側にしゃがみこんだ。
「勇次の許嫁はな、元々竜弥の許嫁なんだ。竜弥のせいで勇次が跡取りにされて、ついでに許嫁も押し付けられちまったのさ。勇次のやつ、どうやって縁談断ろうか頭抱えてんだぜ」
つい今しがた鬼のような形相で竜弥を殺そうとした人間とは思えない。まるで別人のような穏やかな顔つきで話しかける。りんは初めて会ったときの優しさを思い出し、少しだけ胸を撫で下ろした。
「そうだったんだ。おら、なんにも知らねぇくせにあんなひでぇこと……。やっぱり勇次さんに会ってちゃんと謝りてぇな」
りんが顔を覆ってさめざめと泣き出す。甚吾郎に「立てるか?」と訊かれると首を横に振った。
「竜弥、ちょっくら勇次呼んでくるからついててやれ。間違っても触るんじゃねぇぞ」
甚吾郎の背中を見送りながら、やべ、いっぱい触っちまった、と冷や汗をかく。りんに向かって口に人差し指を立てると、彼女はしゃくりあげながら小さく頷いた。
「なんか、巻き込んじまってごめんな」
竜弥がバツ悪そうに頭を掻く。りんは今度は顔を横に振った。
「お兄さん、勇次さんの仲良しさんだったんだべな」
まぁ一応……と竜弥が照れ笑いする。妙海もりんの顔を覗き込んだ。
「こいつと勇次は子供の頃からこの辺りでは有名な悪ガキでな、まったくどうしようもない大馬鹿者なんじゃよ」
「生臭坊主にゃ言われたかねぇな」
生意気口調で言い返され、妙海が竜弥の頭を小突く。二人が悪態をつき合っていると、やがて慈恵堂の陰から勇次が道中用の着物のまま現れた。
「りん!」
周りには一瞥もくれず、明眸にりんだけを真っ直ぐ映し、駆け寄り、強く抱きしめる。
「りん、怖かったな。もう大丈夫だ。俺がおまえを守るから」
「勇次さん、ごめんなさい。おら……」
りんは勇次にしがみつき、声を震わせた。
「何も言わなくていい。今朝、熊さんから全部聞いたよ。黙ってた俺も悪かった。すまなかったな」
勇次が華奢な身体をしっかりと抱きしめ直す。りんは何度も「ごめんなさい」を繰り返した。
「宴まで少し暇があるから送ってくよ」
りんを抱き上げながら勇次は竜弥に視線を移した。竜弥がぎくりとする。
「勇次……、俺……」
「今、甚さんから手短に聞いた。のんびりしてる暇はねぇから歩きながら話そうぜ」
勇次は静かに答えて竜弥の前を通り過ぎ、死角でりんのおでこに軽く口づけた。
彼女を抱き上げたまま慈恵堂の階まで連れていき、そこに座らせる。薄衣を脱がせて自分の長羽織に着せ替えたあと、くるりと背を向けおぶさった。
りんを背負ったまま再びどろぼう橋に向かう。竜弥は薄衣を拾い上げ、二人の後をついていった。どろぼう橋を渡った先には甚吾郎が立っていた。
「勇次、急がなくていいぞ。宴の準備はうちの若ぇ衆に手伝いに行かせるから」
「甚さん、何から何まですまねぇ」
勇次が会釈して通り過ぎると、甚吾郎は竜弥の後頭部をポンと軽くはたき、踵を返した。その背中に竜弥は深く頭を下げた。
蓮馨寺に差し掛かると、境内の芝居小屋で雪之丞が興行の真っ最中だった。彼もまた、自分の居場所を必死で守ろうとしているのだろう。
目抜き通りを避けて鴫町から回り、養寿院の裏手を通って赤間川に出る。暇がないと言いつつも何から話していいのわからず、結局無言で歩いてしまった。
ここまで来てようやく竜弥が沈黙を破る。
「何も聞かねぇのかよ」
間を取ってから勇次が口を開いた。
「川越の海を越えるって話、どうなった?」
は?と竜弥が目を丸くする。
「馬鹿か、おめぇ。川越にゃ海なんかねぇのにどうやって越えるんだ?」
ぷるぷると震えながら勇次はなんとか怒りを堪えた。こいつは昔からこうだ。自分の発言をいともあっさり覆す。そのたびに大喧嘩してきたが今度ばかりは我慢の限界だ。百発殴り倒しても飽き足らない。千発殴ってこのまま赤間川に蹴り落としてやる。と言いたいところだが、りんに乱暴はしないと公言した手前、必死に思いとどまった。
「じゃあ、今までどこにいたんだよ」
「色んなとこ」
「色んなとこじゃわかんねぇよ。坂本龍馬とかいう野郎に会いに行ったんじゃねぇのか?」
「坂本龍馬はとっくに死んでたよ」
「死んだ? じゃあなんですぐ帰ぇってこなかったんだよ」
竜弥は少し考え込んでから、重い口を開いた。
次回は第34話「対峙」です。




