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第32話 花魁道中

【前回のお話】

 胡蝶の新造出し最終日の朝。りんへの行動が煮え切らない勇次に、孔雀は苛立つ。

 そこへ熊次郎が勇次を訪ね、邑咲屋にやってきた。

 熊次郎とは別に、りんも朱座へと向かっていた。

 どろぼう橋付近で迷子になったりんに、一人の男が「どろぼうでもしたのか?」と呼び止めた。


「どっどろぼうなんかしてねぇべ。道に迷っただけだ」


 男はりんと距離を詰めた。怯えるりんが一歩下がる。


「迷子か。どこ行きてぇんだ?」


 りんが「朱座」と答えると、男は怪訝に顔を歪ませた。


「朱座はおめぇみてぇな汚ねぇガキが行くとこじゃねぇ。とっとと帰ぇれ」


 ぐさりと胸を突き刺すような言葉。つぎはぎだらけの着物を自覚し、りんは恥ずかしさでいっぱいだ。そんな彼女の顔を男がのぞき込む。


「ん? なんだ、おめぇ、よく見りゃ可愛い顔してんじゃねぇか。ちょっとこっち来い」


 男は有無を言わさずりんの手を引くと、どろぼう橋を渡って慈恵堂の前を横切り、手水舎(ちょうずや)へと連れて行った。しゃくで手を濡らし、りんの顔をごしごし(こす)る。りんは冷たさに震えるも、しかし恐怖と男の力強さに抗えず固まっていた。


「こりゃ(たま)()た。えれぇ上玉じゃねぇか。朱座に何しに行くんだ? 身売りか? 見世は決まってんのか? おめぇ一人で行ったら切見世の餌食になっちまうぞ」


 矢次早の問いかけに、りんは両手を振って全力で否定した。


「違うべ。おら、会いたい人がいるだに」


「会いてぇ人? 男か? どこの若ぇ衆か言ってみな。金舟楼か? 澤むらか? 滝もと、それとも橘屋、天河か? 大抵の奴ぁわかるからよ、会わせてやってもいいぜ」


 えっ?と、りんが男の顔を見つめた。左の泣きボクロが涙袋に埋もれている。よく見ると勇次とはまた一味違った優男ぶりだ。


 微笑む男がさらに告げた。


「ただし、邑咲屋以外な」


 りんはがっくりとうなだれた。りんの反応に男が焦る。


「え? 邑咲屋なのか? ええっ? 誰、誰?」


「勇次さんて人」


 男は天を仰いだ。


 ——あの女ったらし、こんな若ぇ娘にまで手ぇ出しやがって。


 男の心の声も知らず、りんは手を合わせた。


「遠くから見るだけでよかんべ。なんとか出しってので忙しいみてぇだに邪魔したくねぇんだ」


 黙って聞いていた男は、懐から手拭いを取り出し、りんの顔を拭ってやった。見覚えのある手拭いにりんがドキリとする。


「その手拭い、もしかして……」


 だが男はりんの問いを無視して薄衣を彼女の頭からすっぽりと被せた。自分は首巻を外して頭を覆い、布端をつまむ。


「ついて来い。絶対に俺から離れるんじゃねぇぞ」


 つまんだ布端を咥えると、男は野菜畑に向かって歩き出した。


 気まぐれか、それとも何かの利害が一致したのか。男の真意はわからなかったが、りんはこくりと頷いて男の後をついていった。


 そんな二人の姿を、妙海が慈恵堂の陰からこっそり目撃していた。


「あの男……竜弥ではないか? いつの間に川越に……?」






 遊郭の裏には非人小屋がある。例えば吉原なら(すい)()(じり)の先、黒板塀裏側のお歯黒どぶに隣接したところだ。


 朱座は、大門とは反対側の切見世が並んだ奥に小さな出入り口があり、その向こうがすぐ非人小屋となっている。竜弥はりんを連れてそこへと向かった。


 言わずもがなはたには、畑の中にポツンと汚い小屋が立っているだけだ。遊郭の片鱗もそこにはない。


 りんに貸してやった薄衣をひとず脱がせる。彼女の貧相ななりは非人に(まぎ)れるにはうってつけだからだ。


 そうっと非人小屋に潜り込みむと、りんはまず絶句した。


 貧しい百姓の自分よりもさらにボロ布を纏った人間たちが散切り頭を乱してうろついている。これが勇次の言っていた非人の世界なのかと改めて現実を知り、胸が締め付けられた。


「ぐずぐずすんな」


 竜弥に手を引っ張られ、そこをすり抜けると遊郭の裏口に難なく辿り着いた。竜弥がゆっくりと裏口の扉を開ける。その瞬間、(まばゆ)いばかりの光が戸口から漏れ、開かれた扉の向こう側に非人小屋とは対極を成す色鮮やかな遊郭の光景が広がった。何度見ても心を震わせられる。


 りんが眩し気に呆然としていると、竜弥が「ぼーっとすんな」と言って薄衣を再び被せてくれた。


 と、そのときだ。ばたばたと裸足の女が一人、こちらへ向かって駆けてきた。いかつい男たちがその後を追ってくる。


「このあま! 逃げられると思ってんのか!」


 男たちは切見世の若い衆、女はそこの(つぼね)女郎だ。局女郎は程なくして切見世の若い衆に捕まり、島田髷を掴まれ引きずられていった。


 竜弥はぶるぶる震えるりんの頭を抱え、あえてその場面を見せないようにした。自分と勇次がいつもやっていたことを、彼女は知らない方がいい。


 りんは目を伏せ、恐る恐る声を潜める。


「逃げられねぇのけ?」


「逃げ切ったところで制外者が生きられる場所は朱座(ここ)以外にねぇ」


 制外者の烙印を押された遊女が生きられるのは遊里の中だけだ。朱座から逃げおおせたところで行きつく先は岡場所、悪くすれば夜鷹である。


 金舟楼や邑咲屋のような花魁を抱える中見世以上は、貧農や没落した商家の娘が売られてくる。たまに縁坐など(しゃつ)(けい)の女囚を受け入れることもあるが、本人自身が罪を犯したわけではない。


 だが切見世は、罪を犯した女がその刑罰として遊女となり勤労を強いられていた。だから抱え主をはじめ若い衆も彼女らの扱いはぞんざいだ。逃げ出す遊女は邑咲屋の比ではない。すべからく治安も悪くなる。


「朱座は初めてか?」


「一度だけ勇次さんに案内してもらったことがあるべ。でもこっち側は初めてだ。行くなって」


 竜弥にはなんとなく勇次の想いが見て取れた。この娘に切見世周辺の猥雑(わいざつ)な光景を見せたくなかったのは、彼女の純粋さを守りたかったがゆえであろう。


 ——この娘、もしかして勇次の本命か?


 勇次の歴代情女(いろ)の傾向は知り尽くしている。この娘はそのどれとも当てはまらない。つまり遊びではないということか。


「おめぇ、名前は? いくつだ?」


「りん、15歳。お兄さんは?」


 訊き返され、うっと詰まる。うっかり名前を訊いてしまったことを思い切り後悔した。


「名……乗るほどのもんじゃねぇよ」


 はははと笑って誤魔化す。りんに怪訝な目を向けられながらも誤魔化し誤魔化し歩き、やがて切見世を抜けると二人は商店が立ち並ぶ通りに出た。


 座頭、舞々、猿楽、(つじ)()(くら)猿曳(さるひき)、放下師、獅子舞、傀儡師、鉢扣、鐘打等々……多種多様な者たちがそれぞれの芸を披露し、生きるよすがとしている。世間からは制外者と虐げられ爪弾きにされた者たちが、朱座で己の居場所を見出し、この時代を必死で生きているのだ。


 前回は開店前のため見られなかった彼らの生き生きとした姿に、りんは目を輝かせた。


「ここで待とう」


 竜弥が立ち止まる。りんの言う「なんとか出し」というのが「新造出し」だということは既にわかっていた。あの小生意気な禿の胡蝶がもうそんな(とし)になるのかと少々感慨にふける。


 お練りの時間と順路はわかっている。見物人も次第に増えてきた。竜弥はりんの肩を抱き、自分の身体に隠すようにして大きめの灯篭(とうろう)の裏に鳴りを潜めた。


 初対面の男にごく自然に肩を抱かれた驚きと、久々に勇次の顔を見られる喜びとでりんの小さな胸は破裂しそうなくらいの鼓動で溢れていた。


 竜弥の腕の中でばくばくと騒がしい胸を押さえながら待つ。すると突如、人込みから歓声と割れんばかりの拍手が沸き上がった。


「お練ぇりぃ~」


 金棒引きの権八を先頭に、掛け声に合わせ、鈴の音がシャンシャンと鳴り響く。邑咲屋の屋号と花魁の名前が入った箱提灯をそれぞれ掲げる提灯持ちが通り過ぎ、それに続いて煙管箱を持った禿の春蚕の姿が見えてきた。


 お練りは一歩一歩ゆっくりと進むため、中々花魁がやってこない。その代わり、ひとたび目の前まで来れば、じっくりとその美姿を拝むことができるのだ。


「おいでなすったぜ」


 竜弥はりんを見た。だが、りんは背が低いため観衆に埋もれてしまい、行列が見えない。仕方なくおんぶしてやる。あまり勇次の情女にベタベタ触りたくはないのだが、背に腹は代えられない。


「わぁ……」


 竜弥の耳元でりんが感嘆の息を漏らした。道中を見たのは初めてらしい。


 豪華絢爛な衣装に身を包んだ自分より小さな童女、その後ろからようやく花魁孔雀が現れた。しゃなりしゃなりと外八文字で歩く姿は牡丹や杜若(かきつばた)、百合の花などとは比べるべくもない。沈静にして(こい)しく(たお)やかなるその(たたず)まいは、盛りを迎えた(あまね)花華(かか)のごと咲き誇っている。


「あれが花魁……えら綺麗だいねぇ。きらきら光ってるべ」


「あたりめぇだ。孔雀は朱座一の、いや、日本一の花魁だからな」


 懐かしいかんばせに竜弥も魅入っていた。豪奢な装いも霞むほどの圧倒的な美貌。それもさることながら、内面から溢れ出す輝きは他者を寄せ付けない気品がある。


「あっ、隣にいるの、勇次さんだべ?」


 りんが声を上げた。花魁に肩を貸し、背筋を伸ばして真っ直ぐ前を見据える男ぶりに思わず見惚れる。


「りん、でけぇ声出すなよ。見つかったら面倒だからよ」


 花魁に不審者が近寄らぬよう、勇次は全方位に神経を尖らせている。ほんの僅かでも不審な動きをすればたちまち見つかってしまうだろう。


 だが、あまりの煌びやかな行列に、りんはうっとりと感嘆するばかり。大声を出すなどとてもとてもできるような状態ではなかった。


 そんなりんの様子を見て、竜弥は心が和む思いがした。何故勇次が彼女に惹かれたのか、なんとなくわかる気がする。


「すごい……。息ぴったりだいねぇ」


 無邪気な言葉が竜弥を嫉妬に駆り立てた。寸分違わぬ間で歩みを揃える勇次と孔雀を眺め、複雑な思いが込み上げる。


 あのとき邑咲屋を出なければ、今孔雀の隣にいるのは勇次ではなく自分だったはず。自業自得とはいえ、その座を勇次に譲ってしまったのは一生の不覚。


 ——くそっ、この娘を犯してやろうか……ってできるわきゃねぇよな。


 親友の情女に手を出すほど愚かな竜弥ではない。一旦気を落ち着かせるため深呼吸してからりんに声を掛ける。


「気ぃ済んだか?」


 うっとり(ほう)けていたりんは竜弥の一言で(うつつ)に引き戻された。


「あっ、ごめんなさい。もうよかんべ」


 傘差し役の富蔵が過ぎ、胡蝶が通りがかったところでりんは竜弥の背中から降りた。


「お相撲さんみたいな人の後ろにいた子も綺麗だったべな」


「あれは振袖新造だ。引っ込み禿は15歳になると遊女としての準備を始める。このお練りはそのお披露目なんだ」


 りんが目を白黒させている隙に、道中は玉虫、穂垂(ほた)るなどの遊女たちが練り歩いてゆく。


「あの子、おらと同い年なん? えら大人っぽいなぁ。勇次さんは毎日あんな綺麗な子を見てるんだな……」


 それに引き換え自分は……とまたも比べてしまう。気落ちするりんを竜弥は励ました。


「勇次を見くびるな。あいつは見た目や年齢(とし)で女の価値を測るような小せぇ男じゃねぇぞ」


 りんが無垢な瞳を竜弥に向ける。


「お兄さん、勇次さんのこと、えら知ってるんだな。それに、朱座のことも詳しいし」


 どきり、と竜弥の目が泳いだ。殿(しんがり)の番頭新造お甲がやってきたところでりんから離れる。


「さ、戻ろうぜ。野次馬が引けたら見つかっちまうからな」


 首を傾げながらりんが竜弥の後をついてゆく。帰りは人込みに紛れて大門から手をつないでもらって出た。大門を出ると竜弥はすぐに手を離し、勇次と同じように近道だというどろぼう橋方面へと歩いていった。


「りん、おめぇんち、どこだ?」


「小久保村だがね」


「よし、そこまで送ってってやる」


 りんを送りがてら、今夜は石原宿に泊まればいいやと考える。と、せっかくだからお大師様でも拝んでいこうとどろぼう橋を渡り、慈恵堂の(きざはし)の脇に出たときだった。


「おう、待て」


 背後にただならぬ気配を感じ、竜弥は振り返った。

次回は第33話「再会」です。

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