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非公許遊郭かくし閭(ざと) 巻の壱《制外者編》  作者: 阿羅田しい
第7章 照降雨(てりふりあめ)
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第28話 りん、真相を知る

【前回のお話】

 勇次は、りんに冷たくされた理由がお染と一緒にいたところを目撃されたからだと思い当たり、蒼褪める。

 名主家で奉公をはじめていたりんは、帰宅後、父の薬を切らしたことに気づき、熊次郎宅へと向かった。

 りんは水茶屋へ行く前に、熊次郎宅へと向かった。


 七日の松の内が過ぎ、正月気分も抜けてきた頃だというのに、自分にはまだ飯盛旅籠からの呼び出しがない。このままでは父の薬を買う金が稼げないではないか。


 飯盛り女をやるのは嫌だが、父のためとなれば背に腹は代えられない。りんは熊次郎に直談判することにしたのだ。


 途中、なつに出くわす。


「りん、どこ行ぐんだ?」


「黒駒組の親分さんのとこだがね」


 なつはふうんと返事したきり、自分がどこへ行くのかは教えなかった。


「さちの(こうがい)、綺麗だったべな。ちっとんべぇ羨ましいべ」


 なつが言うと、りんは、うん……と苦笑いした。飯盛り女で稼いだところで、その金をさちのように自分のために使うことはできない。苦しまぎれに強がってみせる。


「でも、おらには似合わねぇし、別にいらねぇかな」


「りんは可愛いよ。さちがりんに意地悪ばっかり言うのは、りんが可愛いだにやきもち妬いてるんだべ」


 だから庄之助先生もりんばかり可愛がるのだと言う。庄之助だけでなく、貫太までもがりんのことを可愛いと()めたものだからさちは余計に嫉妬したのだとか。


「なんか、やだな、そういうの」


 りんは嫌悪感を(あら)わにした。困るよね、となつがりんの横顔を見る。近頃急に大人びて綺麗になった気がしていた。これはもしやと感ずる。


「ねぇ、りん、あんた、恋してるべ?」


 女友達の勘は鋭い。りんは黙ったまま頬を染めた。


「やっぱりねぇ。ぼっとかすっと氷川さんにいた人だべ? こないだ井戸のとこで話してた人だべな? 素敵な人だいねぇ」


 見抜かれ、言い訳する。


「うん、優しくて強い人だべ。だから、ただ憧れてただけだがね。おら、年上の人に弱いべな」


 うつむいて苦笑いするりんに、なつは首を横に振った。


「それも立派な恋だがね。けんど、あんまし楽しそうじゃなかんべな。恋ってもっとうきうきするもんだべ?」


 なつの指摘を否定できない。楽しくてうきうきすることもあれば、寂しくて悲しみに暮れることもある。ころころと変わる心はまるで照降雨。そして今は、もう会えない悲嘆の土砂降りだ。


「うん、だから多分もう会わねぇと思う」


「あんして?」


「なんか、許嫁がいたみたいで……。おら、なんも知らなかったで恥こくなっちまってよ」


 優しくされて一人で浮かれてただけだべな、あはははと照れ隠しに大笑いする。


「彼のこと、嫌いになったのけ? それとも許嫁の方が憎いべ?」


 なつが問いかける。りんはうーんと口元に拳を当てた。


「やっぱり嫌いにはなれねぇな。けんど許嫁の人は……憎いっていうか、いなかったら()がったなぁとは思ったけど、悔しいって気持ちもあって……よぐわがんねぇ」


 どうしても自分と比べてしまう。美しく品のある容姿、豪奢な振袖、きらきら揺れる(かんざし)。逆立ちしたって敵わない。


 彼女を憎んでも仕方ないとはわかっているが、つい卑屈になってしまい、心の奥から湧き上がってくる得体の知れない感情に支配されもがき苦しんでいる。とても醜く、嫌悪すべき黒淵へ引きずり込もうとする巨魁に(あらが)えない。この感情の正体はなんなのだ。


「りん、それ、嫉妬だがね」


「嫉妬?」


 りんはなつの顔を見た。


「うん。それだけ彼のこと、想ってるってことだべ。ただの憧れじゃなかんべな」


 だが心に渦巻く感情の正体を知ったところでどうせよというのだ。


「まぁでも、許嫁がいるんじゃしょうがねぇべな。あきらめろ。おらがその女の人だったら逆にりんに嫉妬するだに」


 だってりんは可愛いから、と笑ってなつは高沢橋を見た。なつの視線の先では、一人の男がこちらに向かって手を振っている。


「あれ、小太郎さんだべ?」


 りんの問いかけに、今度はなつが頬を染める番であった。二人は以前から付き合っていて、今日両親に紹介してくれるのだと照れながら教えてくれた。


「知らなかったぁ。めでてぇことだいねぇ。良がったな、なっちゃん」


 りんは自分のことのように飛び跳ねて喜んだ。そんなりんを見てなつが目を細める。


朱座(あかざ)でよく遊んでくるだに喧嘩ばっかりしてるけど、やっぱりおら、小太郎さんの優しいとこ好きだに」


 浮気されても好きというのがりんには解せなかったが、それでも幸せそうななつの顔を見ていると心から祝福したくなる。


「りんは優しいね。自分がつらいときに人に優しくなんてなかなかできることじゃなかんべ」


 そうかなぁ……と、りんが頭を掻いているところへ小太郎がやってきた。


「なんだ、りんも一緒か? ちょうど良かった。おめぇに聞きてぇことがあるんだけどよ」


 あんだんべ?とりんが顔を上げる。


「おめぇ、年越しの晩、勇次と一緒にいたよな? 知り合いか?」


「……一応……」


 躊躇(ためら)いがちに答えるりんの耳元で、なつが口を手で隠し「彼のこと?」とささやいた。りんが小さく頷くとなつも小さく、きゃっ、と叫んだ。


「じゃあさ、勇次に礼を言っといてくんねぇかな? 俺、わけあって今ちょっとあいつんとこにゃ顔出せねぇからよ」


 小太郎は、邑咲屋の玉虫と滝もとの遊女との二股がばれて酷い目に遭わされて以来さすがに懲りたようで、ほとぼりが冷めるまでは朱座に立ち入る勇気がないのだ。


「お礼? なんの?」


「あれ? おめぇ知ってるよな? 例の10両の件だよ」


「じゅ、10両⁉」


 あまりの大金にりんとなつの声が裏返る。目を真ん丸くして驚くりんの姿に、小太郎は慌てて口を押えた。もしかして知らないのか?とドギマギする。


「例の10両ってあんだんべ? 教えてくらっしぇ、小太郎さん。なんでおらがそれを知ってると思ったのけ?」


 矢次早に問い(ただ)され、小太郎は(あぶ)られた(はまぐり)のように口を開いた。


「年越しの晩、あのあと勇次が氷川さん行ってうちの親父と話し合ってな、俺の償い金とおめぇの借金を相殺(そうさい)することで(かた)がついたんだよ」


「おらの借金? おら、借金なんかした覚えねぇべよ」


 勇次はりんの借金10両を二股の慰謝料10両で補填(ほてん)することを提案したのだ、と小太郎は説明した。当然邑咲屋に入るはずの10両までは帳消しにできないゆえ、それは勇次が背負うことになったのだと言う。


「勇次さんが10両を? つまりおらの代わりに10両を背負ったってことだべか? おら知らねぇ。なんも知らねぇべ」


 遊郭は一晩に数万両もの金が動く世界だ。10両ごとき、花魁を抱える中見世の勇次にとっては端金(はしたがね)同然である。


 それでも跡取りとはいえ、勝手に妓楼の金を自由にできるわけがない。自分が借金として背負うとなれば10両の重みは違ってくるのだ。


「俺だってなんでいきなりそういう話になったのかわかんねぇけどよ、どっちにしろ良かったじゃねぇか。お互い10両がチャラになったんだからよ」


「よぐねぇ!」


 りんは叫ぶなり熊次郎の家へと向かい駆け出した。状況を呑み込めないまま小太郎となつも後を追う。りんを追いかけながらなつが(たず)ねた。


「その勇次って人、随分お金持ちなんだな? どっかの御曹司か若様なん?」


 りんがそこまですごい相手と付き合っていたとは驚きだ。もしや玉の輿か? いやいや、許嫁がいると言っていたからやはり遊ばれただけか。しかし、ただの遊び相手に10両も払うだろうか。それもいとも容易に。


「勇次は朱座の傾城屋の若頭で跡取りだ」


「朱座の傾城屋⁉」


 小太郎の答えになつは驚きの声を上げ、足を止めた。


「朱座の……ってことは……制外者?」


 恐る恐るその言葉を口にする。しっかりと頷く小太郎を見て憮然と呟いた。


「りん、とんでもねぇ人を好きになっちまったべな」


 平人と制外者が結ばれることは基本的にあり得ない。どうしても一緒になりたくば、どちらかが相手の身分に合わせる必要がある。勇次が平人になるか、もしくはその逆もあり得るのだ。


「りんが制外者になるなんて可哀想だがね」


 なつの憤りに小太郎が押し黙った。二人がそこまでの仲だとは知らなかったものの、事情が徐々に呑み込めてきた。


「勇次は気骨のあるやつだ。りんを泣かせるようなことはしねぇよ、絶対に」


 小太郎はなつの背中を優しく撫でると、半信半疑の彼女とともに家路を急いだ。






 息を切らし、血相を変えて駆け込んできたりんを見て、熊次郎は何事かと慌てた。まずは上がれと促したものの、りんは玄関に立ったまま呼吸を荒くしている。


「親分さん、おらになんか隠してることねぇべか?」


 りんに睨まれぎょっとする。りんは熊次郎に詰め寄った。

次回は第29話「熊次郎の怒り」です。

熊さん、けっこう頼りになるんです。


【一口メモ】

1両を現代のお金に換算すると……と一概に言えるわけではないみたいです。

当時は物によって価値が違ったとのこと。

よく例に挙げられるのが蕎麦代です。蕎麦代を例にとって、1両イコールおよそ13万円を目安にされることが多いようです。

ちなみに「円・銭・厘」という単位が使用されるようになったのは、明治4年5月の「新貨条例」発布以降です。

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