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非公許遊郭かくし閭(ざと) 巻の壱《制外者編》  作者: 阿羅田しい
第7章 照降雨(てりふりあめ)
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第27話 厳しい現実

【前回のお話】

 勇次は雪駄を直しに来たついでに、りんの顔を見に小久保村まで足を延ばす。

 だが、そこで冷たい態度を取られてしまった。

 帰宅した勇次を待ち構えていたのは……。

 姉お亮が勇次に情け容赦ない言葉を浴びせる。その傍で、煙管を(くわ)えた甚吾郎が眉をハの字にして立っていた。


「今回はかなり重傷みたいだぜ」


 首を横に振り肩をすくめる。


「まだ振られたと決まったわけじゃねぇ」


 勇次は顔を上げ、二人に嚙みついた。


 しかし強がっては見たものの、最後に突き放した言い方をしてしまったのだ。このまま本当に終わってしまうかもしれない恐怖に怯えているのもまた事実である。


「こないだのりんって子かい? まだ若いんだから、からかい過ぎたら嫌われるに決まってるだろ」


 お亮も自分の煙草入れから煙管を取り出し、刻み煙草を詰めた。甚吾郎に火を借り、ぷはーっと弟に煙を吐きかける。げほげほとむせながら勇次は反論した。


「そこまでからかってねぇし。てかちゃんと大人として扱ってたし」


「てこたぁ寝たのか?」


 甚吾郎の問いに、「まだ口吸いまでだ」と首を振る。


「じゃあ、あれだ、いきなり舌入れたんだろ」


「入れてません」


 そうだ、いきなり舌を入れたのならいざ知らず、入れてもいないのに嫌われたというのは腑に落ちない。なのに甚吾郎は面白がってしつこく絡んでくる。


「ほんとは入れたんだろ? いきなり入れられたらよ、そりゃ女は嫌がるぜ。なぁ、お亮?」


「わっちだったら嚙み千切(ちぎ)って()るね」


 気をつけなければと肝に銘じる甚吾郎の傍らで、勇次がぷるぷると怒りに震える。


「だから入れてねぇっつってんだろっ!」


 そのとき金舟楼の2階の高欄から遊神宮城が身を乗り出し、


「入れたの入れてないだのうるさいね! ご近所中に丸聞こえだよ、みっともない!」


 怒声を浴びせてぴしゃっと窓を閉めた。…………。3人が一斉に黙る。閑話休題、お亮が声を潜めた。


「本当に心当たりないのかい? おまえのことだ。気づかないうちにやらかしちまってるんじゃないのかえ?」


 その可能性は無きにしも非ず、というか大いにあり得る。確かに俺のことだ、気づかぬうちに何かやらかしているに違いない、と姉の言葉を復唱し、三が日の己の行動を顧みた。


 と言っても年越しの夜以来りんに会ったのは今日が初めて。まったく身に覚えがない。


「今日、なに言われたんだ?」


 甚吾郎が問いかける。


「えーと、優しくしないでとか、釣り合わないとか、勘違いするとか……」


 勇次はりんとの会話を捻り出した。甚吾郎も首を捻る。


「釣り合わないってどういう意味だ? やっぱり年の差か?」


「確かに15歳から見たら、おまえ、おっさんだもんねぇ」


 お亮がうんうんと何度も頷く。甚吾郎は苦笑いし、勇次は反論できずにうなだれた。


「それとも身分かい? 平人(ひらびと)と制外者じゃ逆立ちしたって一緒にゃなれないもんねぇ」


「そういう感じではなかったな」


 二人がほかに何か言っていなかったか問うと、勇次はまたも記憶を絞り出した。


「自分はチビだとか、顔汚ねぇとか?」


 あんなに可愛いのに……と3人顔を突き合わせて不思議がる。


「あとは……振袖がどーとかかんざしがーとか……」


「簪買って欲しいんじゃねぇか? 女は光もんに弱ぇからな」


「りんは物をねだるようなさもしい娘じゃねぇよ」


 そこで勇次が言葉を止めた。


 ——振袖……簪……って、え、まさか……?


 やにわに黙りこくった勇次を見て、お亮と甚吾郎はごくりと息を呑んだ。


「あるんだ、心当たり」


「やべぇ、もしかしたら氷川さんでお染と一緒にいるとこ見られた……かも」


 勇次が口に手を当て目を泳がせる。二人は、それだ、と指を突き立てた。


 勇次は氷川神社での記憶を必死に辿った。そういえば、今日りんと一緒にいた娘たちの中に氷川神社でぶつかった娘がいたような気がする。では、あのときりんの名を叫んだのも彼女らのうちの一人……ということは、やはりあの場にりんがいたのか。


 しかし、見られたところでやましい行為は何一つしていない。何しろお染とは手すらつないだことがないのだから。


「ふっ。これだからガキはよ、面倒くせぇんだよな。ま、しばらくほっときゃそのうち機嫌も直るだろ」


 煙草でも吸って気を落ち着かせようと懐から煙草入れを取り出すも、煙管筒の(ふた)を開ける手がぶるぶる震える。


「そのガキに振り回されてんのはどこのどいつだよ」


 甚吾郎の突っ込みに煙管が手につかない。明らかに動揺する弟を見て、お亮は呆れたように腰に手を当てた。


「はぁ。底なしの(とん)智気(ちき)野郎だね、おまえは。考えてもごらんよ。初めて口吸いした男がほかの女といちゃいちゃしてるとこ見ちまったんだよ? 傷つくに決まってるじゃないか」


 お亮の言葉に甚吾郎が「俺でも折れる」と何度も大きく頷いた。


「俺がお染なんかといちゃいちゃするわけねぇだろ」


「女の子目線じゃそう見えるんだよ」


 そのような脳内変換があるのか、と勇次の顔から一気に血の気が引いた。「すでにやってる仲だと思い込んでるよな」「間違いないね」と甚吾郎とお亮が頷き合う。


「やってないやってない。ごっ誤解解かなくちゃ……」


 誤解されたまま終わるなんて怖すぎる。


 真っ青になって立ち上がる勇次の襟首をお亮がむんずと掴んだ。


「ちょいとお待ち。さっきからずっと気になってたんだけど」


「はい?」


 鋭い目つきで睨んでくる姉に、思わず緊張が走った。嫌な予感がする。


「おまえ、いったいどうしたいんだい?」


 姉に問われ、黙ってその顔を見た。甚吾郎も勇次に詰め寄る。


「実はそれ、俺も気になってたわ。おめぇ、そのりんって子とどうなりてぇんだ?」


「……」


「やりてぇだけならやめとけ。こないだ少ししか話してねぇけどな、ありゃ遊びで終わらせるような子じゃねぇぜ」


「遊びで終わらせるつもりなんかねぇよ。ちゃんと真面目に先のこと考えてる。りんは小せぇから、体が出来上がるまでは抱かねぇって決めてんだ」


 勇次が真剣な眼差しで二人を見る。お亮はさらに眉を吊り上げた。


「だったら、お染との縁談は断るってことだね?」


「そ、それは……」


 勇次はまだ迷っていた。お染と夫婦になって人別帳に戻ることは大変魅力的な話だ。人別帳に戻って平人になれれば、りんと夫婦になることに何の障害もない。


「人別帳に戻ったらお染に三行半(みくだりはん)渡して、りんと一緒になるってのは……やっぱ駄目かな?」


「駄目に決まってるだろ、そんな理不尽なこと。いくら嫌いでも、少しはあちらさんの立場も考えてやりな」


「だよな……」


 煮え切らない態度にお亮が苛立ちを見せる。


「その程度の想いならやめなやめな。りんが可哀想だ」


 姉の一言が意外にも深く突き刺さった。


 今朝、孔雀に言われた「自分の本当の気持ち」は端から決まっているはず。なのに、お染に人別帳に戻れる可能性を示唆されたくらいで、なぜそれが揺らぐのか。りんへの想いはその程度のものだったのか。


 縁台に再び腰を掛け、腕組みして目を閉じる。と、甚吾郎が何回目かの刻み煙草を丸めながら気になることを告げた。


「親父に弾左衛門のこと、ちょっくら聞いてみたんだけどよ」


 お亮・勇次姉弟が甚吾郎に目を向ける。


「弾左衛門のやつ、奉行所でお白州から板縁にあがることも(ゆる)されたそうだ。それだけじゃねぇ。平人と夫婦になることも赦されたんだと」


 勇次の目がきらりんと光った。だがお亮は冷めた明眸(めいぼう)を返すだけだ。甚吾郎が続ける。


「早とちりするなよ。非人頭の車善七は何度願い出てもいまだに平人に引き上げてもらえねぇんだ。この分じゃ、俺たち制外者が平人に引き上げられるのはいつになることやら……」


 やはり甚吾郎の見解は、昨日姉が示したものと同じだった。


 勇次はまたもや目を閉じた。甚吾郎とお亮が黙って煙草を吸いつつ、それを待つ。二人が最後の一服を吸い終えたところでようやく勇次は目を開けた。


「いや、俺、あきらめねぇよ」


「どっちを?」


「りんに決まってるだろ」


 拳を握りしめ、立ち上がる。たとえ人別帳に戻る道を閉ざされたとしても、何らかの方法を模索し、りんと一緒になる道を選ぶことが今の「自分の本当の気持ち」だ。


 ふーん、と冷めた目つきで二人は灰を灰筒に捨てた。


「一人で盛り上がってるとこ悪いけど、りんの気持ちはどうなんだい?」


「そうだな。あっちはもう、おめぇに愛想(あいそ)尽かしてるかもしんねぇしな」


 ……。勇次が再び青くなる。


「誤解解かなくちゃ」


 一歩、足を踏み出したときだった。カーン……と時宜(じぎ)悪く暮れ六ツを知らせる時鳴鐘が川越の城下町に響き渡った。お亮が目の前に立ちはだかる。


「どこ行くんだい? 夜見世を開ける時間だよ。女郎じゃあるまいし、仕事に私情を持ち込むんじゃないよ」


「そんな殺生な……」


 涙目で姉に訴える勇次を尻目に、甚吾郎はそそくさと自分の妓楼へと足を向けた。


「あっ、甚さん、どこ行くんだよ?」


「馬鹿野郎、うちも夜見世開けるんだよ。さっ、仕事仕事」


 甚吾郎にも見放され、勇次は姉に引きずられながら中へと入っていった。


 明日からは胡蝶の新造出しが7日間続く。詰まるところ当分りんに会う暇はないのだ。


 その晩、勇次が客引きで使い物にならなかったことは言うまでもない。






 小久保村の名主の家はそこそこ大きい。長い廊下を雑巾がけするにも体力がいる。


 りんはかじかむ手に息を吹きかけた。この日は(こと)に寒さが厳しかった。時折小雪もちらついている。強い寒気に身を縮こませつつ、雑巾を絞り、また指先に息を吹きかける。そして再び雑巾がけ。これを何度も繰り返し長い廊下を往復していると、庄之助がやってきた。


「りん、もうそろそろ上がれ。水茶屋に遅れるとお志摩さんに怒られるでな」


 はい、とりんは小さく頷き、雑巾と桶を片付けようと立ち上がった。


「りんは働き者だいねぇ。いい嫁さんになるべ。俺がいい嫁ぎ先見つけてやるに安心しろ」


 庄之助が優しく笑いかける。りんは何と答えてよいのかわからず、複雑な表情を浮かべた。


「まぁ、りんにはまだ早いべな。大人になるまでうちでゆっくり花嫁修業してればよかんべ」


 庄之助は良かれと思って発した言葉なのだろう。だがりんの胸に突き刺さった小さな(とげ)は、じわじわと痛みを広げていった。


 25歳の庄之助から見れば自分はまだ子供なのか。そういえば勇次は何歳なのだろう? 二十歳(はたち)は過ぎているだろうか。それとも見た目が若いからまだ二十歳前かな、などと想像する。


 だとしても15歳の娘からすれば二十歳はかなり年上で大人だと感じてしまうもの。氷川神社で勇次と一緒にいた女性もりんから見れば相当大人だ。やはり勇次も自分を子供としか見ていなかったということか。


 ——大人は口吸いくらいなんとも思わないんだろうな。


 たかが口吸いで一喜一憂している自分はまだ子供なのだろう。


 奉公先からの帰り道、りんはふと思った。何故子供の自分が飯盛り女として男の相手をすることができるのだろう。大人の男といやらしい行為をしなければならない飯盛り女は、子供の自分に務まるのものなのだろうか。りんは首を傾げた。


 大人の男目線から自分がどのように見えているのかがとんとわからない。


 庄之助はいつまでも子供扱いする。一方で勇次は他言無用の大切な話を打ち明けてくれた。所々難しくてよく理解できない内容もあったが、丁寧に説明し、真摯(しんし)に向き合ってくれたではないか。


 頭の整理がつかないうちに家に着いてしまった。水茶屋へ行く前に父に薬を飲ませなければと薬箱の引き出しを開ける。


 ——あれ、あと1回分しかない。


 残りわずかだった薬を切らしてしまったようだ。しかし、追加分を買おうにも金がない。


 りんは父に最後の薬を飲ませると、水茶屋へ行く前に熊次郎宅へ寄ることにした。

次回は第28話「りん、真相を知る」です。

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