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第22話 氷川神社参拝

【前回のお話】

 許嫁との待ち合わせをすっかり忘れていた勇次。

 この際きっぱり縁談を断ろうと重い腰を上げる。

 一方、りんの家には幼馴染たちがやってきていた。

 戸の外に立っていたのはりんの幼馴染3人だった。


「今からみんなで氷川さん行くだに、りんも一緒に行くべ」


 参拝ついでに結び玉さ拾いに行ぐべ、と娘らはきゃっきゃとはしゃいでいる。


「うん、おらも行ぐべ!」


 りんは父に氷川神社へお詣りしてくると伝えると、喜び勇んで村娘たちの後を追った。心なしか父の顔がほっとしたように見えた。






 一番年上のさちは17歳。彼女を先頭に皆が後をついてゆく。


「綺麗な結び玉見つけるべ」


 年頃の娘たちは、境内でよりよい小石を見つければ、それだけ良縁に恵まれると本気で信じている。


 彼女らの関心はもっぱら恋話。どんな人と結ばれたいか、理想の夫像などなど思春期特有の他愛ないものばかり。


「おら、優しい人がいいなぁ」


 と16歳のなつが言えば、


「おらは、火消しみたいに強い人だいねぇ。畑が広いからいっぱい耕してくんねぇとな」


 と、りんと同い年のきぬが語る。3人はきゃあきゃあ笑いながら、次はりんの番だと促した。


「ん……と、おらも強くて優しい人が好きだべ。あと、()が綺麗でまつ毛が長くて、鼻がすっとしてて、髪は丁髷(ちょんまげ)じゃなくて、背はこのくらいで……」


 背伸びをし、手を高く翳したところでりんははっと口をつぐんだ。3人がりんをじっと見つめている。まずい、具体的に言い過ぎた、と後悔したが時すでに遅し。


「ちょっとぉ、りん。あに? あんた、ぼっとかすっと好きな人いるのけ?」


 一番年上のさちがにやにやしながら詰め寄った。誰? 誰? 庄之助先生? 意外と面食いだべな、と口々に言い合う。


「もしかして、もう付き合ってたりして?」


 さちの勘繰りにどきりとする。昨夜の唇の感触がまだ残っているのだ。朝目覚めたときからずっと余韻に浸っていたりんは、悟られないよう平静を装うのにも一苦労である。


「そんな人いないべ。呑龍(どんりゅう)さんの近くで役者を見かけて格好いいなぁって思っただけだべ」


 口から出まかせを言って取り(つくろ)う。やはり勇次のことは教えられない。


 ——あんしてだ?


 足が止まった。何故、教えられないのだろう。元非人だから? 朱座(あかざ)の住人だから? 傾城屋だから?


 ——制外者(にんがいもの)だから?


 勇次は堂々と紹介できない相手なのだろうか。人柄も見た目も申し分ない。何より自分は制外者がどうとかまったく気にしていない。なのに何故言えないのだろう。やはり自分も世間の目を気にしているということか。


「りん、あんした? 冗談だべ。りんみたいなチビスケに言い寄る男なんかいるわけなかんべな」


 さちの冷やかしにきぬがくすくす笑った。どうせ男と手もつないだことないのだろうと馬鹿にする。


 りんはむっとした。手ぐらいつないだことあるし、なんなら口吸いもしたべ、と言い返したかったが、そこはぐっと言葉を吞み込んだ。さすがにそこまで知られるのは恥ずかしい。


 それにおしゃべり三人娘のことだ。どこをどう伝って父に漏れるか、それが一番の恐怖である。


「みんなは手ぇつないだことあるのけ?」


 そう訊き返すのがやっとだった。だが、皆の反応は意外にも乗りが良い。


「あるに決まってるべ」


 おらは隣村の誰某(だれそれ)と、おらは何軒隣の息子とあそこの誰々と、という感じで平気で告白する。さらには、きぬの兄の話まで飛び出した。


「おらの(にい)やん、暮れに朱座行ってきたべ」


 えーやだー!とさちとなつが声を上げ、それでそれで?と続きを催促する。りんはどきどきしながら、自分が朱座に行ったことがばれませんようにと心の中でひたすら手を合わせた。


「なんだか夢心地でしばらく馬鹿みたいになってたべ」


 きぬがきゃはははと腹を抱えて笑うと、なつも大笑いした。何がそんなにいい気分だったのわからないと言うと、さちがふふんと上から彼女らを見下したように笑った。


「気持ち良かったからに決まってるべ」


「あんしてそんなことわかるんだ?」


 きぬが問うと、さちはしたり顔で衝撃的な発言をした。


「おら、もう最後まで済ましたに」


 きゃーーーーーっ!という娘たちの叫び声が沿道に響き渡った。さちがしーっと口に指を立てる。りんはきょとんとした顔で訊いた。


「最後って、あんだんべ?」


 3人の動きが一瞬止まった。え、もしかして知らないの?という(さげす)みの視線がりんに注がれる。


「く、口吸い……のこと?」


 恥ずかしそうに問い返すりんを見て、3人は爆笑した。


「りん、あんた、まさか、口吸いだけで赤っこができると思ってたのけ?」


 それともコウノトリが運んできてくれると信じているのか、とまたも馬鹿にする。


 言葉に詰まり呆然とするりんにさちが近づいた。あとの2人も一緒になってりんを取り囲む。りんを中心にして輪になった娘らは声を潜め、男女の行為について事細かに説明してやった。


「ええっ⁉」


 顔を真っ赤にして驚きの眼を開くりんを、さちときぬはあざけるように笑うばかりだ。なつは呆れ顔で首を振っている。


 りんは、芯から熱くなってゆく自分の身体をどうすることもできなかった。そんなことも知らずに飯盛り女をやろうとしていた自分が恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。


 飯盛り女はただ客と雑談したり添い寝をするだけ、やってもせいぜい口吸いまでだと思っていたのだ。まさか見ず知らずの男にそのようなことをされるとは想像だにしていなかった。あまりにも衝撃的で、途方もない厭悪に鳥肌が立つ。


 さちはそんなりんを尻目に、自慢話をはじめた。


「貫太さんだがね」


 さちの相手が村一番のガキ大将だった貫太と知って、きぬがはっと息を呑んだ。たった今衝撃の事実を知らされたばかりのりんも、驚きで再び声を失った。なつはすでに知っていたらしく、またその話かという顔で聞いている。今まではただ場の空気に合わせていただけだったようだ。


 貫太は子供の頃、村で一番のやんちゃ坊主だった。それもやんちゃなどという可愛い程度ではなく、本当に手の付けられない暴れん坊だった。りんもよくいじめられていたし、初潮が来たばかりの頃にはからかわれ、あろうことかいたずらされそうになったこともある。そのときはたまたま通りがかった庄之助に助けてもらい事なきを得たが、そうでなければ一生の傷を背負うことになったであろう。


 その貫太とさちが「最後まで済ました」という。しかもさちは自慢げに話している。したり顔で氷川神社の鳥居をくぐってゆくさちの背中に、どろどろとした嫌悪感が渦巻いた。


「りん、気にしなくてよかんべ」


 一つ年上のなつがりんにささやいた。さちは貫太と一度関係を持っただけで、それ以来相手にされていないのだと言う。遊ばれたと認めたくなくて、だから年下の者たちに自慢し羨望を集め、自尊心を保とうとしているのだと。


 りんはうつむいた。自分の心を守るためと言われても、攻撃の対象にされてはたまったものではない。


 もやもやとした気持ちを抱えながら、りんも一番後ろから鳥居をくぐった。


 元旦の氷川神社は多くの参拝客で賑わっていた。背の低いりんは皆とはぐれないよう必死でついてゆく。


「きゃっ」


 先頭にいたさちが参拝客とぶつかったようで声を上げた。


「おっと、大丈夫かい?」


 よろけるさちの肩をぶつかった男が支えた。その男の顔を見たさちが瞬時に頬を赤らめる。


「元日は人出が多いからな、気をつけるんだぜ」


 優しい笑顔で言い残し、男は人込みの中に混ざっていった。さちはポーっと顔を赤くしたまま男に見惚れている。なつが後ろから声を掛けた。


「ちょっと、さち、今の人、えら二枚目だったべな?」


「うん。()が綺麗で、まつ毛が長くて、鼻がすっとしてて、総髪が似合ってて……」


 それに優しそうで、肩を支えてくれた手も力強くて、言葉遣いも火消しみたいに(いき)で……とさちはうっとり答える。きぬも、うんうんと同調した。


「りんも見たべ? えら色男だったべな?」


 なつの声でりんははっと我に返った。


「おら、チビスケだに、よく見えなかったべ」


 えへへ、と笑う。だが、りんにはすぐわかった。あの男は勇次だ。昨夜、至近距離でずっと見ていた顔、しかも口吸いまでした相手を見間違えるはずがない。彼もまた氷川神社に来ていたのだ。チビスケの自分は幼馴染らの陰に隠れてしまい、彼は気づかなかったようだが。


 そうだ、皆が勇次のことを絶賛している今、もし自分が彼と恋仲だと知ったらどんな顔をするだろうか。きっと羨ましがるに違いない。さちなどは地団駄を踏んで悔しがるだろう。そうすれば先ほど馬鹿にされた意趣返しとなり、少しは気が晴れるかもしれない。


 りんは勇次を探そうと顔を上げたが、大勢の参拝客で埋もれてしまい、人一人探すのは至難の業だった。


 そのとき、勇次をもう一目見ようと彼を探していたさちが憮然とした声を上げた。


「あ、女の人と一緒にいるべ」


 がっくりと肩を落とすさちを2人が慰める。


「あんな素敵な人だべ。相手がいるに決まってるべ」


 うなだれる3人の後ろで、りんは呆然としていた。


 人込みの隙間から一瞬だけ垣間見えた勇次の姿。その彼にぴったりと寄り添うようにして、振り袖姿の美しい女性が話しかけていた。


「おら、もう帰るべ。おとうちゃんに薬飲ませるの忘れてたべ」


 そう3人に告げると、りんは人込みを掻き分け、本殿裏手へと駆け出した。


「あっ、りん!」


 咄嗟になつが叫んだ。その声に勇次が反応し、振り返る。


 ——りん?


 振り返った勇次が自分たちのほうへ顔を向けたものだから、さちときぬはきゃあっと口に手を当てた。なつ一人がりんを気にかけている。


 勇次はなつの視線の先を追った。しかし、人波に埋もれた小さなりんは、勇次の視界には入らなかった。


「勇次さん、どうしたの?」


 彼に寄り添っていた女性、お染がくいと袖を引く。いや、なんでもない、と一旦は前を向いたが、やはり気になって仕方がない。


「お染お嬢さん、ちょいとお神楽殿のところで待ってておくんなせぇ。すぐに戻ってきます」


 そう言うやいなや、勇次は本殿裏手へと回った。

次回は第23話「お染の提案」です。


【余談】

江戸時代のモテ男は火消し、与力、力士だそうです。

この物語は明治時代に入ったばかりなので、まだ江戸時代の価値観が残っていたのではないでしょうか。

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