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非公許遊郭かくし閭(ざと) 巻の壱《制外者編》  作者: 阿羅田しい
第4章 大晦日(おおつごもり)
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第14話 それぞれの思い

※作中に歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションなので実在の人物とは一切関係ございません。


【前回のお話】

 2年半行方不明だった竜弥は、京都で陸奥陽之助という紀州藩士と出会っていた。

 そこで陸奥に『かくし閭』の存在を明かす。

 朱座遊郭は遊神が結界を張って守っている——。


 それを聞いた陸奥は、んんっ?とさらに首を傾け、白い溜め息をついた。


「しょうもない嘘ついたらあかん。御伽草子の読み過ぎやで」


「嘘つきに嘘つき呼ばわりされるたぁ思わなかったぜ」


 陸奥はにやにやする竜弥の顔を覗き込んだ。線のように痩せた月明かりではよく見えないが、左の泣きボクロが醸し出す色気に気づいた。意外と男前かも、とやけに感心する。と同時に、とても嘘を言っているような表情には思えなかった。


「そない大事なこと、初対面の人間にべらべらしゃべってもうてええのか? あんなぁ、わえ、紀州藩士とは言うたが、どこで仕事しとるかまでは言いやんで」


 だが竜弥はしれっと薄衣を羽織る。陸奥は目を据えた。


「わえが新政府の役人やったらどないするん? せっかく隠し通しちょった遊郭がばれてまうんやで」


 陸奥の言葉に顔だけ向け、竜弥は三味線を肩に担ぎ直して腰に手を当てた。


「俺はなぁ、遊郭なんかこの世からなくなっちまえばいいと思ってんだ」


 言い切る(ひとみ)の奥が鋭く光る。陸奥はぶるるっと頭を振った。


「待て待て待て。遊郭がなくなってもうたらわえら男はどないしょう? 男の楽しみ奪ったらあかん。おまはんも男ならそれくらいわかるやろ」


「女房と楽しんでりゃいいだろ」


「世の中、そないな男ばっかやない。女がおらん男がその辺の若い娘を犯さへんように遊女っちゅう生業(なりわい)は必要なんやで」


「その辺の娘が犯されねぇように、誰が男の相手をしてやってると思ってんだ?」


 言わずもがな、心ならずして連れてこられた貧農の娘、あるいは奴刑(しゃつけい)の女たちだ。遊郭で生まれ育った竜弥は、遊里の仕組みを誰よりも理解している。


 遊女は経済力のない親に代わって家族を支える孝行娘と讃えられ、年季が明けて帰郷した後は(さげす)まれることなく普通の暮らしに戻れる。娼婦を蔑視する外国では考えられないこの独特な民族性により、彼女らも喜んでその身を差し出した——というのは建前の話。本音では、誰が好き好んで見ず知らずの男に体を差し出したいものか。


「ははぁ、わかったで。おまはん、遊女ん中に惚れた女があるんやろ?」


 惚れた遊女がほかの客に抱かれるのを良しとしない男もいる。


「けっ、くっだらねぇ。女郎と若い衆の色恋沙汰はご法度なんだ。そんなもん、いるわけねぇだろ、ばーかばーかばーか」


 竜弥はれろれろと舌を出した。馬鹿と3回も浴びせられて苛っとする陸奥の視線は十割無視だ。


「弾左衛門が平人に上がった今が、俺たち傾城屋が奴の支配から抜け出す絶好の機会なんだ」


「弾左衛門……。おまはん、何がしたいんや?」


 何ためにわざわざ遠く離れた武州から上方までやってきたというのか。


「あんたにゃ関係ねぇよ。とにかく、俺の邪魔する奴は容赦しねぇ。あんたがどんなに逃げ足速かろうが、地の果てまでも追いつめてやる。俺だって足にゃ自信あるんだぜ」


 それだけ言い捨てると竜弥は踵を返し、駆け出した。


「ちょい待ち!」


 陸奥が呼び止める。竜弥はぴたりと足を止めた。


「まだなんか用か?」


「おまはんとこの妓楼、屋号はなんやったかな?」


「邑咲屋だ」


「むらさきやか。かっこええなぁ。漢字は? 今度東京行ったら川越まで遊びに行かしてもらうわ」


 竜弥から邑咲屋の漢字を教えてもらうと、陸奥はにっこり手を振った。


 間もなく新月を迎える師走の夜に、チャラチャラというベタガネの音だけ残し、薄衣がひらり、白人の波へと消えていった。






「陽さん、今の男は?」


 さらにまた一人、若い男が暗闇の中から姿を現した。


(たく)、生きちょうったか。もしかしたらあの男、おまはんと気が合うかもわからへんで」


 陸奥に卓と呼ばれたのは大江卓造——かつて坂本龍馬率いる海援隊と共に、陸援隊として倒幕運動に邁進した仲間である。海援隊には陸奥も所属していたため、彼とは旧知の仲だ。それだけではない。大江は徳川御三家の紀州藩を幕府から引き剝がし、存亡の危機を救っていた。そのことからも、紀州藩士の陸奥と大江は浅からぬ縁がある。


「何者がですか?」


「武州の傾城屋やて」


「傾城屋?」


 大江は身を陸奥の真正面に向けた。陸奥が垂れ目の目尻をさらに下げ、ほくそ笑む。


「興味あるやろ?」


 陸奥の言葉を聞き、大江の脳裏をある光景がよぎった。


 土佐出身の大江が神戸へ渡り、初代兵庫県知事伊藤博文の(もと)、外国事務所で勤務を始めたのはまだ今年のこと。そこで偶然、近くの賤民(せんみん)部落の存在を知った彼は激しい憤りに見舞われることとなった。


 河川敷の掘っ立て小屋に所狭しと押し込められた賤民たち。牛馬の屍から皮を剝ぎ、手慣れた様子で(なめ)してゆく。その傍らには真っ赤に染まった血の川。これから文明を切り開いてゆこうと高らかに謳った明治の幕開けで、新時代から逆行したかのような暮らしを強いられた者たちに、不覚にも憐憫の情を抱いたのだ。


 悲憤に駆られる大江の肩に、陸奥がポンと手を置く。


「あの男、弾左衛門に支配されちょる傾城屋をえらい(きろ)うちゃある」


「弾左衛門……、東の賤民をまとめる穢多頭」


「そうや、おまえが()うてみたい()うてた男やのし」


 懐手に戻して、竜弥が走り去った方を見遣る。


「さっきの男な、自分のこと制外者て言うちょったで」


「制外者ちゅうことは……抱え主?」


 傾城屋の妓楼主かもしれぬと推し量った大江は、やにわに嫌悪の表情を示した。八徳を忘れた忘八者(くつわもの)がなぜ自分と気が合うというのか。


 眉を(ひそ)める彼を見て陸奥は首を横に振る。


「あんなぁ、傾城屋を嫌うちゃるゆうたやろ。なんや、思いつめた目ぇしちょうたで」


 竜弥の尖鋭(せんえい)な眼差しを思い出す。(とが)っているのに憂いも併せ持った()。忘八者と呼ぶにはあまりにも繊細だ。


「卓、おまはんの()とよう似ちゃある」


 遊郭などこの世からなくなってしまえばいい——。


 そう言い切った竜弥の瞳は、賤民部落の実態を目の当たりにしてしまった大江のそれとよく似ている、と陸奥は思った。


「陽さんは? なんとも思わんのですか?」


 大江が竜弥に似た瞳を陸奥に向ける。


 陸奥は幼少の頃、紀州藩の重臣であった父親の失脚によって一家離散を余儀なくされた過去があった。和歌山城下を追われ、紀ノ川で窮乏を極めた暮らしを耐え忍び、高野山に入った後に江戸へと向かう。父の影響から尊王攘夷派となった彼は諸国を渡り歩き、勝海舟、坂本龍馬、中岡慎太郎等々名だたる志雄らと親交を温め、外国事務局御用掛という新政府の要職にまで上り詰めたのだ。


 広範な経験と知見を持った彼が、「制外者」と聞いて何の思惟(しい)も動かさぬはずがない。はずなのだが——。


「わえ? わえはそんなん興味ないわ」


「なんでです?」


「うーん、士農工商とか穢多非人とか()われても、違いがようわかれへん。制外者? 人別帳から外れたもんやさけ人とちゃうて? いやいや、わえにはみぃんな同じ人間に()えるで。化け物にはよう()えへん。人間は人間や。わえらとおんなじ人間やのし」


 坂本はんが生きちょうたら同じこと言うてたで、知らやんけど、と陸奥は屈託なく笑った。


 260年余り徳川御三家として幕府と肩を並べてきた紀州の言葉に敬語は存在しないと云われる。それはむしろ、上も下もないという意識を反映しているのだろうか。


 一方の大江は、上士と下士では扱いに雲泥の差があったという身分差別を目の当たりにして育った土佐者だ。紀州の陸奥とは真逆の価値観ゆえ、二人は相容れないのかもしれない。


 それでも彼らは互いの才を認め合っている。


 陸奥はすたすたと歩き出した。


「ちょっと、陽さん、待っちょってください」


「早よ行かやんと島原の門が閉まってまうやろ」


「もうとっくに閉まっちょりますて」


 えええええ⁉と陸奥が()頓狂(とんきょう)な声を上げて振り返り、地団駄を踏む。せっかく神戸から大江を呼び出して、今年最後の遊郭を(たの)しもうと思っていたのに、とんだ道草を食ってしまった。ああ、おとろし。


 まっこと()ったなお人ぜよ……と大江が溜め息交じりに呟く。年末のこのくそ忙しい時期に、時間を割いてわざわざ神戸から来たというのにこの仕打ち。呼び出されたこちらにとっては大迷惑。これはいったい何の罰なのか。


 二人は違う意味で憮然とし、先斗町の岡場所で夜を明かすべく、肩を組んで歩いていった。






 ところ変わって大晦日の朱座遊郭。今年最後の営業日ということもあり、遊女たちは浮足立っている。


 大晦日は客を泊めず、いつもより早い四ツ(午後10時頃)に大門を閉めるため、少しは楽ができるのだ。普段質素な飯ばかり食わされている遊女たちにとって、(はまぐり)蕎麦を食べられる大晦日はこの上ない楽しみでもある。


 遊女や禿たちが蛤蕎麦を買いに行っている間、勇次は、年越しの準備で忙しい使用人たちに代わって遊神孔雀の座敷の火鉢に炭を足していた。


「勇さん、今度の()とは上手くいきそうかい?」


 孔雀が勇次の横顔に向かって声を掛ける。


「うーん、まだ2回しか会ってねぇから何とも言えねぇな」


「勇さんのことだ、もう抱いたんだろ?」


「いや、まだだ」


 はあっ⁉と見えない眼を見開いて、孔雀は大袈裟に驚いた。


「勇さんが? この勇さんが? 2回も会ってるってのにまだ抱いてないだって?」


 今宵はきっと雪が降るに違いない、と、ぶるるっと震えてみせる。その様を見て勇次は、けっと苦笑いした。


「勇さんにしちゃ珍しいね。もしや今度は本気(まじ)惚れかい? こんなの初めてじゃないかえ?」


「ああ、自分でも驚いてるよ」


 孔雀は遊女として420年も生きているのだ。色恋のことで隠し事などしたところですべて見透かされてしまう。


「でもなぁ……」


 勇次は手を止め、考え込んだ。

次回は第15話「遊神様の恋」です。

舞台は川越に戻ります。


【備考】

大江卓造が賤民部落の実態を目の当たりにした時期は諸説あります。


【一口メモ】

この時代は男性の人口のほうが多かったので、自動的に男性の未婚率が上がったのでしょう。

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