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非公許遊郭かくし閭(ざと) 巻の壱《制外者編》  作者: 阿羅田しい
第4章 大晦日(おおつごもり)
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第13話 竜弥

今回から第4章「大晦日おおつごもり」に入ります。

尚、歴史上の人物が登場しますが、この物語はフィクションなので実在の人物とは一切関係ございません。


【前回のお話】

 勇次はりんに遊郭の厳しい現実を突きつけ、泣かせてしまう。

 なんとも後味の悪い再会となってしまった。

 べべん……チャラリ。


「離しとくれやす! どうか、どうか堪忍して!」


 夜も更けて、京の町が寝静まった四ツ半(午後11時頃)、鴨川の(ほとり)を女が一人逃げている。男たちに追われているようだが、女の足で逃げ切れるはずもなく、程なく団栗(どんぐり)の辻子で捕まった。


 べべん……べんべん……チャラリチャラリ。


「恨むんなら亭主を恨みぃ。ツケだけ残して逃げよったおまえの亭主をなぁ」


 年末の掛け取りから逃れ行方をくらました亭主の代わりに、女房が身売りされたらしい。追手の男たちは(ぽん)()町もしくは宮川町の若い衆か。


「嫌や! 誰か、誰か、助けておくれやす!」


 助けてくれと言われて助けてやるほどのお人好しはいない。ここは京都宮川町を東西に横切る団栗の辻子。


 今年初めの鳥羽伏見の戦いで焦土と化した京の町は復興の途を辿っていた。が、家や家族を失った(しろ)()と呼ばれる私娼たちは居場所もなく(あふ)れ、彷徨(さまよ)う。


 島原遊郭の東西門が閉じられた夜更けには、男たちが白人たちを求めて徘徊する。見ず知らずの女の叫びなど、誰がかまうものか。


 ただ、一人を除いては。


 べべん……と三味線の音が傍に立つ。びくっと身を震わせ、男たちが振り返った。


「なんや、瞽女(ごぜ)か。びっくりさせよって」


 薄衣をすっぽりと被ったその顔をのぞき込み、二度びっくりする。


「男かいな!」


 散切りの前髪から眼をぎらつかせていたのは男だった。


 べん! と三味線の音が響き、途絶えたと思った次の瞬間——。


 瞽女と間違われた男が手にしていた(ばち)で一人の男の額を掻っ切った。その間、瞬きほど。


 残った男たちが震え上がる。


「先生! 先生! お願いします!」


 先生と呼ばれた浪人風情の侍が飛び出してきた。用心棒だ。


「刀の(さび)にしてくれる」


 用心棒は刀を抜くやいなや、三味線弾きの男に斬りかかった。


 ひらり……。用心棒が刀を抜いた時にはすでに三味線弾きの身体は宙を舞っていた。


 とんっ……。雪駄のベタガネで用心棒の顔を踏みつけたかと思うと、三味線弾きはチャラリと華麗に着地した。


 用心棒は急所を突かれたのか、そのまま気を失い、やおら後ろに倒れた。目を白黒させた男たちが焦りも隠さずに問う。


「お、おまえ、何者や?」


「おめぇらに教えてやる義理なんざねぇよ」


 少しかすれた声でぶっきらぼうに答える。薄衣からちらりと垣間見える長い前髪から鋭い眼光が放たれた。


 男たちがごくりと唾を吞み込むと、背後からまたも別の侍が現れた。こちらは見るからに気品漂わせる風貌だ。


「ほいたら、わえに教えてくれへん?」


 紀州弁でおっとりと問いかける。三味線弾きは即答した。


「やなこった」


「ほいたら、わえと勝負せぇへん? 勝った方のゆうこと聞くちゅんでどうや?」


「面白れぇ。俺が勝ったら3編回ってワンと鳴け」


「ええで」


「それから赤フン一丁で清水の舞台で腹踊りしながら惚れた女の名前を叫んで飛び降りて一気に駆け上がって来い」


「……ええで」


「それから、」


「ああもう、ええわ! やるで!」


 侍が叫ぶが早いか、浪人姿の男たちが路地から一斉に飛び出し、三味線弾きをあっという間に取り囲んだ。


「きったねー! この嘘つき野郎!」


「一対一とは言いやんで。おまはんが勝手に思い込んどんや」


 言うなり侍は(きびす)を返し、脱兎のごとく逃げ出した。


「あっ! 待ちやがれ!」


 武士のくせして敵に背を向けるとはなんという腰抜け野郎だ。しかも速い。


 三味線弾きは慌てて後を追おうとしたが、浪人たちに囲まれては身動きが取れない。仕方なく彼らを先に片付けることにした。薄衣を脱ぎ捨てる。


 多勢に無勢、加えて武器は三味線の撥のみ。このような丸腰同然の相手に勝負を挑むとはあの侍、とんだ食わせ物だ。


 だからといって動じる三味線弾きではなかった。三味線と撥を投げ捨てた彼は先程のような華麗なる動きで浪人どもの太刀筋をひらりひらりとかわし、ついには一人の浪人の(つか)を片手で捕まえた。と同時に浪人の脇差をもう一方の手で引き抜き、切っ先を他の者たちに向けたのだ。


 その場にいた者たちの誰が彼の早業を目に焼き付けることができただろうか。至近距離で脇差を抜かれた浪人でさえもそのことに気づくことができなかったのである。


 浪人たちは動きを止め、じり……と彼を凝視した。細い月明かりでは顔はよく見えないが、得も言われぬ殺気を覚え、次の動作に移ることができなかった。


「はい、そこまで」


 逃げたと思ったさっきの侍が姿を現す。彼を見て、浪人たちが一斉に刀を下ろした。殺気が消える。


「ふーん、なかなかやるやん。流派は?」


「神道無念流」


「神道無念流……てどこやったかな? ああ、人にもの尋ねるときにはまず自分から言わなな。わえはなぁ……」


「噓つき野郎にゃ興味ねぇよ」


「……」


 とりあえず浪人たちを引き揚げさせると、侍は突然あはあはあはと乾いた笑いを星夜に響かせた。


「わえ、“嘘つきの小次郎”てよう言われたわ。坂本はんにもなぁ、仲間に憎まれて寝首掻かれんよう気ぃ付けるぜよ、て言われたなぁ」


「坂本? ぜよ?」


 三味線弾きがその名にピクリと反応する。


「坂本龍馬か?」


「おー、知っとるん? まぁ、もうこの世にはあれへんけどな。わえみたいに逃げ足速かったらなぁ、もう少し長生きできたんとちゃうんかな」


 侍は腰の物をポンポンと軽く叩き、ふっと星空に白い息を吐き出した。


「坂本はんな、こんなんのうても食うてけるんは自分とわえだけやゆうてくれたんやで」


 剣術の苦手な自分にとっては心強い言葉であった、と目尻を下げる。


「あんた、いったい何者なんだ?」


 三味線弾きがたまらず問う。侍は諭すような眼差しを向けた。


「人に名を尋ねるときはまず自分から名乗るもんやで」


「名前なんか()ぇ。俺は人別帳にも載らねぇ制外者(にんがいもん)だ。この世に存在しねぇ人間なんだ」


 伏し目がちに答える三味線弾きの言葉に、侍は一瞬驚いたように瞳孔を開いたが、やがてふっと肩の力を抜いた。


「わえの名は陸奥陽之助、紀州藩士や。あ、これは嘘とちゃう、ほんまやで。小次郎ゆうのは故郷(くに)にいた頃の名前や」


 自身の名を明かしたことで緊張感が解けたのか、一歩だけ三味線弾きに近づく。


「もう、侍の時代はしまいや。刀なんかいらんようになる。せやけど、この日本にはまだそのことがわかれへん輩がようさんあるんや。せやさけ弱いわえは卑怯な手を使(つこ)てでも嘘つき呼ばわりされても、自分の身は自分で守らやんとならんのや」


 さらに距離を詰め、顔を寄せる。


「おまはんみたいに武器がのうても戦える男はええ。せやけど、戦う(すべ)て、それだけやないで」


「……?」


 うつむいたままの三味線弾きは斜め下から上目遣いで陸奥を見た。陸奥は構わず続ける。


「人間は言葉を持っちゃる。武器なんぞに頼らやんでも、膝突き合わせてとことん話し()うたらええ。そうは思わへんか?」


 同じ卓を囲んでグラスを片手に口論する異国の人間たち。それを見た日本人は驚愕と感銘という衝撃に胸を轟かせたという。


 喧嘩と云えばすぐに血の雨が降る我が国とは何たる違い。このままでは世界から取り残されてしまう。それにいち早く気付く時代の先駆者がいなくては、文明は開化されないのだ。


「おまはん、さっき自分のこと制外者ゆうてたけど、この世に存在しやん人間なんてあるんかな?」


 陸奥はふんっと呆れたように鼻を鳴らし、三味線弾きを指差した。


「目の前にあるやないか。わえと通じる言葉、使(つこ)てるやないか。言葉のわかれへん異国の奴らかて話が通じるんや。同じ国に生まれとんのにあれやんなんておかしいで」


 陸奥は、さっきからずっと黙って聞いている三味線弾きに穏やかな笑みを向け、訊ねた。


「名前、あるんやろ? 親にもろた名前が」


 三味線弾きは一瞬躊躇(ためら)うように目を閉じてから、やおら瞼を上げ、しっかりと陸奥の眼を捉えた。


「竜弥」


 その名を聞いた陸奥は嬉しそうにうんうんと(うなず)いた。


「たつや、か。どないな字ぃ書くんや?」


 竜弥は、土竜(もぐら)の「竜」に弥栄(いやさか)の「弥」であると答えた。


「弥栄の竜て、かっこええ名前やなぁ。親に感謝しちゃあり。で、故郷(くに)はどこや?」


「武州……川越」


「こらまたえらい遠くやなぁ。うんうん、川越な。焼き芋美味いの知っちょるで。江戸で流行(はや)っちょったやつや。わえ、好きやで。10年くらい前に江戸におったことあるさけ、たまに()うて食うてたで」


 陸奥が垂れ目の優しい顔で懐かし気に語る。そんな彼から照れ臭そうに目を逸らし、竜弥は追われていた女に近寄った。ずっと腰を抜かしていたようだ。追手の男たちはいつの間にやら逃げていなくなっていた。女の腕をむんずと引き上げ、背中を軽くトンッと押す。


「とっとと()ぇれ」


 帰ったところで明日になれば再びあの男たちが連れ戻しに来るだろう。だが、今の自分にはどうしてやることもできない。


 女はぺこりと頭を下げ、白人の闇の中へと走り消えていった。どこか遠くへ逃げてくれればいいが、おそらく女の足では逃げ切れまい。関所も越えられずに捕まるのが落ちだ。そして、その先にある苦界を自分は知っている。


「へぇー、優しいとこあるやないか。ああゆうのが好みなん?」


 陸奥が感心したように吐息を漏らす。


「んなわきゃねーだろ、あんな芋女」


 薄衣、三味線、撥と順に拾い上げながら、竜弥は吐き捨てた。


「俺は傾城屋の息子だ。だからあの女の末路はだいたい察しがつく」


「傾城屋の息子? おまはん、遊郭の生まれなん?」


 陸奥の問いに竜弥が頷く。陸奥は納得いかないといった表情で詰め寄った。


「そらおかしいやろ。川越藩は廃娼藩やのし。遊郭なんぞあったらあかんやつや」


「それがあるんだよ。かくし(ざと)ってのが」


「かくし閭? なんや、それ? 初めて聞いたわ」


 陸奥は襟元から懐手していた手を出し、(あご)をさすった。竜弥が短く答える。


「非公許遊郭のことだ」


 なんとなく話が見えてきたのか、陸奥は頷きながらずっと顎をさすっていた。


「ははぁ、なるほどなるほど。幕府や新政府に見つかったらあかんやつやな。せやさけ藩ぐるみで隠しとんのやな」


 そこで、んっ?と首を傾げる。


「せやけど、どうやって? あんな派手なとこ、ごっつ目立っちゃある。隠しようないわ」


「遊神ってのが結界を張って、外から見えねぇように守ってるんだ」


 それを聞いた陸奥は、んんっ?とさらに首を傾け、白い溜め息をついた。

次回は第14話「それぞれの思い」です。

竜弥編、続きます。


【用語解説】

瞽女ごぜ:盲目の三味線弾きの女性。旅芸人。

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