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第11話 遊郭見学

【前回のお話】

 結界の中、朱座あかざ遊郭の華やかな世界を目の当たりにして度肝を抜かれるりん。

 彼女と再会した勇次は浮かれ気分でめかし込むが、姉のお亮に釘を刺される。

 りんに見惚れていた勇次は、姉にどつかれ我に返った。


 きりりと眉尻を上げ、鍋に手を伸ばす。


「里芋の煮っ転がしは好物だ。ありがたくいただくよ」


 嘘をつけ、初耳だ、とお亮たちが冷たい視線を突き刺す中、りん一人が固唾を呑んで見守る。勇次は里芋を一口で頬張ると、瞬間目を見開き、固まった。


「お口に合わねぇべか?」


 りんがおずおずと訊く。勇次は両目を手で覆い、肩を震わせた。


 ——う、美味(うめ)ぇ。なんだ、これ? 所沢の里芋より100万倍美味ぇじゃねぇか。里芋ってこんなに美味ぇ食いもんだったっけ?


 今までは所沢に勝る里芋はないと思っていた。なのに、これはなんだ。柔らかだが歯ごたえも残る食感。からみつく甘辛いタレが芋の芯まで染み込んでいる。こんな美味い手料理を毎日食べられたらさぞかし幸せに違いない。


 里芋を食べたきり黙りこくってしまった勇次の顔を、りんが心配そうにのぞき込む。背後で甚吾郎が「美味すぎて泣いてんだよ」と笑った。


 勇次は袖で涙を拭き、美味ぇ美味ぇと残りの里芋を一気に平らげた。すっかり胃袋を鷲掴みにされてしまった彼はすべてを飲み込むと、りんをじっと見据え、口を開いた。


「りん、俺の……」


 嫁になってくれ——と言いかけたときだ。


「お亮! お亮! どこ行った⁉ お亮!」


 やかましい怒鳴り声が妓楼に響いた。どうやら伊左衛門が目を覚ましたらしい。この大声で遊女たちも目を覚ましてしまうだろう。お亮が、はいはい、と急いで中に駆け込んでいく。甚吾郎は天を仰ぎ、半十郎は肩をすくめた。


 勇次は怒りにわなわなと拳を震わせていた。どうしてあのおっさんは毎度毎度俺の邪魔をするのか、と。


 ほとんど留守のくせして、たまに帰ってきたときには偉そうにふんぞり返っている。見世の金をただ浪費するばかりでなんの利益ももたらさない。なのに金にはがめつく、冷酷無慈悲で自分勝手、まさに忘八を絵に描いたような男である。


「おい、勇次、伊左衛門さんに見つかると面倒だ。その娘連れて早くここから離れろ」


 甚吾郎の言葉に半十郎もうんうんと(うなず)いた。確かに、こんな上玉を見たら邑咲屋で買うと言い出しかねない。


 忠告通り、勇次は鍋の取っ手を掴むやいなや、りんの手を引き路地を駆け抜けていった。






 表通りに出ると、勇次はまず邑咲屋の暖簾を指差した。


「あの邑咲屋ってのがうちの見世だ」


 御伽草子でしか見たことのない世界にりんは瞳をくるくるさせた。


 初雁城本丸御殿の玄関はこんな感じなのだろうか、2階建ての色鮮やかな楼閣は近江屋さんの蔵造りとは全然違う、などと想像を巡らせる。張見世の朱塗りの格子に目を()れば、眩し気に瞬いた。


 勇次は、あの格子は(まがき)と言って見世の規模によって形体が違うのだと教えた。


「ほら、隣の見世、見てみろ」


 言われてりんは、隣の『金舟楼』と大きく白抜きされた朱色の暖簾に目を移した。こちらはもっと立派な楼閣だ。


 暖簾の横に見える籬は大籬と言って、総格子状になっている。これは大見世の特徴だ。対して中見世の籬は半籬。邑咲屋は中見世だからこれ。右上四分の一だけが空いている。以下、小見世は小籬で上半分が空いていて、全部空いているのが切見世だ、と説明した。


「提灯がえらぶら下がってるんだな。あれ、夜になったら全部()くのけ?」


 妓楼の軒下に並ぶ提灯をりんが指差す。


「ああ。夜なのに昼間みてぇに明るいから、遊郭は不夜城なんて呼ばれてるんだ」


 りんは、ほーっと小さな身体いっぱいを使って大きな溜め息を吐き出した。通りに植えられた寒桜が可愛らしい薄紅の花を咲かせている。道端には何故だかわからないが季節外れの花々が咲き乱れ春めいていた。


 引手茶屋を通り過ぎながら一町ほど歩いていくと、がらりと様相が変わった。妓楼ではない店が立ち並んでいる。


 飯屋、居酒屋、小間物屋、青屋、鋳物屋、土鍋屋、太物屋、履物屋等々生活必需品が取り揃えられており、遊郭内だけで生活が完結できるようになっている。この時間はまだ開店前なので静かだが、開店すれば朱座の住人だけでなく客も利用するので賑やかになる。


「お、邑咲屋の若頭、新しいコレかい? あんたも隅に置けないねぇ」


 開店準備をしていた団子屋の店主が小指を立て、気さくに声をかけてきた。勇次が「まぁね」と(いな)()に受け流すとりんは頬を染めた。


 ほかにも、いい天気だねぇ、とか、今年もお世話様、など会う人会う人、笑顔で挨拶してくる。都度、勇次も愛想好く応えている。一緒にいるりんも次第に気分が良くなり、ならってにこにこお辞儀した。その度に勇次は目を細くする。


「みんな、普通の人だいねぇ」


 りんの表情に安堵の色が広がった。勇次が苦笑いする。


「化け物がいるとでも思ってたか?」


「うん。だって、外から見えないし、それに……」


「それに?」


 問われてりんは少し遠慮がちに告げた。


「おとうちゃんが、朱座の者はみんな制外者(にんがいもの)だって言ってたに。だから、おら、朱座には人じゃない何かがいるのかと思ってたべ」


 勇次は空を見上げ、あはははと大笑いしてから、ある方向を指差した。


「あれ、化け物に見えるか?」


 彼が指し示した先では、片腕のない傀儡師(くぐつし)が人形を回しながら今様(いまよう)を唄っている。


「ううん。人だがね」


「じゃあ、こっちは?」


 長屋の奥で作業していた男と目が合い、勇次が軽く会釈する。男もにこりと笑顔を返した。


「人にしか見えねぇべ。何する人だ?」


「あれは筆結と言ってな、動物の毛で筆を作るから()()の支配下に置かれてるんだ」


「あんして?」


「動物の毛を取るために殺生をするからさ」


 殺生と聞いてりんがぎくりとした。少々刺激が強かっただろうか。しかし彼女も、自分が使っているであろう筆が、どのような過程で作られているのか知っていても良いのではないか。


「穢多の仕事は殺生がつきもんだから忌み嫌われてるけどな、人々の生活になくてはならないものを作ってるんだ」


 りんは真剣な表情で勇次の話を聞いていた。


「あいつは耳が聞こえねぇから朱座に追いやられてきた」


「可哀想だいねぇ」


「どこが可哀想なんだ?」


「えっ……」


 勇次は答えに(きゅう)しているりんを見て、意地悪だったかなと少し反省した。


娑婆(しゃば)(しいた)げられるより、ここにいた方がよっぽど人間らしく生きられるぜ」


 穏やかな声で答えてやると、りんの表情もぱぁっと明るくなった。


「そっかぁ、よかったぁ」


 若さなのか生まれつきの性格なのか、実に素直な反応だ。この純粋さを(けが)したくないな、と率直に思う。


 りんは、奢侈(しゃし)と現実、その両極端な世界を目の当たりにし、戸惑いつつも受け入れようとしている。勇次はその姿に心惹かれていく自分に驚いていた。


 と、しばらく歩いたところで、咄嗟にりんの手を引っ張った。


「そっちには行かなくていい」


 りんは、なぜ行くなと言われたのかという疑問よりも、ふとあることが気になった。さっきから勇次とずっと手をつないでいたのだ。


「あの……、もう手ぇ離してくれてもよかんべ。おら、もう子供じゃねぇ。一人で歩けるだに」


 この時代、男と外を歩くことは基本あり得ない。それこそ手をつなぐなどもってのほか。やむを得ず一緒に出掛ける際は、3歩下がって後ろからついていくのが世の習い。たとえそれが夫婦だとしても、だ。


 だが、勇次は手を離してくれなかった。


「気にするな。ここは遊郭だ」


 そう笑いながら、ほら、と周りを指差した。りんが驚く。


 まだお天道様が高くにいるというのに、道行く男女は皆一様に肩を並べ、ある者たちは手をつなぎ、またある者たちは腕や肩を組み、こちらが赤面してしまうくらいに顔と顔とを寄せ合っている。


 りんが目のやり場に困っていると、勇次はくすくす笑った。


「そっかぁ。おめぇ、まだガキだもんな。親父さん以外の男と手なんかつないだことねぇんだろ」


 つないだ手をぶらぶらさせ、わざと意地悪く訊く。りんは顔を赤らめ、声を上げた。


「そんなことなかんべ。おらだって男の人と手ぐらいつないだことあるべ」


 むきになって反論するところもまた可愛い。さらにからかいたくなる。


「まさか、ガキの頃とか言わねぇよな?」


 うっと言葉に詰まるりんを見て、勇次は大笑いした。図星らしい。


「いくつんときだ? 相手は? 小久保村のガキ大将か? それとも(ほん)(のう)()の小坊主か?」


「……十歳(とお)のとき。名主様のとこの庄之助さん。手習塾の先生で……」


 りんは馬鹿正直に答えた。庄之助先生は名主様の惣領で、貧しい自分にもただで読み書きを教えてくれていたのだと、聞きもしないことまでしゃべる。今は嫁がいて子供が4人、腹の中にもう1人いるとか。


「お嫁さんにしてくれるって言ったのになぁ」


 遠い瞳でりんが寂し気に呟く。俺がさっき言いそびれたことをよくも抜け抜けと……と嫉妬するほど愚かな勇次ではない。


 励ますように、あかぎれだらけの小さな手をぎゅっと握り直してやる。


「初恋ってのは淡いもんだって相場が決まってんだ」


「あ、それ聞いたことあるべ。夫婦になるのは2番目に好きになった人がいいって」


「2番目に好きになった人? 2番目に好きな人の間違いだろ?」


「ええっ? おら、ずっと2番目に好きになった人って心に決めてたべ」


 自分の勘違いに驚くりんを見て、ふふっと勇次が鼻を鳴らす。


「いるのか? 2番目に好きになった人」


 訊かれてりんの足が止まる。しばらく勇次の長いまつ毛を見つめていたかと思うと、不意に目をそらした。


「……まだ……」


 うつむいた頬が紅色に染まる。妙善寺の天神様の紅梅が眼裏によぎった。


「まだいないのか」


 安堵のような落胆のような、勇次の胸の奥に雑多な感情が複雑にからみ合う。


 一方りんは、彼の言葉に対し、そうではない——とは言えなかった。まだいないのではなく、まだわからないのだ。だが、それをどうやって伝えればいいのか、若さゆえ語彙(ごい)の足らないりんには言葉を紡ぐ(すべ)がない。


 それでも、こうして勇次と一緒にいると楽しくて時間が経つのも忘れてしまう。ドキドキもするしワクワクもする。この気持ちはなんという感情なのだろう。ずっと一緒にいたいと思うこの気持ちは……。


「おら、朱座のお女郎さんになろうかな?」


「は?」


 藪から棒に何を言い出すというのか。勇次はりんの顔を見た。りんはにこにこして続ける。


「遊郭ってもっと怖いとこだと思ってたけんど、お化けがいるわけじゃないし、みんな優しくっていい人ばっかりだいねぇ。街はキラッキラして綺麗だし、こんなとこなら毎日面白おかしく暮らせるがね」


「……」


「お女郎さんになるなら邑咲屋さんがいいなぁ。白粉(おしろい)塗って、紅差して。邑咲屋さんならさっきの女の人みたいな綺麗なべべも着れるし、そしたら絶対楽しい……」


「やめとけ」


 さっきまで優しかった勇次の笑顔が見る影もなく、怖ろしい形相に変貌していた。

次回は第12話「気まずい別れ方」です。

なにしたの、勇次さん。


【用語解説】

傀儡師くぐつし:人形遣いの旅芸人。

今様いまよう:現代的、現代風。ここでは流行歌を指す。

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