贄の儀式
◇儀式の前◇
国王フィービーの喉がゴクリと動く。
誰だ、コイツ。いや、この御方は。
正妃は、これほどの美貌を持っていたのか。
こんなに麗しい妃であるなら、贄などに選ばなかったのに。
いっそ、側妃と……。
フィービーの隣にいる側妃は唇を噛む。
フィービーの瞳に宿る、男の熱を見て取ったのだ。
側妃パセリアは、国王フィービーの手に指を絡ませる。
フィービーは、ハッとして儀式の宣言をする。
「皆、大儀である!」
神官は祈りの言葉を奏上する。
月は皓々と海の彼方にあり、波は穏やかである。
「最後に何か御言葉を」
神官に促されてマリーヌは艶然と微笑んだ。
「國民には平和を!
私を貶め、たばかった者たちには、相応の報いを!」
清々しい声であった。
対して集まった全員の顔色が変わる。
最も青ざめたのは、プテーリー侯爵だった。
この期に及んで、彼は思い出したのだ。
最初の妻、マリーヌの母であった女性の一言を。
『マリーヌを、大事にしてね。そうすれば、プテーリー家は幸運よ。
でもね……』
顔色が変わる一同を振り返ることなく、マリーヌは岬の先端から海に向かって飛び降りた。
波が跳ねる音が響く。
「ねえ、フィー」
側妃の指が震えている。
「……何だ?」
「大丈夫、だよね、私たち」
「あ、当たり前だ。妃が落ちた場所は、ウミヘビの巣と言われている。きっと、良い贄になってくれるさ」
国王フィービーは、己に言い聞かせるような言葉を発した。
その瞬間である。
低く重い地鳴りが響く。
カタカタと椅子が揺れる。
眩暈でも起こしたのかとフィービーは思った。
だが、揺れているのは地面である。
「地震だ!」
誰かが叫ぶ。
立っていられない程の揺れが、岬を襲った。
◇王太后◇
マリーヌが海に飛び込む少し前のこと。
王太后は自ら馬に乗り、岬を目指していた。
嫌な予感がして、日程を切り上げ帰国した彼女は、贄の儀式の件を聞き、耳を疑った。
三国一の美貌を謳われた王太后だが、流石に疲労の色が濃い。
肌も髪も、艶を失くしている。
マリーヌ!
彼女を失うことは耐えられない。
馬鹿な!
あれほど、あれほど正妃を大切にしろと言ったではないか。
何故に王妃を贄にした。
それ程までに、側妃を愛していたのか。
我が息子ながら、ほとほと愛想が尽きる。
儀式を止めなければ!
岬が見えてきた。
逸る気持ちで馬に鞭を入れようとした瞬間、王太后は馬から転げ落ちた。
嘶いた馬は、来た道を戻って行く。
「ああ、ああ……。遅かった、か」
這うようにして、王太后は岬の先端を目指す。
せめて、マリーヌが血を一滴でも、残していないかと思って……。
◇相応の報い◇
激しい揺れは収まった。
岬に集結していた者たちが、ほっとしたのも束の間のことだ。
月に照らされた海に、あるはずの水面がない。
ひたすらに砂浜が続いている。
年配の大臣が我に返って叫ぶ。
大きな地震の後に、海岸にいてはいけないという教えを。
特に海水が一旦沖へ下がった後に、やって来るものがあると。
「波だ……大きな、大きな波が来る! 高台へ登れ!」
言った本人が走り出す。
他の者たちは、よろよろと歩く。
「お、おい! ちょっと待て! 国王を置いていく気か!」
側妃の腰を取り、ふらふらと進む国王に、手を差し伸べる大臣はいない。
舌打ちをしながら、護衛騎士の一人が国王の手を引っ張った。
その時である。
水平線の彼方から、真っ白い雲のような波が進んで来る。
徐々に波の高さは増し、干渉を繰り返す。
到達するまでに、波の高さは岬を越えた。
最初に高台に辿り着いた大臣以外、皆、波に呑み込まれた。
地面を這っていた王太后も例外ではない。
阿鼻叫喚。
「誰か、助けて!」
「お、俺は泳げないんだ――!」
「俺を巻き添えにするなああああ」
あっという間に、呑み込まれた人たちは水没する。
ゴボゴボ息を吐きながら、彼らの目に映ったのは、地上と同じ様に水中を歩くマリーヌと、彼女の腰を抱く、美しい男性であった。
水中でジタバタしていた国王フィービーは目を剝く。
マリーヌのあんな微笑みなど、見たことがない。
誰だ。隣の男は!
いやそれ以前に、何故二人は談笑しながら水の中を動いているのだ!
フィービーの横で手足を必死に動かしているパセリアは、口からほおっと息を吐く。
マリーヌの横にいる男性に見惚れたようだ。
プテーリー侯爵は、何度もマリーヌの側まで泳いで行く。
その度に弾かれたようになる。
侯爵の口から泡がこぼれ出る。
『すまない、俺が悪かった』
そう言っているようだ。
次回、ざまあ炸裂。