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常滑の不動産屋

作者: 堀本博

正林堂 桑山建設 大同不動産 岩本不動産 大同不動産 山下不動産 犬飼建設

以上常滑で営業している不動産屋の有様を描写しました。






             正林堂

 

 平成8年5月14日、正林堂、田村正彦氏の訃報に接する。享年88歳。

西脇は驚く。昨日昼に常滑駅に歩いていく彼の姿を見ているからだ。

 通夜は15日の夕方、告別式は16日の昼となる。

「死因は?」西脇は知人に尋ねる。

「老衰とのこと」

 知人が14日の朝に自宅に訪問。玄関が閉まっていた。勝手口が開いていたので上がり込む。寝室に赴く。寝室に横たわる彼の死体を発見する。

 5月17日から19日まで、体育館で、常滑市主催の美術展が開催される。知人はその下準備の為に、田村家を訪問したのである。

 田村は不動産業を営むかたわら、印鑑屋を兼業し、書道にも精通し、美術展にも数々の書を出展している。市長賞、奨励賞などを受賞している。正林堂とは印鑑屋の屋号である。

 彼は4年前に妻を亡くして、子供はいない。彼の遺産は妻の実家の子供達に受け継がれると聞いている。

 あっけない死に、西脇は昔日の思い出に耽る。

 西脇は今年54歳。20年前に不動産屋の道に入っている。当時から正林堂の噂は耳にしていた。

 20年前、常滑には20軒ぐらいしか、不動産屋はいなかった。正林堂は最古参に属していた。

 常滑で不動産だけで生計を立てている人は4~5名ほど。多くは兼業である。ある人は風呂屋、ある人は綿布屋、またある人は借地借家をやっている。

 正林堂は印鑑を生業としていたが、借家もたくさん持っており食うに困らない。

 若い頃から土地への執着心が強く、一旦手に入れた土地は余程の事がない限り手放さない。

 店舗兼自宅は、ユニー常滑店から1キロ程西に行った、神明社の南向いにあった。印鑑と不動産の看板を掲げている。

 長身で面長の顔立ちに、分厚い唇を一文字に結んでいる。気難しい顔をしていた。金縁の眼鏡の奥から、大きな眼で人を見下している。

――癖のある人、そろばんのはじき方が違う人――

不動産屋仲間の評価である。

 西脇は10年前の事を思い出す。

 ユニー常滑店の南側で土地の売り物が出た。隣地が正林堂の所有地だった。

 土地の形が悪いために、お互い土地を出し合って、宅地造成したほうが得策と判断して相談に行った。

 正林堂との付き合いはそれが初めてだった。

 西脇が常滑の不動産屋に足を踏み入れたのは、34歳の時だった。それまでは名古屋の大手不動産屋で、営業畑を歩いてきた。

 妻の実家が常滑だったので、請われて常滑で独立した。名古屋と違って、実にのんびりとした所だという印象を持った。

 正林堂の店は、北側の8メートルの県道と南側の3メートルの市道に挟まれた2百坪程の敷地にあった。店舗の西側に白壁の倉がある。店舗兼自宅は総2階で、一階だけでも30坪はある。東側にある駐車場へは、南北両方の道路から出入りできる。店舗としては絶好の場所と言える。

 店は10帖の土間に、テーブルやソファ、事務机が置いてある。土間の西側が板の間になっている。ガラスケースが所狭しと並んで、印鑑が収められている。壁には美術展に出展した書が貼り付けてある。

 西脇には美術鑑賞の趣味はない。みみずののたくったような書体を見せられても、何処が良いのかさっぱりわからない。

 何々賞と金紙、銀紙が貼られて展示されていても、ただ感心するだけ。


 その日は暑かった。正林堂は朝からステテコ姿で、冷や麦をすすっていた。西脇は正林堂の食事が終わるまで待っていた。

 人の評によると、正林堂は一応話は聞いてくれる。ただそれだけだ。

 西脇は協力してもらえなければそれまでと考えている。その土地を買う気はない。気軽に考えている。

「待たせたなも」正林堂はソファに腰を降ろす。

 西脇は少し間を持てせてから話を切り出す。正林堂は気難しい顔で聞き耳を立てる。

「以上ですが、いかがでしょうか」西脇は小肥りの体を乗り出す。

「西脇君、一応考えておくから、1週間くらいしたら、来てくれや」間延びした返事が返ってくる。

「判りました」西脇は帰ろうと腰を浮かす。

「もう一杯、お茶飲んでいけや」

正林堂は黒縁の眼鏡から、覗き込むように言う。

 西脇は仕方なく、ソファに腰を降ろす。名古屋で営業一筋で生き抜いてきている。用件が済んだら次の仕事に掛かりたい。

 のんびりした事は好きではない。性格上、テキパキと事を運びたい。内心舌打ちして、正林堂を見据える。

「わしはなあ・・・」正林堂は大きな口を開ける。

「昔はなあ・・・」遠くを見るように眼を泳がせる。

 彼は45歳で10歳年下の奥さんと結婚する。土地を動か事が好きで、ハンコ屋をやりながら、趣味で土地の売買をやってきた。


 西脇は、長々と続く正林堂の話を聞きながら、同業者の話を思い出す。

「正林堂はなあ・・・」その不動産屋、口をとがらして喋る。

 正林堂の特徴は、安ければどんな土地でも手を出す事だった。崖地や調整地と言って、一般の人が建物を建てられないないような土地、果ては、岐阜の山奥の山林、原野にまで手を出している。

 昭和40年代の初めころ、西脇30歳前後の事だ。

常滑で中堅どころの土管屋さんが倒れた。倒産というよりも夜逃げである。

 朝、20名の従業員が出勤してくる。当然顔を出すはずの社長が見えない。社長宅は工場の隣にある。従業員の1人が、社長は病気ではないかと心配して社長宅に赴く。すぐにも真っ青な顔で飛んで帰ってくる。

「社長がおらんがや・・・」早口に叫びたてる。

「何処かへ行っとるだがや」1人が言う。

「家ん中空っぽ、タンスも消えとる。誰もおらん」

「そんな馬鹿な!、見てこまいか」従業員が社長宅に走る。

 家の中はめぼしいものが消え失せている。荷台の長い4トントラックも消えている。

「夜逃げだ」1人が呟く。

 それからが大騒動となった。銀行、債権者達が集まって調べた結果、売上代金、預金、全てが無くなっていた。 

 社長と奥さん、高校と中学の子供が、一夜で蒸発したのだ。

 小説のような事件が現実に起きた。後に残ったのは莫大な借金だけだ。

 工場と社長宅を処分して、借金を回収するしかないと決まった。

 工場跡地の売買が正林堂に回ってきた。

 当時、常滑で大きな土地を買う事が出来るのは彼しかいなかったのだ。

「あの時はよう・・・」くだんの不動産屋、口をとがらして言う。

 坪5万で買いたたいて、道路をつけて、坪20万円で売った。今なら40万はするところである。

 2千500万円で買って、幅4メートルの道をつけても3百50坪の土地が残った。7千500万円の売り上げになる。売買の為の諸経費を差し引いても、利益は4千万円を下らない。今なら、2~3億の金に相当する。

「正林堂はあれで味をしめやがった」不動産屋は口をゆがめる。人が幸福になるのが癪に障るらしい。


 正林堂の話も尽きかかる。頃合いを見て退散する。

 1週間後に訪問、来る前に電話しろと言われている。相変わらず、間の抜けた昔ばなしばかり聞かされる。こんな事が2~3回繰り返される。

 4回目の訪問。西脇は「で、例の話、いかがでしょうか」と切り出す。

正林堂は渋い顔をしている。分厚い唇をへの字に結んで、黒縁の眼鏡の裏の大きな眼で、西脇を見下している。

「おらあなあ・・・」常滑弁丸出しだ。

「あんたが、宅地造成しようが、しまいが、土地を売る気はねえんだがや」

 この人、何かかん違いしてないか、誰も土地を売ってくれとは言っていない。西脇は不愉快になる。

 話の詳細はこうだ。

 今、2百坪の土地が売り出されている。土地の形が悪いので、道路をつけたりすると、土地の面積は半分になる。いっそのこと、隣地の正林堂の2百50坪の土地も入れ込んで造成して道路をつければ、土地の有効利用は8割に上がる。道路に取られる分と造成費用を差し引いても3割の減歩ですむ。

 西脇不動産の購入予定地が140坪、正林堂の土地が175坪残る。しかも、土地の価格が3倍に跳ね上がる。誰が考えてもいい話だ。

 西脇は相手の立場を考えて、是非やりましょうと、腰を低くして持ち掛けているのだ。

 それに対して正林堂は実に回りくどい。それを要約すると、自分は宅地造成してまで土地を売ろうとは考えていない。西脇が話を持ってきたので乗ってやっただけだ。3割の減歩の意味は判るが、無理にやる気はない。

 どうしてもというなら、自分とこの土地の減歩は1割にしろ。つまり、2百50坪の土地を、造成後2百⒉5坪にして返してくれるなら話に乗ろうと言うのだった。

 西脇は呆れて物が言えない。正林堂の条件を飲むと2百坪の土地を買っても、造成後90坪しか残らない。

 西脇は名古屋で営業してきただけあって、見切りが速い。下手な駆け引きはしない。話はそれで打ち切りとなる。


 後年、西脇は仲間の同業者と1杯やりながら、名古屋の商売人気質について、語っている。

――ある時、東京人と大阪人、名古屋人が一緒にタクシーに乗った。降りる段になって、東京人が料金を支払うと言い出す。大阪人がまあまあと言いながら、東京人に気持ちよくお金を払わせようとおだて上げる。名古屋人はさっさとタクシーを降りて、2人のやり取りを見ていた――

 商売させるなら、名古屋に見習い奉公をさせろと言われるほど、名古屋での商売は難しい。下手な駆け引きはしないし、値引きもズバリと切り込んでくる。

 西脇には正林堂の腹が読めている。1割の減歩からの駆け引きで、少なくとも2割から2割5分に収めようという腹なのだ。

 正林堂は「そんなきつい事を言わずに、ここは何とかもうちょっと色をつけてくれんかな」西脇が頭を下げて交渉に応じると踏んでいたのだろう。

「いや、そんな条件とても飲めませんわ」さっさと帰り支度をはじめる西脇を呆気に取られてみていた。

「まあ、お茶でも飲んでいけや」慌てて引き留めようとする。

 宅地造成の計画案が、自分にとっていかに有利なのかは充分に判っているのだ。エビで鯛を釣ろうとした下心を、打ち砕かれて、慌てふためいているのだ。

 西脇は何も言わずに正林堂の店を出る。正面玄関の引き戸のガラスに、大きな眼を剥いた正林堂の顔が映っている。西脇は乱暴に引き戸を開けて、力いっぱい閉めた。


 西脇は常滑に来て不思議に思う事がある。

 常滑には自称文化人なる人種がいる。正林堂もその1人。自分では常滑を代表する書道家と自負している。物に執着しない。清廉潔白な人物のように思ってしまう。商売の話になると、実にえげつないし、政治的でドロドロしている。

 これは正林堂に限らない。

 西脇の妻の実家が焼き物屋なので、陶芸作家とは付き合いがある。

 数年前、西脇は地主12名を集めて、3千坪に及ぶ宅地造成を行った。減歩率を決めるのに2年かかった。

 その内の1人が常滑でも名のある陶芸作家だった。

地主は誰でも自分の土地は減らされたくない。自分の言い分を主張する地主を西脇は誠意をもって交渉に当たる。礼を尽くして理詰めで説得していく。西脇の粘りが功を奏して宅地造成の運びとなる。

 ところが当の陶芸作家はどんなに礼を尽くしても、うんともすんとも言わない。

「俺が協力せんと、造成ができんだろうが・・・」やっと口を開いた言葉がこれであった。

 西脇はウンザリしながらも、ここは堪え時と、時間をかけて説き伏せる。

 この3千坪の中に西脇の妻の実家の土地が3百坪含まれていた。袋小路の土地で、是が非でも造成しなければ活用できないのだ。

 結局、他の地主さんの了解を得て、減歩率に手心を加えて、その陶芸作家にオッケーを貰う。

 同じころ、西脇はユニー常滑店近くで宅地造成を行う。別の陶芸作家が、1区画50坪を欲しいと言ってきた。その土地の地下に、焼き物の釉薬用の粘土が出るというのだ。欲しければ掘って持って行けと答えたが、掘り出してしまうと使い物にならないという。1度に使う量は、こぶし大で1年はある。使う量だけしか掘り出すことが出来ない。

 彼は妻の父を通して土地を売ってくれるように言ってきた。妻の父は温厚で欲のない人だった。売ってやってくれと西脇に頼み込む。義父のたっての頼みである。嫌とは言えない。

 西脇は彼が武豊の区画整理地に50坪程所有している事を知る。本来ならば交換してやればよいと思ったが、税法上の交換は隣地に限られる。

 西脇は武豊の土地を売らせるのを条件にする。彼は、神に誓ってと約束するが、今だ果たされていない。

 2~3年前であろうか、市役所の知り合いの職員から聞いたは話。

 市役所の2階のロビーで急須や湯呑茶碗など、陶芸作家の作品を展示してある。即売も兼ねている。

 某陶芸作家、急須を5千円で展示した。なかなか売れない。業を煮やして、0を1つ付ける。途端に売れたと喜んだ。

――作品を安く売っちゃいかん。高く売るもんだ――息を巻いたという。

 西脇は釈然としなかった。買う方も買う方だが。売る方も売る方だ。作品の良し悪しも判らず、高ければ良い作品と思い込んで買う人が実に多い。

 知人の職員は、内緒話だと、以下のような話もしてくれた。

 文化祭や陶芸作家展などが、年に数回開催される。審判は仲間内で行われる。

 何々賞と金紙や銀紙が貼られれば、箔がつくし、陶芸作家としての名前もあがる。作品も売れる。

 今回は誰々さんの作品を市長賞にしようや、誰々さんは前回は奨励賞だったから、今回は陶芸研究所推薦賞にしようと、持ち回りで決められていくというのだ。

 陶芸作家に限らない。正林堂の書道や絵画にしても、そのような風潮が見られるというのだ。

 妻の父はロクロで1つ1つ湯呑茶碗を作っていいる。同じ量の粘土で同じ形の湯呑を、いかに沢山作るか、それが職人だと言っている。

 現在市販されている湯呑の殆どは、石膏型で作ったものだ。

 陶芸作家と自称する連中の多くは、義父のような職人気質は少ない。


 話を戻す。

 正林堂の商売のやり方を見るにつけて、西脇は彼との接触は努めて避けてきた。

 それでも常滑市内に莫大な土地を所有する彼を避けてと売れない事態が発生した。

 3年前、常石神社東側の国道沿いに2千坪の土地を購入する。陳地の地主さんと協力して宅地開発に乗り出す事となった。造成面積は3千500坪。

 現状は山になっている。北側の裏山が8百50坪の正林堂の所有地だった。

 山を削る必要から、正林堂の協力を求める事になる。以前の事があるので難しいかなと思っていたが、とにかく訪問して事情を説明する事になった。

「正林堂さんの山を一部削り取りたい。その上で当方の土地と、正林堂さんの土地の間に幅6メートルの道路をつける」という条件で交渉に入る。

 正林堂は1年前に奥さんに死別して、神明社前の店を閉めていた。半年前に常滑市役所北側に移っていた。そこは30年前に取得した5百50坪の宅地で、50坪の住居を10年前に建てている。


 話は呆気ない程簡単に進行していく。

以前の宅地造成の件もあるので、西脇に対する見方も変わったのだろう。

「協力しても良い」とまず結論が出る。

――雨が降るんじゃないの――同業者にからかわれるほどあっけなく進んでいく。狐に化かされているような気持になる。

 それでも事実は事実として、役所に宅地造成の申請を行う。2年前の事だ。あと3~4ヵ月くらいで造成の許可が下りるという段になる。

 最後のつめとして、正林堂の実印が欲しいと、設計士からの連絡が入る。一緒に正林堂に赴く。設計士が実印が欲しい理由を説明する。

 正林堂は分厚い唇を一文字に結んだまま、ハンコを押すとも捺さないとも答えない。

 西脇は嫌な予感がした。

 正林堂はお茶を出す。

「西脇君、わしゃ、腹が立ってなあ」と語る。

 西脇は何事かと膝を正す。

「おっかあが死んでなあ、税金の事で税務署とケンカしとるんだわあ」

 のらりくらりと話をするので、要点のみを記す。

 1年前に奥さんが死んだ。奥さんの方が正林堂よりも10歳若く、元気だった。

 正林堂は将来の事を考えて、財産の名義を10数年かけて奥さんに替えていった。替えた途端に亡くなった。

 正林堂夫婦には子供がいない。奥さん名義の財産を、一旦正林堂本人に替えた。

 要するに相続税をがっぽり取られて腹を立てて、税務署とやりあったという次第だ。

 正林堂の無駄話をきいて、その日はそれでお開きとなる。4日後に訪問。ハンコを押してくれる気配もない。自宅の中を案内して、大工にこれこれ値引きさせたんだわと自慢するのみ。

 1週間後訪問。ハンコを押すには条件があると良いです。

――やっぱり――。不安が的中する。うんざりするが顔には出さない。

「俺んとこの、この山はええ土が出る。昔なあ、金は要らんから土を取らせてくれんかと言われた事がある」

 正林堂はお茶を飲んで間を取る。

「いっそのこと、山を全部を平にしてくれんか」

 西脇はその場で携帯電話をかけて土建屋を呼び出す。正林堂の意向を伝える。土建屋とのやり取りを正林堂に伝える。

 一山を取ると費用は約1千万円かかる。本当に良い土が出るというのであれば、半額でやらしてもらう。

 正林堂は横を向いたまま笑い出す。

 業者は取った土を売るつもりに決まっとる。只でやっても儲かる筈だという。

 西脇は正林堂の気持ちを聞いて、その場で業者に話は無理と伝える。

 その上で・・・、

「正林堂さん、そんなら、タダで取ってくれる土建屋を紹介してもらえませんか」

 正林堂は口をへの字に曲げて黙ってしまう.

 正林堂のハンコが貰えぬ限り役所へ申請は無理と、正林堂は足元を見ている。

 西脇は3日後に返事すると言う事で、一旦は正林堂を後にする。

 土建屋を呼んで直談判する。

 土建屋は言う。たとえ良い土が出るにしろ、山は樹木で覆われている。それを取り払う費用も馬鹿にならない。たとえ売れるにしても、10トンダンプ一杯で2~3千円程度だ。山を削って出る数量は、ダンプで百杯からよく見ても2百杯と見ている。

 金額にしても60万から百万ぐらいまで・・・。

 西脇は土建屋に5百万円払う条件で、正林堂に赴く。正林堂の条件を飲むと切り出す。

 正林堂は西脇の話を聞いても有難い顔もしない。無表情で聴いている。

 また、4日おきの訪問が始まる。3回ばかり訪問したところで、

「西脇君、おらあ、もう不動産屋はやっとらんだがや」

黒縁眼鏡の奥の大きな眼で西脇を見下す。

 何を言いたいのか、すぐに本題に入ればよいものをと、西脇はイラつく気持ちを押さえつける。

 彼の言い分はこうだ。

 今は不動産もハンコ屋もやっていない。年金生活の上、借家賃の上りで生活している。お金の大半は買い入れた土地代金に変わってしまっている。その上相続税を取られている。

 悠々自適の生活と言いたいが、金がなくて窮窮した暮らしだ。

 よく考えたが、今は山だから税金は安い。山を削って宅地にすると税金が5~6倍に跳ね上がる。これでは困るので、税金の差額分を永代にわたって負担して欲しい。

 これを聞いて、西脇は空いた口が塞がらない。

そんなに税金が心配なら土地を売ればよいのだ。今は山だから売るに売れない。宅地にすれば、どんなに安くても坪40万にはなる。切り売りしていけば、死ぬまで食べていける。

――ソロバンのはじき方が違う――

 西脇は黙って、正林堂を退散する。すぐさま事務所に設計士を呼ぶ。正林堂との話し合いは不調と伝える。

 宅地造成の申請の出し直しを依頼する。正林堂の山を削る案は反故にして、当方の山で勾配をつけるという案を伝える。おかげで百坪程宅地造成地が減るが、西脇は断行する。

 西脇の決断は早い。設計士はその日の内にも、申請変更の計画に着手する。

 後日、正林堂から電話がかかる。

「自分の土地だけでやる事にしましたので・・・」西脇は返事をする。

 正林堂はしばらく無言の後、「どうだい、もう一辺、お茶を飲みにこんか」半ば命令口調である。

「いえ、結構です。設計士に設計変更を出しましたから」

 以来、2度と正林堂の敷居を跨ぐ事はなかった。

 それから2ヵ月後の年の暮れ、不動産組合の忘年会が、坂井の湯本館で開かれる。会費は千円。不足分は会の負担。会員45名中40人の出席。

 西脇は正林堂と向かい合う形で席を占める。嫌だったが、席の割り当てで、そうなってしまった。

 宴もたけなわ、座も乱れる。カラオケが飛び出す。

西脇はカラオケが出来ないので、コンパニオンの相手をしたり、正林堂に酒をついでやったりで、接待係のような感じになる。

 正林堂は頬がほんのりと桜色に染まる頃、

「なあ、西脇君・・・」身を乗り出してくる。

 例の話かと、西脇は身構える。

「はあ、何でしょうか」不機嫌そうに応える。

「今の若いもんはどうなっとるんだあ」愚痴をぶちまける。

「はあ・・・」何か風向きが違うぞと、様子を伺う。

 正林堂は妻が死んで、何とか税金も納めて、後々の事を考えるようになった。

自分も歳が来ている。食事の心配も自分でしなくてはならない。不自由この上もない。

 正林堂は自分の後継ぎを妻の実家の次男坊に決めようと思った。彼は今年25歳。5日前に彼に会う。

――是からずっと俺の面倒を見てくれんか。その代りに、俺が死んだら、財産をみんなやる――

「おじさん」彼は冷たく突き放したという。

――自分はおじさんを養う気はない。おじさんの土地を貰っても仕方がない。すぐに売れる土地もあるけれど、大部分は売るに売れないものばかりだ。貰っても税金ばかり払わねばならない。サラリーマンの身としては、有難い話ではない――

 西脇は正林堂の愚痴を聞きながら、1ヵ月前に人から聞いた話を思い出す。

 次男坊夫婦、結婚して日も浅い。独り身となった正林堂がかわいそうという気持ちと、一度は大きな屋敷に住んでみたいとう願望もあって、狭いアパートを引き払って正林堂邸に移る事になった、

 建築費を値切ったものの、本人が自慢するだけあって、贅を凝らしてある。5百50坪の敷地は広々として、住むに最適な環境である。

 1週間後、次男坊夫婦は正林堂邸を飛び出す。再び狭いアパート暮らしに戻った。

「とにかく息が詰まって仕方がない」次男坊は口をとがらして正林堂を非難する。

――風呂なんか釜の穴すれすれまでしか水を入れちゃいかんとか、タップリ湯に浸かろうものなら、もったいないと文句を言う。トイレの巻紙も使いすぎると小言を言われる。料理も残り物で済ます。夜遅くまでテレビを見ていると、電気代がもったいないと叱られる。――

  ・・・付き合い切れん・・・


 昔気質の正林堂のケチケチなところは、西脇も理解は出来る。妻の両親も実につつましい。

 贈答品の包装紙もきれいにたたんでしまい込む。西脇がゴミとして捨てるものなら、勿体ないことするなと叱られる。

 正林堂の不幸なところは、相手を自分の価値観にはめようとすることだ。

――出来るだけ金は使わない――

 西脇との商談にも自分の金は出来るだけ出さず、相手に出させようとする。生涯この考えで生き抜いてきている。

 右から左にすぐに売れるような宅地は安く買いたたけない。崖地や一般の人が買わないような山や田畑を買いたたいて手に入れてきている。

 正林堂が無くなった今、残された土地はすぐには処分できない。例外と言えば、市役所北側の5百50坪の土地と神明社前の店舗のみである。

 正林堂が残していった課題は大きい。遺族は相続の一部を放棄するか、税金を払ってでも土地を処分するかの選択に迫られる。気苦労の種が尽きない。

 正林堂の葬儀が終わって1週間目、不動産組合の役員会が開かれる。西脇も出席する。

 正林堂の話が出る。役員の大半が古くからの不動産屋である。正林堂の死を悼むかと思いきや、異語同音に、悪口ばかりが飛び出す。

 西脇も悪口を言いたい内の1人だが、口は災いの元、聞き役に回る。

 彼の一生は何だったのか、45歳で結婚したとはいえ、当時、奥さんの実家は事業に失敗して銀行から見放されていた。正林堂と結婚する事で、保証人になってもらい、何とか銀行からの融資にこぎつけられたと聞いている。正林堂のケチケチは人の怨みを買う程だった。

 西脇は正林堂の葬儀の手伝いをしたが、通夜や告別式に参列した人は僅かであった。

 奥さんの実家の関係者、不動産屋仲間、常滑市主催の文化協会のメンバーくらいなものであった。

 寂しい葬儀だった。



                 桑山建設


 桑山建設は新舞子駅前で店を構えていた。いたというのは平成7年までで、平成8年には新舞子駅から2キロ東に行ったところにある、彼の生家の常滑市久米に移っている。桑山建設の看板はあるものの、往年の勢いはなく奥さんが細々と不動産の仲介を手掛けている。

 桑山建設社長、桑山良造は糖尿病の悪化で眼が見えず、70歳という歳もあり、寝たきりの状態になっている。

 西脇不動産社長、西脇太一郎が常滑の不動産に身を投じたのは34歳の時。妻の実家の援助を受けて看板を上げたものの、当初は仕事もなく、苦しい毎日が続いた。幸い妻の実家は焼き物の製造を営んでおり、千坪の工場敷地を有していた。それを担保に、何とかしのぐことが出来た。

 今でこそ、西脇不動産は常滑を中心として、建売をやっているが、店を開いた頃は仲介がほとんどだった。

 常滑や半田、武豊、知多市、東海市の不動産屋を廻っては売り物件の情報を貰う。月に1回、新聞に折り込み広告を入れる。買主を見つける。

 昭和50年前半、住宅ローンや住宅金融公庫の貸し出しが整備されて、一般の人が利用しやすくなっていた。

 知多半島の不動産屋や建売業者が競って土地を買い漁り、建売に奔走した頃で、地価の値上がりが急上昇した頃でもある。

 桑山建設は新舞子を中心に、年間30棟余の建売をこなしていた。建てれば黙っていても売れていく時代で、桑山建設の鼻息は荒かった。

 桑山建設に出入りして2年後、西脇は新舞子駅北東での桑山建設の6棟の建売の情報を貰う。

「売ってくれや」桑山は西脇にパンフレットを渡す。

 西脇は駆け出しの間もない頃で東奔西走する。近くの団地にチラシ広告を配布したり、死に物狂いで駆けずりまわる。ようやくの事で1人お客が付いた。契約にこぎつけようとして、桑山社長に仲介手数料の話をする。

 建売の販売価格は1980万円、仲介手数料は3パーセントで59万円になる。どんなに悪くても40万円はもらえるだろうと高をくくっていた。

 西脇は桑山建設の嘱託として働いていた。そのためにお客からは手数料はもらえない。

「西脇君、謝礼は10万円しか出せんぞ。営業はそれで充分だ」

 桑山社長は四角い顔に小さい眼を一杯に見開く。

 西脇はカチンとくる。よほど言ってやろうかと、喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。常滑に来て日も浅い。

 桑山建設は新舞子で店を構えているが、常滑の不動産組合に入っている。古参組であるし、実力からすれば月とスッポンだ。

「判りました」西脇は黙って桑山建設を出る。お客には契約できない旨連絡する。2度と桑山建設の敷居を跨ぐ事は無かった。

 10年の時がたつ。西脇不動産は年間5~6棟の建売が出来るようになった。

 知多市岡田で土地の売り物が出た。150坪で、価格も手ごろだ。仲介の不動産屋さんは隣地の300坪の土地も見せる。

 買い手は桑山建設だという。彼の名前を聞いて、西脇は一瞬眉をくもらせる。

 不動産屋は言う。

「桑山はえげつないやつでなあ」

 割高に買ってくれるが、土地の代金決済は、建売で売れてしまってからだという。売れなければいつまでもお金が入ってこない。

 売り主は一刻も早く金が欲しい。それを伝えると、そんなら3割ばかり値引けと来る。借金返済で首の回らない売り主の場合、仕方なくこの話に乗る事になる。

 作り話のような話だが、誇張があるにしろ、半分は本当なんだろうと推測する。桑山ならやりかねないのだ。

 西脇は改めて癖のある顔の桑山を思い浮かべる。

がっしりとした体格だが背が低い。ダブルのスーツに身を包み、ベンツを乗り回してる。眼が小さく、眉が濃い。オールバックの白髪混じりの髪に櫛を入れる。話の途中であろうと、櫛で髪を撫ぜつける。

 人に話しを聞いていても「ふんふん」鼻先で返事をする。結論を出すのが速い。

 ライオンズクラブの会員とかで、バッジを背広の襟に見せびらかす様につけている。金の腕時計、金の指輪が、西脇にはキザに見えて仕方がない。

 グルメとかで、1週間の内、2~3回は必ず名古屋や東海市、知多市方面の料亭に出かける。それだけの収入があるから、結構な身分だと羨ましがられる。

 常滑の不動産組合は、忘年会、新年会、一泊の親睦の旅行がある。口にうるさい連中が多いので、旅館や料亭など、幹事さんが苦労している。

 桑山は特に口にうるさく、何処の旅館の料理はどうのこうの、あそこの料亭は料理が美味いの不味いのと、一杯やりながら披露する。驚くほどの食通で、西脇などはただただ、感心して拝聴するのみ。

 この頃が桑山建設の全盛期と言えた。

 時おりしも、バブル経済の時期に突入して、建売など新聞の折り込みを入れなくても売れる時代だった。むしろ土地の売り物が無くなり、建売業者が悲鳴をあげる事態となっていた。

 平成1~2年当時、知多半島で土地の売り物が出ずに、西脇不動産自体も困り果てて、岐阜まで買いに出た事がある。幸か不幸か、西脇には手に入らなかった。

 岐阜で20万坪の山が売りに出た。興味津々で西脇は見に行った事がある。

坪2万円で、土地の価格は40億円、西脇のような小さな不動産屋では手に負えない。

 たまたまノンバンクの営業社員と付き合いがあったころで、興味半分で一緒に見に行ったのである。

 物件場所は岐阜の関市に近い。売り物件の南と北に大規模な住宅団地が拡がっている。売り物件の山だけが取り残されたような地形となっている。

 近くの不動産屋で近辺の地価を聞いてみる。住宅地なら坪30万円は下らないという。20万坪の山の事を話すと、宅地造成するならぜひ売らしてくれと眼を輝かす。

 20万坪の内、道路、公園、宅地造成地等の費用を差し引いて、住宅地となるのは12万坪とはじき出す。減歩率を4割と見たのだ。

 12万坪の宅地で、坪30万円とすると、土地だけの販売価格は総額で360億円。金利や土地代金だけを差し引いても、3百億円は残る。

 ノンバンクの営業社員に現地を見せて、試算表を提示する。場所は住宅団地の中に取り残された山である。

「いいじゃないですか」小太りの営業社員は興奮する。

 喫茶店でお茶を飲みながら、「当社が80億円融資するから買いなさい」と勧める。

 西脇にとっては1億円でも大金だ。それをいとも簡単に80億円だそうという。西脇はわが耳を疑う。

 彼は言う

 40億円で購入しても、宅地造成が完了するまで数年かかろう。金利を7パーセントと見て、年間2億8千万円の金利、6年間で10億8千万円。工事代金を含めて30億かかるとみる。10億の諸経費として、40億は余分に見る。

 買えと、西脇の尻を叩く。西脇は空恐ろしくもあったが、自分が大物になった気分になる。

 土地が大きな岩山である。西脇は県庁に赴く。

ハッパ(ダイナマイト)を使用しても良いかと尋ねる。答えはノー。

 ハッパを使用すると、住宅団地に被害が出る。それでなくとも、爆発音で苦情が出る事必至である。

 西脇は売り物件近くの土建屋を訪問。

 ハッパを使わずに岩盤が削れるか、

 土建屋は言う。出来るが20万坪の山を削るとなると、掘削機の大型を使う事になる。10年はかかるとみる。費用は予測がつかない。

 西脇はその岩山の購入は諦める。


 桑山建設社長、桑山良造は性格が豪気である。悪く言えば少々雑である。西脇が岐阜で岩山を見た同じ時期に、瀬戸市内で百戸分の建売の大規模の分譲用地を購入している。資金は全額ノンバンクから出ている。この頃の地価は、平成8年の頃と比較して3割程高い。

 瀬戸で百戸の分譲住宅の販売を開始したのが、平成3年末と聞いている。バブル崩壊の前夜である。

 結局、桑山建設の、瀬戸の分譲住宅は、希望価格では販売できず、大幅な値引きで完売している。莫大な借金を抱えて、知多市の土地も手放すことになる。

 知多市岡田の桑山建設所有の5百坪の売り出しが始まったのが平成5年の秋。

 高値では売れず、土地のみの値段で坪10万円となった。バブルがはじけた後で、名古屋の大手の不動産屋でも手が出ない。それでも安値とあって、安城の建売業者が買いに入る。

 途端に桑山建設から、10万円では売れない、13万円にしてほしいと言ってくる。仲介業者が奔走して、それでもよいと言う事になる。

 桑山は今度は15円に引き上げる。安城の業者は手を引く。

今度は東海市の建売業者が買いに入る。15万円が18万円に引きあがる。それでもよいと交渉に入ると20万円に引きあがる。さすがの仲介業者も怒り心頭に発して交渉を打ち切る。途端に18万でいいと言ってくる。

「こんな信用の出来ん奴と話ができるか」相手にされなくなる。

 15万円に下がるものの、仲介業者は桑山建設の交渉の仕方に嫌気がさしている。

 どうせ15万円でも、また18万に上がるだけだと、不信の眼で見られる。

 平成8年の現在に至るまで岡田の土地は売れずじまいで、最終的にはノンバンクが競売にかけている。

 悪い事は次々と重なる。

 平成6年正月明け、隠し子発覚、奥さんから離婚の申し立てが出る。慰謝料として3千万円を請求される。桑山良造と妻の間には子供がいない。

 3年前、桑山建設で事務員をしていた40歳の女と肉体関係に陥る。

その女、池山安子という。西脇もあった事がある。大人しく柔和な表情をしている。気配りも上手い。人の話では男運が悪い。2度結婚しているが、いずれも相手と死別している。

 かたや、桑山社長の奥さんは気の強さで評判だった。頭のてっぺんから声を出す様な、人を人とも思わぬ甲高い喋り方をする。似た者夫婦というが、欲が深く、自己顕示欲が強いところは、桑山良造とそっくりである。

 2年前に池山安子の子供が生まれた。火のないところに煙は立たない。2人の関係は白日の下にされされるのが、時間の問題だった。噂が噂を呼ぶ。ついに本妻の耳に届く。短期で思慮の浅い彼女は、口論の末、離婚すると息巻く。

 弁護士が間に入る。慰謝料として2千万円で和解。桑山良造は、バブル崩壊後の苦しい経営の中、どうやって金を工面したのか、慰謝料をポンと出す。

 彼は平成6年9月に安子と結婚。

 その年の忘年会の席上、桑山社長は、安子と晴れて一緒になれてよかったと語る。彼女は甲斐甲斐しく夫に仕える。出来た嫁との噂も流れてくる。事務の仕事もこなしている。

 2歳になる娘と妻の為に、桑山はもっともっと仕事に励むと気を吐く。

 平成7年1月、桑山建設で長年営業として働いてきた山中某が、売上金2千500万円を着服して行方をくらます。山中は46歳で独身、23歳の時から桑山建設で働き、営業としての腕を見込まれて、販売を一手に任せられていた。

 数年前から土地の仕入れ、売上代金の回収など、桑山社長の代わって取り扱うなど、その信任も厚かった。

 バブル時期に高値で購入した土地の売却に奔走し、前妻とのトラブルも何とか解決して、これからやり直そうとしていた矢先の出来事であった。

 山中某に全幅の信頼を置いたただけに、桑山社長のショックは想像以上のものがある。歳も歳だ。桑山は三日三晩、床に臥す。眠れぬ夜が続く。酒量のメーターも上がる。

 この山中某の事件をきっかけに、桑山は常滑市久米にある3百坪の、自宅前の土地を手放すことになる。

 平成7年3月、ノンバンクより、借金回収の一策として、新舞子の駅前の店舗と作業場、合わせて4百坪の土地建物が競売に掛けられる。

 店舗は納屋を改造したものであるが、百坪の広さがある。旺盛時には常用の大工、営業マン、下請けの工事人などで、ごった返す程の賑やかさだった。

 今――、奥さんと現場監督の3人のみで、仕事は下請けに回している。

 桑山はノンバンクと掛け合いの末、競売の申し立てを撤回させる。その条件として、武豊町富貴に購入してあった土地に6区画の宅地分譲を行う。その販売代金で返済する。支払期間を1年間猶予してもらう。

「本当はこの土地は手放したくなかった」悔しそうに人に語っている。

 この富貴の土地は10年前に安い価格で手に入れている。これを利用して、桑山建設の再建を図るための切り札としたかったという。

 ノンバンクは競売の申し立ての取り下げの条件として、この富貴の土地に2億4千万円の担保を付ける。6棟の分譲だから、1棟3千400万円の担保設定となる。

 1戸の販売価格が3千600万円、諸経費、不動産屋への仲介手数料を差し引くと、桑山建設の手には1円も入ってこない。

 武豊の不動産屋が仲介に入って6棟完売するが、困った問題が生ずる。

 建売を購入するのは一般のサラリーマンが主である。住宅金融公庫、厚生年金、住宅ローン等を利用する。住宅金融公庫が第一担保、厚生年金が第二担保、住宅ローンが第三担保となる。ノンバンクが担保を抜かない限りこれらのローンの担保を付けることが出来ない。

 一戸当たり3千4百万円の金は桑山建設にはない。

 仲介の不動産屋が取引銀行から金を借りだして、ノンバンクに支払う。その後入って来たローンの金を受け取る。受け取った金で2戸目の担保を抜く。

「いやあ、あの時はビビっちゃってねえ」

 その不動産屋は西脇と懇意である。

内実を語ってくれる。彼は仲介のみを業としていた。年収が6百万円前後とのこと。3400万円の金を動かしたは、これが初めてだったという。順調に売却できたからよかったものの、売り残りが出たらどうしようかと、ひやひやものだったという。

 3600万円の金利は、仲介の不動産屋が払っている。本当は西脇建設が負担すべきなのだが、西脇建設にはその力はない。

 ノンバンクの金利は高い。年利8パーセントだ。この金額だと1年で170万円になる。月々14万円強の負担となる。仲介業者の収入から見ると安くはないのだ。

 とにかく武豊の物件は完売出来て、ノンバンクへの支払いが1つ減る。

 桑山建設は社長の桑山良造、事務の奥さん、現場監督の榊原洋一の3人での再出発となる。借金の完売には程遠い。

 次に3百坪の作業場を取り壊して、6棟の建売を計画する。常用の大工は全員解雇している。工事は全て下請けに発注する。とにかく借金は減らせるだけ減らそうと考えている。

 西脇は複雑な思いで桑山建設の動向を見守る。20年前、知多半島では5本の指に入る〝大手”としての成長ぶりだった。

――おごる平家久しからず――

 桑山の欠点は、成長を遂げた後、人を人と思わぬ態度をとるようになった事だ。不動産屋仲間から悪く言われるようになる。羽振りの良い時はそれでもまだよい。ちやほやされ、本人も立志伝中の人物になったつもりでいた。

 バブル崩壊後、多額の借金を抱えて、四苦八苦するようになる。それ見た事かと、誰も相手にしなくなる。

 営業の山中某に売上金を持ち逃げされて、販売を担当する者がいなくなる。

 桑山良造は大工上りである。物を売った経験はほとんど無い。営業を軽く見ていた訳ではないだろうが、根が職人なだけに、物の考え方が作る方に傾いてしまう。

 作れば右から左に売れていく時代を知っているだけに、営業マンを、お客と会社を結ぶ雑用係のように考えてしまっていた。

――営業は10万円でいいんだ――20年前、西脇に言った言葉が、桑山の物の考え方に出ている。

 バブル崩壊後、土地、建物を売る事が難しくなっている。知多半島の業者でも、売れずに途方に暮れるようになっている。赤字覚悟で売りさばく業者も出る始末だ。

 ――うちの建売、売ってくれ――

 桑山は知り合いの不動産屋を駆けずり回るが相手にされない。

――自分だけがぼろもうけしやがって――

 不動産屋の多くは職人とは違う。不平不満、うらみ、つらみを露わに口にしない。心の中で思っていても顔にも出さない。

 見かねて、桑山の奥さんが不動産屋へ挨拶廻りする。自分とこの建売を売ってくれと腰を低くして頼み込む。それだけではやっていけないので、売り物件がああったら是非売らせてほしいと頭を下げる。奥さんは大人しくて柔和だ。人当たりも良い。

「大変だなも、奥さん」不動産屋は一様に同情する。

「良い物件が出たら紹介するからね」やさしく対応される。

 奥さんそれが断りの挨拶だとは思わない。情報が貰えると真に受ける。3ヵ月が立ち4ヵ月立っても、不動産屋からはうんともすんともいってこない。

 平成7年の夏も何とか切り抜ける。作業場跡地の建売も、新聞のチラシ広告で客の呼び込みをする。奥さんが営業マンの代わりをする。

 価格を下げて何とか完売にこぎつける。借金の返済と自分達の給料は何とか賄う事が出来た。

 幸先はよさそうだ。希望の日も消えず、やれやれと思った矢先の平成7年10月、現場監督の榊原洋一が肝臓癌で死亡。彼は春先から体の不調を訴えていた。医者にも見せず、仕事に精を出していた。無理に無理を重ねていた。

 社長の桑山は、元大工とは言え、20年以上も現場に出ていない。その上糖尿病の悪化で、目が見えにくくなっていた。

年に1度の不動産組合の慰安旅行に、桑山社長に代わり、榊原現場監督が出席していた。黒人かと思われるほど肌の色が黒い。いかつい顔に似ず、心根がやさしく律儀な性格である。声が小さく、喉の奥でぼそぼそ喋る。

 家族は奥さんと子供3人、上がまだ高校生だから、まだまだ頑張らなけてはと口癖のように話していた。

 彼の死は家族は勿論のこと、桑山建設にとっても大きな痛手となる。

 現在進行中の建売は下請けの大工の計らいで何とか完成にこぎつける。奥さんの奮闘で完売になる。

 桑山建設は知多市岡田や大野駅裏に膨大な土地を有している。すべてノンバンクや取引銀行の担保に入っているものの、建売で処分していけば、2~3年は自分たちの食い扶持ぐらいは確保できる。

 桑山建設の建売の特徴は、一括で下請けに工事を請け負わせないことだった。大工工事、左官工事、基礎工事などを、ばらばらに発注する。現場監督が工事の進行に合わせて工事人を指図している。ここに現場監督の力量が問われる。榊原は桑山が一目置くほどの優れた現場監督だった。

 この方法は一括下請けよりも安くできる。代金の支払いにも無理がきく。桑山は元大工だけあって、原価計算はしっかりしている。工事が終わった後の支払いは3ヵ月の手形となる。建売が売れれば、代金の回収はほぼ2ヵ月でできる。手形の決済まで間に合う。

 建売が売却できないときは、手形の再発行になる。

 バブル崩壊後、不動産、建売業者は不況の極みにあった。仕事がなくて大工は建売業者に日参して、仕事をもらい、食いつないでいた。当然支払いなどの無理も聞くことになる。

 現場監督に死は、今までのやり方が通用しないことを意味していた。腕のいい現場監督はすぐには補給できない。

 一括請負で任せるしか方法がない。それでも桑山社長は建築費用を値切りに値切る。仕事欲しさに大工は桑山建設の申し出を受け入れる。桑山社長は工事現場に赴くことができない。相手を信頼して任せることしかない。

きつい値引きに応じた大工は、基礎工事や左官、基礎工事、設備屋にも値引きを強要する。目に見えないところで手抜きが出てくる。1日かかる工程を半日で済ます。当然工事が雑になる。現場監督がいないので、文句を言う人はいない。

 これが後々になって、お客の苦情となって表れてくる。

 桑山建設は夫婦と子供一人の3人となる。奥さんの安子さんは、どこの不動産屋さんも相手にしてくれないことを、ようやく悟る。

 今抱えている土地も、2~3年でなくなってしまうだろう。借金は減るが、なくなるわけではない。

 安子は2~3年先の事を考えて生活設計をしようとするが、土地の情報が得られず苦慮する。

 悪いことはなおも続く。

平成8年正月、桑山の眼は見えなくなる。体力の衰えも激しく、寝たきりの日が続く。

――安子さん、よっぽっど男運が悪いんだわ――

 さすがに不動産屋仲間も同情の眼を向ける。

 心根がやさしく人当たりが良いだけに、周囲の同情も大きい。

――奥さん、この土地、売ってみや――  

不動産屋から情報が入るようになる。

 大きな土地は個人客は買うことができない。建売り業者に持ち込むのが最適である。

 西脇不動産は今や、年間20棟をの建売をこなす業者に成長している。西脇も過去のこだわりを捨てている。桑山建設の奥さんとの付き合いが始まる。

 3百坪の土地は4~50坪の土地より安い。

 西脇は桑山建設の奥さんが持ち込んできた売り物件に「これこれの値段なら買ってもよい」と注文を出す。

 彼女は死にもの狂いで売り主側の業者を説得する。腰の低さと粘り腰が功を奏する。契約の話がちらほら出るようになる。

 妻の安子に面倒を見てもらっていた桑山良造は、知多市の老人医療看護センターに入院する。

 寝たきりの夫を抱えての営業活動は心身ともに負担が大きい。幸い安子の姉夫婦には子供がいない。3歳になるわが子を預けることになった。


 平成8年3月、桑山建設改めて桑山不動産と改名。新舞子駅前の3百坪の店舗も建売で借金の返済に充てる。久米の自宅も処分して、借家を借りての再出発となる。

「奥さん、男で苦労ばかりするなあ」周囲の同情をよそに、彼女は輝いて見えた。

 子供が嫁に行くまで何としても頑張らなねばならない。その必死な思いが彼女を営業に駆り立てていた。

  

 平成8年4月。

西脇は商用のため知多市の不動産屋を訪問。帰りに、老人医療看護センターによる。受付で桑山良造の病室を訪ねる。

 部屋は6名の患者が寝起きしている。奥のベッドで桑山良造は点滴の最中だった。寝ているのか桑山は死人のように動かなかった。

 西脇は驚きを隠さなかった。がっちりした骨太の体は骸骨のようにやせ細っていた。白髪交じりだった髪は抜け落ちて、地肌が露わになっていた。たるんだ頬の肉も消えている。ほっそりとした頬に、黒ずんだ肉がへばりついている感じだった。

「桑山さん、お客さんよ」看護士が声をかける。

 桑山は閉じたままの眼で看護士の方を向く。

 看護士は桑山の反応を確かめると、西脇にどうぞと眼で促す。

 看護士がベッドから離れる。入れ替わりに西脇が傍による。

「桑山さん、西脇です。判りますか」西脇は桑山の耳元で喋る。

 桑山は口を開ける。閉じた目の奥で、瞳がぐりぐりと動く。

「あ!、西脇さんかいな」桑山は点滴していない方の手で、西脇の体を触る。

「よう来てくれたなも、おおきにな」桑山は何度もうなずく。

「おっかあから聞いとります。世話になっとります。おおきに・・・」

 桑山は西脇の手を握り締める。閉じた瞳からは涙があふれる。

「おっかあを助けてやってくれやな、頼むんな」

 気持ちが昂るのか、喋っている言葉がよく聞き取れない。

「早う、元気になってくれやな」西脇は常滑弁で励ます。

 桑山は被りを振る。

「もう駄目だわ、元気な時にゃ、さんざんええ思いをしてなあ、その罰だわ」

 西脇は元気つける言葉が浮かばない。

「自分だけ儲けて、他のもんの怨みを買った報いだわ」桑山は泣き出しそうな声を出す。

「おっかあはええ女だわ。頼むんな。これからも助けてやってくれやな」

 西脇は黙って聞いている。彼の繰り言からは、誰も見舞いに来ない事が判る。

3日に1度奥さんが見舞いに来る。仕事の経過報告をして帰る。奥さんの話を聞くのが唯一の楽しみだという。

「せめてなあ、娘の顔が見たいもんだなあ」

 奥さんの話だと、彼の寿命は長くないという。安楽に死なせてやりたいという。

「また来るでなも」西脇は彼の手を握り返す。

「本当にまた来てくれやね。頼むんな」

 桑山の悲痛な叫びが胸に響く。再会を約して、西脇は部屋を後にする。



               大筒不動産


 平成6年2月、大筒不動産、大筒敏雄死亡。享年68歳。半年前に肺癌の手術で片方の肺を摘出。退院後自宅で療養するが、その年の正月明けに風邪をこじらせる。それが原因で死亡。

 彼は年の割には若く見えた。長身で筋肉質である。若い頃は運動選手だったという。体力には自信があると自負していた。

 麻雀が好きで、徹マンで翌日仕事をこなしても疲れを知らない。睡眠時間も4時間で充分だと豪語していた。

 体力のない西脇にはうらやましい限りだ。

 大筒は大府の中部病院で片方の肺を取った後、自宅で療養していたが、少々疲れるのが速いというだけで、普段通りに仕事をこなしていた。

 骨太タイプで、太い腕が印象的である。近眼の為に、金縁の眼鏡をかけているが、それが一層中年の渋さを漂わせていた。服装にも気を遣う。人をそらさない話ぶりに定評があった。

 大筒は20代の半ばに不動産業に入っている。30年以上のキャリアがあるが、店舗は30年前と変わらない。

 ユニー常滑店から西に1キロ程行った県道に沿いにある。自宅兼店舗には、奥さんが事務を担当している。現在は子供が2人。男の子と女の子である。

 彼の死亡時、男の子は名古屋の商社に入社したばかり。女の子は嫁いで1年目、子供たちが独立していることが、不幸中の幸いと言えた。


 大筒不動産は仕事より政治に興味を持っていた。

共産系前常滑市長が立候補したとき、寝食を忘れて奔走している。前市長は今は市会議員だが、選挙のたびに仕事そっちのけで、知人や親戚を廻ったり、各家庭にビラを配ったりで、前市長の右腕のような存在だった。

 彼の性格は良く言えば率直、悪く言えば人の評をあらかさまに言うことだった。

 一般的に、不動産屋は商売柄、あらかさまな物言いはしない。どちらでも取れるような言い方をする。白黒をはっきりさせるような表現を避ける風潮がある。

 常滑の不動産屋仲間で大筒不動産を良くいう者はまずいない、率直な物言いが災いしているが、それだけではない。商売上のやり取りの悪さにには定評がある。

 ある不動産屋は酒の席で大筒不動産の悪口をぶちまけた事がある。目の前に本人が居ないことことは勿論だが、酒の力を借りての憤懣は、よほど腹に据えかねていたと見える。

「あいつあ、ド悪人だわ」当の不動産屋はまず結論を吐き出す。そのうえで、血走った眼で絡みつくような口調になる。

 以下彼の話。

 彼は市役所や大手タイルメーカーの社員などと付き合いがある。市役所でも互助会を通じて、市の職員とも顔なじみとなっている。

 土地の売り物が出ると、彼らに情報を流す。彼は土地の仲介だけで食ったいる。交渉の場は大手タイルメーカーの食堂や市役所2階の食堂兼喫茶室になる。

 ある時、常滑市内に50坪の手ごろな土地の売り物が出た。

彼は早速常滑市役所に駆け付ける。以前から土地を探していた市の職員に話をする。

 朝の10時頃なので、食堂は人がいない。彼は土地の場所と価格などについて、職員と差し向かいで説明する。

「わしなあ、大筒不動産が、わしらの後ろの席で腰かけているとは思わなんだがや」

 大筒不動産が忍び寄るようにして聞き耳をたてていたと言うのだ。大筒不動産が席を立って、はじめてその存在を知ったという。

 問題はそれからである。

 この不動産屋は市の職員が購入の意思があるのを確かめると、地主の所へすっ飛んでいく。

 地主さんは彼の顔を見るなり、申し訳なさそうな顔をする。

「さっきな、大筒不動産が来てなも、あんたに話した値段よりも高く売るから頼むわと言われてなあ」

 びっくり顔の不動産屋は詳しい訳を聞く。地主さんいわく。この土地の仲介は誰にも話していない。先ほど突然、大筒不動産がやってきて、売り止めとして10万円置いていったという。

 地主さん、大筒に「わしんとこのこの土地の事、誰からきいただや」と尋ねる。大筒はあんたの名前を出したんだという。地主は安心して金を受け取ったという。


 「あいつはなあ、言うこととやることが裏腹だがや」

当の不動産屋さん、禿げあがった頭をごしごしこすりながら、大筒の悪口を

ぶちまける。

 西脇はごもっともとうなずく。

 大筒不動産は常滑で不動産組合の役員をやっている。

月に一回開かれる役員会では、彼の発言が一番多い。いうことが理路整然としている。彼を知らない者が聞いたら大した人物と思うほど、言葉巧みである。

 西脇も役員の一人として出席している。役員は全員で10名。

 会の運営は支部長の指示で進行している。議題が提出され、賛否は多数決で決まる。

 大筒不動産の発言が目立とうとも、どんなに立派な事を言おうとも、誰も耳を貸さない。

 2年前の事である。

 バブル崩壊後、不動産業界は不況の最中にあった。そのくせ、不動産を売る時の税金が39パーセントも取られる。こんなに取られると、土地を売らないとやりくり出来ない地主さん以外は、あほらしくて手放す気にはなれない。

 この税金はもともと地価高騰を抑制する手段として設けられた。バブル崩壊で地価は下落している。

 この税の他にも、土地を千平米以上所有していると、特別土地保有税がかかる。千平米(約3百30坪)持っている不動産屋は経営が苦しくなる。地価が下がっているので、本来は撤回すべき税なのだ。

 ところが国にお金がない。ないどころか、2百兆円の借金を抱えている。ほうかむりして撤回しようとはしない。

 土地を売買するときの登録免許税も、目の玉が飛び出るほど高くなっている。この税は一般の人にはなじみが薄い。

 国民に直接影響を及ぼす税は下げる。政治家の人気取りを狙った対策であることは言うまでもない。

 39パーセントも取られる税金を、昔の26パーセントに戻そうという運動が不動産組合の全国組織で始まる。常滑支部も名古屋の本部からの要請もあって、著名運動が展開される。

 不動産組合は自民党支持である。ただし、暗黙の了解であって、表立っては各会員の自主性に任せられている。政治献金もしていなかった。

 平成2年、本部から、自民党支持を明確にしたいという要請が届く。政治献金も行う。各会員の賛同を得たいので、協議してほしいとのことだった。

 常滑支部で会合が開かれる。政治献金と、自問党支持の討論が行われる。

 10人中9人までが本部の意向に賛同、大筒不動産一人が反対に回る。彼は共産党支持である。

 彼の話は巧みで、声も大きい。金縁の眼鏡をひけらかして熱弁する。

「政党支持は各会員の自主性にゆだねられるべきである。政治献金はもってのほか」

 言っていることは理屈が通っている。不動産組合の本部も支部も各会員を拘束する実権はない。法律に違反しないよう、監視するのが本来の目的である。本部の決定事項も、お願いであって、強制力はない。

 大筒不動産の主張は筋が通っている。あんたの言うとおりだと、皆思っている。

 皆の気持ちは1日も早く景気が良くなってほしいだけだ。土地や建物などの物件が右左に動いてくれないと食っていけない。そのためにも税金が安くなって、売買しやすい状況になってほしいのだ。

 自民党には往年の力はない。かといってそれに代わる政党もない。今は自民党を動かして、国税庁に圧力をかけるしかないのだ。

 大筒不動産が信頼に足りる人物ならば、9名の役員は賛同しなくとも耳を傾けた筈だ。言う事とやる事に落差がありすぎる。誰もが疎ましい気持ちで大筒不動産の口元を見ているだけだ。

 討論は時間切れとなる。多数決で本部の要請に従うことになる。


 西脇が20年前に常滑の不動産業界に身を投じた時は、業者同士のどろどろしたいがみ合いは判らなかった。5年6年と経つうちに、利権が絡んで、水面下では憎悪の火花が散っている事を察するようになる。

4年前に西脇も大筒不動産に手ひどい目にあっている。

 常滑市役所東側の旧道で保険の代行を業としている竹内某が、西脇不動産に駆け込んできた。

「市内に6~70坪の土地が欲しい」というのだ。

 理由を尋ねると、今の店舗は借地である。土地を返してほしいと言われている。身に余る立退料を提示されている。

 竹内某は保険の代行をやる前は焼き物の問屋をやっていた。西脇の妻の実家とも昔からの付き合いがある。知らない仲ではないので、西脇は知り合いの不動産屋に掛け合う。

 驚いたことに、この件はすでに不動産屋に回っており、知らぬは西脇ばかりのようだった。西脇は裏切られたような気持になったが、商売と割り切って、土地探しに奔走する。

 常滑市保示町に店舗用地の情報が入る。竹内某に見せると、気に入ったから買いたいという。

 情報をくれた不動産屋に、お客が買いたいそうだと伝える。その不動産屋、角田不動産は、不動産屋に珍しく律儀で、物の考え方も石のように固い。悪く言えば融通の利かない性格だが、喋っていることが正直である。西脇は全幅の信頼を置いている。

 角田不動産は言う。保示の物件は大筒不動産から出ている。彼に西脇不動産の意向を伝えるから、2~3日待ってほしい。

 西脇は大筒不動産の名前が出た時は嫌な予感がした。何事もなければよいがと懸念した。

 2日たち3日たっても角田不動産からは連絡がない。不審に思って彼の店に赴く。角田は西脇の顔を見るなり、蒼い顔で頭を下げる。

 実はと、力のない声で言う。

 2日前、大筒不動産に赴く。西脇不動産の意向を伝える。

 大筒不動産は言う。保示の土地は、地主から売買を一任されているが、仲介手数料は出せないという約束になっている。よって買主からもらう手数料の内、半分は自分が貰う。残りの半分をあんたたちで分けてほしい。

 角田は西脇と相談すると答える。

「買い手は誰?」大筒不動産は何気ない顔で聞く。角田はお客の名前を伏せておけばよいものを、正直に竹内某の名前を出してしまった。

「彼は俺の同級生だがや」大筒不動産は言うなり、あっけに取られている角田をほったらかして竹内某の事務所に駆け込む。

 結局、大筒不動産は竹内某と直接に土地の売買の話をする。後日、仲介手数料の半分は角田不動産の手に入る。彼はその半分を西脇に持ってきた。

 西脇は不動産屋同志の付き合いを大切にしている。角田にはその手数料全額を受け取っておくように言う。自分はたまたま依頼されて動いただけだ。金は欲しいが、素直にもらう気になれないのだ。

 西脇は大筒不動産に馬鹿にされたような気分で釈然としない。

 それ以上に、心の中で大筒不動産を軽蔑する。自分よりも10歳も年上で不動産の経験も長い。先輩格に当たる。それにもかかわらず器量の小ささに憐れみを感ずる。

 不動産屋さんの情報によると、彼は取引のたびにこのようなトラブルを引き起こしている。言い訳は聞く者が感心するような言葉を吐くという。

 しかし、どんな理屈を吐こうとも、どんな言い方をしようとも、相手は納得しない。むしろ憎悪と怒りを覚えるだけだ。大きな金が絡んでいるのでなおさらだ。

 西脇はこれを機に、大筒不動産の絡んだ取引には手を出さないことにした。

 大筒不動産とのトラブルはできるだけ避けたい。嫌なことがあっても、まあまあと、穏便に済まそうとする。

 ただし、一旦トラブった業者とは、よほどのことがない限り、付き合うことはない。

 大筒不動産は不動産屋仲間の心の内を理解しているのだろうか。西脇は不思議に思う。

 理屈さえ通れば相手は納得していると思っているのだろうか。大筒不動産とトラブった相手は、忘年会や懇親旅行で顔を合わせてもそっぽを向いてしまう。

 大筒不動産はそのことを知ってか知らずか、平気で酌を進める。相手が苦り切った顔をしているのに、一向に意に介さない。

 神経が図太いというのか、無神経というのか・・・。

 大筒不動産の友人と名乗る人から大筒評を聞いたことがある。

――あいつの性分だから仕方がないわね――

 西脇は苦笑してしまう。

この類の話は、あの時は酔っていたからだとか、気分が悪かったからだとか、自分の失態を酒や気分のせいにしてしまう。本人はそれで済むと思っている。言われた本人が大人しくて善良な人なら、1度や2度は大目に見てくれようが、度が過ぎるとそうもいかなくなる。

――性分――では済まないのが大筒不動産だった。

 その人物は性分だから大目にみてやってくれんかと言う。本人が悪かったと言えばまだしも、反省の色も見えないのだ。

 大筒不動産のものの考え方はあまりにも甘いし、虫が良すぎる。

自分は前市長の右腕だと常々吹聴している。そう言いふらせば、誰しもが自分に一目置くと思っている。その高邁さが嫌悪されている原因となっている。

 2年前に、大筒不動産の甥が行政書士、いわゆる代書屋を始めた。代書屋は宣伝広告をうつことが禁じられている。店の前に行政書士の看板を出すのが関の山だ。

 一般に行政書士を志す者は同業者の下で働く。5年10年の下積みをしていくうちに、自分なりの顧客が獲得できる。それから独立する。

 大筒行政書士はこのパターンを踏まずに、資格を取っていきなり独立した。当然顧客はゼロ。

 不動産屋や銀行回りに専念する。西脇不動産にもやってきた。

西脇はていよくあしらう。他の不動産屋さんにも挨拶回りに来たという。

――誰が使うか、あんな大筒の身内を・・・――

 一様に悪口が流れる。

 かわいそうなのは大筒行政書士である。叔父の大筒不動産の名前を出せば、相手になってくれると思っている。

 事実、挨拶に行くと、「そうかな、独立しただかな。大変だなも。頑張ってなも」激励の言葉が返ってくる。愛想は良い。幸先は良しと胸をはずませて、売り込みに専念する。

 しかし2か月たっても3か月たっても、不動産屋から仕事が回ってこない。ただ、知人が家を建てた。土地を買った、その売買の登記の仕事だけが舞い込んでくる。

 彼は我慢しきれずに、大筒不動産に相談に走る。

 大筒不動産が腰を上げる。甥っ子に仕事を回してやってくれんかと不動産屋に駆け込む。

 大筒不動産の悲劇は、自分が嫌われているとは思っていない事だった。どんな場合でも正論を吐いていると信じている。疎んじられるような真似はしていないと確信していることだ。

 西脇不動産の、竹内某に仲介の件もそうだった。

 一般に、地主から土地の売買の依頼を受けた時は、法律上の定めとして、委任契約を結ばねばならない。

 その内容は、一般媒介契約、専属媒介契約の2つに分けられる。前者は、地主が、あなたにも売ってもらうが、他の業者にも依頼していますよ、というもの。

 後者はあなた以外には頼みませんよというもの。

 特に後者の場合で、地主と契約を結んでおくと、他の不動産屋が割り込んできて、地主と売買契約書を交わしても無効となる。

 西脇は竹内某とそれをやらなかった。大筒不動産から見ると、竹内某と媒介契約を結ばなかった西脇が悪いということになる。

 大筒不動産の行動は理屈では筋が通っている。理屈さえ通っていれば、後ろ指をさされる筋合いはないと考えていることだ。

 多くの不動産屋は、法律上はどうあれ、信頼という暗黙の了解で商売をしている。

 西脇の場合でも、A不動産屋から入った情報は、後日B不動産屋から入っても、Aさんから頂いてますと、明確に意思表示する。何があってもAさんを通して話をする。媒介契約があろうとなかろうと、筋を通す、それが信頼なのだ。

 大筒不動産は死ぬ1~2年前、甥の行政書士に頼まれて不動産屋のあいさつ回りをしている。

「仕事があったらよう、甥を使ったってくれんかや」言いながら軽く頭を下げるのみ。元来頭を下げたことのない人間なのだ。

「こちらから頼むでな」不動産屋は気持ちの良い返事をする。大筒不動産は自分が実力者で大物と信じている。

 1~2か月もすると、仕事がてんてこ舞いになるぞ、甥に吹聴する。

 2か月が過ぎ3か月が過ぎる。仕事は舞い込んでこない。

 西脇不動産は年間に20棟前後の建売をこなしている。どこの不動産屋でも年に4つか5つくらいの仲介はやっている。どの不動産屋からもうんともすんとも言ってこない。

 異常さに気づいた時、彼は常滑市民病院を出たり入ったりの生活を強いられていた。市民病院で検診の結果,肺癌と判る。

 平成6年11月に大府の中部病院に入院。手術は一応成功。12月の中旬に退院し、自宅療養となるが、翌年の正月あけに風邪をこじらせて常滑市民病院に入院、2月中旬に死亡。

 平成7年4月、大筒不動産の知人に会う。

 彼は常滑市役所の職員。大筒不動産とは政治的な繋がりを持っていた。西脇は政治には興味はないが、彼が土木課に配属されて以来、仕事上でよく顔が会った。気が合うというのか、西脇不動産にも出入りするようになっていた。

 彼は大筒不動産が亡くなる前の心境を話してくれた。

 3年前、常滑不動産組合の支部長の選挙が行われた。大筒不動産は支部長をやりたくて仕方がなかった。立候補したものの落選した。

 大筒不動産はその原因を、同時に立候補した平田不動産の策謀によると信じていた。平田が会員宅を回り、自分に投票するように根回ししたというのだ。

 それを聞いて西脇は笑ってしまう。そんな事実はないからだ。大筒不動産は嫌われていた。ただそれだけのことだ。

 平成7年正月明けに、自分の死を覚悟したのだろう。

――自分は業者仲間から疎んじられている――それがはっきり判ったというのだ。

 大筒不動産は法律には違反せず正論を吐けば同業者は自分を認めてくれるとばかりに思っていた。事実、不動産屋をやって30年間、表立って自分を非難する者はいなかった。

 不動産組合の役員もかって出る。組合の為にずいぶんと力を尽くしている。その功績を認められてしかるべくだと思っていた。

 大府の病院で大きな手術を受け、その後自宅療養に入るものの、平成7年正月明けに常滑市民病院に入院。大筒不動産は不動産組合の役員だから、彼の入院は業者仲間に伝わっている。

 知人や友人、政治仲間は見舞いに来てくれたが、不動産屋は一人も来ない。

 死を悟り、自分を見つめる。彼は、人から認めてもらう事ばかり考えて、人を認めることはしなかった。それがはっきりと判ったのだという。

 死ぬ3~4日前は、肌が褐色になり、がりがりに痩せて、眼に涙をためるようになる。

 側にいるのは奥さんと子供たちと、親類縁者のみ。政治家仲間の見舞いはあるものの、彼らが彼亡き後の面倒を見てくれる訳ではない。

 彼の死後、奥さんが大筒不動産の後を継いだ。業者仲間の誰一人として挨拶に伺う者はいない。

 西脇は業者同士の信頼関係がいかに大切か、大筒不動産の死によって、身に染みている。



               岩本不動産


 岩本不動産は平成8年で70歳になる。毎日喫茶店を4~5軒はしごする。

 子供は2人。一人は司法書士、一人は測量士、岩本合同事務所として、兄弟が手を取り合い代書屋家業に精を出している。2人とも気さくで腰が低い。不動産屋仲間内でも評判が良い。

 西脇は商売上よく喫茶店を利用する。月に1度くらいは岩本不動産と鉢合わせする。

「いい息子さんをもって仕合せですね」

 西脇は挨拶する。岩本不動産は小柄で太っている。70歳にしては若く見える。髪は白いが、現役で充分に働ける。まだ不動産屋をやっていける。

 岩本不動産は西脇に挨拶されて素直に喜ぶ。

 彼は常滑不動産組合の中でも最古参に属する。

 いつも笑顔を絶やさず、人を見下すところがない。穏やかな口調で話をする。どんな相手でも腰を低くする。

 几帳面で律儀である。土地建物の情報を得ても、仲介者を通り越して、地主と直接交渉はしない。そんなことをしたら次から情報がもらえないことくらいわきまえている。目立たないが固いことで定評がある。

 ある時、西脇は武豊のとある喫茶店で岩本不動産と会う。昼の3時頃だ。

「これで3軒目でな」岩本は喫茶店のはしごをしているが、行きつけの店はない。

 朝9時に家を出る。行き先を定めず、ハンドル任せの1日が始まる。年金は入るし、子供たちが小遣いをくれる。

 老人会には出席しないし、ゲートボールなど興味もない。

 10年前に奥さんを亡くしている。商売の方も、お客が来ればやるが、自分から積極的に客探しはしない。

「気楽な毎日だわな」気楽すぎて、夜など一人でポツンとしていると無性に寂しくなる。

「この年になってもなあ、女を抱きてえと思うことがあるんだがや」

 西脇は好感をもって岩本の話に聞き入る。身も心も枯れてはいない。結構な事ではないか。

 今は上の息子の家で寝起きしている。

息子と言っても上が46歳、下が40歳だ。それぞれ孫が2人ずついる。

「ヌード写真でも見てえが、買って家で見るわけもいかんしなあ」

 喫茶店には週刊誌が置いてある。際どいヌード写真などがあふれている。雑誌を見ながら気を紛らわしているという。

 喫茶店もどこでもよいとは限らない。若いウエイトレスがいるところしか行かない。

「お元気で良いじゃないですか」西脇はお世辞を言う。

「元気すぎてなあ・・・」岩本は困惑気味に言う。


 不動産組合では正月明けの新年会、4月、9月には慰安旅行、暮れに忘年会が開かれる。常時、コンパニオンが7~8名呼ばれる。

 岩本は人目もはばからず、コンパニオンの手や胸などを触りまくる。これと眼をつけたコンパニオンを独り占めにする。不動産屋仲間は岩本の女好きを知っているので、手出しはしない。

 岩本は過去3回不動産組合の支部長を務めている。一期が」3年だから9年間の無料奉仕で貢献している。

 今でこそ、支部長も役員も手当てが出るが、昔は手弁当で名古屋の本部との間を、1週間に1度は駆けずり回る。要は名誉職だが、箔付けに支部長をやりたい不動産屋が後を絶たない。

 西脇は役員をやっているが、好きでやっているわけではない。半ば強制的に勧められて、いやいややっている。

 西脇は名古屋の大手不動産屋で営業畑を歩いてきた。肩書がいかに虚しいか身に染みている。

・・・実力こそすべて・・・それに徹している。

 名誉職に精を出したところで、売り上げが伸びる訳ではない。

 常滑市役所の職員で知人が、市の出入業者として登録したらどうか、実績があるので可能だと誘ってくれた。それも断っている。

 市の仕事欲しさに、市の幹部連中を宴会に誘ったり、機嫌を取ったりの苦労話を聞いている。そんなにしてまで仕事が欲しいとは思っていない。建売1本で充分に食っていける。この方が気が楽だ。

 岩本不動産は、子供たちが独立したての頃、市の仕事欲しさに、何度となく市の職員にあいさつ回りをしている。

 あんなことは金輪際嫌だという。市の職員にペコペコと頭を下げて回るのが性に合わないという。

「昔は良かったなあ」岩本の眼は昔の良き時代に向けられる。コーヒーを飲みながら、岩本の顔はうっとりとする。歳をとるたびにその思いが強くなっていく。


 現在は建物をどこに建てても良いという時代ではない。法の網でがんじがらめになっている。昭和45年以前であれば、どこに建物を建てても、行政(市や県)がら文句は言われなかった。

 30年も前の常滑には不動産屋は20軒くらいしかなかった。それでも不動産だけで食っていけるのは5軒ほどしかなかった。何々不動産と玄関前に看板を掲げるだけで、結構食っていける時代だった。

 地主が土地を売ってほしいと言ってくる。不動産屋はめぼしをつけた客に連絡する。土地を見せる。後は買う買わないかだけだ。2~3か月に1つ、土地の仲介をやれば、サラリーマンの半年分の収入があった。

 大きい土地は同業者と共同で購入する。すぐに転売する。その差額の利益で、1~2年分は食っていけた。

 現在は、土地を買ってすぐに転売すると、その差額に対しては、ほとんどが税金で持っていかれる。結局は土地ころがしというイメージの商売がはやるようになってしまった。

 昔は良かったという岩本不動産の言葉はウソではない。

不動産に対する法的規制も緩やかだった。昭和36年以前は、不動産の免許は県に申請するだけだった。

 岩本不動産の住宅兼店舗は常滑市古場にある。

 県道から一歩中に入った、農協古場支店の奥にある。県道沿いに岩本不動産の矢印の看板がある。店舗とはいうものの、家の離れを改造しただけの粗末なものである。ここは昔ながらの漁師町だ。

 岩本が不動産の世界に入ったのは戦後間もなくのことだ。人に頼まれて土地探しをしたのがきっかけだ。やってみるうちに面白くなる。ずるずると今日に及んでいる。

「不動産はなあ、銭が入るときゃ、がばっと入るが、入らん時は半年も入らん」

 西脇には岩本の言わんとすることは良くわかる。景気に波があるように、収入のある時は一般のサラリーマンの年収以上の金が一度に入り込む。

 西脇が岩本不動産がエライと思うのは、金に使われないないことだ。

 不動産屋によっては、大金が転がり込むと、自分が偉くなったと錯覚して、豪遊したり、高級車を乗り回したりする。自分では金を使っているつもりなのだろうだ、金に使われているだけだ。

 岩本は性格は地味で大人しい。人との争いも好まない。どんなに大金が入ってきても、月々の生活費の他は貯金に回している。彼は大きな財産は残さなかったが、2人の息子の独立の資金と家と土地を残している。つつましい生活で、金が入ってもバーやキャバレーに行くことはない。

 女好きであるが2号さんを囲ったりはしない。

「そんな金無いわなあ」と笑う。

 そんな岩本不動産が土地ブローカーに騙されたことがある。知る人ぞ知る有名な話である。

 昭和57年、岩本55歳。油の乗り切った男盛りの頃、名古屋から久田と名乗る不動産屋からの電話があった。9月中旬の事で、バブル経済の崩壊の序曲が始まろうとしていた。土地の需要も旺盛だった。土地の出物がなく、建売業者は土地探しに四苦八苦していた。

「武豊の六貫山に3百坪の土地があある。一度見てもらえないか」久田不動産の要件である。

 2日後、待ち合わせの時間に現地に赴く。

六貫山は武豊でも高台になる。武豊高校の道路を北に登る。2百メートルばかり行って西に折れる。そこから百メートル程入ったところだ。

久田不動産と名乗る男はダブルのスーツをぴっちりと着こなしている。目鼻立ちもきりっとしたイケメンタイプだ。アタックケースを持ち、岩本を見ると深々と頭を下げる。

――久田不動産、名古屋市中川区・・・――名刺を差し出す。

 礼儀正しさに、岩本も慌てて名刺を取り出す。慇懃に一礼する。道端にはハイクラウンデラックスが止めてある。

 自己紹介が終わると、久田不動産はアタックケースから土地の図面を取り出す。

 岩本を案内して問題の土地を見せる。

 場所は草が生い茂って荒れ地のままだ。建売用地としては絶好の場所である。

岩本は建売はやらない。建売業者に勧める物件と腹つもりしている。平地だから宅地造成費は要らないとみる。道路に平行した細長い土地だ。ヨーカン切のできる土地と見た。

「いくらですかな」岩本は尋ねる。

「坪30万で・・・」と久田不動産。

――ほう――岩本は感心する。この辺りはどう見ても坪40万円は下らない。

「安いですなあ「岩本は根が正直である。

「私もそう思います」久田不動産は金歯をひけらかして微笑する。。

「ただし、この土地、込み入った事情がありましてね」

言いながら「お時間はよろしいですか」女のような声で言う。

 岩本は是非ともこの土地を触りたいと思っている。この値段なら建売業者は眼の色を変えて飛びつくだろう。

 9千万円の価格として、仲介手数料3パーセントとして2百70万円の収入となるのだ。

 久田不動産は岩本の物欲しげな表情を見逃さない。

「近くの喫茶店でお話ししましょう」岩本たちは武豊高校の近くの喫茶店に入る。

「実は・・・」久田はアタックケースから土地の謄本や地主さんの委任状やらを取り出す。

 岩本はそんな久田を制する。

 電話をもらった時から抱いていて疑念をぶつける。

「私の事、どこで知りましたかな」

岩本は知多半島の不動産屋には大して顔がない。ましてや名古屋の不動産屋は絶無に近い。積極的な売り込みをしていないからだ。

 これだけの物件なら、岩本不動産に持ってこなくても、買い手はいくらでもいる。この疑問に久田不動産は、何だそんなことかと口をあけて笑う。金歯がきらりと光る。

「中川区の鈴木不動産をご存知ありませんか」

「鈴木不動産?」

 聞いたことのあるような名前だ。岩本は首をかしげる。

「もう2年前になりましょうか」

 久田不動産は静かな口調で語る。

 半田市乙川に鈴木不動産所有の売地が出た。2年前にそれを売り出した事がある。知多半島の主だった不動産屋に情報が流れる。まわりまわって岩本不動産にも入ってきた。

 常滑の知人が半田市内に土地を捜していた時でもあった。岩本はその土地を薦めた。価格が合えば買ってもよいとの返事をもらう。

 岩本不動産にその土地の情報をくれた半田の不動産屋にその旨を伝える。現地で待ち合わせとなる。岩本の知人を連れて現地に赴く。半田の不動産屋の他、3名の仲介業者と売り主の鈴木不動産も顔をみせる。

 結果は価格が折り合えず、お流れとなる。

名古屋から来た仲介業者や鈴木不動産と名刺交換をしている。

「ああ、あの時の・・・」岩本は思わず声を上げる。

「鈴木さんとは仕事の上で懇意にさせていただいておりまして・・・」

 久田不動産は笑顔を絶やさない。

 自分は今まで知多半島の物件を扱ったことがない。春日井市や瀬戸、多治見方面、名古屋でも北区方面ばかりだ。

 この武豊の物件、地主さんが中川区の人で、自分もよく知っている。売ってくれと頼まれたものの、知多半島の不動産屋さんを知らない。誰彼なしに情報を流せば済むかもしれないが、どんな形で地主に迷惑がかかるかわからない。

 どうしたもんかと迷っているときに、鈴木不動産からあなたの事を聞いた。手堅い人で安心して付き合える人と聞いている。

 岩本は面はがゆい気持ちになる。褒められて悪い気はしない。久田不動産への疑念は解けた。

 岩本は本題に入る。

自分は仲介を業としている。この土地を購入して建売をやる資金もなければその力もない。正直に打ち明ける。

 久田不動産は黙ってうなずく。

「私があなたを選んだのは間違っていたでしょうかな」

 久田は正直に切りこんでくる。岩本不動産が無理なら他の業者に持っていく姿勢を示す。

 岩本の頭になかには270万円の仲介手数料がチラついている。安い金額ではない。何とかして扱いたい。坪30万という金額も安い。知り合いの建売屋さんに持っていけば、買ってくれると踏んでいる。こんな楽な商売はない。何とかしたいという欲が顔に現れる。

 久田不動産はそんな岩本不動産の顔色を見逃さない。

「実はですね、この土地、1つ問題がありましてね・・・」

打ち明け話をする。

 土地の所有者の丸井三吉氏は今年85歳。委任状の丸井太一郎氏はその長男。

 丸井三吉氏は入院中で危篤状態にある。意識はしっかりしているものの、医師の話によると、よくもって、あと1週間くらい。予断の許さない状態という。明日にでもあの世に行くかもしれない。

 丸井三吉氏には5人の子供がいる。奥さんは20年前に死亡。法定相続人として、5人で財産を分けると、丸井太一郎氏には2割しか入ってこない。

 丸井三吉氏は20年来、太一郎氏に面倒を見てもらっている。彼には財産の8割をやりたい。自宅と武豊の土地を太一郎氏に譲るつもりでいる。遺言書には全財産の8割を太一郎氏に、残りを4人で分配としてあるが、自分の死後、兄弟間にしこりが残ることも心配される。

 自分の息のある内に、武豊の土地だけでも現金に替えておきたい。

 9千万円のうち、1800万円を4人の兄弟で分ける。具体的に言うと、土地を売買するにあたって、手付金として2割出してほしい。その金を4人の兄弟に渡すことで、自宅と武豊の土地の相続権を放棄させる。

 残金の7200万円の支払いは半年くらい待っても良い。むしろその方が、丸井太一郎氏には好都合かもしれない。その間に、丸井三吉氏はが死亡すれば、相続税は生前贈与より安くて済む。

「この話を受けてから、まだ3日と経っておりません」

久田は岩本の顔色を伺う。

「私もこの地域で坪30万は安いと思います」

久田不動産は結論を言う。岩本不動産から他の不動産屋を紹介してもらおうとは思っていない。いざとなればつてを求めて自分で探すだけだ。

「要はこの1週間以内に手付金として1800万円を出してくれるかどうかです」

 そのあと、岩本不動産がどこへ売ろうと関知しない。残金決済も半年後でよい。

 普通、残金決済は手付金を入れてから1か月以内と相場が決まっている。この間に地主の丸井三吉氏が死んでも、相続権は丸井太一郎氏になる。

 万が一、手付金を入れてから、4人の兄弟が相続権放棄を拒んだとしても、岩本は相続権利者に対して残金と引き換えに土地の所有権移転の請求ができる。彼らがそれすら拒めば、手付金の倍返しの請求ができる。それが法律上の取り決めとなっている。

「1度、ご検討願えませんか」

 久田は端正な顔に柔和な表情を見せる。笑うたびに金歯が光る。

「ご返事は2日間お待ちします」

 久田不動産は名刺の電話番号を示す。自分は丸1日外に出ている。電話をくれれば事務員がとりつぐ。

 なお売買契約の手付金授与には、地主さんも出るべきだが、丸井三吉氏は面会謝絶のため出席できない。長男の丸井太一郎氏が、三吉氏の委任状を持参のうえで代理人として出席する。このことだけは了解してほしい。

 岩本不動産は久田不動産と別れると法務局に飛ぶ。

久田不動産の提示した土地の謄本にミスはないか確認する。間違いがないことを確かめると、半田市内の知り合いの建設業者に車を飛ばす。

 正直に事情を話す。

「現地を見たいが・・・」社長の一言で現地を案内する。

 社長は眼を輝かす。

「30万は安いがな」

 岩本不動産とその建築会社の社長とは20年以上の付き合いがある。ウマが合うというか、お互いの気心までわかっている。

「そうだね、うちが33万円で買うから、話をすすめちゃ」

社長がけしかける。岩本もその気になる。仲介手数料で270万円儲けるよりも実入りが良い。

 岩本は自宅に帰るなり、久田不動産に電話を入れる。

「久田不動産です」女の声。

 久田社長を出してもらうように言う。社長は今春日井市に出かけている。ポケットベルで呼び出すからという。

 10分くらいして久田不動産から電話が入る。武豊の土地、手付金を入れても良いが地主さんに会いたいと伝える。久田不動産は2日後に名古屋の某ホテルのロビーに来るように言う。岩本は了解する。

 当日の朝10時、岩本はホテルのロビーに赴く。その奥が喫茶室になっている。久田不動産が初老の男と一緒にロビーに現れる。

 喫茶室に入り、席に座る。久田は頭の禿げあがった男を紹介する。男はにこやかに頭を下げる。度の強い眼鏡の奥から「丸井太一郎ですがな」岩本を覗き込むように言う。

 岩本は名刺を差し出す。「ご名刺、いただけますかな」

「おっと、これは失礼をば・・・」丸井太一郎氏は慌てて内ポケットから名刺を取り出す。

・・・丸井商事株式会社・・・住所は名古屋市北区。

「詳しくは久田さんから聞いとりますわ」丸井は柔和な表情でぺこりと頭を下げる。

「財産争いは醜いもんでしてなあ」口が軽いのか、丸井はペラペラと喋り出す。

 しばらくしてから、久田が丸井を制する。

「岩本さんもお忙しそうだから、本題に・・・」金歯を超えてのぞかせて、不動産売買契約書などの書類をテーブルに広げる。

「いやあ、すみませんなあ、ペラペラと・・・」丸井は人懐こそうな顔になる。

 岩本は微笑する。緊張感が解けている。書類に目を通す。手付金は1800万円。残金は半年後に決済。

 買手(岩本)が契約を履行しなかったときは手付金没収。売手(丸井三吉)が契約を不履行したときは、手付金の倍返し、3600万円を岩本に支払う。契約書には丸井三吉の自筆と印鑑が押してある。

 その他に、丸井三吉氏から丸井太一郎氏への売買に関する1800万円の受領と同時に武豊町の土地の相続権の放棄をうたった契約書など、すべてが完璧にそろっている。

「ずいぶんと手回しがいいですなあ」岩本が感心する。

「善は急げと言いますからな。丸井三吉氏がいつあの世に行くか判りませんからな」

 久田不動産の笑い声に、岩本もつられて微笑する。すべてがベルトコンベヤーに乗せられているように手際よく運んでいく。岩本の腹は決まっている。否応のない。

 それでも岩本は印鑑証明書の発行の日付を見る。3ヵ月以前の日付は法的に無効だからだ。発行日は1週間前。

「ところで久田さん、お宅の仲介手数料は・・・」尋ねてみる。現地で会ったとき、不要との返事だったが、念には念を入れる。答えは確認通りだった。

 手付金の支払いは3日後、岩本不動産の事務所でということで話が成立する。

 当日、久田不動産と丸井太一郎氏が岩本不動産宅にやってくる。岩本は小切手で手付金を支払う。この金は岩本が20年間営々として貯め込んだ分と不足分は銀行で借りたものである。

 売買契約終了後、岩本は半田の建売業者と土地の売買契約の話に入る。坪33万円でこの業者に売ることで合意する。

 本来ならば丸井ー岩本―建売業者と所有権が移転する手順となる。これが正式な売買契約である。それを丸井=建売業者という手順に代える。これを中間省略といい、この時代、法的に認められていたのである。

 まず岩本と建売業者との間で売買契約を結んでいく。売り主から買い手に土地の所有権が移る時、登録免許税などの経費がかかる。その上に代書屋への礼金も馬鹿にならない。土地の権利書を作成する費用もいる。岩本不動産が抜けることで、本来岩本が負担すべきこれらの費用は節約できる。

 岩本不動産は建売業者との話を進めていく。 

 数日後、岩本は久田不動産に電話を入れる。残金の決済方法について、当方の要望を伝えるためだ。

――この電話は現在使われておりません・・・――

 岩本はハッとする。あわてて丸井太一郎氏の所にも電話する。

「中山ですが・・・」女の声だ。

「そちら、丸井商事さんではありませんか?」

「いえ、中山といいます。丸井さんという方はおりませんが・・・」

 岩本は電話番号と住所の確認をする。女は電話番号はあっているが、住所は違うという。

・・・やられた・・・岩本の顔が蒼白になる。急いで久田不動産の事務所に駆け付ける。

 中川区の住宅街の路地の奥に入った奥のところに住所があった。3階建ての古びたビルの3階である。岩本はドアをノックする。

「はーい」間の抜けた女の声が返ってくる。

「開いてますけど・・・」

 声につられてドアを開けて中に入る。部屋の中は10畳ほどの広さである。10台ほどの電話機がテーブルの上に並んでいる。中年の婦人が一人、椅子に腰かけて岩本を見る。

「何か用?」

「久田不動産はこちら?」岩本の声がこわばっている。

「久田さん?」女は化粧気のない顔で天井を見つめる。

「ああ、久田不動産ね」笑いながら、

「もうやめましたよ」

「やめたって、何を!」

「何をって、ここの契約ですよ」

「ここ?」

 女は岩本の尋常でない顔つきをみて、表情を固くする。

「ここはですね・・・」女は諭すように言う。

 事務所を持たない者が利用するところだ。

 電話を引いてもらう。後は1カ月いくらで、女が電話番する。電話が入ると、ポケットベルで本人を呼び出す。電話の相手と、話の内容を伝える。

 久田不動産は3日前に解約、電話を切っている。女の説明中に電話が鳴る。

「ちょっとごめんなさいね」女は受話器を取る。

「太洋興業でございますが・・・。社長は今県庁の方に出向いておりますが、御用ならお聞きします。お急ぎなら呼び出しします」

 岩本は黙って外に出る。試しに丸井太一郎氏の会社に行ってみる。名刺の住所から、道路地図を見ながら捜していく。現地には事務所はない。大きな倉庫が建っていた。

 諦めきれず、岩本は丸井三吉氏の住所に赴く。彼の家は容易に判明した。大きな屋敷だ。玄関に入り、チャイムを押す。すぐにも70歳前後の老人が現れる。

 白髪で背が高い。がっちりとした体格で、口をへの字に結んでいる。一見して気難しい表情をしている。

「丸井三吉さんですか?」岩本が訪ねる。

 老人は少し前かがみの格好で、そうだがと頷く。

「少々お話が・・・」岩本は唐突な訪問に、玄関払いをされるかと思ったが、

「まあ、上がりなされ」玄関右手の応接室に通される。

「ばあさん、お茶を出してくれるか」奥に声をかける。

「で、どんな御用でしょうかな」物静かな声だ。

「武豊の六貫山のお宅の土地の事、ご存知でしょうか」

 ぶしつけとは思ったが、挨拶抜きで、岩本は要点を述べる。丸井の穏やかな表情に接して、興奮気味の気持ちも収まってくる。

 老婆がコーヒーを運んでくる。丸井三吉は彼女が去るまで黙していた。

「わしの六貫山の土地がどうかしましたかな」

「売り出されているのを、ご存知でしょうか」

 丸井三吉は白眉の下の小さな眼を大きく見開いて、驚いた顔で岩本をみる。

「売り出した事はありませんが・・・」あくまでも穏やかである。

「丸井太一郎さんって、ご存知ですか。あなたの息子さんとかで・・・」

 丸井三吉は怪訝そうな顔になる。込み入った事情に気づいたのだろう、声が甲高くなる。

「わしには息子はおりません。娘が3人、皆嫁に行っとりますが・・・」

「実は・・・」

 岩本は無礼を詫びて、今までの顛末を語る。不動産売買契約書や印鑑証明書を見せる。

 丸井は皺だらけの手で、書類を見つめる。

「印鑑証明はわしのものですな。でも実印と名前はわしのものではありません」

 ちょっと失礼と言いながら、応接間を出ていくと、すぐにも印鑑と賃貸契約書を持って戻ってくる。

「まず、わしの名前だが・・・」

 岩本の顔を見ながら、賃貸契約書の丸井三吉の名前を示す。明らかに岩本の不動産売買契約書の名前の筆蹟と違う。

「それに実印ですがな」丸井は持ってきた実印に朱肉をたっぷりとつける。メモ用紙に押印する。

 岩本の契約書のハンコと比較する。一見すると同じように見えるが、線の太さが違う。岩本はがっくりと肩を落とす。

 丸井は岩本を同情の眼で見ている。

「印鑑証明書がどうして私の手元にあるのでしょうか」

 岩本の眼が血走っている。冷静に考えれば、こんな質問は相手に失礼であるが、岩本には相手の気持ちを思う余裕がなかった。

 丸井は嫌な顔1つしない。

「これは2週間前に桜田建設の社員に渡したものです」

 1カ月ぐらい前に、桜田建設の社員で横田と名乗る男がやってきた。丸井はその男の名刺を見せる。

 彼はアパートを貸してほしいとやってきた。

 丸井が経営しているアパートは30年前に建てたものばかりだ。設備も老朽化しており、家賃も安い。それでも10棟ほどの空き家があった。

 横田は会社の独身社員のために一括して借りたいという。

 丸井としては願ったり叶ったりだ。会社か借りてくれれば、借家人のトラブルや家賃の滞納も心配ない。家賃を1割引きで合意にこぎつけた。

 横田は家賃の賃貸借契約書を持ってきた。会社としては後々の事もあるので、丸井氏のサインと実印を押してほしい。その証拠としての印鑑証明書を提示してほしいと言われた。

 本来ならば、契約書にハンコを押すのは、お金と引き換えである。相手が会社であるし、全室借りてくれるというので、横田の指示に従った。

 横田は、1~2週間のうちに家賃の1カ月と、保証金、権利金等を持ってくると言って帰ったという。

「試しに電話してみましょうかな」丸井は受話器を取りプッシュを押していく。

しばらくして受話器を降ろす。

「不通ですわ」

「横田ってこんな人ではないですか」

 岩本は久田不動産の人相を言う。

「ええ、その通りですわ」丸井がうなずく。 

 結局、丸井三吉は武豊の土地は売らないということで、引き下がざるをえなかった。

 警察に被害届を出したものの、平成8年の今日になっても犯人は捕まらず、お金も返ってこない。久田不動産の話の中に出てきた鈴木不動産は参考人として警察の取り調べを受けたものの、久田不動産に会ったことを認めてだけで終わる。

 岩本はショックのあまり、2~3週間家に閉じこもっていた。2人の息子や嫁、孫などが彼を温かく見守っていた。

「父ちゃん、もうあきらめや、起こったことはしょうがないだろうが・・・」

長男は父を慰める。


 今――、岩本は息子たちから月々の小遣いを貰い、悠々自適の生活に入っている。

「昔はよかったわ」述懐するのみ。

 最後に決まって出る言葉は、「早う宴会の季節にならんかいなあ」


                 大同不動産

 

 大同不動産は平成8年で30年の実績を持つ。

 大野駅前の県道から2百メートルばかり西に入った所に店がある。道路が狭いために、車を止める場所がない。店の前に1台が何とか駐車できるスペースがあるのみ。。

 店とはいうものの、本業が雑貨店である。子供用のガムやチョコレート、駄菓子が所せましと並んでいる。その奥にビニールシートの破れが目立つソファとテーブルを置いただけの粗末な事務所がある。

 店の入り口には大同雑貨店と大同不動産の名前が出ている。

 数年前、バブルの絶頂期に4軒の建売をやっている。儲けて味を占めている。それまでは土地建物の仲介や借家やアパートの斡旋で食っていた

 建売は建てる前から客が付いた。

 建売がこんなに儲かるとは・・・、大同不動産は無理に無理を重ねて6軒分の土地を購入する。土地の出物がない時なので、高値で引き取ったのである。

 平成3年の春、宅地造成の申請を出す。隣地とのいざこざもあり、実際に宅地として販売できたのは、平成4年の5月。バブル崩壊の最中で土地の価格は値下がりしている。

 一戸建の価格が3600万円。半年たっても客が付かず、大同不動産は悲鳴を上げる。借り入れの銀行金利が下がっているとは言うものの、利息の支払いだけで息の根が止まってしまう。貯め込んだ金をはたいたりしてやりくりに苦労する。

 一棟400万円の値引きで何とか完売。最終的には赤字となり、青息吐息の状態になる。

 平成4年夏。常滑不動産組合主催の不動産無料相談会が、常滑市役所1階のロビーで開かれる。そのあと、料亭で慰労会が開かれる。

 宴もたけなわ、酒好きの大同不動産は西脇の隣に陣取り、甲高い声で喋る。

「西脇君、あんたとこ、このご時世によう建売をやっとるなあ。偉いもんだわ」

 西脇は酒を勧めながら、話が愚痴っぽくなってくる。

 西脇はこういう話は好きではないが、相手が大先輩と思って黙って聞いていた。話が6軒の建売に及ぶ。

「わしゃあなあ、つぶれると思っただわ。あんなえらかった事、30年やっとって、なかっただわ」

 大同不動産はもう金輪際建売には手を出さんという。

「大変でしたなあ」西脇は心から同情する。

「西脇君、あんたとこ、こんなご時世に建売りやっとるから、えらいもんだわあ」

 西脇は苦笑する。偉い訳ではない。これしか生きていくすべがないので、やっているだけだ。

「大同さん、カラオケはどうだな」支部長さんが勧めに来る。これをしおに、大同不動産はカラオケに夢中になる。コンパニオンと肩を組んでの合唱である。


 大同不動産、65歳、背が高く、恰幅が良い。着るものにも気を遣う。ダンデイないでたちが好きなのだ。

「わしゃ、若い頃はなあ、女にもててなあ、おっかあが妬いたもんだわ」

 ことあるごとに昔を自慢する。今は頭のてっぺんが禿げている。鼻が高い。さぞかし若かりし頃はイケメンタイプだったろうと、想像をたくましくする。

 65歳の割には、ずいぶんとしっかりしている。体力もあるようだ。毎晩2合ほどの晩酌をやるという。眼もいいし、耳も遠くない。歯も丈夫でこれと言って悪いところはないと自慢している。

 カラオケが済んで、大同不動産はまた西脇の隣に、べったりと腰を落とす。

「西脇君、人間金儲けばかりが人生じゃないよ」

 建売の失敗が余程身に染みたと見える。西脇はおかしさをこらえる。それ以前に、4棟の建売でしこたま儲けてた時「お金はあったに越したことはねえわ」と息を巻いていたのだ。

 大同不動産の性格には筋の通ったものがない。その場その場の雰囲気でころりと変わる。

 融通無碍と言えば聞こえはいいが、要は節操がないだけだ。

 4年位前のことだ。

 大同不動産の建売を購入したお客が西脇不動産の事務所にやってきた。そのお客は、西脇不動産で建売を購入したお客の知人だったことから、西脇の事を聞いて相談にやってきたのだ。

 大同不動産のチラシ広告で、3800万円の建売を知った。奥さん同伴で物件を見せてもらう。大同不動産は買え買えとしつこく勧める。場所的には気に入ったが、価格が自分たちの収入に合わない。

 物は試しにと、400万円まけてくれたら買ってもよいと切り出す。どうせ値引きは無理だろうと思っていたら、いいですよという。

 あまりのあっけなさに、半信半疑だったが、とにかく手付金を支払った。その後公庫や年金等の住宅ローンの申し込みを済ます。

 2カ月後、これらのローンが下りる段になって、残金決済を済まそうと、改めて売買契約を結ぶことになった。

 契約書を見ると売買代金が3800万円になっている。びっくりして3400万円の間違いではないかと食ってかかる。

 大同不動産はドングリ眼で、そんな風な言い方をしたかもしれんが、約束したわけではない。第一、手付金をもらうときに発行する領収書には売買代金がかかれていないと言い張る。

 これはもう節操がないを通り越して信義のの問題になってくる。ヘタをすると契約違反で社会問題となってくる。

 そのお客は西脇に依頼する。

 3400万円なら契約するが、そうでないなら手付金を返してもらうよう交渉してくれないかという。

 このようないざこざの処理は好きではないが、西脇は引き受けた。

 大同不動産の事務所に行き、このお客の話をする。大同不動産の話を聞いてみると、彼はこの問題を軽く考えているようだった。

 古参の不動産屋に共通する点は、契約書を交わさず、口約束で話を進めることだ。手付金を受領したときが、契約の時なのに、残金を全額もらった時に契約書を交わそうとする。悪意があってやるわけではないのだが、1つ間違えると、社会問題に発展する可能性を秘めているのだ。

 昔はそれでもよかったのかもしれない。お客が文句を言うと「じゃあしゃないなあ、まけてやるわ」で済む。

 今は客の商品知識も進んでいる。消費者の行政の苦情処理も進んでいる。まあまあ式の話し合いは通用しなくなっているのだ。

 それを知ってか知らずか、大同不動産は軽い気持ちで客に話をしたらしい。客にとっては400万円は大金なのだ、

 西脇は大同不動産の細面の顔を見つめる。

 客は県に訴えると息巻いていると、かまをかける。

 手付金を入れているのに契約書を発行しないのは法律違反である。本来ならば不動産業界の監督官庁である県から呼び出しを受ける。軽くて勧告処分、悪くすると免許取消処分となる。

 県と聞いて、大同不動産の表情は硬くなる。

「しゃあない。西脇君、3400万円で話してくれんかいな」

 西脇が2人の間に入ることになった。

 大同不動産はお茶を勧めながら、力のない声で話し出す。

「本当言うとなあ、お客を騙すつもりはなかったんだわ」

 大同不動産の間の抜けた田舎者丸出しの表情に、西脇は微笑する。

 彼は手付金を受け取った後、3500万円で買うという客が現れた。絶対に買うという確約はしていないが、有望な客である事には間違いない。

 大同不動産としては、何とか手付金を返して、3500万円の客に乗り換えようと考えた。

 彼は人ごとのように話をする。古いタイプの不動産屋には自分の事を他人事のように話す人が多い。

 大同不動産は手付金受領と同時に契約書を発行しなければいけないことは知っていたのだ。手付金を貰って、公的資金の借り入れまで、2~3か月かかる。その間に、3400万円よりも良い条件のお客が現れるのを期待していたのだ。現れなければ3400万円で契約する。現れれば前のお客には手付金を返すように仕組んでいく。だから領収書には契約の金額を明示しないのだ。

 昔はそれで通用したのだろう。

「せちがれえ世の中になったもんだなあ。昔はよかったわあ」

 この手のタイプの人はいつも昔と比較する。

 比較したところで仕方がないと思うのだが、劣等感もあるのだろう、決まって昔の自慢話をする。


 話は一段落する。

「ところで西脇君、あんたとこ、うまいことやっとるなあ」うらやましそうな顔をする。

 うまいとはどういう意味かよくわからない。

「はあ?」と聞き返す。

「建物も建てんで、土地だけで、建物付きで売るからえらいもんだわあ」

 大同不動産が言わんとする事が飲み込める。

 一般に建売業者は建物を建てて販売する。土地だけ見せて建物付きとして売るのは、建物を建てて売るよりも難しいという意味なのだろう。

「わしゃ、あんたとこみたいなやり方、ようやらんわあ」

 土地だけ見せて、建物付きで売るのは注文住宅を建てると同じになる。建物の間取りから入ることになる。時間がかかる。建築中に手違いが生じやすい。そのたびに客の苦情を処理しなければならない。建てて売った方がはるかに楽なのだ。

 西脇は説明する。

 建物を建てて売った場合、売れ残ると値引きされるおそれがある。苦い経験から注文式の建売に変えている。これなら客がついているから安心できる。

 近年、この方式を取る不動産屋が多くなった。

 ただ、この方式は1つ欠点がある。

 建てて売る場合は“商品”がそこにある。客は目で確かめて買うことが出来る。

 注文式は間取り図しかない。素人のお客に納得してもらうためには、建築中の建物や完成した家を見てもらうしかない。大抵客はそれで納得して契約してくれる。

 問題はそれからだ。客は建物の間取り図と、完成した建物からマイホームのイメージを心に描くことになる。

 大工や、工事責任者ときちんと打ち合わせして、現場で1つ1つチェックしていけば、まず問題は起きない。

 注文式の建売を販売するとき、不動産屋のほとんどは現場を大工任せで、建築中の現場をチェックしようとはしない。

 客は一生一代の買い物だから、暇さえあれば、毎日のように現場に通う。中には押し入れとか障子とか、細かいところまで、工事中に変更する客もいる。

 不動産屋が現場に顔を出さないので、客自らが大工に変更を依頼する。大工は仕事のうちの心得て客の要望に応じる。

 建物の完成後、大工から不動産屋へ客の変更部分の請求書が来る。大工に理由を聞いて、不動産屋は客に追加工事の請求書を出す。

 客はびっくりして、膝詰談判に及ぶ。

 サービスだと思ったので気軽に頼んだ。追加工事とは思わなかったのでお金は出せないと言い張る。

 すったもんだの挙句、変更を安請け合いした大工が自腹を来ることになる。大工は仕事を貰う立場上請求を破棄する羽目になる。

 これなどはまだいい方だ。やっかいなのは、お客と不動産屋と契約した仕事の内容が、大工に伝わらない場合だ。伝わらないというより食い違いが出るといった方が適切かもしれない。

 工事が進行していく途中で、客は自分が描いてるイメージと違ってくる。大工に文句を言う。大工は大工でそんなことは聞いていないと反発する。客は不動産屋に駆け込む。夢のマイホームである。客の剣幕はすさまじい。話が違うと、半ばケンカ腰だ。三者が現場で話し合う。手直し出来るうちはまだよい。

 困る事は、八分通りでき上っている場合だ。手直しがきかず、客は諦めるに諦めきれない。

 不動産屋と壮絶な駆け引きが行われる。最終的には百万単位の値引きで一件落着となる。

 西脇はこのような経験を嫌になるほどしている。

 4~5年前から、妻の弟が現場監督として働いている。客と大工の間の架け橋となって働いている。注文式の建売のトラブルは少なくなった。

 常滑の不動産屋で現場監督を置いているのは、西脇不動産以外にはない。

 大同不動産に話をしながら、西脇は昔ながらのやり方では通用しない事を暗に諭した。

古参の不動産屋で共通することは、宴会好きな事だ。新人の若手不動産屋は仕事仕事で眼の色を変えている。宴会の出席率が悪い。会合にはできるだけ出るようにとの支部長の呼びかけもあり、渋々と出るが、全体としては成績が悪い。出席しても、若手同士が円陣を張って、仕事の話ばかりしている。

 西脇は会合にはできるだけ出るようにしている。

 新人の不動産屋には名刺を交換したり、土地の売り物が出たらと頭を下げている。ある不動産屋はあんたはお客だから、頭を下げる必要はないという。

 西脇は土地の情報は主に不動産屋から出てくる。人間、頭を下げられれば悪い気はしない。そこまで言ってくるんだから、売りの情報が出たら、持って行ってやろうかという気になる。

 若手の不動産屋は仲介を主としている。業者同士の会合では土地の情報の話はしない。情報を買ってくれそうな不動産屋か、個々のお客しか出さない。仕事の話も、儲かっているかとか、どこそこの不動産屋はどうのと、ほとんどの話がうわさ話に終始する。会合に出ても古参の不動産屋への挨拶はしない。別に付き合わねばならない理由はない。考え方がドライなのだ。

 古参の不動産屋は兼業が多い。

 宴会は業者同士が顔を合わす場所なのだ。

「景気はどうだな」「儲かっとるかいな」

「さっぱりだがや」「ええ話はねえだかや」

 常滑弁丸出しが行きかう。

 大同不動産はそのうちの一人。彼は酔いが回ると、誰彼なしに酌をついで回る癖がある。それも背後に回って肩に手を回す。

「どうだい。あんたとこ景気よさそうじゃねえか」耳元で囁く。相手が女であろう構っていない。

 年配の女性は如才がない。

「まあまあ、大同さん、元気かいな」つがれたお猪口をぐっとほす。

「一杯どうだなも」大同不動産に盃を勧める。

 若い女性は首をすくめて、大同不動産の手を振り払う。それでも盃を勧められると「おおきになも」一気飲みするが有難迷惑の顔をする。

 若い女性会員のみならず、新人の若手会員も、大同不動産には困るわと役員に苦言を呈する。抱きつかれて酒臭い息を吐きかけられて好い気はしない。

 本人はそれを知ってか知らずか、十年一日のごとく、宴会の度に痴態を繰り返す。

 大同不動産がカラオケが好きなことを知っている会員は、大同不動産が酌をして回る頃合いを見計らって、「大同さん、カラオケはどうだな」とマイクを持たせる。

 大同不動産は眼を輝かせて、悦に入って声を張り上げる。本人が自慢するだけあってうまい。楽譜も見ずに何曲も歌う。一様に様になっている。

 大同さんはなあ、ヒマなときはいつでも歌の練習をしとるんだわ、と西脇の隣で知り合いの不動産屋がビールを継ぎながらつぶやく。

 マイクを手にした時の大同不動産の楽しそうな表情は忘れられない。コンパニオンと肩を組みながら歌う。若さを取り戻した時の笑顔が印象的である。

 仕事仕事で明け暮れる新参の不動産屋と比べて、大同不動産は雑貨店で食いつないでいる。どちらかと言えば不動産業は副業といった感じだ。

 西脇も仕事の虫だ。20年以上仕事一筋で生きてきた。気が付いたら54歳になっている。何か大事なものを失っている気がする。大同不動産の楽しそうに歌う姿を見ていると、その感が強くなるのだった。


            山下不動産


 山下不動産は女である。75歳で現役、土地の仲介や建売を主としている。

 24歳の時に和歌山県から嫁いできて、50歳の時に不動産に身を投じている。息子たち3人は独立して、皆一家を成している。

 山下不動産の看板を上げる前から、借家経営をしている。主人の山下敏雄氏は常滑でも有数の地主さんだ。借地借家を数多く所有している。山下氏は洗面器具等の陶器会社を経営している。家や土地、借家の管理は奥さんの菊枝さんに一任している。

 女だてらにという言葉があるように、彼女の評判は“きつい”の一言に尽きる。

 家賃や地代金の滞納は絶対に認めない。固定資産税に応じた値上げはきっちりと主張する。

一家の主婦としてみた時には、旦那思いの優しい女である。いざビジネスとなると並みの男では近寄れない程の駆け引きをする。その強さを主人に認められて山下家の財産の管理を任せられている。

 50歳で不動産屋を開業したときは、さすがの主人もやめとけと、押しとどめたという。本人はやりたい一心で事務所開きをしている。勝手にしろと、以後、ご主人は口を出さない。

 75歳の現在、名古屋まで車で行って帰ってくる。疲れも見せずに動き回っている。若い頃は陸上の選手だったとか、体力には自信を持っている。

 丸顔で口が大きい。眼が小さく鼻が低い。贔屓目に見ても美人とは言えない。ずんぐりしていて、大儀そうに歩くが、自宅近くの常石神社の数十段の石段を一気に駆け上がる。

 今はご主人と2人暮らし。山下氏は80歳。会社は長男に譲って、庭いじりをやっている。生来のカメラ好きで、昔からのカメラが約300台、自宅の応接室に展示してある。

 今でも夫婦2人で年に1度の海外旅行に出かける。台湾や香港、オーストラリアなどに出かけている。お達者で何よりと周りの者に羨ましがられている。

 西脇は1ヵ月に2~3回山下不動産に顔を出す。事務所は自宅の一室を改造している。

 山下不動産の建売は建ててから売り出す。年5~6棟でそれ以上はやらない。生活費や旅行の費用が稼げればそれでよい。欲の張った商売はしない。

 販売を西脇不動産に一任している。

 もともと資金力があるので、資金調達で悩むことはない。

 長男に会社を渡して、次男は東京の大手商事会社に勤務、三男は名古屋の中部電力の本社に通勤している。

「不動産は私の道楽だし、私が死ねば終わりだがね」

 山下不動産は丸顔に笑顔を一杯浮かべて言う。仕事が好きだからやっているだけで、息子たちに跡を継がせるつもりはない。

 西脇は3人の息子さんたちに会っている。

皆立派な人物に成長している。彼らは口をそろえて言う。

 自分達は親から財産を当てにするなと言われている。人生の処世術や教養を積めとうるさく言われて育てられている。大学に行かせてもらったが、小遣いはアルバイトで稼いだ。車も自分で買った。今住んでいる家も自分で建てた。


 山下不動産は事あるごとに西脇に語る。

 自分は和歌山県の豪農の出であるが、贅沢をさせてもらったことは一度もない。

 父は一人息子の兄を猫かわいがりに可愛がっている。そんな父を恨めしく思ったことが何度もある。

 女には学問は必要ないと言われて、尋常小学校しか出してくれなかった。朝から晩まで下女と同じように、料理やら掃除やらで働いてきた。

 夜、父に許されて塾に通った。塾と言っても今のような予備校のようなものではない。近所の篤志家が学問を習いたい者を集めての勉強会のようなものだった。勉強が好きだったから辛いとは思わなかった。

 24歳の時、父が経営していた焼き物問屋の取引先から縁談が舞い込んだ。常滑の焼き物屋さんというだけで顔も見たことがない。それでも、一も二もなく承知した。自分のようなブスを貰ってくれる人がいるだけでも有難いと思った。

 結婚して10年目に父が死亡。兄が家業を継ぐが、決断力に欠け、商才もなく、人の上に立つ器量もない。猫かわいがりにかわいがられて苦労なしに育っている。それから10年後に親の財産を食いつぶして没落してしまっている。

 自分はお金は汗水たらして稼ぐものだと信じている。そのための才覚や器量さへ備わっていれば、食うに困らないはずだ。

 兄の世渡りの下手さを嫌というほど見てきている。息子たちには兄の二の舞はさせたくない。大学も学費だけは出してやったが、自分で学べないならやめろと言ってある。

 今までは、日本の経済は右肩上がりに成長してきた。少々頭がとろくとも、一流大学の肩書さえあれば、食っていけた。

 そんな時代は終わったとみている。実力が試される世の中に入っている。息子たちには自分の幸福は自分の手で掴めと教えている。

山下不動産は言葉を続ける。

「西脇さん、私、あんたをかってるでよう」ニコニコと話す。


 西脇は妻の実家を頼って常滑に来た。他に頼る当てもなく、実力で今日の地位を築き上げてきた、常滑では西脇不動産の右に出る者はいない。

 山下不動産は言う。

 自分は建売を業とするが、売ることが下手だ。西脇不動産の販売力を利用させてもらう。

「これからも売っとくれやな」

 山下不動産の女社長は一見して柔和で大人しく見える。

――山下さんはきつい――

 他の不動産屋さんの酷評には理由がある。

 建売用の土地を買う時、必ず値引きの交渉を行う。バブル最盛期の頃ならいざしらず、平成5年ころからは、なかなか土地が売りずらくなっている。

 常滑近辺でも坪30万円の土地が27万円ぐらいに落ちている。仲介業者はそれを承知しているので、30万円でもおかしくない物件を27万円で地主と交渉する。

 山下不動産はそれを、25万円にしろと、ズバリ切りこんでくる。30万円の土地を27万円に値引かせて、やれやれと息ついでいる不動産屋は、こりゃやっとれんはとため息をついてしまう。

 それでも山下不動産に買う意思があるとみると、地主と再度値引きの交渉に入る。他に買い手を探すよりも、その方が速いからだ。

 地主の方も今すぐに金になればという欲が絡んでくる。それで手を打とうということになる。

 常滑は起伏に富んだ土地柄だ。平坦な土地が少ない。宅地造成の必要な土地が多い。コンクリートでの擁壁工事を行う場所が多い。それを考慮して土地を購入しなければならないのだ。

 土建屋さんに擁壁工事の見積もりを出してもらう。大抵3社ばかりから見積もりを取る。見積もりが出そろうと、大体の線が出てくる。面白いのは、見積もりの出し方である。皆、見積もりの詳細がバラバラなのだ。

 具体的に言うと、鉄筋工事、型枠工事、コンクリート代、人件費、諸経費等の出し方に統一性がない。

 鉄筋や生コン代などの平米数の単価は、どの見積書も同じであっていいはずなのに、数量や総量についてもバラバラなのだ。 

 一体何を基準にして出しているのかと、いぶかしくなるのだが、不思議なことに、3社から提出された見積もりは大体同じような価格で収まっている。一番高い見積りと一番安い見積もりとの差は1割から2割くらいしかない。


 数年前、西脇はその秘密をある土建屋から聞いたことがある。彼は根が正直な男で、西脇に仕事を頼むとき、

「この金額でやらしてくれんかいな」

 自分が悪いことでもしたような暗い顔で頭を下げてくる。

 仕事熱心で工事の期間も予定通りに仕上げてくれる。

 彼は見積りの出し方についても教えてくれた。

「どこの土建屋でもそうだが」と一言前置きする。

「簡単な事ですわ」彼は相撲取りのような大きな体で怖そうな顔をしている。内心は大人しく、無理も聞いてくれて、義理堅い男だ。

 土建屋の見積り程いい加減なものはない。別に基準になるものがあるわけではない。どこの業者でも、たとえ大手と言われる業者でも、適当なさじ加減で見積もりを出しているだけだ。

 擁壁工事の設計図を貰う。図面には擁壁の高さや断面図、鉄筋の枠組みなどが書いてある。

 生コン業者や鉄筋業者に図面を渡す。業者が見積もりを出してくる。その費用が仮に300万円だったとする。その3倍の900万円として見積りを描く。

 ただ、生コン業者や鉄筋業者の見積り内容をそのまま描くわけにはいかない。生コン代が200万円とすると、600万ぐらいに書き直しする。その内容の詳細も書き換えたり、単価をさじ加減したりして、全体のバランスを取る。

 そして諸経費や型枠損料など、本来見積りには存在しない項目を設けて、もっともらしい見積書を作成する。

 要は生コンや鉄筋、人件費、運搬費などの数量や単価を適当に見積もって出すだけだという。

 900万円の工事の粗利益は大体3割くらいという。

 値引き交渉もあるので、250万円くらいが利益になるという。うまくやれば半分が利益になる事もある。やりだすとやめられない商売という。

 その土建屋に山下不動産を知っているかと尋ねる。

「知っとるよ。あのばあちゃん、きついわあ」彼は大袈裟に手を振る。

 3社か4社から相見積もりを取るのは常識である。一番安くて、きちんと工事をやってくれるところに頼むのも常識である。

「あのばあちゃんなあ、その上を行くんだわあ」

 まず4社ばかり見積もりを取る。

 1000万円前後の工事だと、相見積もりで100万円から200万円前後の差が出る。高くて1100万円、安くて800万ぐらいの見積もりが出る。

 山下不動産は業者を1軒1軒呼び出す。

「あんたとこ、600万でやれんかいな」ズバリ切り出す。

「そりゃ、えらいわあ」業者は喉元に匕首を突き付けられたような顔になるが、そんな値段ではようやらんと、交渉を打ち切りもしない。

「なんとか、ちょこっと、色を付けてくれんかいな」渋々値交渉に入る。

「いくらならやれるの?」山下不動産は75歳にしてはしぶといのだ。

「800でどうだな」

「800ならどこでもやるがな。あんただから頼んどるだがな」山下不動産は太った体をゆする。だだをこねている感じだ。相手は弱気になる。容易にいくらならやれるとはいわない。いや言えないのだ。

 業者の口が固くなる。

「どうだいね、仕方がないから、間をとって700でやりやな」有無を言わせない強さで迫る。相手は気難しい顔つきになる。必死になって考え込むが返答はしない。

「やれんならもうええわ。帰ってくれや」

山下不動産は見積書を突き返す。

「750で頼めんかいなあ」相手は渋々答える。

 山下不動産はそれでいいとは言わない。

「よう考えとくわ、契約するんだったら連絡するわ」

 こんな調子で交渉する。

「わしんとこなあ、700で押し切られたんだわあ」くだんの業者は当時を述懐する。

 山下不動産に言わせると、土地をできるだけ安く仕入れる。工事費も安く仕上げる。建売も安く売りたい。

 一軒でも早く契約できれば、資金の回転も速くなる。自分は年間5~6棟しか販売しないが、それでも売れ残りが出たらその後の資金くぐりに支障が出る。

 山下不動産のきついところは信頼関係にも表れる。

 地主さんが、俺んとこの土地を売ってくれやと、山下不動産に頼み込むことがある。売り物件は必ずしも常滑とは限らない。武豊、半田、東海、知多市などから出ることもある。

 200坪前後の土地なら、山下不動産自身が建売として購入する。それ以上の土地は仲介として、他の不動産屋に回す。

 ある時、半田市内に売り物件が出た。500坪である。地主さんが直に山下不動産に頼み込む。 

 山下不動産は半田の某不動産屋に仲介を依頼する。条件として他の不動産屋には決して情報を流さない事を約束させる。

 ところが、1ヵ月後この物件が他の不動産屋から、西脇不動産に流れてきた。西脇は山下不動産にこの物件情報を持って行った。

「山下さん、半田にこういう物件があるが、どうだね」情報を持っていく。

「これ、わたしが元出しだがね」山下不動産は不愉快そうに言う。

 その場で情報を流した半田の某不動産屋に電話を入れる。

「あんた、半田のあの土地なあ、他の不動産屋に流しちゃいかんといってあるだろうが。なんてことするんだな」

 75歳とは思えぬ迫力でタンカを切る。

「もうあんたとこに出さんから、売り止めにしといてや」

 後でわかったことだが、この某不動産屋は、500坪という土地は大手の不動産屋でないと買えないと判断した。仕方なく名古屋の大手建売業者や、大府、東浦などの大手不動産屋に流したのだ。よって巷間でこの物件について知らぬ者はいなくなった。

 その後2週間たって、某不動産屋より、山下不動産に名古屋の大手がこの土地を買ってもよいとの連絡が入った。

「売り止めにしたでしょう。あんたとこには2度と仲介は頼まんわ」一方的に電話を切ってしまう。

 代わり山下不動産がが元出し業者として巷間の不動産屋に情報を流す。結局は名古屋の大手不動産屋が分譲マンション用地として購入することになった。

「わたしはなあ、約束を守ってくれればそれでええんだがいなあ」

 西脇は山下不動産の性分を心得ている。約束さえ守れば、少々の無理は聞いてくれる。有難い業者仲間である。

 ただ困る事は、山下不動産を訪問すると、趣味を見せつけられることだ。

 旦那の山下氏は大の写真好きで、多くのカメラを部屋の中に所せましと陳列している。

 海外旅行に出かけるときは、国産の36枚撮りフイルムを百本持っていくという。海外で買うと高いし、知人の写真屋さんから安く分けてもらう。

 百本というと3600枚になる。そんなに撮るのかと尋ねると、それでも足らない時があるという。今はもう少し余分に持っていくそうだ。

 写真を撮るにも、1枚1枚焦点を合わせているわけではない。カメラも3台は持っていく。全自動だから、シャッターを押すだけで10枚や20枚すぐになくなってしまう。

 多くの写真の中から、これはというものだけをアルバムに貼り付ける。それでも2~3百枚にはなる。

 西脇が来ると、旦那さんは、恋人でも迎えるようにいそいそと部屋に通す。10帖の部屋の壁には棚が並んでいる。そこには無数のアルバムが、ぎっしりと収まっている。壮観といえば聞こえはいいが、あまりにも多すぎて西脇には虚しさが広がる。こんなにため込んで、死んだ後どうなるんかしらと余計なことを考えてしまう。

 旦那は、西脇のそんな思いも知らぬげに、コーヒーやケーキを勧める。

 テーブルの上に数十冊のアルバムを山積にする。1ページ1ページ、丹念に拡げては講釈に入る。

 これはオーストラリアに行った時のもの、これは香港・・・、韓国・・・、眼を輝かせて喋る。

 西脇は内心迷惑だと感じているが、商売上の付き合いが大切と、愛想笑いを浮かべて付き合うことになる。

 山下不動産もびっくりするような趣味を持ってる。プラモデルの制作である。それもただ組み立てるのではない。ウイスキーの瓶の中で、ピンセットを使いながら組み立てていく。ずいぶんと骨の折れる作業だ。

 不動産屋を始めたころからやっているという。彼女の部屋の棚には瓶に入ったプラモデルが所狭しと並んでいる。

 西脇が感心するのは、歳の割には手が良く動くことだ。彼女の若々しさの原動力がこれだと断定はできないが、一役かっていることは確かなようだ。

「西脇さんもやってみない?」と誘われるが笑って辞退する。

 山下不動産のように小遣い稼ぎと違って、食うために必死で働いている。時には極度の緊張感を強いられる。その上に、プラモデルで緊張しては神経が参ってしまう。

 仕事を離れて、家で一杯やってストレスを解消して、明日の活力を養わねばならない。

 山下不動産は夫婦共々、お互いの趣味に干渉しない。それでいてこれほど仲の良い夫婦も珍しい。海外旅行に出かけるほど元気である。

 西脇も歳をとったら、あんな風になれえるかしらと思うのだった。


                                                  犬飼建設


 犬飼建設が不動産組合に入ったのは10年前である。今年60歳、ずいぶんと遅咲きである。

 高校卒業と同時に大工の見習いに入る。30歳で独立したが、40歳までは専ら親方の下請けとして過ごしている。

 40歳を過ぎてから、ぼつぼつと直接客から請負の仕事が入るようになる。それでも食っていけるほどではないので45歳まで下請けに甘んじてきた。

 45歳を過ぎてから自分の作業場を持ち、大工見習を2人ばかり使うようになる。常滑近辺での仕事も数軒請け負っている。これだけあれば食うに困らない。

 西脇が犬飼建設を知るようになったのは、彼が不動産組合に入ってしばらくたってからだった。

 7年前の事だ。バブル経済も登り調子に頂点に差し掛かろうとしていた時期である。

 建築関係も多忙を極めて人手不足に悩まされていた。

 武豊に中部ホームという西脇と同業者がいる、年に6~7軒の建売をこなしている。

 彼が犬飼建設に建売を請け負わせているということを知る。

 建設、土木工事も好景気で受注に追われている。鼻息が荒い。西脇不動産も建築屋が忙しくて、なかなか仕事が進んでいかない。一人でも多くの建築屋を抱える事が急務となっていた。工事費が高くなるのはやむをえなかった。

 値段さえ合えば犬飼建設に仕事を回してもいいかなと考えていた。良い機会とばかりに、中部ホームの建売の現場を見せてもらう。犬飼建設の腕がどの程度か興味があったからだ。

 西脇の依頼を中部ホームの社長は浮かぬ顔で聴いている。犬飼建設を紹介すぶのが嫌なのかなと思った。

「西脇君、犬飼は良くないぜ」

 中部ホームの社長は分厚い眼鏡の奥からうんざりした表情で言う。彼は時々、意味もなくヘラヘラと笑う。癖なのだろうが、彼の表情はいつも明るい。どこかピエロのような間の抜けた印象を与える。その彼が犬飼建設の名を出した途端暗くなるのだった。

 彼の口から犬飼建設の悪口がほとばし出る。

 西脇は意外な気持ちで聞き役に回る。彼の口から人の悪口はめったに出ない。彼の長所は想像でものを考えたり、人の受け売りで判断はしない事だ。

 例えば誰かが中部ホームに西脇の悪口を言ったとする。中部ホームはすぐに西脇を呼ぶ。こういう噂が流れているが、たぶんデマだろ思うがどうだと尋ねる。

 西脇はそれについて釈明する。中部ホームはそのうえで判断を下す。よく言えば慎重なのだ。

 その彼が誰はばかることなく犬飼建設を批判していく。

 犬飼建設は友人の紹介である。当の本人に会ってみると、武骨な顔に似ず、話ぶりが丁寧で大人しい。話の内容もしっかりしている。誠実そうな雰囲気に仕事を頼もうという気持ちになったが、彼の仕事ぶりを見てから断を下そうと考えた。建築中の建物もしっかりしている。信頼して仕事を任せることにした。

 自分は建売業者とは言うものの、木造住宅の内容には素人同然なので工事屋を信頼して任せる他方法がない。

 犬飼建設なら大丈夫だろうと、1年前から仕事を頼んでいる。すでに2棟が完成して、お客も引っ越している。

 今、六貫山で2棟建築中だ。

 引き渡ししたお客から苦情が出ている。雨漏りがする、襖の立て付けが悪い。早く治してくれと矢の催促だ。

 自分は犬飼建設に客の苦情を伝える。客の苦情は早く処理するに限る。

犬飼建設が手直ししたのは、苦情が出てから1ヵ月もたってからだった。中部ホームはこのころから犬飼建設への不安を募らせる。六貫山の2棟の完成間近い時から犬飼建設を使うかどうか検討に入っていたという。

 そんな時、中部ホームの奥さんの高浜の実家に、仕事をくれないかと大工が訪ねてきた。奥さんの実家とは懇意で奥さんもよく知っていた。値段的には犬飼建設とは大差がない。中部ホームはその大工に犬飼建設への不満を漏らす。1度現場を見たいとの要望に、六貫山の建築現場に案内する。

 2棟にうち1棟は9分通り完成。もう1棟は上棟が終わり、荒壁も塗り終わって、県の中間検査待ちとなっていた。

 当の大工は完成間近の建物の天井裏に上がる。大工の声が天井から響いてくる。

「社長さん、これ手抜きだわ」上に上がってこいという。

中部ホームはびっくりして天井裏に上がる。どこが手抜きかよくわからない。

 大工は具体的に説明していく。

梁は1本もので通すのが普通である。それを2本の梁で繋いである。それでも昔ながらの工法で繋ぐならよい。梁を斜めに切って釘で打ち付けてある。それに梁が細いという。一応県の検査基準に合格はしているものの、並みの大工なら余力を持たせるために、大きめの梁を使う。それがあたりまえなのだ。その他いくつかあれこれと指摘されて、中部ホームの不安は大きくなる。もう1棟の方も見てえ貰う。結果は同じ。

「わし、その時から犬飼建設を使う気にはなれなくてねえ」

 中部ホームの浮かぬ顔に、西脇はもっともだと頷く。

 建築屋が欲しいが、西脇は犬飼建設を使うことは断念する。眼につかないところで手抜きする業者は信用できない。犬飼建設との付き合いも考え物だと判断した。


 この事があってから1年後、犬飼建設は自分で建売を始めた。常滑市西阿野、土地が60坪、建物が40坪、価格が4千500万円を3棟。 

 売れるかしら、西脇や常滑の不動産屋さんは固唾をのんで見守る。発売後2ヵ月で完売。

「ほう、売れたのか」西脇たちは感嘆する。

 5~6年前のこととはいえ、バブル崩壊の序曲が始まろうとしていた。西脇不動産は弱気の予測を立てて、3千万円内外で販売していた。

 犬飼建設の建売は地理的条件が良くない。4千万円では売れないだろうというのが、不動産屋の予測だった。それが見事に外れた。

 犬飼建設はこれに味を占めて次に購入した土地で躓くことになる。

 5年前の9月の事、犬飼建設はユニー常滑店近くで百坪を購入。土地の販売価格は40万円。

 ユニーの近くで40万円なら高くはない。彼が買った土地で問題なのは、南側が小高い丘である。昼から日が射さない土地である。

 土地50坪建物40坪で4500万円で売り出す。建物は注文式である。

 2ヵ月が立ち3ヵ月が過ぎても売れる見込みが立たない。派手なチラシ広告も無駄に終わる。

 平成3年も終わり、4年の正月明け。

 西脇不動産は犬飼建設が購入した土地の南側で3千坪の宅地造成の計画を立てる。隣地の地主さんや区長さんの承諾書をもらうために動き出していたのだ。

 このことが犬飼建設の耳に入る。彼は西脇不動産の事務所にやってくる。自分の土地を買えと言い出す。

 売値は40万円、買った値段だ。西脇は苦笑する。40万円の高値で購入して売れないで困っている。それなのに買った時の値段で買えという。どういう神経をしているのか、西脇は嘲笑の顔になる。丁寧にお引き取り願う。犬飼建設は黙って引き下がる。

 平成4年の初頭から手掛けた宅地造成が順調にいくように思えた。隣地の地主さんとの話し合いも上手く進んでいる。

 問題なのは、西脇の宅地造成地と犬飼建設の土地の間にある5百坪の小山である。宅地造成するためには、その小山の一部を削り取らねばならない。その土砂の搬出に北側の、北条字の所有地を通らねばならない。

 北条字の土地は所有権が市役所になっているが実質上の運営者は字である。町内会で選任された10名の役員に委託されている。その中に犬飼建設が入っていた。字の土地を使わせてもらえるよう、1ヵ月に一回開かれる役員会に許可願いを提出する。

 土砂の搬出方法を具体的に説明するよう、設計士を通じて西脇不動産に通知ががあった。平成5年5月の事である。

 西脇は設計士と連れ立って、5月下旬の夕刻、北条会館に赴く。設計士が土砂の搬出方法について説明する。

 土砂の搬出場所は国道に接している。車の交通量も多い。迷惑にならぬように、ガードマンを置け。その土地は字が駐車場として貸している。車を駐車している人の迷惑にならぬように、他に駐車所を確保せよ。山の土砂を削ると、雨が降ると地面は泥だらけになる。南側の住居に迷惑がかかるから、その家に泥が入り込まないようにせよ。周囲に迷惑がかかった時は西脇不動産が責任をとれ、土地の使用料として字に金を寄付せよ。

 10名の役員のうち、3名は西脇の妻の実家とつながりがある。西脇とも顔見知りだった。

 後日、西脇は彼らに、以上の要求は字会での打ち合わせ事項なのかと問いただしている。

 彼らは周囲に迷惑さえ掛からねばそれでよいと決めたが、それ以上の要求は犬飼建設一人がしゃしゃり出ていったことだ。自分らは3千坪の宅地開発をして、約40軒の人口が増えれば有難いことだと言い合っていた。

 使用料をとるという話には驚いた。西脇と設計士が帰った後、色々な条件はよいとして、使用料をとるのはいかがなものであろうかと反論が出た。

 犬飼建設は字のためを思うあまり、出過ぎた真似をしたと、使用料については撤回した。


 西脇は犬飼の出しゃばりは、自分の土地を買わない西脇への腹いせと感じた。

 改めて犬飼宏助の事を調べて驚く。

 彼は建設業と不動産業の看板を掲げているものの、他の建設屋や不動産屋からは仕事を得ていない。40万円で購入した土地も買い手がつかず、金利の支払いで四苦八苦だという。チョットした増改築の仕事はあるものの、一戸建ての注文は皆無らしい。

 武豊の建売の例もあるように、不動産屋の犬飼建設の評判は悪い。

 見えないところで手を抜く。お客に建物を引き渡した当初は良いが、2年、3年と経つうちに苦情が舞い込んでくる。雨漏り、床の軋み、障子のガタつき。業者は犬飼建設に手直しを要求するが、建築費を叩かれて建てたのだから、故障が出ても当然だと開き直る。手直し費用は請求すると言い出す始末。

 建築屋からの下請けの仕事は、ぼつぼつあるようだがそれも年に2棟か3棟くらい。プロがプロに頼むのだから、儲けは微々たるものという。


 犬飼建設についてよく知っている人物に会う。

「あいつわなあ、仕事よりも名誉職が好きでなあ」

 若い頃は青年団の団長を務めている。何かの会に入ると必ず中心的な存在になる。自分から役を買って出る。金になるわけではないが、根っからそういうことが好きなんだ。

 字会の役員は一応1年で交代だが、犬飼は3年もやっている。自ら進んで役を買って出るので、犬飼にやらせとけという事になる。彼はよく動くし、行政への対応も粘り強い。

 平成5年3月に常滑不動産組合の役員の改正が行われた。犬飼は支部長になりたくて、42名いる会員に推薦してくれるよう働きかけている。しかし支部長は副支部長がなるという慣習があるので、犬飼の要求は見送られたが、副支部長に推挙された。 

 支部長になると年20万円の役員手当が支払われる。副支部長は10万円。役得のように思われがちだが、彼らは1週間に1度は名古屋の本部に出席しなければならない。その他に支部同志の会合、研修会の準備など、その他もろもろの雑用を含めると、最低でも1週間に3回は名古屋に出かけなければならない。

 平成5年の新しい支部長は農業が本業で、榎戸地区に多くの田や畑を持っている。不動産業も兼務しているが、それで食っているわけではない。黙っていても金が入ってくる身分だ。

 副支部長になった犬飼は仕事を放り出してどうやって食っていくのかと、もっぱらの噂だった。

平成5年7月、西脇不動産の宅地開発に関して常滑市の土木課から待ったがかけられた。西脇は設計士とともに市役所に赴く。

 土木課の担当者は、北条字の方から排水問題で苦情が出ているという。

西脇は知人の字の役員から苦情の詳細を尋ねる。

 宅地造成後の予定区画数が40棟になる。排水で支障をきたすために、犬飼が北条の市会議員を使って待ったをかけさせた。犬飼は字の代表として市役所に宅地造成の変更を迫ったというわけだ。

 それに対して、設計士は過去に年間雨量のデータから40棟の排水は、今ある排水設備で充分に間に合うと反論する。

 土木課の担当者は設計士の説明に理解を示すものの、字と充分に話し合いをして、理解してもらうようにと、言うのみ。

 西脇達は字と協議に入る。犬飼は大工上りの日焼けした顔に笑顔を絶やさない。言葉つきも丁寧だが、心の奥に毒を含んでいることはよくわかった。

 字との協議は半年に及ぶものの,ラチが開かず平行線を辿った。

 平成6年2月、行き場を失った水のような問題も、思わぬところから急展開しだした。

 3千坪の宅地開発は、西脇不動産の社運を賭けた一大プロジェクトである。ただし絶対にやらなければ会社が潰れるというものではない。宅地開発が無理なら、常滑沖に飛行場ができるころを見計らって、名古屋の大手デベロッパーと組んで大規模な分譲マンションをてがければよい。

 設計士にはその旨を伝えてあるが、設計士は乗りかかった船であるので、必死になって市の許可が下りるよう奔走していた。

 宅地造成の申請費用は許可が下りてから支払うために、今ここで申請をとりやめると、設計士は今までの苦労が水の泡になるのだ。

 何とか解決の糸口を見つけたいと、設計士が必死に動いている。人間、死に物狂いになると、思わぬ解決策が見つかるものだ。

 3千坪の宅地造成は4メートル以上の幅の公道に接していることを条件としている。当該地はその条件を満たしていないので、今川光造という地主さんと交渉して、公道までの土地を売ってもらう約束ができている。

 設計士は今川氏に相談を持ち掛ける。今までのいきさつを話す。北条字の役員会は犬飼一人を省いて賛成してくれている。何とかならんだろうか、米つきバッタのように平身低頭でお願いに上がったわけである。

 今川氏は北条地区での一番の大地主である。西脇の妻の父とも昵懇の間柄である。

「そんなことになっとるんか」今川はもっと詳しい事情を聴くために西脇を呼ぶ。

 西脇は粉飾を交えずに、今までの経緯を話す。特に犬飼建設については、推測だがと前置きする。

 宅地造成地の一山超えた北側に犬飼建設が2年前に土地を購入している。建売を計画したものの、その土地を西脇不動産に買えと言ってきた。西脇は断っている。その腹いせか、自分の土地を買えば宅地造成に協力してやるという意思表示だろうと考える。

 今川は眼が悪い。度の強い眼鏡をかけている。背が低く浅黒い顔をしている。

 常滑市内で大地主さんは5人いる。今川はその内の一人である。市役所が土地の拡張工事や土地の整備基盤事業を行うと、これらの大地主さんの土地に引っかかる。特に今川は60軒以上の借家を持っている。大手タイルメーカーにも土地を貸している。彼の住まいは千坪の敷地に百坪の屋敷を構えている。

 食うに困らない身分だが、税金がえらいこっちゃと、土地の運用に頭を抱えている。 

 西脇は今川に好感を抱いている。ものの言い方が率直で白黒がはっきりしている。

 西脇の話を聞いて、

「字がそんなことをやっとるのか」肩を怒らす。

 電話を取り上げると市役所に連絡する。

「秘書課につないでや」交換手に要求する。

「今川だがなあ、市長の今日の都合はどうだや」

 電話の向こうから課長の声が返ってくる。

今日の午後3時半から4時までなら時間が空いているという。

「西脇君、設計士さん、今日の午後つきあってや」

 一方的に要求する。2人は顔を見合わせる。何か大変の事が起こりそうだと緊張する。自分たちの気持ちに関係なく動いていく雰囲気だが、問題解決のためだ。否応もない。

 今川は部長に、市長によろしくと言って電話を切る。

 3時半に今川を先頭に西脇と設計士が市長室に入る。市長や秘書課の課長、部長立ちが3人を丁寧に出迎える。西脇は生まれて初めて市長室に入る。緊張のあまりソファの片隅に身を固くして座る。

 今川はソファにどっかりと腰を下ろすと、手短に用件を切り出す。市長は話を聞き終わると土木課の部長、課長、担当者を呼ぶように言う。

 ものの1分と経たないうちに、関係者が市長室に居並ぶ。

「みんな、座ってくれや」今川は顎をしゃくる。

女子事務員がお茶を運んでくる。

「わし、コーヒーがいいわ」今川が無遠慮な声を出す。女子事務員は慌てて事務室に飛ぶ。2階の喫茶室にコーヒーを注文する。

 錚々たる人物が居並ぶ中、設計士は申請上、法的には何の問題もないことを力説する。

「部長、どこか問題でもあるのか」市長は土木部長に質問する。頭の禿げあがった部長は恐縮して、課長と担当官に尋ねる。

「私がお話を・・・」担当官はそるおそる口を切る。皆の眼が担当官に注がれる。

 書類上は完璧だと前置きする。ただ北条字の役委員会からの苦情があり、市としても対応に苦慮していると強調する。

「字と言ってもだなあ、犬飼一人がはしゃいでいるそうじゃねえか」今川は出されたコーヒーにクリープを入れながら口を尖らす。

「十分に承知しております」担当官は汗を拭きふき平身低頭だ。犬飼が役委員の代表として苦情の申し立てをして言う以上はいかんともしがたいというのだ。

「なあ、設計士さん、ここは1つ、市の立場を考えてくれんかなあ」市長は今川をなだめるように言う。

 宅地造成に待ったをかけているのは、排水問題である。今でさえ、大雨が降ったり、台風が来ると、周囲の家屋に浸水の恐れがあるというのだ。


 全般に常滑市内の排水施設の遅れが目立つ。家屋の浸水で市民から苦情が出ると、その場その場の、場当たり的な処置で済ませてしまう。昭和から平成になった時に、ようやく本格的な排水問題として取り組むようになっている。


 設計士は設計図面を見ながら、

「それなら一区画50坪の土地に調整池を設けたらどうでしょう」と提案する。

 調整池とは、大規模な宅地開発を行う時に、従来からある排水施設では負担が大きすぎると判断した時に設ける池である。

 大雨で大量の雨水が流れ出した時、一時的に池に水をため込む。つまり一気に雨水などが道路等の排水管に流れ込まないように調整する池である。

 設計士の提案に、土木課の担当官は眼を輝かす。

「そうしてもらえれば、市としては字への説明がつきます」

 西脇は一区画の宅地を調整池にすることに異論があったが、設計士の立場を考慮しても黙認する。

「西脇君、土地が1つ潰れるが、しゃあねえやなあ」

 今川の説得を飲むことにした。

「この案なら、字の役員さんから異論が出ても、市は突っぱねますので」土木課の課長が申し出る。

「よし、決まった」今川は一人合点する。

「設計士さん、今度の字会、わしも出るでなも」

 市長室は今川の一人舞台だった。

 市役所を出て、近くの喫茶店で、西脇は今川と設計士を慰労する。

「しかしまあ、今川さんはすごいですねえ」設計士は素直に驚く。

「うちなあ、市長に土地を安く貸しとるんだわあ。わしに頭が上がらんのだわああ」

 今川は淡々と言う。別に得意になっているわけではない。土木課の連中も今川には気を使っている。ヘタに怒らせたら、市の公共事業に支障をきたすのだ。大袈裟な表現ではない。

「それにさあ、宅地造成して貰わんと、わしんとこの土地も生きてこんもんでなあ」

 西脇不動産の宅地造成地に4メートル幅の道路を県道まで取り付けることで、その道路に接道する今川の千坪余の土地も生きてくる。今川は損得関係で動いている。

 数日後、設計士から連絡が入る。

 3月下旬に北条字会が開かれる。今川にも連絡済だ。夕方6時に北条会館に来てほしい。

 当日夜、西脇は北条会館に赴く。字会は7時から開かれる。西脇の件を先に済ませておきたいとの意向という。

 北条会館の2階に上がる。設計士と今川はすでにテーブルの傍に腰を下ろしている。 

 犬飼建設を含む10名の役員が勢ぞろいしている。設計士が調整池の配置図を皆に配る。

「先日、土木課と打ち合わせの結果、調整池を設置することで協議を完了しました」

 市長室での経緯には触れない。

「土木課としては、これなら宅地開発を認めてもよいとの結論を出してくれました」

 土木課との協議を事細かく述べる。

 字の役員は誰一人として意見を述べない。

「皆に言っとくけどなあ」今川が大きな声を出す。

 40棟の住宅が建つと北条の人口が増えてよくなる。

 今川は言葉を連ねる。

 常滑は人口の減少が著しい。市が人口を増やすことを計画しているようだが、良案がない。飛行場が来ることに期待をかけるしかないのだ。後は建売業者が建売を建てることで、人口の定着を図るしか方法がないのだ。それに水を差すような行為は慎むべきなのだ。排水問題については調整池で解決できる。

「これで文句はねえ筈だ、どうだや」

 今川は役員をねめまわす。

「今川さん、趣旨はよくわかりました」犬飼は四角い浅黒い顔でにこやかに言う。

「しかし、調整池だけでは排水は難しいとおもわれるんですが・・・」

「犬飼君、あんた、わしの案に反対かや」

「いえ、反対というわけではありませんでして、難しいんではないかと申し上げてるんでして・・・」

 犬飼は一息つく。

「ですから宅地造成地から県道を超えて、国道まで排水工事を行う必要があるんではないかと・・・」

「それは市などの行政が行う工事でして、一個人の業者が行うには負担が大きすぎます」

 設計士がピシャリという。宅地造成地以後の給排水工事は行政機関がその責任において行うのが当然と言える。それを一個人の業者に押し付けるような行政指導は行えない事になっている。設計士はそれを言っている。

 犬飼は言いくるめられてぐうの根も出ない。

「犬飼君、要はあんたは宅地造成に反対な訳だなあ」今川が追い打ちをかける。

「別に反対しているわけではありません。字の為に良かれと思って言っているわけでして・・・」

「皆はどうだや。反対者は手を挙げてくれや」

今川は一人一人をねめまわす。

「ええか、時と場合によっちゃ、わしゃなあ、字に貸してある会館の駐車場を返してもらうからなあ。それに、字がやる事業にわしの土地がひっかっても、協力せんからなあ」もはや威嚇に近い。

 室内に重苦しい空気が流れる。役員たちはうつむいたまま黙している。やがて、一人が顔を上げる。

「犬飼さんよう、今川さんの言うとおりだがや」

犬飼に避難の声が飛び出す。他の役員の顔を上げる。犬飼をなじるような顔つきになる。

 今川を怒らせると字の事業は支障をきたす。もしそうなったら、住民の非難は自分たちに向けられる。

 西脇の宅地造成は、排水問題でストップがかかっている。事実は犬飼の西脇への私恨であることは判っている。犬飼のやりたいようにやらせとけばよいと,タカをくくってきた。

 今川がしゃしゃり出てきて、事態が一変する。自分たちの責任問題に発展しそうな気配になってきた。

 犬飼の顔が蒼白になる。自分が今川に疎まれていると、ようやく悟る。字の役員会どころか市民全体から村八分にされかねない。深刻な事態にうろたえだす。

・・・この馬鹿が・・・西脇は腹の中でせせら笑う。

 職人が実績もない肩書を持つと、往々にして偉くなった気になる。彼らは世の流れが見えていない。作ることに専念しているので世の中が狭くなる。作ってさえいれば食っていけるから、見識を広める必要もない。

 事の重大さに直面して初めて悟る。ほとんどは、時すでに遅しで、右往左往するのみ。早く言えば鈍感なのだ。すべての職人がそうだというつもりはない。

 西脇の宅地造成は今川の一喝で字が承認する事になった。


 西脇は犬飼の苦悩に満ちた顔を見て、亡き父を思い出さずにはいられない。

 西脇は昭和17年の生まれである。名古屋の北区で、赤レンガ製造所の一人息子として生まれた。

 戦後は社会の復興期で、注文を断るほど忙しかった。人手も安い賃金で雇うことができた。

 昭和30年代に入ると、高度成長に伴って人手が集まらなくなってきた。

 西脇レンガ工場は、瀬戸にある大手レンガ製造工場の下請けとして赤レンガを収めてきた。西脇の父は、戦前その会社で働いてきた。根っからの職人だった。見込まれて自分の工場を持ち、レンガを収めるように言われて独立したのである。

 終戦から昭和30年代の終わりごろまでは、ずいぶんと儲けた。父はその金で家の新築や自宅地の拡張や庭を造ったりして,贅を尽くした。

 工場の設備改善や生産性向上と耐火煉瓦、ビル用の壁タイルの新製品開発のための投資はしなっかった。無理して工場を近代化しなくても充分の儲かっていたので必要なしと考えていたのである。

 世の中の動きには全く無頓着な父だった。親会社からは製鉄の溶解炉用の耐火煉瓦を焼いてみないかと誘われても断っている。大変な設備費がかかるという、父の言い分も一理あったが、赤レンガの収益が伸び悩みにある事を無視してたのだ。

 父はそれを量をこなすことでカバーしようとしていた。昭和30年代までは、九州の炭鉱離職者の流入によって、まだ低賃金でも人手が集まっていたのだ。

 赤煉瓦は粘土を土錬機で練って、碁盤の目のマスの型枠に入れて、乾燥させて、窯に入れて焼き上げるだけのものである。

 仕事は単純だが、量をさばくので、肉体的には厳しい環境になる。辛いし苦しい、きついの3Kに加えて、給料が安いの条件が付く。

 旅行好きの父は一ヵ月に一回は自分一人で一泊旅行に出かける。その上世話好きときている。区の役員や区長、民生委員など、役職と名の付くものはすべて進んで引き受ける。先生と言われて悦に入っていた。そのために仕事は番頭格の男に任せきりだった。

 昭和30年代の末になると、人手が集まらなくなっていた。西脇は若い人が働きやすいように、設備の改善せよと父に訴えたが、その費用を捻出できる余裕がすでになかった。人手不足の上に生産量の低下、収益の悪化という悪循環が西脇家の没落を加速していった。

 それでも父は名誉職を捨てようとはしなかった。周囲から頼まれると嫌とは言えない父はいくつかの役職に精を出していた。家業は相変わらず番頭格の男に任せきりだった。

 西脇は父に反発するようになっていく。父が外で良い顔をする分、家庭は辛い思いをする事になるのだ。

 24歳の時に両親が死亡。借金のかたに土地や建物をすべて処分した。名古屋の大手不動産屋に営業マンとして入社。仕事は厳しかった。1年間に一定のノルマをこなさないと、固定給が下げられた。10年間そこで鍛えられて、妻の実家を頼って常滑にやってきた

 西脇は常滑不動産組合の役員をやっているものの、積極的には参加していない。3年間だけという約束で嫌々引き受けた。


 世の中,よくしたもので、実よりも名を好む人がいる。西脇の父もそうだったが、べったりと肩書をつけると、偉くなったような快感を覚えるのだろうか。

 今まで親しく付き合っていた者にも、間をおいて挨拶するようになる。

・・・あいつ、近頃、生意気のなりやがった・・・

陰で悪口を言われているとはつゆ知らない。

 不動産組合では、その傾向がある。支部長や、名古屋の本部の役員になったとたんに態度がでかくなる。そういう人種に限って、劣等感が強く小心者が多い。

 彼らは大きな間違いを犯していることに気づいていない。不動産業界に入ってくる者は、ほどんどが不動産組合に加入する。組合では、業者の質の向上を図るために、定期的に講習会を開いている。出席することが義務付けられている。 支部長や本部の役員達が演壇に上がって一席ぶつ。壇上から見下げるときの快感はやった者でないとわからないのかもしれない。彼らは一様に聖人君子のように喋る。日頃もそのように振舞おうとする。一般に会員から、愛想のない人間に見られている事に気づかない。

 大きな間違いというのは、組合に入る人たちは入りたくて入ってくるのではない。

 組合に入らなくても不動産の営業はできる。この場合。営業保証金としての供託金一千万円を法務局に差し入れる事になっている。組合に入れば60万円で済む。この金額の差が組合に入る動機となる。  

 不動産屋は概して、一匹狼的な人が多い。土地建物の売り物件を仕入れる。それを買ってくれそうな不動産屋に流す。それだけで商売が成り立つ。元手いらずの商売なのだ。

 大きな土地は個人の客が買うには負担が大きすぎる。西脇のような建売業者に持ち込むことになる。その方が速い。要は情報を買ってくれるのがお客なのだ。

 彼らには肩書や役職など何の意味もない。相手が不動産組合のえらいさんであろうと得にはならないとみると、後ろ足で砂を蹴る行動を平気でやる。サラリーマンのように安定した収入があるわけではない。西脇のように肩書がなくても情報を買ってくれる者を大事にする。

 名誉職に固執する不動産屋の多くは、その事実が判っていない。役員になれば一目置かれると思っている。勢い態度もデカくなる。

 一匹オオカミとはいえ、不動産屋はイザコザやケンカは好まない。表面上はペコペコと頭を下げる。内実は相手を見下している。  

 いつぞや、知り合いの不動産屋が西脇不動産を訪ねてきた。暇だから寄ったのだという。よもやま話に花が咲く。 

 名古屋のある区の支部長に話が及ぶ。

「あそこのおっかあなあ、腐った顔しやがってよう」

 その不動産屋は西脇とは腹蔵なく語り合える仲だ。憤懣やるかたない、罵りの声が飛び出す。 

 腐った顔とはどいう顔なのか西脇は想像する。たぶん、顔をしかめるほど不愛想な顔なのだろう。

 話の要点はこうだ。

 その不動産屋が売り物件があるから客をつけよと言ってきた。その支部長は西脇も2~3回会ったことがある。細長い顔で,やせて、突っつけば倒れるような、ひょろけた体だ。くそ暑いのに黒の背広にネクタイを締めている。口をへの字に曲げて、不愛想な顔をしている。これで客商売ができるなあと感心するほど冷たい対応をする。不動産屋仲間からの評判も良くない。

 売り土地の情報をやるから取りに来いという。銭儲けになる事ならと、くだんの不動産屋は訪問する。店舗は自宅の一室を改造しただけの、不動産屋に言わせると――しけた事務所――である。

 約束の時間に行く。

「うちの社長、急用ができたから、これを渡しとけって言われてなあ」

 くさった顔の奥さん、無造作に土地の図面や現地の案内図を渡す。似たもの夫婦で奥さんの態度も客商売向きではない。

・・・何が社長だ、手前一人しかいねえくせに・・・

 くだんの不動産屋、仕事熱心だが、アクが強い。

優しく接するお客には優しい態度をとるが、不愛想な相手には、あらかさまに相手を見下す。

「そうかい、じゃあ、もらっとくか」奥さんを睥睨する。

「うちの社長、支部長だからね、顔に泥を塗らんようにしておくれよ」

奥さん気が強いので、一言多い。

「顔に泥を塗る?どうゆう意味だ」この不動産屋マチ金上がりなので声にすごみがある。

「つまり、他に持ってたり,うちを抜いて、地主さんと直に話しせんでくれって言っとるんだがな」

 威嚇されて奥さんしどろもどろになる。

「俺はなあ、あの腐った支部長の野郎をぬいたったんだわなあ」

 彼は直接地主に会う。仲介手数料はいらんから、自分に売らせてくれと頼み込む。商談は成立。

 どの世界でも、人を人と思わむ人間は疎んじられる。肩書がどうの、役職がどうのと振り回している人間は自己満足に陥るだけだ。ましてや、何の実力もない者は惨めな思いをするだけだと、西脇は感じている。


 話は北条の宅地開発に戻る。

後日、西脇はお礼の酒を持って今川邸を訪れる。彼は根っからの酒好きと聞いている。

 宅地造成の申請が市役所を通り、今、県に上がっていると報告する。

「わしんとこも助かるでなあ、ええがな西脇君、お互い様だわなあ」言いつつ、お酒だけは遠慮なく彼の手に渡る。

「今川さん、字の役員になったらどうですか?」

 西脇は尋ねる。

「そういう声はあるけどなあ、わし、やだがなあ」

そんなことをしている暇があったら、仕事をしていた方がよいと言う。

「月に20万円ぐらいくれるというなら話はべつだんな」

ただ働きはしたくないという。

「花よりだんごだがな」

 西脇はもっともだと頷く。

仕事に精を出して、会社が大きくなれば、いやでも実力は認めてくれる。

 西脇はこれからも今川とは礼を尽くして付き合っていこうと考えている。


                        ――完――



お願い

 この小説はフィクションです。ここに登場する個人団体組織は現実の個人団体組織とは一切関係ありません。

 なおここに登場する地名は現実の地名ですが、その情景は作者の創作であり現実の地名の情景ではありません。


                                                                                         














                                  







 


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