(6)聖女が王子さまに恋した理由
神託をいただく日がやってきた。
ダニエルに用意された純白のドレスを身にまとい、キャシーは客室から王宮の大広間へと向かう。隣を歩くのは、もちろん花束を片手に部屋まで迎えに来たダニエルだ。先日の宣言通り、相棒である白い竜の姿はない。
「とても美しいです。まるで天上から舞い降りた天使のようです」
「いや、私より顔面偏差値が上のかたに褒められると背中がもぞもぞするんですが」
「もともとあなたは可愛らしくて素敵なかたですが、今日は一段と輝いて見えます。あなたをエスコートできるなんて、わたしは幸せものですね」
(リップサービスが甘過ぎて、虫歯になりそうですけど! 歯が、歯がうずく!)
にこりと微笑んだダニエルに後光がさして見える。恥ずかしさのあまり床をのたうちまわりたくなったキャシーだが、すんでのところで奇声をあげるのを押しとどめた。
ただでさえ、普段は履きなれないヒールを履いているのだ。妙な動きをして、公衆の面前ですっ転ぶのだけは回避したい。用意されたドレスをうっかり破るなどもってのほかだ。
(そもそもさあ、これって本当にただの儀式用のドレス?)
シンプルなデザインながら、キャシーのスタイルを引き立てる上品な仕上がり。肌触りの良い生地には、よく見ると同色で繊細な刺繍がこれでもかとさしこまれている。裾を翻すたびにきらりときらめいてみえるが、宝石でも縫い込まれているのではあるまいか。
内心ひとり冷や汗をかいていたキャシーだが、エスコート相手のダニエルは緊張をほぐすように、彼女の手をそっと握りしめてきた。
「大丈夫です。きっとすべてうまくいきますよ」
(いやいやいや、私の緊張の半分以上はあなたのせいだからね?)
結局、キャシーはダニエルを翻意させることはできなかった。彼はやはり予定通り、神託の代償として「MP」を使うのだという。けれど、それはもう彼女にはどうにもできないことだ。あとはもう、しっかりダニエルが周囲に根回し……及び事前の説明をしていることに賭けるしかない。そう思っていたのだが、願いは虚しく崩れ落ちた。
***
「ダニエルさま、あなた無しではこの国は立ち行きません。なにとぞお考え直しください! このままでは、我々は残り少ない希望を失い、後には不毛の大地が残るばかりです!」
大広間の途中の廊下で、男泣きするおじさまたちに立ちふさがられた。ごつごつとしたむさ苦しいおじさまの涙は、なんとも哀愁を誘う。周囲で同じように拝み倒す人々の様子を見るに、彼は文官・武官ともに慕われているらしい。
(そうよねえ。いきなり国の要に抜けられたら困るわよねえ。「希望」とか「不毛の大地」とかいちいち言葉が重過ぎて、聞いているこっちの胃が痛くなるわ……ってみんな私をそんな泣きそうな目で見ないでくれる? いや、私も提案したんだって。「MP」じゃなくって、「HP」にしたらって。ちゃんと説明したんだってばよ)
おじさまたちの集団をすり抜けたかと思えば、また別の人物に捕まった。
「どうか私たちからこの子を奪わないで! 出産後のわたくしの行動を、母の愛に欠けると非難する者もいるでしょう。それでも、この子を無事に生かすためにはそれ以外に方法がなかったのです!」
(すみません、王妃さま。国母であるはずのあなたは、一体何をなさったの? え、それ、聞かないとダメなやつ? 絶対面倒ごとだよね?)
唐突に王族内の秘密が暴露されようとしていて、キャシーは頭痛を感じた。どうやらすごい秘密があるようなのだ。ならば、これをHPに差し出すべきである。ここで普通に暴露してどうする。聖女というよりも、もはやただのポイントカウントマスターとして、キャシーは叫びだしたくなった。なんとか王妃をなだめようと、あれこれと口を挟む。
困惑顔のダニエルと一緒にもみくちゃにされていると、今度は桃色のドレスの美少女に飛びかかられた。なぜか眩いばかりに輝く水晶玉を小脇に抱えている。
「あなたがダニエルさまを寝取った性悪女ね! 知っているのよ、一緒に毎晩ベッドで寝ているそうね。そんな破廉恥なこと許さなくってよ。今すぐ勝負なさい!」
(えー、誰? っていうか、何? 今から、この子、何するの? 一番面倒なパターンに巻き込まれてない?)
キャシーは、驚きのあまり口を半開きにしてしまった。淑女にあるまじき表情の彼女の横で、ダニエルもまた頬をひきつらせている。普段どのような状況でも穏やかな彼のこんな顔を見るのは、初めてかもしれない。
「どう転んでもそのような関係ではありません。愚かな戯言としてお聞き流しください」
「え、はい?」
(本当に珍しい。こんな時にするのは、困ったような顔ではないのね。それにしてもこの怒る直前のようなひきつり笑い、どこかで見たことがあるような?)
聖女が首を傾げたそのとき、どすんと城全体に衝撃が走った。
「次から次へと忙しないわね。まったく、一体なんなのよ!……はあ? 中庭に竜? なんで、どういうこと?」
混乱するキャシーの前で、揺れた城の衝撃に耐えられなかったらしい美少女が盛大にすっ転んだ。
***
ごろんごろんと大きな水晶玉が、結構な勢いをつけて廊下に転がる。それを避けようとした王妃さまがドレスの裾を踏み、ビリっと裂けたことでさらに甲高い悲鳴をあげた。
その悲鳴を聞きつけ、近衛兵が駆けつけてくる。一方で転がり続ける水晶玉がまるで狙ったかのように、男泣きするおじさまたちの集団に突撃する。不意に足元をすくわれたおじさまたちが、バランスを崩し様々な方向によろめいた。
そして非常に絶妙なタイミングで近衛兵とぶつかり、彼らが構えていた両手剣がすっぽ抜ける。さらにまさかのシャンデリアを吊るしていた鎖を切り裂いた。きらめくシャンデリアが、キャシーに向かって落下してくる。
(ちっくしょー、こうきたか!)
聖女が受ける加護は、直接的な暴力を防ぐ効果しかない。それ以外の間接的な加害については、聖獣であるルウルウが防いでいる。つまりここで重要なのは、キャシーは偶発的な被害から身を守る術を自身では持たないということ。
すぐそばにルウルウがついていれば、竜の守りは発動する。けれど、今ここに相棒はいない。しかもキャシーの聖女としての能力は神託がメインだ。回復魔法はお遊び程度のもの。即死しなければ自分で自分を癒せるが、果たしてどうなるか。
(聖女としての加護をかけるなら、もっと満遍なく安全になるような加護にしてほしい! あと、守りに徹するだけじゃなくって、瞬発的に脚力や腕力を向上するとかも付与すべきでしょうが!)
震える膝を叱咤し、聖女は駆け出そうとする。予想外だったのは、ダニエルがキャシーをその身でかばおうとしたことだ。彼ひとりならともかく、トロいキャシーを連れて逃げられるはずもないのに。
(もうなんなのよ、MPを積極的に使おうとしたり、会ったばかりの私なんかをかばおうとしたり、どうしてそんなにお人好しなのよ! 好きになっちゃうじゃない! もうがっかりするのは嫌なのよ!)
けれど、そう思うのはすでに好きになっているからだとキャシーはわかっていた。ただ、裏切られるのが怖くてずっと目を背けていただけだ。
みんないかにキャシーを利用できるか、それを一番に考えていた。何よりもそれが顕著だったのは、国の中枢に近い王子たち。愛の言葉をささやかれても、彼らの狙いは透けて見える。それが、ダニエルにはなかった。結局最後まで信じられなかったのだけれど。
『結局、どうしてあんなに「MP」にこだわるのかもわからないままだし』
『たぶんあなたが考えているよりも、ずっと単純な理由です』
それは、キャシーの望み通り、「結婚相手は王子さま以外」を達成するためだったと考えるのは、都合のよい妄想なのだろうか。
(もっとちゃんと、ダニエルさまに向き合うべきだったのよ)
嫌いだったのは「王子さま」ではなく、キャシーを「聖女」として利用する人間だったのに。
死の直前、ひとは走馬灯を見ると言う。これがその時間なのか。そしてキャシーは決断する。全身の力を込めて、彼を安全な場所に突き飛ばした。
「ありがとう、ダニエルさま」
(損得勘定抜きで私を守ろうとしてくれたのは、ルウルウ以外ではあなただけ。大丈夫、雑草は根っこさえ残っていればまたしぶとく生えてくるもの。生き残ってみせるわ)
痛みを覚悟したその時、キャシーは見た。美しく輝く白銀の竜が、自分を守るのを。それは、ここにいるはずのない大切な相棒ルウルウだった。