(3)聖女が白い竜を信頼する理由
「それで、そのあとは結局どうなったんですか」
用意された客室の巨大なベッドに転がりながら、キャシーは白い竜とおしゃべりに興じていた。若干透け感の強い夜着に思うところがないでもないが、考えたら負けである。用意してくれただけありがたいのだ。ああ、こういうのがこの国の王子さまの趣味なんだなあと軽く流すに限る。
「どうもこうもないわよ。だって、ダニエルさまったらマジで覚悟決まり過ぎてるんだもん。ああいうひとって、人望があり過ぎるから逆に危険なんだよね」
「と言いますと?」
「『MP』を代償にすることを断ったら『かのかたの望みを叶えらないとは何事か』とか系の急進派に襲われそうだし、叶えたら叶えたで『我らからあのかたを奪うとは許すまじ。その罪、命で贖え!』とか難癖つけられそうだし。正直怖いから、その件についてはまた後日ってことにして、さっさと帰ってきちゃった」
「またそんなテキトーな言い訳をして。どうせまた明日には会うことになるんですよ」
なんとも言えないしょっぱい顔をする相棒を見て、聖女は唇をとがらせた。いくら危害を加えられることはないとはいえ、ひとの悪意を浴びる趣味はない。面倒ごとは先延ばしにしたいお年頃なのだ。
聖女を必死で口説いてくる王子さまもよろしくないが、ああいう謙虚過ぎる手合いもまた別の意味で厄介だ。下手をすると、王子さまの寿命が短くなった責任を、結婚するという形でとらされる可能性だってあるのだから。ハニトラマスターのキャシーに隙はないのである。
「なによー、そんな残念そうな顔をするなら、ルウルウだってお茶会に参加したら良かったじゃない」
「わたしはわたしで、抜けられない用事があったんですよ」
「ひどい。私はあんな覚悟が決まり過ぎたイケメンの相手をしていたのに、ルウルウはどうせこのあたりのイケ竜とデートしてたんでしょ! きいいい、ぐやじいいいいい」
枕をばんばん叩きつつ、ベッドの上でジタバタする姿は、聖女とは程遠い。癇癪を起こしている幼児と大差ないが、すっかり慣れっこの白い竜はぺたぺたとお腹の上にはい上ると、ひんやりとしたしっぽで聖女の頬を撫でてやった。
「なんですか、その謎の妄想は」
「だってこの国って、竜と王女が夫婦になってできたっていう伝説があるって聞いたんだもん。あとこの辺りには竜の生息地がいくつも見られるって聞いたし。いいなあ、ルウルウは可愛いからきっとイケ竜にモテモテなんだろうなあ」
「可愛いと言われても困りますし、イケ竜にモテモテでも意味がないんですが……」
「あ、ごめんごめん、美人が良かったよね。いや、ルウルウは美人だと思うよ」
「ですから」
「ああ、私も私がめちゃくちゃ美人に見える国に行きたいなあ。それだったら、聖女云々を抜きにしてモテモテになれそうなのに」
「キャシーは、モテモテになりたいんですか」
「ううん、ごめん、嘘。不特定多数にちやほやされても裏しか考えられないから、とりあえず誠実なひとと知り合いたい」
「ダニエルさまは」
「ダメ、却下、対象外!」
「厳しいですねえ」
白い竜を抱え上げ、そのお腹に顔を埋めながらキャシーは一日の疲れを癒すのだった。
***
キャシーと白い竜の付き合いは長い。気がつけば、実の家族以上の時間をともに過ごしている。聖女にとって白い竜は、家族であり、親友であり、かけがえのない相棒であった。
『初めまして。私はキャシー。あなたは?』
『初めまして。わたしの聖女。どうぞ、わたしに名前をお与えください』
『名前、ないの?』
『聖獣に選ばれた際には、聖女さまに聖獣としての名をいただくのが習わしですので』
『……そうなんだ。じゃあ、いつか私たちのお仕事が終わったら、あなたの本当の名前を教えてね』
『本当も何も、わたしの名前はあなたがこれからつけてくださるのですが』
『ご両親がつけてくれたお名前なんでしょ。きっと素敵な名前なんだろうな。あなたの家族もいつか紹介してね』
血縁や国によるしがらみから離れるために、聖女は聖獣とともに巡礼の旅に出る。いくら加護を持っているとはいえ、さまざまな出来事から影に日向に聖女を守るのは、聖獣であるルウルウの役目であった。
『キャシー、拾い食いしてはいけません!』
『大丈夫、3秒ルールだから!』
『お腹を壊したらどうするんです!』
『鉄の胃袋だから、平気!』
『キャシー、ひとりで下町をぶらついてはいけません!』
『誰も私が聖女とか思わないし!』
『迷子になったらどうするんです!』
『そのときは、空から探してね!』
『キャシー、髪の毛を乾かさずに寝てはいけません!』
『どうせぱっとしない赤毛だから別にいいよお』
『綺麗な夕焼け色の髪なんですから。ほら、乾かしてあげます』
『あぢいいいい。焦げる、ルウルウ、焦げるから!』
『キャシー!』
『ふふふ、ルウルウってお母さんみたい』
『お、おか』
『えー、いや? じゃあ、お姉さん』
『お姉さん……。じゃあ、お姉さんで』
『ルウルウはさ、私が聖女っぽくないって言わないの? 聖女らしく、お上品でお淑やかにってさ』
『聖女っぽいもなにも、あなたは最初から聖女でしょうが』
『……えへへへ、うん、そうだね。ありがとう』
聖獣は、パートナーの聖女が聖女であり続ける限り、共に働き続ける。大好きな相棒だからこそ、キャシーは思うのだ。ルウルウにも大切な家族を持つ権利があると。自分が寿退職すると同時に、ルウルウも新しいパートナーを持つことができたらいい。そして家族ぐるみでこれからも仲良くしていけたら……。彼女はそう願っているのだった。
***
ダニエルとの茶会とは異なり、リラックスした表情でにこにこと笑う聖女は、実年齢よりもぐっと幼く見える。敷布の上にしっぽをぱたぱたと叩きつけながら、ルウルウがぼやいた。
「まったく、損なひとですよ、あなたは。他のかたにも、わたしに話すのと同じように接すれば、あなたの良さが伝わるのに」
「別にいいもん。私の良さは、ルウルウだけが知っていたらいいんだもん。どうせ素を出したところで、弱みにしかならないもん」
「……キャシー、この甘えん坊っぷり。あなた、お茶会の後からひとりで勝手に部屋で飲んでましたね! この時間だけでも結構な酒量だったのに、一体どれだけ飲んだんです!」
「えへへへ、せっかく聖女特典の異次元収納があるんだから使わないともったいないでしょ。昼間から飲むお酒ってさ、夜に飲むお酒と違って背徳感があっていいよね。ものすごくダメ人間って感じがする!」
「もう、何を言ってるんですか」
「ルウルウ大好き〜」
ちゅっちゅっと頬に口づけを落とされて、なんとも言えない表情をした白い竜は、ぱたりと力なくしっぽを落とした。
「わたしだって、あなたが嫌う王族たちのようにひとに言えない秘密を抱えているかもしれませんよ」
「大丈夫、ルウルウの秘密ならなんでも受け入れちゃう!」
「……本当になんでも受け入れてくれるんですか」
「いける、いける! さあ、なんならここで話して楽になっちゃいなさい。今日は夜通しおしゃべりよ。パジャマパーティーのガールズトークに終わりなどないのだ」
「……はあ、ガールズトークですか」
遠い目をしたルウルウにウザ絡みしながら、キャシーはご機嫌で盃を掲げる。
「もう、ルウルウったらテンション低い〜。なんなら、マムシ酒みたいにルウルウ酒やる? ルウルウの浸かったお酒なら、私、いくらでも飲めるな〜」
「完全に発想がオヤジじゃないですか。もう、寝てくださいよ」
「やだあ、ルウルウと一緒にお風呂入るう。酔い覚ましにお風呂に入るう」
「今入ったら滑って頭打って死にますよ。明日入ってください」
「ルウルウ、一緒に寝ようよ〜」
「すでに一緒に寝る気満々で抱き枕にしているじゃないですか」
「ルウルウ大好き〜。愛してる〜」
「……キャシー、わたしもですよ」
翌日、猛烈な頭痛と吐き気で目を覚ましたキャシーは、相棒の白い竜が枕元に置いていたコップの水(*大陸一酸っぱい果実の濃厚絞り汁入り)を飲み干し、悶絶することになる。