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ガス欠と雲

作者: 向日葵

「はい、それじゃあここまで〜」


厳勝先生の声が教室に響く。午後8時30分、国語の授業が終わった。


「宿題はp18〜21の大問3までだ!忘れるんじゃないぞ」


怒号とも取れるような荒々しい声が、私の耳へ無理矢理入ってくる。

おそらくこれは私へ向けた言葉なのだろう。

15人いるクラスの中で、宿題をやってこなかった私に向けての有難いお言葉。

宿題をやらなかったことにたいした理由はなく、どうしても机に向かってもやる気が出なかっただけのことだった。

先生が怒るのも無理のない理由だ。


「善岡、少し残れるか?」


あぁ、先生に呼ばれてしまった。

仕方ないだろう。大人しく説教を受けるしかない。

武士が死地に赴くような…といえば明らかに大袈裟なのだけれど、この時は本気でそんな思いで他の生徒が出ていくのを待っていた。




「さて、今日宿題やらなかったのは何か理由でもあったのか?」


頭を横に振りながら私は否定し、正直に話す。嘘はつけない性格なのだ。

「いえ、理由はありません。全くやる気が出なかったんです。」

ばかやろう!とでも言われると覚悟を決め、目を瞑った。しかし先生からは確かにばかやろうという言葉が出てきたが、思っていたような声色ではなかった。


「ばかやろう!なんだそれは!」


明るい声、笑っているときの声だ。


「…なにか、悩みでもあるのか?」


相談にまで乗ろうとしてくれている。

この先生の評価が少しだけ変わった。厳勝先生といえば、授業はうまいが生徒への対応が雑なことで有名なはずだ。そんな先生が生徒の悩みを聞こうとしている…不思議だ。

「いえ、特に悩みはありません。本当に、やる気が出ないだけで、すみません。」


「そうか。いや実はな、毎年善岡のように今までしっかりと授業を受けていたにもかかわらず、唐突にめんどくさがって宿題をやらなくなる生徒が1人2人出てくるんだよ。受験生の自覚が強い奴ほどな。」


なるほど、この状況に陥るのは私だけじゃないのか。

それを聞いただけで少しだけ安堵した気分になる。大学受験をおよそ10ヶ月後に控えた自分は、今の状態に焦りを感じていたらしい。

「その人たちは、結局どうなりましたか?」

だが、一番大切なことはこれだ。

やる気をなくしたまま大学受験を迎えたのだろうか。


「たった1つの助言で、みんな元に戻ったよ。むしろ一層やる気に満ち溢れているとさえ感じた。」


「助言?それってどんな?」

気づけば先生の目を見て、興味津々に話をしている自分がいた。


「簡単さ、想像しろっていったんだ。」


その言葉を聞いて正直、がっかりした。

よくある言葉だ。大学に受かった自分を想像するんだーとか、そうやってモチベーションを上げるんだーとか、そんなことは既にやっている。その上で今の状況があるんだ。

先生の話は結局、なんの解決策にもならなかった。

そう思っていた。次の言葉を聞くまでは。


「想像といっても、やる気を出させるような想像じゃないんだけどな。」


再び衝撃を受けた。この先生は何を想像させようというのか。話に興味が持ててきた。

「それって、どんな想像ですか?やる気を出させるわけじゃないってことは、大学に受かった自分を想像ってわけではないですよね?」


先生が笑いながら言う。

「もちろんだ。というか善岡はそれを既にやっているんだろう?だからやる気をなくしているんだ。」


私は困惑した。やる気を出す方法を使ってやる気をなくしている?どういうことか全くわからなかった。

「それってどういうことですか?」


「いいか善岡、本来その想像はいわば元気の前借りなんだ。

勉強が行き詰まる10月、11月にすると、もう一踏ん張りするぞって思えるものだ。

だから善岡みたいに4月5月からやってると、元気が切れてガス欠を起こしてしまうんだよ。」


先生の言っていることがなんの抵抗もなく、私の頭に通った気がした。

私は1年の頃からずっと受験勉強をし続けてきた。なぜなら要領が悪いからだ。人が1回でできることは3回やらないとできない、そんな人間が私だ。

だから誰よりも早く、受験勉強に取り組んでいた。

そして行き詰まる度に大学生活を想像していた。


「善岡、ガス欠を起こした車はどうすればいいか知っているか?」


「ガソリンを入れるんですよね?」


「そうだ。だが善岡は既に『大学生活』というガソリンを使い切ってしまっている。だとすれば何をすればいい?」


そう、これが本題だ。1つ目の答えは難しくない。

「なら、また違う想像をすればいいんですね?でもどんな想像ですか?」


「国語と一緒だ。対比を使って考えればいいんだよ。今まではガソリンを入れ続けて走り続け過ぎていたんだ。なら一度止まってみればいい。」


「つまり、受験勉強を一度辞める想像をするってことですか?」

またも衝撃的な発言だ。受験勉強をしない想像?


「実際に辞めろとまでは言わないよ。勉強は絶対に続けるべきだ。だから代わりに想像するんだ。全く勉強に関係のないことを。

例えば雲なんてどうだ?空を見上げれば大抵雲はあるだろう?その雲に乗ってみたり、中に入ってみたり。そしたら中にはまだ知られていない土地があって…!」


本日4度目の驚きだ。先生がすごく興奮して話をしている。しかも内容が内容だ。先生って意外と…

「子どもっぽい…」

気づけば口に出ていた。流石に怒られるかと思ったが、そんなことはなかった。


「ははは、よく言われるよ。結構子供っぽいですよねって。けどこれってとても大切なことなんだ。何に使えるかわからない勉強をし続けることって本当に辛いことだ。興味のない教科ならなおさらな。

だからこそ、どこで使えるかわからないからこそ勉強はしなくてはならないんだけれども、本来勉強に大切なのは好奇心だろ?1番好奇心の強い時期って、記憶にも残らない幼い頃だと思うんだ。だから童心に帰ることも、決して無意味ではないと思うんだ。」


納得した。腑に落ちる、なんて言葉は誤用らしいが、その言葉が適切だと思えた。

好奇心によって世の中の定義、定理を発見してきた偉人に共通するものは好奇心に他ならない。

好奇心があるから人は頑張れるんだ。そんな簡単で当たり前なことを私は忘れていた。

「そうですね、、、。なんか、腑に落ちたって感じです。先生の言ってることが理解できました。」


「腑に落ちたなんて言葉は現代にはないけどな!

得心いってくれてよかったよ!」



先生にお礼を言い、塾を出て空を見上げた。

雲か。見上げれば当たり前のようにあるそれも、同じ形のものなんてない。ただ風に流されるだけの存在。

だからこそたくさんの可能性が眠っていそうだ。








私は今から空へ旅立つ。

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