廿漆葉 ‡ 恩赦
僕は色葉の作る味噌汁の匂いで目を覚ました。今では、これが僕にとっての日常だ。こちらの世界に居るO.E.D.O.の人間は色葉だけになった。
「そういえば色葉、将軍との約束の件だけど… 」
「お断りしてくださいっ! 」
即答だった。
「私は、もう直に嫁いだも同然と心得ています。直の居る所が私の居る場所なんです。帰れと言うくらいなら、いっそ死ねと仰ってくださいっ! 」
なるほど、そういう事か。僕だって色葉と別れるなんて少しも考えてはいない。色葉は所払いが恩赦になったらO.E.D.O.に帰されると思っているのか。
「前に奉行が言ってたろ、将軍御声掛の僕がO.E.D.O.に行っても問題無いって。」
正確には誰も罪には問えないと言っていたので罪にはならないとは言われていないが、ほぼ同じ事だ。
「だから、色葉の御両親に、挨拶させてくれないか? 」
おそらく、卒業して就職なんてしたら、いつ挨拶に行けるか分かったもんじゃない。色葉の所払いが解けたタイミングで、御両親を安心させてもあげたい。ただ、O.E.D.O.に行くには奉行か将軍の助けが無いと無理だろう。
「鍋島氏、ただいま戻りましたっ! 」
あの声はミッチーだな。朝から玄関前で大声は出さないよう注意しなきゃいけないな。玄関を開けると裃姿で髷を結ったミッチーが息を切らしていたので、慌てて部屋に入れた。
「ミッチー、その格好で、よく不審者がられなかったな? 」
「はい。佐野さんから何か聞かれたらコスプレと唱えるか和装が趣味と言うように言われておりましたので。」
魔法世界なのが幸いしたか。剣や刀を持っていたりすれば銃刀法違反で職質どころか、その場で逮捕だ。
「それで朝から慌ててどうしたんだ? 」
「この度は、将軍家より直々に色葉殿を恩赦ではなく、無罪放免の御沙汰が下されました。つきましては、一度O.E.D.O.にお戻り頂きたく、お迎えに上がりました。」
将軍も考えたな。恩赦は刑罰を軽くするだけで罪は消えないが、無罪放免となれば、色葉も堂々と帰れる。
「僕も一緒でいいんだろ? 」
「はい。お奉行曰く、『どうせ一緒に行くって言うに決まってんだから、連れて来い。』との仰せにございます。」
なんか、読まれていたようで癪だが、行かないという選択肢は僕の中には無かった。僕は色葉と一緒にミッチーに続いて奉行の作ったというO.E.D.O.への入り口をくぐった。重力的な圧力や転移特有の何か、あるかと思ったが、特に何事もなく普通に通過した。天草や奉行が何度も往き来しているんだから、そうリスキーな筈はないか。取り敢えず、僕の服装は色葉が浮かないよう魔法で用意してくれた。
「お、意外と似合ってるじゃねぇか。」
ミッチーについて来たので奉行所に出るのは予想していた。
「奉行が直々のお出迎えか? 」
「そりゃ、お前さんは上様御声掛なんだから、下手な下っ端差し向ける訳にもいかねぇよ。色葉にゃ手続き上、再吟味の上で無罪放免を言い渡さなきゃならねぇから、お白洲に来てもらうぜ。」
「僕も出るっ! 」
「言うと思ったぜ。色葉無罪の証人として、天草に巻き込まれたって証言してくれるかい? 」
「もちろん。」
つまり、これは冤罪事件の再審を出来レースでやる訳だ。どこの世界でも、大義名分は必要らしい。
「これにて一件落着。」
お白洲は奉行の決まり文句で無事に終わった。
「お姉… あんたも一緒かよっ! 」
奉行所を出ると筝葉が待っていた。
「認めてくれたんじゃなかったのか? 」
僕の呼び方がお義兄ちゃんから、あんたに戻っていたので聞いてみた。
「あっちの世界じゃ、あんたしかお姉ちゃんが頼らないから安心させる為に呼んだだけよ。どうせなら美雲姉さまや常世さんを頼ればいいのにさ。竜紋様からは、お姉ちゃんが帰って来るとしか聞かされてなかったし。」
まぁ、そんな事だろうと薄々は思っていた。
「筝葉、父さんと母さんは? 」
「それが、お婆ちゃんの具合が悪くて。」
「それなら、小石川の小川先生に診て貰えないのか? 」
僕がそう言うと筝葉は少し驚いていた。
「本当、変な事知ってるよねぇ。でも、小石川療養所は貧しい人たちで一杯だからね。」
「なら、狩野先生に頼めないかな? 」
「あの蘭学医の? 無理でしょ? 」
「無理じゃねぇよっ! 」
間髪入れずに聞き覚えのある声がした。
「狩野先生!? どうして、ここに? 」
「言ったろ。患者の居ない所に医者は不要だって。つまり、患者が居るんなら医者が必要って事た。」
取り敢えず僕らは色葉の家に行く事にした。ミッチーも筆頭与力に復職したらしいが、将軍御声掛の警護の任を命じられたとかで、ついて来た。
「母さん、ただいまぁ。姉ちゃん、帰って来たよぉ。」
筝葉の声に慌てて女性が1人。あとから男性が1人。遅れて杖をついたお年寄りが1人。すぐにでも色葉に飛びつく勢いで出てきたのだが、知らない顔ぶれの多さに、一瞬、固まっていた。
「この方々は? 」
「筆頭与力の竜紋さま、お婆ちゃんを診てくれるっていうお医者さまの狩野先生。ついでについて来た鍋島。」
僕はついでか?
「筝葉ぁ。」
「お姉ちゃんの… いい人。」
筝葉は色葉に言われて僕を紹介し直した。それを聞いて色葉の家族が再び固まっていた。




