イシュマエル(後編)
「空虚世界論……」
「まったくここにアシュド様がいるというのに情けないよ。ねえアシュド様。はやくわしらをこの仮象の地獄から救い出してくださいまし」
アシュドの呟きに老婆が言うがアシュドはすでにその狂した頭で決意していた。
「……おばあさん。僕はその人に会わなくてはなりません」
「なぜだい。ギュスターヴは背教者だよ」
「だからこそです。僕は狂っているのでそう思うのです。おばあさん、そのお婿さんは牢屋にいるとおっしゃいましたが、それはどこに?」
「孫が良く面会に行ってたね。たしかネジカ通りの大牢だよ」
老婆が口に出すとアシュドは逆に驚いた。
「城の中ではないのですか?」
「城なんて囚人を入れたらいっぱいになっちまう。ここは仮の都。犯罪者は郊外にあるネジカの大牢に入れられるのさ」
「ありがとうおばあさん。僕は行きますが周りの方々におばあさんのこと頼んでおきますね」
「だれも助けてはくれないと思うけどねえ」
不安そうな老女にアシュドは自信満々に答える。
「大丈夫。僕はアシュド・グレイ。この名を出せば」
「ああ、ああ、そうだったわね。それじゃよろしく。でも婿とは会わない方が良いよ。これは忠告だよ」
「ははは、ありがとう。それでは僕は行きます、では!」
アシュドは最後までベッドに横たわったままの老女と別れ、家を辞した。周囲の家の呼び鈴を鳴らしてまわって、出てきた人に老女の面倒を見て欲しいと頼む。
運の良いことに何件目かでアイリスの孫のことをよく知っている中年の女性がいて、アシュドの名を出すと老女の面倒を見てくれると請け合ってくれた。ついでにネジカ通りのことも教えてくれた。
「あの子も戦場へねぇ。まだ幼いのに。代筆とか買い物とかしてくれて助かってたんだよ」
「どうりで。綺麗な文字を書くなと思っていたんです」
アシュドが言うと中年の女性は同意した。
「かわいそうにねぇ。アシュド様もイシュマエルの人狩りには気をつけなよ」
そして、中年の女性はアシュドに警告を発する。
「人狩り?」
アシュドはおうむ返しに聞き返した。
「聖都に送る兵士が足りなくてね、この都市は戦えそうな奴を狩って前線に送り出すのさ。盾としてね。正直恥ずかしい話だけど、この国はそれだけ戦える男の数が逼迫しているのさ」
「どうりで、アイリスの場所を聞いてまわった時に不思議に思ったんです。どうしてこの町は女性と老人しかいないんだろうって」
「残った男どもはこそこそ隠れているのさ。ともかアシュド様も気をつけなよ。やつら旅のものだとしても容赦しないからね」
「僕がアシュド・グレイでも?」
「奴らに人と化物の区別なんてできないよ」
「そうですか。ご忠告ありがとうございます。それではアイリスのおばあさんのことをよろしくお願いしますね!」
「ああ、ああ、まかせておくれ」
「それでは!」
アシュドはいつもの通りけたたましく言うと、その場を後にした。目指すはネジカ通りにあるという大牢。そこでアシュドは運命と対峙せねばならない。自分は果たして本物か? それともまがい物の影にしか過ぎないのか? この世界の理論は本当はどうなのか? アシュド自身は狂しているため自分がアシュド・グレイと信じて疑わないが、その真実は未だ何も知らないでいる。