劫罰(ごうばつ)
永遠の罪を背負うとはどんな気持ちだ?
仮象の世界を永遠に生きるというのは、どんな感じだ?
幻想を受け入れない生き様は、どんな心地だ?
あなたの問いに答えよう。あなたは私かもしれないが。
――それはひどく悲しい。悲しい気持ちで胸が張り裂けそうだ。
……いつの間にか気絶していたらしい。リディアははっと目を覚ました。ひどい夢を見ていたような気がする。辺りは暗い。時刻は夜になっていた。自身の記憶から今いる場所を思い巡らす。都市国家マルクートとは中立の間柄の信仰国家イシュマエルの国境辺りか。遠くにマルクートが誇る城塞の尖塔が見える。
体が痛く、そして熱い。見れば槍はまだ体に刺さったまま。額の熱も少しはましになったがまだ熱い。何をせねばと考え、体に刺さったままの三本の槍を引き抜かなくてはと決める。リディアは力を込めて深く深く自身の体に刺さった槍を抜いていく。ひどい痛み。どくどくと血は流れ、大地の草に墜ちるとそれをぐずぐずと腐らせた。
「……ああ、くっ」
ああ、その瞬間に気づく。自分が怪物になったのだと。灰殺しの怪物。この第八十七次仮象幻想世界で最も嫌悪される最悪の怪物。
それに自分はなってしまった。たかが老人一人殺した程度で。アシュド・グレイを殺しただけで! うおおおおおぉ。リディアは涙をほろほろと流す。その涙も土地を腐らせた。うおおおおおおおぉ。うおおおおおおおぉ。泣きながらリディアは槍を自身の体から抜く。一本、二本、心臓に突き刺さった最後の一本。槍を動かすたびに痛みが全身を走り、止めどなく血と涙は流れ、辺りの土地を汚す。そして長い長い時間をかけてリディアはとうとう槍を全てその体から抜いた。
「はぁ……、はぁ……」
精も根も尽き果てた様子でリディアは荒い息をつくと、地面に横たわる。土地は汚れるが今は知ったことではなかった。目を閉じ自分の罪について考える。私は悪くない。あの老人が……。単なる他罰ではリディアの心は満たされなかった。と、あるものに気づいてリディアは側に落ちていた小さな革袋を手にとった。中を探ると金の粒が。……総統の贈り物か。それとも追い銭か。とにかくこれから生きて行くにも金は必要だ。リディアは手を伸ばし革袋を握りしめた。そしてその金は同時に二度とマルクートへ戻るなとの意味でもあることをリディアは理解した。
金の粒が入った革袋を握りしめリディアは考える。自分のアシュド・グレイに対する今までの考えは間違っていた。アシュド・グレイ。第八十七次仮象幻想世界を墜とすという化物。それは実在した。灰殺しの伝承も。自分はこの永遠に死ぬことなくこの仮象の世界に留まり、アシュド・グレイが導くという未踏世界に行くことはできない。……。これからどうするか。どうすればいいか。リディアはさらに深く考える。深く、深く。
……リディアが考えているうちに少しこの星の地理を語ろう。ここは先ほどリディアが察したように都市国家マルクートと信仰国家イシュマエルのちょうど中間。この時代国境線はそれほど明確ではなく。都市とそれを中心とする周辺の村からなる比較的平和なマルクートなどの都市国家群が支配する中央平地帯。そこを中心と見なせば西南に海の果てまで続く領土の南に信仰の中心である聖都を抱えた信仰国家イシュマエル、また都市国家の南にあるのは武で名高く信仰の中心である聖都をイシュマエルと争っている世界実体論を信奉する強大なザルード帝国、北には国はなく広々とした雪の山脈が連なり、東には遊牧民が暮らす辺境の草原が果てしなく広がっている。
そしてそのさらに東には巨大な帝国があると聞くがそこまで旅をしたものはほとんどいない。
さらなる細かな地理についてはまた語る機会があるだろう。リディアのことに話を戻そう。灰殺しの罪を背負った自分は、もはや永遠に人と違う道を歩くしかないのか。いや、一つ大昔――子供の頃に聞いた話がある。灰殺しは惑星の賢者によってのみ救われると。……惑星の賢者。私を灰殺しにしたあの老人も言っていた。わずかなよすがだが、それを探さなくては。
「……」
リディアはよろよろと立ち上がった。衛士達に受けた槍の傷はもうすでにほとんど治っていた。ただ額の熱さだけは治らず、リディアを苦しめる。リディアはおそるおそるまた手を額の烙印に当てる。受けた時ほどではないがやはり熱を持っている。……いずれこれもなんとかしなくては。リディアは都市国家マルクートの騎士団長の証である鎧を脱ぎ捨てると、信仰国家イシュマエルの方へ向かってふらふらと歩き出す。
マルクートの鎧。それはもう自分には必要ないものだ。むしろマルクートと中立の間柄のイシュマエルに入るのならば邪魔になる。とりあえず頭に浮かんだのはイシュマエルにある聖都。そこに惑星の賢者がいるような気がしたし、いなくても何か情報が手に入るのではないかとリディアは考えた。進む。歩き出す。のろのろと。夜はまだ明けず、永久に開けないのではという不安を抱かせる。そんな不安に駆られながらリディアは西南に向かって歩いて行った。踏み出す一歩ごとに周りの土地を汚しながら。
……同時に気ままに旅するアシュド・グレイも聖都へ向かっていた。道中耳にした惑星の賢者のことなら聖都の狂信者たちが詳しいだろうという言葉を真に受けて。
アシュドとリディア。二人の旅路はやがて重なる。