聖地(後編)
……。
ちょうどそのころ灰殺しのリディア・アビゲイルも大聖堂に辿り付いていた。アシュドが大聖堂の入り口に立っているのを見て、礼拝の順番を待っているのかと思い、後ろに並ぶ。アシュドは気にした様子もなくただ大聖堂の中の方に視線を向けている。
『戦場なのにのんきなもんだ。まあ私も人のことは言えないが』
日頃から周囲に目を配るように訓練されていたリディアは大聖堂の前に立つアシュド・グレイのことは聖都の偉容に浮ついている田舎者にしか見えなかった。
日が中点に差し昇る頃、ようやく兵士は外に出てきた。
「アシュド・グレイ。司祭達がお前に会いたがっている。中へ入れ」
「ありがとうございます」
アシュドは感謝の意を示した。
『アシュド・グレイだと!』
一方リディアは明らかに動揺した。アシュド・グレイ。たぶん老人と話していた青年の方だろう。こんなところで出くわすなんて!
だがリディアは心を強くし平静を保つ。ここで騒いだりしたら中へ入れなくなると思ったのだ。
アシュドは礼を言って中へ入ろうとする。続けてリディアも。だがそれは兵士に阻まれる。
「貴様は入れろという命令は受けてはおらん」
「……くっ」
「どうかしましたか?」
「お前には関係ない。早く中へ入れ」
「……アシュド・グレイ」
リディアは口にした。
「何ですか?」
アシュドが振り返る。
「私も入れてくれないか。中の信者達に用事があるんだ」
アシュドはリディアを見る。四肢と額に布を巻きいかにも旅にやつれた顔。そしてすがるような目。アシュドはこの人間を救わなくてはと判断した。
「すみません。彼女も入れてください。知り合いなんです」
アシュドはそう言った。兵士はあからさまに不審な顔をする。
「来た時にはいなかったようだが」
「遅れてきたんです。何しろここは広いですからね! 途中はぐれてしまいまして」
アシュドは弁解をする。
「なら、なぜ言わなかったアシュド・グレイ!」
「アシュド・グレイに関わるな。その文言はご存じだと思います」
「それは知っているが……」
「そう! だから言えなかったんです。関わりがより深くなりますからね! おかげで僕の方も彼女の名前を知りません! ああ僕は自分が莫迦で嫌になる!」
「うさんくさい、なにもかもうさんくさい」
兵士は言った。当然の反応と言えた。
「私は、リディアだ」
「そうですか。リディアさん、あなたの名前が聞けて嬉しいです」
「私を一緒に入れてくれるか」
「もちろんです」
「本当に入れてくれるか」
「はい!」
「私が……灰殺しでもか?」
「……え?」
「お前とマルクートのはずれでのんきに話していた老人。奴もアシュド・グレイの名を自称し、私が始末した」
「……」
さすがのアシュド・グレイも口をつぐむ。そこへ兵士が声をかけてきた。
「おいおい、話がこんがらがってきたぞ」
「……申し訳ありません、少し黙っていてください」
「あ、ああ」
そう言うと兵士に背を向けアシュド・グレイはリディアに尋ねる。
「なぜ、その……リディアさんはあのおじいさんを殺したんです」
「総統に危害を……いやこれは言い訳だな。私はその老人がアシュド・グレイだと信じなかった。いやアシュド・グレイそのものの存在を信じていなかった。だから殺した。それでも共にここへ入れてくれるのか。アシュド・グレイ!」
「……。入れます。約束しましたから」
わずかに考えアシュドは言った。
「なぜだ!」
叫ぶようにリディア。そんなリディアにアシュドは優しくさとす。
「灰殺しのあなたはもうすでに罰を受けている。これ以上あなたに罰を与えられる人間がいるでしょうか?」
「それは……」
「一緒に、行きましょう」
アシュドはリディアに手をさしのべる。そこに鋭い声がかかった。兵士である。
「待て!」
「何か……?」
アシュドが首をかしげながら尋ねる。
「その女が本物の灰殺しなら入れるわけに行かん」
「アシュド・グレイの頼みでも?」
「アシュド・グレイ? そういえばそうだったな。しかし灰殺しはアシュド・グレイを殺した者がなる怪物と聞いた。だがここにアシュド・グレイがいる? どういうことだ? どちらかが偽物と言うことか?」
「どちらも本物です」
きっぱりとアシュドは言った。それに気圧されたのか兵士は弱々しく言う。
「と、とにかく待っていろ、もう一度聞いてくる」
「……お好きなように」
アシュドの言葉に兵士は中へ入っていった。
アシュドはリディアの方を向く。そして唐突にぽろぽろと涙をこぼした。
「ああ、おじいさん! ごめんなさい。僕に助言をしてくれたばっかりに! おじいさんの助言がなければ僕はここへたどり着けてなかった!」
「すまない……すまない……」
涙を流すことなく悔恨の表情でリディアは言った。
アシュドはしばらくすすり泣いていたが、やがてリディアに手を伸ばす。
「あなたを許したわけではありません。けれど僕は全ての存在を墜とし、救わなくてはいけないんです」
「……灰殺しの私もか」
「はい、この仮象世界に住む存在全てに区別はありません。それにあなたは誰かに罪を着せることはしな
かった。自分の意思であのおじいさんを殺したと告白してくれた。……だから、僕はあなたを信じます」
「灰殺しの私の手を取ってくれるのか」
「はい」
リディアはおそるおそるアシュドの手をとった。特に何も起きなかった。ただ、伝わるぬくもりがあたたかいなと思った。
しばらくそうしていると慌てた様子で兵士が出てきた。二人に言う。
「命令が出たぞ! 二人とも中に入れるように、とのことだ」
「そうですか。行きましょう! リディアさん」
アシュドは答えるとリディアと手をつないだまま大聖堂に入っていく。その先に待ち受けるのは聖都にあぐらをかく狂信者達。そしてアシュドが降り立ったとされる足跡。リディアとアシュド、二人の運命は重なり今こそ一つになろうとしていた。




