本当に油断しすぎていると思います
リアシートの町田を縛っていたロープで、吉岡を縛り上げると、インプレッサのトランクルームに転がした。足の骨が折れているようだったけど、死にはしまい。
「奈々、大丈夫か?」
町田は、頭を押さえたままわたしに言った。
「大丈夫よ。」
「おれは、あんまり大丈夫じゃないみたいだ。」
町田は、その場に座り込んだ。
「頭痛、ひどいの?」
「ああ。それよりも、腕の骨が折れているみたいだ。」
「どうして?」
「腕も殴られて。」
わたしは、町田の隣に座った。
「大丈夫?」
そうっと、押さえている腕にさわった。
「ここで、救急車を待つといいわ。車を貸してね。」
「奈々、まだやるつもりか?」
「田辺くんを助けないとね。」
そうっと、町田の額にキスをした。
「がんばって。それから大丈夫な腕で警察と救急に電話して。」
「おれも行くよ。」
立ちあがりかけた町田をそうっと制した。
「無理よ。それよりも、警察にちゃんと事情を話して。」
「おまえ一人じゃ、無茶だ。」
「わかっているわ。警察を張り込ませて。そうすれば、大丈夫。」
「結局なにも見つからなかったんだぞ」
「でも、車はあったし、吉岡もそこにいる。わたしの容疑がすぐに晴れるわけじゃないだろうけど、動いてくれるはずだわ。」
「わかった。」
「じゃあ、そろそろ行くわ。携帯を持ってくるわね」
「ああ。」
町田は、痛みに脂汗をかきながら、斜めになったインプレッサに寄りかかった。わたしは立ち上がり、町田のレビンに向かって歩き出した。交換する品物も無いのに、どうやって田辺を救い出すかを考えながら。
町田の車で走り始めて5分も立たないうちに、パトカーと救急車にすれちがった。日本の救急システムは優秀だ。
それにしても、裕樹の車には、なんにも積んでいなかった。それはもう、きれいさっぱりと何も無かったのだ。まるで、たった今納車されたばかりのような感じですらあった。
それとも探しているものが違ったのだろうか。スペアタイアを入れるところとか工具入れとかシートの下とか、そういうところだと思ったけれど、もっと小さなものだったのかもしれない。例えば昔のスパイ映画みたいにマイクロチップだとか。まさかね。スパイやギャングとも思えないし。
じゃあ、いったい何を欲しがっているんだろう。
そこまで考えて、インプレッサのキーがついていたキーホルダーを取り出した。車のキーだけは取り外して置いてきたけど、他のキーはつけたままだった。信号待ちをしながら、それをひとつづつ確かめながら、何のキーだろうかと考えをめぐらせた。4本のキーのうち、明らかに3本は何処かの建物のキーで、それぞれに違う鍵のものだった。残りの1本は、机の鍵のようだった。もしくは、小型の金庫。
けれど、それが何処にあるか分からないのだから、話にならない。記憶の中の裕樹の部屋のキーはこれでは無かったし。おそらくは、仕事先の事務所のキーだとか、そんなところだろう。わたしはそれをポケットに仕舞った。
裕樹の携帯電話を取り出す。電源ボタンを押す。電池残量は充分にあった。パスワードは4桁の数字。1234、と入れてみる。あっさりと解除された。数字を覚えるのが苦手だったのかな。
アドレス登録には何人かの名前が登録されていた。彩子の名前もある。その数は6人。他に名前の入力が無い電話番号が入っている。
いや、この番号は電話番号じゃない。
サークル室に電話をかけた。固定電話はないけど専用のPHSが事務所には置いてあるのだ。
「あ、奈々先輩。さっきのCD-Rの件ですよね?パスワードでロックがかかっているんですよ」
「CD-Rの表面に番号書いてあったわね?」
「ええ、えっと3ですね」
「じゃあ、6154ってパスワード入れてみて」
「え?あ、はい。ちょっと待ってくださいね」
今、電源入れてますから、と説明が入る。
「あ、パスワード解除されました。中身は、っと。写真が10枚ほど・・・と住所、名前?」
「ビンゴ、ね」
「でも、そんだけっすよ。CD一枚にしては中身が全然ないっていうか。メモリもったいないっていうか」
裕樹の部屋にはあと数枚CD-Rがあった。安物の中古CDに紛れ込ませてデータCD-Rが混ぜてあったのだ。携帯電話のメモリからも、それが6枚だとわかる。それしかパスワードが無いからだ。恐喝している相手が6件?この程度の件数では彩子が血眼に探し回る理由としては薄すぎる。
とにかく礼を言って電話を切った。
裕樹の携帯のメモリを見ていく。メモ欄にインターネットのアドレスらしい文字列がある。
これ以上はパソコンが無いと追及出来ない。
ダム湖の辺りは暗闇に沈んでいた。
時間は10時を回ったところだった。人の気配はなくなり、夜の暗闇が支配する。何処かで虫が鳴いている。時折、なんの鳥だか悪魔だか分からないけれど、声がする。
つい2、3日前にここに来ていた。いや、正確には連れて来られた。わたしの意思に反して。
あの時は、もう少しで死ぬところだった。
でも、待って。
わたしは、もう、長いこと、死にたいと思っていたんじゃないのだろうか。
洋一が死んでから、1年以上。その間、一日だって彼のことを忘れた日は無かった。悲しみから逃れるためにアルコールばかりに頼って部屋にこもっていた。ずうっと、死にたいと思っていたんじゃないだろうか。
死ねば、洋一に会えるかもしれない、なんて思いながら。
それが、現実であれ夢物語りであれ、生きていること自体が苦しくなる日も少なくはなかった。悲しい気持ちでいっぱいだったからだ。
他人にとって、わたしの悲しみが深いか浅いかなんていうことは判断してもらいたくはない。例え、一輪の花が枯れただけだとしても、それで自殺する人がいないとも限らない。理由なんてあってもなくてもいいのだ。ただ、わたしは悲しくなっていた。悲しいから、死にたいと思っていたのだ。
洋一が生きていれば、その悲しみも癒されたかもしれない。けれど、その彼は死んでしまった。そう、わたしは昔から悲しかったのだ。それに理由なんて無い。あったとしても考えて分かるようなことではない。心理学者があれやこれや言うかも知れないけれど、それが本当かどうかなんてわからないだろう。
それが分かっていたから、わたしは生を求めたのかもしれない。
悲しみが、生きることの恐怖から生まれてくる物だと思うからだ。
携帯の時計は11時になろうとしていた。
辺りは、1時間前と何も変わっていなかった。町田はちゃんと警察に事情を説明してくれただろうか。
真っ暗な車内で、唯一携帯のバックライトだけが明るかった。
そして、携帯は鳴り出した。
わたしは、手の中の携帯電話を操作しようとして、違和感を感じた。いつもの着信音じゃなかったからだ。もちろん、かけてくる相手によってメロディーを変える、なんてめんどくさいことはしていない。洋一が死んでからは特に、その必要も無い。
じゃあ、いったいどういうことなの?
そう思って、携帯が着信にすらなっていないことに気がついた。鳴っていたのは、わたしの携帯ではなくて、裕樹の携帯だったのだ。
慌ててそれをつかんで、画面を覗き込んだ。
着信あり、のメッセージがあった。電話番号が表示されている。けれど、名前は表示されなかった。わたしは、その番号を、自分の携帯のアドレスに登録した。
その途端、車のウインドーがノックされた。わたしは驚いて、思わず声に出してしまった。窓から覗いていたのは、見知らぬ男の顔だったのだ。
「失礼、警察のものですが、開けてもらえませんかね。」
わたしは、急に勢いよくなった心臓を落ち着かせようと大きく息を吸い、それから手で外の警官に合図した。ドアノブを引いて、わたしは車から降りた。警官は一歩下がって、それからこう言った。
「最近、この辺りの治安は悪くてね、ほら不法投棄とか、そういうの。」
「そうなの。」
わたしは、半ば期待外れに言った。町田の通報によって、パトロールしているのか、と思ったからだ。そして、次の瞬間、わたしは凍り付いた。
町田が通報しているなら、こんな場所で職務質問などしない。人質がいるのだ。その人質の安全が確保されないような動きはしないはずだ。
わたしは飛び退いて、それから言った。
「あなた、誰よ。」
我ながら、間抜けだったと思う。その時、目の前の男にばかり気が集中していた。いきなり、後ろから殴られた。
もう、いい加減にしてもらいたい。最近、わたしのことをサンドバッグか何かだと勘違いするやつが多すぎる。




