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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
瞑想は水底に沈んで
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偽の目撃者を探せ

 裕樹のマンションに行くのは、少し勇気が必要だった。警察関係者がそこら中にいるような気さえした。

 そうはならなかった。

 わたしを探している人間は、ここへは戻ってこないことを知っている。危険な場所だとこのわたしが思っているからである。もし戻って来るかもしれないと思ったとしても現場でわたしを見つけられなかった、と結論が出てからのはずだ。

 そこでわたしがしたのは、地道な行動だった。

 片っ端からドアチャイムを鳴らしたのだ。ほんの1時間前に聞き込みに部屋まで警察が行っているのだから、目撃したという人物は在宅しているはずだ。

 平日の昼間、主に独身者用のマンションだから、人がいる部屋は少なかった。おかげで自分のことを警察から来た、と嘘をつく回数も少なくて済んだ。

 ドアチャイムを鳴らし、インターホンに向かってこう言うのだ。

「すみません、警察のものですが、先日の事件の件で目撃された方のお宅ですか?」

 違っていたら、丁重に詫びればよい。あとでうわさになろうが、そんなことは知ったことではない。

「はいそうです。」

そういう答えが返ってきたのは4軒目だった。裕樹の下の4階から始めて6階へ階段を上がった最初の在宅者だった。部屋番号は602。ネームには平岡、とあった。

「確認したい事が一点だけ残っていまして、担当の者から言われてきました。」

いかにも、新米刑事、というふりで言った。テレビドラマに出てくるような新米刑事だったけれど、構うものか。どうせ、この男だって、刑事はドラマ以外で見るのは今日が初めてだったのだろうから。

「ああ、そうですか。今、開けます。」

そういうと、インターホンが切れ、しばらくしてからドアの鍵を外す音が聞こえた。わたしは緊張した。

「お待たせしました・・・。」

そう言いながらドアを開いた男はあっけにとられたような顔をした。それはそうだろう、目撃した女がそこに立っていたのだから。

その平岡という目撃者は30代の後半の背が低く下腹の突き出た男だった。

「おまえは・・・。」

わたしは、にっこりと笑って言った。

「何処かでお会いしましたか?」

「おまえ、ここで何をしているんだ?」

目をぱちくりしながら男は言った。

「わたしを見た、という証言が正しいかどうかを確かめに来ました。あの日見たのは本当にわたしでしたか?」

わたしは、うすら笑いを浮かべて言ってみた。

「それは・・・。」

「違うはずです。いえ、あなたは誰も見ていないんじゃないんですか?誰に頼まれたんです?」

平岡は口を開けたまま、わたしを見つめていた。頭丁部が薄くなりかけていることに気がついた。それくらい背が低かったのだ。

「誰にも頼まれてなんかいない。」

平岡は怒鳴るようにそう言った。ふと、関西弁のビデオ売りを思い出した。

「見返りはなんだったんですか?」

わたしは、冷静な声を保とうと努力しながら言った。

「そんなものは、もらっていない。」

一瞬だけ、「は」と「も」の間にためらいのような一呼吸があった。つまり、その間に、見返りの報酬のことが頭をよぎったのだろう。

「これからもらうんでしょう?」

わたしは馬鹿にしたような声を出すことに努めながら言った。

「それは、この、おまえのような女は・・・。」

意味不明なののしりをしながら、平岡は一歩踏み出した。わたしは反射的に後ずさった。平岡の手が緩慢な動きで伸びてきて、その袖口がほつれていることが見て取れた。わたしはさっと飛び退いて、

「警察は、もう知ってるわ。捕まるのはわたしじゃなくてあなたなのよ。」

と叫び、それから後ろを向いて悪者の狼から逃げるロードランナーのように勢い良く走り出した。

 待て、という声が聞こえたけれど、平岡は追っては来なかった。わたしはそのままの勢いで階段を走り降り、それからマンションを飛び出した。そこで走るのをやめて、バイクに駆けよった。もしも上から見ていても死角になる位置だった。

 『警察が知っている・・・』というのはもちろん嘘だったけれど、それを男は確かめたりはしないだろう。捕まった、と思っていたはずのわたしが目の前に現われたりしたわけだし。とにかく、平岡はなにか行動を起こすはずだ。わたしを真実と自由に導いてくれる何かを。


 それほど待つ必要はなかった。

 平岡はさっき見た時と同じ服を着てマンションから出てきた。急いでいるように見えた。それから駐車場の中の一台の白いセダンに駆けより、がさがさと乗り込んだ。そういう音が聞こえたわけじゃないけど、そんな感じだったのだ。

 わたしは、バイクのエンジンをかけ、その車が駐車場を出てくるのを待った。

 車はすぐに出てきて、一時停止で大きく揺れながら走り去った。わたしはそのあとを追った。

 少し距離を置いて追跡したけれど、平岡は尾行されるとは思っていなかったようだった。ルームミラーをのぞくようなそぶりもしなかった。

 途中で一度、携帯電話でやりとりをしていたようだったが、その間も後ろには気を配っていなかった。そのうち、事故るんじゃないか、と思うくらい回りを見ていなかったのだ。

 それから平岡は、一軒のバイパス沿いのファミレスに入った。わたしは、そこへは入らずに店の前から中を伺うことにした。歩道に乗り上げて、エンジンを止め、そこから店内を覗き込んだ。ヘルメットは被ったままだ。

 平岡は、好都合にも窓際の席に座った。

 あとは、待つしかない。誰が現われるのか、それが何を意味するのか。


 ほんの5分ほどで、わたしは蒸し暑くて我慢ならなくなってきた。

 気温は30度近いだろう。その中で走っていないと通気性の無いヘルメットを被っているのだ。化粧が崩れていることは間違い無いし、ヘルメットを取っても、誰だか分からないくらいめちゃくちゃになっているんじゃないか、とすら思えた。

 いっそ脱いでしまおうか、と思った。しかし、それでは店内の男にも顔を見られるかもしれないし、待ち合わせの相手も気付くかもしれない。そっちは、わたしの知っている人物という可能性が高いわけだし。

 知ったことか。どうせメイクは崩れて誰だかわかるまい。暑くてたまんない。

 そう思ったとき、店内で平岡が立ち上がった。

 わたしは、ヘルメットにかけた手を止めた。平岡の目の方向をじっとみつめた。店内は外に比べるとずっと暗くて、よくわからなかった。じれったい思いで、じっと見つめた。小柄な男だということはすぐにわかった。くたびれたスーツを着ていた。スーツって、遠目にもきっちりとアイロンがかけられているか、そうでないかが分かる。小柄な男はくたびれたスーツを着ていたのだ。それが、何処かで見たような気がした。顔が見えないが、わたしはこの男を知っている。

 じれったいおもいで、眺めていると、突然わたしの後ろでクラクションが鳴らされた。思わず振り返ると、柄の悪そうな車に乗った柄の悪そうな男がおばさんの乗った軽自動車に向かって中指を立てていた。意味を分かってやっているとは思えなかった。

 わたしには関係ないので、ゆっくりと店内に視線を戻した。その時、その小柄な男もクラクションに振り向いていることに気が付いた。その顔は、ビデオを売っていた、あの男の顔だった。


 二人の容姿は良く似ていた。

 おっさんなんて知っている人間でも無い限り、わたしには見分けがつかないのだけれど。

 それはともかくとして、後ろ姿だけでは見分けがつかない。そういえば、ビデオ売りの男の名前も、平岡に似た名前だった。あれはなんて言ったっけ?

 わたしはジーンズのポケットから紙切れをひっぱりだした。

 「吉岡」だ。携帯電話の番号も一緒に書かれている、あの紙切れだ。ちょっと名刺というには紙の質が悪すぎる紙切れだ。

 それにしても平岡に吉岡か。どっちがどっちだか分からなくなりそうだ。顔を見れば見分けはつくかもしれないけど。少し若くてはげかかっているのが平岡。ビデオを売る少し歳をとっているほうが吉岡。

 やっぱり覚えにくい。

 それはそうと、わたしは次に何をすればいいんだろう。

 少なくても、わたしを裕樹殺しの犯人にしたてあげようとしたのは、ビデオ売りの男、つまり吉岡と平岡だ。平岡に圧力をかけた結果、二人が会っているのだし。

 車のトランクの中で、彩子と話した時、彩子もわたしを犯人にしようとしたけれど。

 一体どうなっているのよ?みんながみんな、犯人探しをして、その結果、わたしを犯人だということにしたがるとは。今では、警察までもがわたしを犯人にしようとしている。

 わたしは、ファミレスの中の中年二人と、名刺のような紙切れを見比べながら、納得のいかない気持ちでいっぱいだった。

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