やっぱり尾行は失敗
大学構内のサークル棟に戻ってきたのは、9時半くらいだった。もう、田辺はレポートをやる気は失せていた。途中のコンビニでお弁当と飲み物を買い、それからビールを何本か、買った。
「町田先輩、なんで奥村彩子と待ち合わせしていたんすかねえ。」
暗い階段を上りながら、田辺はつぶやくように言った。
そんなこと、わたしが聞きたい。
「奈々先輩の話を聞くと、裕樹さんを殺したのは彩子のようにしか思えないですし。」
帰り道、これまでの経過を田辺に話してあげたのだ。
「町田先輩は、共犯、だとか。」
「そんな馬鹿な。最初、わたしはこの事件を追いかけるつもり無かったのよ。それをけしかけたのはアストよ。」
「そう言えば、そうでしたね。」
「第一、どうしてアストが裕樹を殺さなくちゃいけないのよ?理由が無いわ。」
「そうすか?町田先輩、奈々先輩のこと好きですよ。」
唐突に、田辺はそう言った。
「え?」
「気付いて無かったんですか?」
そう言うと、田辺は事務所のドアの鍵を開けた。
「だから、裕樹さんに取られるのがいやで殺したとか。」
「でも、裕樹を紹介したのは彼自身なのよ。」
「あ、そうか。」
あっさりと、そう言うと田辺はソファに座った。
「それより、アストがわたしを好きって、どういうことよ?」
「ああ、それですか。見ていれば分かりますよ。」
「だって、この前まで他の女の子と付き合ってたじゃない。」
「でも、別れたでしょ?つい2週間前に。」
「それに、アスト、わたしに冷たいわよ。」
「そうですか?言葉だけですよ。」
ふてくされたように言うと、コンビニの袋から弁当を取り出した。
「あ、温めてもらうの忘れた。」
うちの事務所の部屋にはレンジは無かった。
「ちょっと、隣に行って、レンジ借りてきます。奈々先輩も温めますよね?」
そう言うと、田辺は隣の「民謡研究会」にレンジを使わせてもらいに行ってしまった。
コンビニの海苔弁当を食べてしまうと、田辺はテレビでドラマを見始めた。
「ねえ、レポートは書かなくてもいいの?」
そう尋ねると困ったような顔で田辺は言った。
「えー、やるんですか?」
「やるんですかって、それ提出するんでしょ?」
「そうですけど、これ、見た後でじゃ駄目ですか?」
「そんなに、見たいの?」
ドラマなんて2年くらい見ていないから、面白いのかどうか分からなかった。最近出て来た俳優の顔すらも分からない。こうやって、どんどん世の中に遅れていくんだなあ、と思ってしまった。
「これ、終わったらやります。」
田辺がそう宣言するので、わたしは仕方無くつきあって見ていることにした。世の中に置いていかれるにはまだ早いし。
しかし、連続物のドラマなんて、途中から見始めても面白くは無かった。ストーリーが全然分からないから、「誰だこいつ。」というのが頻繁に起きる。しばらくして、わたしは退屈し始めた。
「ねえ、田辺君。わたし、ちょっと飲み物買ってくるわね。」
そう言って、わたしは部屋を出た。田辺は「はいはい。」とか言いながら振り向きもしなかった。
薄暗い階段を降り、サークル棟から出ると、夜の空気の冷たさが気持ち良く感じられた。昼間の暑さが嘘のように涼しかった。薄着のままでは少し寒いくらい。
そのまま歩き続け、自動販売機の前まで歩いた。タバコも買っておこうかな、そう思ってポケットからお金を取り出そうとしたとき、タバコの販売機の全てのランプが「売り切れ」に切り替わった。夜の11時だった。
「もう。」
わたしは、やるせない気持ちのままジュースの方へ向き直った。その時、ポケットから取り出した小銭と一緒に紙切れを持っていることに気がついた。
広げてみると、メモだった。
吉岡、という名前と電話番号が書かれている。裕樹のマンションにいたビデオ売りのおっさんだった。
でも、待ってよ。
確か、裕樹が殺された当日に、目撃者として分かっているのはこの人しかいないんじゃないか?しかも、その目撃者は、身長180センチの男を見た、と言った。それは町田でも彩子でも無い。町田の身長はそんなには無いし、それに目の前に当の本人がいれば分かるだろう。じゃあ、いったい誰を見たんだ?それとも、嘘を言ったのか?
すべては、このおっさんの証言が判断を狂わせている。嘘かもしれないけれど、それならどうして嘘をつかなくちゃいけなかったんだろう。
すべては、わたしの知らないところで事件は進んでいる。町田のこともそうだし、刑事の西口も、わたしには何一つ重要なことを教えてはくれない。みんながみんな、わたし一人だけを置き去りにして行ってしまったような気分だった。
その夜、田辺のレポートを少しだけ手伝い、わたしは自分のアパートの部屋に戻った。不安は消えていなかったけれど、永久に戻らないわけにも行かなかったし、それに体がだるかった。疲れがたまっていて、自分のベッドで眠りにつきたかった。
町田には、電話をしなかった。12時までには様子を見にきてくれる約束も、町田は守らなかった。
切られていたドアチェーンをビニール紐で縛り直し、ベランダのサッシも雨戸を閉めた。それで安心と言うわけではなかったけれど、ドアチェーンの長さが短くなって、ドア自体も紐を切らなくては1センチと開かなくなった。そこからなら、チェーンカッターどころか、はさみすら入れられないだろう。
そうやってから、わたしはシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。
翌朝、わたしは恐ろしく早く目が醒めて、シャワーを浴びた。もう一度眠ろうかとも思ったけれど、妙に頭がすっきりとしていて出来そうにも無かった。だから、わたしはヘルメットとキーを握り締め、外に出た。
行く当てがあったわけじゃないけれど、とにかく何処かへ行こうと思っていた。出来るだけ人のいないところへ。落ち着いて一人で物思いに耽ることの出来る場所へ。
夜が明けたばかりの街は閑散としていて、静かだった。
バイクの排気音だけが響いていく。
わたしは、道の真ん中をゆっくりと道路やガードレール、街灯や植え込みを一つ一つ確認するように走った。信号が赤にかわり、誰も来ない交差点でわたしは、バイクを停めた。
一台のトラックがゆっくりとブレーキをかけて私の後ろに止まった。わたしは、青に替わった信号を、人の気配から逃れるように走り抜けた。
エンジンの回転を低く保ったままスピードだけをあげていく。トップギアからゆっくりと加速する。風をまきこんだ赤いTシャツがはためいた。
気がつくと、わたしは、あのマンションの前に来ていた。裕樹が死んだマンションだ。レンガ風のタイルが安っぽい色で朝の光を反射していた。わたしはエンジンをアイドリングさせたまま見上げていた。
別に来るつもりなどなかった。わたしは、ただ気の向くままにハンドルを切って走っただけだった。
自然と目が5階の一室に行く。
静かとは言えないハイチューンの4気筒の音が耳障りになって、わたしはキーを回して抜いた。スタンドを出し、ヘルメットを脱いだ。すこしだけ、汗で髪の毛が額についた。それをかきあげて、わたしは歩き出した。
だれが裕樹を殺したのだろう。
彩子は最も疑いのある人物だ。しかし、動機ははっきりしない。今一歩、裕樹との関係が分からない。
動機がはっきりしているのはアストのほうだった。田辺の言葉を信じるなら、わたしのことでカッとなったとも考えられる。けれども、それなら何故、わたしを裕樹に紹介したのかが分からない。
そういえば、彩子がわたしを車のトランクに詰めて湖に落したとき、男の声を聞いた。あれは誰だったのだろうか。田辺が最初に彩子を尾行したとき、空港へ行った。その時に乗っていた男と同じだろうか。
ビデオ売りの吉岡というおっさんはどうだろう。あの男、何処か憎めないやつには違いないけれど、何をしてもおかしくはなさそうだ。
それにしても、この4人は何処かで繋がりがあるような気がしてならない。彩子と町田はわたしには内緒で会っていたし。それなら、空港で田辺が見た男とだって知り合いなのかもしれない。吉岡一人は、誰とも繋がりがなさそうだけれど、どうだろう。「身長180センチの冷たい顔の男」なんていう目撃証言をしているあたりがひっかかるのだ。
そんな人物は、今までのところ出てこない。
何か隠されているような気がしてならなかった。町田も刑事の西口も田辺も、みーんな知っていて、わたしだけが知らない、そんな気がしていた。
見上げると、頭上にマンションの壁があった。赤いレンガ風のタイルの色は、くすんでいて、流れ出た血液のように見えた。
あの夜、裕樹はわたしに連絡するように町田に伝えて、このマンションの駐車場から自分の車で出かけたのだろうか。それとも、出かける前に誰かが訪ねて来たのだろうか。
もし、部屋に訪ねてきたのが先なら、わざわざ裕樹が何処に置いたか分からない車のキーを探し出して逃げ出す、というのも変な話だ。
裕樹の車がなくなっているのだから、自分の車で出かけた、とするのが自然なんじゃないかな。その途中で、誰かと出会った。それで裕樹は自分の部屋にその人と一緒に戻ってくる。そこで殺される。一緒にいた人物は、裕樹の車のキーをつかんで部屋を飛び出す。 わたしはシュミレートしてみることにした。裕樹に誰かが声をかけられるタイミングはいつか。
裕樹の部屋の前まで階段を上がり、そこから歩き出した。階段を降りていく。ここならば、裕樹に声をかけることは出来る。けれども、この時点では、裕樹はわたしに会いに来ようとしていたのだ。わざわざ、自分の部屋に戻ろうとするだろうか。町田が電話を受けた時間ははっきりとは分からないけれど、町田がうちに来た時間はだいたい8時くらいだった。その直前に町田に電話したとしても、死亡推定時刻が10時だから、部屋を出てすぐに戻ったわけではないように思える。
わたしはそのまま階段を降りて駐車場まで歩いてみた。そこで自分のバイクにまたがって、辺りを見渡した。他の住民のものだと思われる、何台かの車、それから隅のほうに捨てられた前輪の無いマウンテンバイク。マンションの入り口の脇には自転車置場。その隣には何台かの原付が置かれていた。とくに目を引くものはなかった。
わたしはバイクのキーをひねり、それからスタートボタンを押した。アクセルをひねり新鮮な朝の空気をたっぷりと吸い込ませてやると、勢い良くエンジンがかかった。そのままアイドリングさせた。
それから、裕樹がしただろうとおりにゆっくりと駐車場を出た。ふと、彼は急いでいただろうか、と考えた。もし急ぐとしたらなんのためにだろう。わたしに早く会って話をするためだろうか。
わたしのアパートまでは、いくつかの交差点で右折と左折を繰り返さなくてはならない。急いでいたとしたら、あの時間、どの道を通っただろう。裕樹は間違い無く急いでいたはずだった。そうしなければ、わたしを永久に失ってしまうことになる。少なくとも、誤解は解きたいとは思っていたはず。だから裕樹は急いでいたはずだ。町田に連絡役を頼んでまでわたしに会いたがっていたのだから。
道のりは、あの時間帯、夜の9時前後なら比較的空いていたはずだ。時間としては30分もあればついたはずだった。しかし、彼は来なかった。どこで彼はUターンしたのだろう?わたしは一つ一つの交差点で裕樹が見たはずの景色を考えた。一度彼に送ってきてもらったとき、このルートだったはず。通いなれた場所ならともかく、いや、通いなれているならなおさらかもしれないが、急いでいるときにいつもと違うルートは通らないものだ。
そして、わたしは一つの事実に気がついた。このルートの途中で裕樹は町田と擦れ違っているはずだ、ということに。




