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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
憂鬱は暗闇に消えて
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タバコ

 現場に行くか、それとも病院に駆けつけるか。磯崎幹人が刺されたと連絡を受けて、わたしと田辺は借り物の軽自動車に乗り込んだ。

「病院に行きましょう」

 わたしが指示を出すと、田辺が「え?」と顔を上げた。

「どうしてですか、奈々先輩」

「現場には後輩達がいるんだし、わたし達が行っても時間のロスになるだけよ。まずは病院に行って依頼人の容態を確かめたほうがいいような気がしない?」

 釈然としない顔で田辺が頷く。

「とにかく、もう一度電話をして、磯崎さんが刺された状況と怪我の程度を聞くわ。電話、貸して」

「自分の携帯を使ってくださいよ・・・」

そう言いながらも田辺は携帯を渡す。わたしは、それを受け取り「電話番号がわからないもの」と言いつつ着信履歴から通話ボタンを押した。

「田辺さん?今、救急車が着いた所です」

「奈々だけど、どんな感じになってる?怪我はひどいの?」

「いえ、たぶん、かすり傷ですよ。病院に行くのも念のためですから」

「搬走先はどこになるか、わかるかな?」

「えっと、今から聞きます」

 携帯電話を持ったまま走っていく音が聞こえてきた。がさがさという音や、人の話し声が聞こえる。

「大丈夫です・・・」

 磯崎らしい声も聞こえてきた。その声から想像すると本当に大した事はなさそうに思えた。「搬入先は・・・」「はい・・・わかりました」そういうやりとりが聞こえて、それから「もしもし」と声がした。

「わかったわ。聞こえた。県立病院ね?じゃあ、こっちは病院へ向かうから警察とかの対応、よろしくね」

「え?警察?」

「そうよ。来るんでしょ?」

「いえ、たぶん来ないと思います」

「どうして?傷害事件なのよ?」

「そうなんですけど・・・磯崎さんが事故だって言い張っていますから」

「そう。じゃあ長瀬麻美のほうは?」

「部屋にいます。いちおう山田が見張ってます」

「そう。じゃあ、一度そっちへ行くわ。そのまま私が行くまで見張ってて」

電話を切ると、わたしは田辺に携帯を返した。

「じゃあ、わたしを麻美のアパートまで連れてって。それから田辺くんは病院へ行ってね。磯崎にいろいろ聞いてよ」

「なにを聞けばいいんでしょう?」

「いろいろよ。何も理由無く刺されたりしないはずだわ」

田辺は頷くとハンドルを切ってアクセルを踏み込んだ。ポンコツアルトは緩慢な加速でヘッドライトの流れる夜の国道へ合流した。


 麻美はベッドの上で、ぶつぶつと独り言をつぶやいていた。

「ねえ、ずっとこうなの?」

部屋の入り口にいた山田、という部員に尋ねた。山田とは実は初対面だった。わたしが出てこないから、なんだけど。

「そうなんです。ああやって壁に向かって・・・」

 わたしは、靴を脱いで部屋に上がった。

 部屋の中は片付いている。六畳ほどのワンルームの部屋で入り口の所にキッチンとバスルームが向かい合うように設置されている。そこを通り抜けるようにして入っていくと、ワンルームの部屋になっている。真ん中にベッド。隣に小さな机があって、そこには飲みかけのコーヒーやノートパソコン、それからタバコの箱が乗っていた。部屋の中は明かりがついていて、明るい雰囲気があるはずだったけれど、なんだか重苦しくて暗い。

「大丈夫?」

 声をかけると、麻美は振り向いた。目の焦点が合っていない。

「何があったの?」

 なるべく優しい声を出そうとしてみる。返事は無かった。わたしは、ベッドの隣に座ると、彼女の顔を覗き込んだ。表情が無い。不気味なくらい。ゆっくりと視線を戻すと、また独り言を言い始めた。そっと、手を伸ばして麻美の腕に触れた。

「やめて」

 急に麻美は大きな声を出したかと思うと、それまでの緩慢な様子とかけ離れた速さでわたしの手を払いのけた。

「わたしに触らないで」

 びっくりして、わたしは麻美を覗き込む。

「誰も信じられない。あなただってわたしのことを恨んでいるんだわ」

 意味がわからなくて、わたしはただじっと彼女を見つめる。

「全部、わたしのせいよ」

 そう言うと、麻美はふたたび自分の殻の中へ閉じこもろうとした。つまり、わたしから目を背けた。

「なんの責任?磯崎くんなら怪我は大したこと無いって聞いたわ」

 反応が無い。わたしは、ふうっとため息をついた。混乱しているのかもしれない。しばらく待つしかないのかも。探偵なんてカッコいいものじゃない。

 手持ち無沙汰で、わたしは部屋の中を観察し始めた。部屋の奥、つまりベランダ側はカーテンが閉まっている。グレーの無地のカーテンだ。麻美のイメージとは違う。もっと派手なもののほうがピッタリくる。窓の外は、夜の闇。部屋の壁は白で、ポスターみたいなものは一切無い。カレンダーさえ無い。ただ、丸い壁掛けクロックだけが掛かっているが、素っ気無いデザインのもので装飾とは言い難い。入り口の方には押入れがある。そこの引き戸は閉まっていた。その隣にはテレビ。テレビの下はローボードで、十四インチ液晶のテレビが余計に小さく見えるくらい。残りのスペースにはノートやアクセサリーや鍵といったものがごちゃごちゃと載っていた。

 ベッドの上には脱ぎ散らかした派手なワンピース。ベッド側の壁にはいくつかの服が掛けられていて、半分くらいはとても地味なカジュアルなもので、残りの半分は、とても派手なスーツだったりワンピースだったりした。

 入り口の方には、どうしたらいいのかわからないまま立ち尽くす山田がいた。

「ねえ、タバコ持ってない?」

 わたしは、山田に、そう聞いた。

「タバコですか?何に使うんです?」

 山田がそう言った。

「吸うのよ」

「誰が?」と聞くから「わたし」と答える。

「あ、そうですか。持ってません」

 うーん。田辺並みに気が効かないな。

「奈々先輩、タバコ、吸うんですか?」

「時々ね」

「そうですか。辞めたほうがいいですよ。体に悪いし」

わかってるわ、と答えた。そうは言ったものの、吸えないとなると吸いたくなるのが人情というもの。わたしは溜息をついた。

 と、見るとタバコがあるじゃない。

「ねえ、もらっていいかしら」

 わたしは机の上のタバコを指差して麻美に尋ねた。麻美は返事をしなかった。銘柄はマルボロ。真っ赤なやつ。これは確か磯崎が持っていたのと同じ銘柄だ。ということは、これは麻美のものではなくて磯崎のタバコ、ということになる。

 もらっちゃおう。手を伸ばし、ボックスタイプの箱を開けた。

「あれ?」

 そこには、見慣れたマルボロのシガレットは入っていなかった。

手巻き?そういうの、見たことはある。マニアックなタバコ屋さんに行けば手巻きのタバコを作る器具も売っているし。

まあ、この際、なんでもいいや。フィルターの無い紙巻のタバコ。不細工に巻いてある。

中の葉っぱは荒い刻み方をしてあって大きさが揃っていない。そういう不思議なタバコを手に取ると、わたしはそれに火をつけた。ひと口吸うと、すぐに変な味だと思った。

「なにこれ」

 そう呟いた途端、それまで呆けていた麻美が、振り向いた。

「何をしてるのよ」

 そう言うと、わたしの手からタバコを叩き落す。それは、絨毯の上に落ちた。わたしは慌ててそれを拾おうとした。火事になってはいけない、と思ったからだ。

「勝手に人のものを吸わないでよ」

 いちおう聞いたんだけどな・・・。

 慌てるようにして麻美はタバコを拾い、灰皿に押し付けた。部屋の中には煙たい空気が広がっていた。麻美は、机の上のマルボロを見つけると、それをもぎ取った。そしてそのまま自分のベッドの後ろへ投げつける。

 禁煙しろって?

 わたしは、溜息をついて立ち上がった。これ以上、ここにいても何も聞けそうにないような気がした。それに、こういう人、苦手なの。最初に車の中で尾行している時に見たときから、話の合わない感じがしていたんだよね。

 まあ、言い訳なんだけど。わたしは、麻美に背を向けると入り口の山田の所まで歩いた。

「ちょっと出てくるけど、ここで見張っていて」

「どこへ行くんです?」

「タバコ。なんだか無性に吸いたくなったの。コンビニに行ってくるわ」


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