狙われた酔いどれ探偵
バイクの車載工具を駆使して、その針金を取り除くのに20分を要した。
ペンチだけでは引っぱることが出来なかったし、バイク用のドライバーは幅が広くてなかなか針金を引っかけることが出来なかったのだ。しかもそれを手探りでするという難題までのしかかっていた。ようやく部屋の中に入ったときには、随分と疲れた気がした。
とにかく、部屋の中を点検した。鍵穴に針金が残っていたということは、侵入に失敗したという意味だとは思ったけど。
もともと、わたしの部屋は散らかっていたのだけど、だからといって自分が何処に何を置いているのかは、なんとなく把握していた。おおよそ、違和感は感じなかった。わたしは少し安心して、それからドアにチェーンを掛けに行った。
いったい誰がわたしの部屋に入ろうとしていたのだろう。
わたしが外出していることを知っていたのは、刑事の西口と奥村彩子の二人だった。しかし、誰かが、わたしを監視していたとも考えられる。
なんのために?
そもそも、どうしてわたしの部屋に入ろうとしたのだろう。
空き巣や通りすがりの強盗が狙うような部屋ではないし、第一、時間帯がおかしい。空き巣は、大抵昼間の時間にするものだ。夜中に泥棒がはいるなんていうのは、昼間には誰かが家にいた前時代の話だ。
よく考えて見れば、通路の照明が消えていたのも変だといえば変だ。
そうやって考えてはいたものの、わたしは疲れていたかも。チェーンをかけたことに安心したのもあって部屋の真ん中の座椅子で寝てしまっていた。
どのくらい眠っていたのか、たぶん1時間くらいか、もっと短かったかもしれない。だから夜中の3時過ぎくらいだっただろう。わたしは物音で目が覚めた。
何か違和感を感じた。
いったい何がおかしいんだろう。
わたしは、薄暗い部屋の中を見回した。
薄暗い?
わたしは電気を消した覚えがなかった。
はっとして、部屋の中をよく見ると、それだけではないことに気がついた。部屋の中には電気を使うものがいろいろとあって、その多くはいくらばかりの照明がつく。例えばビデオの時計や携帯電話の充電中の赤い光。そういったものが一つも見当たらなかった。つまり、全ての電力供給が止まっている。
停電?
でも、それはすぐに違う、と思った。
カーテン越しに外の明りが目に入ったからだ。街灯はちゃんとついていた。
その時玄関で音がした。床板が立てる軋み。
とっさにわたしは武器になりそうなものを探したけれど、なにも無かった。ビールの空缶じゃ役に立たない。せめてこれが瓶なら良かったのに、と思ったけど、いまさら返品交換するわけにはいかない。ウイスキーのボトルはキッチンだった。それは、玄関から入ってすぐの脇にあった。ワンルームのアパートだから、仕方無い。
しかたなく、わたしは傍にあったデスクスタンドを握りしめた。こんなもので殴りつけたら、後始末が大変だけど、後始末も出来なくなるよりはマシかもしれない。
それから、わたしは息をつめて、じっと待った。
相手も、こっちの様子をうかがっているようだった。わたしは、そっと体の向きをかえた。反撃しやすいようにしておきたかったからだ。
その気配を感じたのか、相手はドアのほうへ後戻りしたように思えた。わたしは、暗闇の中で、じっと目を凝らした。
その時だった。そいつがわたしに飛びかかってきたのだ。わたしは、夢中でデスクスタンドを振り回した。
つもりだった。
すっかり忘れていたことだったが、デスクスタンドは家電製品で、コードという戦いにくい付加物がついている。そして、それはコンセントというやっかいな部分につながっていて、引っぱる方向によっては、とても外れにくい。
だから、デスクスタンドは何の役にも立たず、暗闇の中の人影に、わたしは抑えつけられた。わたしは、思わず悲鳴を上げていた。自分で聞いていても耳がいたくなるくらいの大声だった。
相手は、それで少しひるんだようだったが、すぐにわたしの首に力をこめて、もう一方の手で口をふさいだ。わたしは、無我夢中でその手に噛みついていた。
いやあな、味がした。それは血の味だった。しかも、見知らぬ他人の。とっても気持ち悪かったけど、そんなことを言っていられる立場ではなかったので、わたしは、さらに顎に力を加えた。
くぐもった悲鳴が聞こえた。それは、気味の悪くなるような悪意に満ちた悲鳴だったけれど、女の声だということははっきりと分かった。だけど、そんなことを冷静に考えていられるほど、わたしの体にかかっている負担は小さくなかった。口から離れた手は、わたしの首にかかっていた手に加勢していた。わたしは、ようやくデスクスタンドをあきらめて素手で相手の腕をどけようともがいた。
ふっと、首にかかった力が抜けた。わたしは一瞬、虚をつかれて動きがとまった。次に来たのは、側頭部への強烈な一発だった。わたしは、目の前が真っ暗になるのを、不思議なことに、暗闇の中で、感じていた。
頭を何か金属製の板にぶつけて気がついた。
ずきずきと頭の中で音がしていた。やっぱり、わたしも生き物で、血管の中に血が流れているんだなあ、という実感のわく痛み方だった。それから、どうして痛いのかを思い出して、わたしはだんだん腹立たしくなってきた。
しかし、ここは何処だろう。
真っ暗で、揺れている。ごーっという音が響いていた。
わたしは立ち上がろうとして、またもや頭をぶつけた。それも薄っぺらい金属のようなポカン、という音がした。
呆然と、わたしのいる場所について思い出そうとしたが、記憶はあいまいだった。手探りで辺りを触っているうちに、そこが車のトランクだということに気がついたのは、2分ぐらい考えた後だった。ひょっとするともっとかもしれない。どうにも真っ暗な中にいると、時間の感覚が分からない。
しかし、分かったところで、どうすることも出来なかった。そもそも、トランクというのは、内側から開くようには出来ていない。そうする意味がないからだ。アメリカの車には、安全のために開くように出来ている物もあると、聞いたことがあるが。
頭は、割れそうにガンガンしていた。
自分の部屋から、車のトランクに移動されているということは、誰かがわたしを持ち上げた、それは間違い無い。
でも、それは女性の腕では無かった気がしたのだ。
感触だけが記憶に残っていて、それが懐かしいような感じだったのだ。骨ばったような筋肉質の腕だった。
恐怖感がこみあげてきた。
何処へ向かっているのか分からなかったけど、遊園地や温泉に向かっているとは思えなかった。運転しているのが誰であれ、わたしを殺そうとしていることは明白だ。ただ、わたしの部屋で殺すことをしなかった理由は分からなかった。わたしから聞きたいことでもあるのかもしれない。でも、それがわたしにとって生き残る理由になるかどうかは分からなかった。
わたしは、気がつかないうちに、わめきながらトランクの壁といわず裸足で蹴っていた。蹴り初めて、ようやく裸足だということに気がついたくらいだ。そうすることが何かの役にたつかどうかなんて考えている余裕なんかなかった。とにかく、そこから出たかったのだ。
だから、車が止まったことにも気がつかなかった。ドアの閉まる音に、はじめてわたしは冷静さを取り戻したくらいだ。わたしは喚くのをやめた。エンジンの音がやみ、静寂がおとずれた。それは、本当に静かだった。あたりで、聞こえるはずの車が通るような音もしない。ひょっとすると、街から随分と離れてしまったのかもしれない。
だれかが、トランクをノックした。わたしは黙っていた。
「ねえ、蓮田さん?起きているかしら?」
皮肉を含んだ声が響いてきた。鉄板の向こう側から、あの女がしゃべっていた。わたしは答えなかった。
「答えないなら、それでもいいわ。ここはね、ダムのそばの道よ。ちょうど斜面になっているの。サイドブレーキを外せば、落ちるわ。」
わたしは黙ったままだった。
「質問に答えてもらうわよ。」
わたしは、ここから脱出する方法を考えていた。




