酔いどれ探偵、頼まれもしないのに仕事を始める
警察を出た頃には夜になっていた。わたしは先に解放されていた田辺に送ってもらってアパートにたどり着いた。
アパートにつくとすぐに町田から電話があった。出ない訳にもいかないから、通話ボタンを押した。
「もしもし。」
「奈々?帰ってきた?じゃあ、事務所に来なよ。待ってるから。」
それだけ言うと、わたしがダダをこねる間も与えずに電話は切れた。
町田はデスクに足をのせて、バドワイザーの缶を飲んでいた。
「奈々の分も、冷蔵庫の中にあるよ。」
そういうので、わたしは、おかしな音を立てて、やっとのことで動いている冷蔵庫から500の缶を取り出した。コップは無いので、そのまま飲むことにした。
「で、警察にはなんて?」
「知っていることは全部話したわ。」
「そうか。おれにも電話がかかってきたよ。明日来るそうだよ。アパートの方に。」
「そう。」
「それで、何処から手をつける?」
「なんの?」
わたしは町田の顔をビール越しに見た。
「殺したやつを探すに決まってるだろ。」
「無理よ、わたしたちのやってきた仕事とは違うわ。」
「そんなことは分かってる。でも、やるだろ?」
わたしは、ソファを占領しているゴミくずを床に払い落とすと、そこに腰をかけた。
「止めた方がいい、って言われたわ。手を出すな、って。」
町田は、首を回してわたしをにらんだ。
「それで、やめるのか?」
「だって、仕方ないじゃない。」
「くやしくないのか?」
くやしい?わからなかった。ただもう、どうしてわたしが好きになった人は死んでしまうのだろうと思っていた。神様か何かがわたしにいじわるをしているとしか思えなかった。
殺したやつを見つけたところで何になるのか、とも思った。余計に悲しくなるのではないだろうか。
ふと、悲しくなるのなら、それでもいい、と思った。どうせわたしには何も残っていないのだから。どん底まで悲しくなって生きていくのが嫌になってしまってもいい。そうなれば、それ以上苦しまずにいられるかもしれない。
「奥村さんは、付きまとっている女の事はあまり知らないって言っていたんだ、本当は。とにかく調査してもらえればいい、って感じで。日にちを決めて来てもらおうとしてたんだ。でも、おれが、どうせなら奈々に紹介してやろうと思ってさ。」
まったく、おせっかいな話だ。そう言うと、町田は言い返した。
「あのな、そういうこと言うなら、生きているのか死んでいるのか分からないような生活してんじゃないよ。不幸を一人で背負っているような顔すんじゃない。」
「ほっといてよ・・・。」
「ほっとけるなら、とっくにそうしてる。」
そういって、町田はわたしから目をそらし、ポケットからタバコを取り出した。一本口にくわえてからライターを探し始めた。わたしは、机の上の100円ライターを手渡した。
「ん?ありがとう。それで、喫茶店のあとはどうしたんだ?」
「彼の部屋に行って、盗聴電波を検査して、小さいやつを一つ見つけたわ。何処ででも買えるようなやつね。そういえば、あれは何処にあるの?」
「さあ?奥村さんが処分したんだろ?」
「そうだったわね。」
「その日は、何も無かったのか?」
「何かって。何よ。」
「いや。別に。」
「そういえば、裕樹の部屋から帰るとき、尾行されているような気がしたわ。」
「それが、彩子だったっていうのか?」
「そんなこと分からない。本当はだれも尾けてきてなかったかもしれないの。ただそんな気がしただけ。」
「そうか。それで次の日は?」
「1時間遅れて彼は来たわ。夜の8時。それから食事に行って、彼の部屋に行った。その後は・・・言いたくないわ。」
「あっそう。」
「待って、そういえば同じマンションの人、とかいう中年が来てたわ。なにかアタッシュケースを広げてた。中は、見えなかったわ。」
「ふーん。奥村さんはなんて?」
「何も。大した用じゃない、って顔をしてたけど。」
「一昨日のことはお互い知っている通りだな。昨日は、おれ達二人は交代で奥村さんの部屋を見張っていたんだ。彼のクルマは一昨日の夜から一度も帰ってこなかったし、本人も来なかった。彼の部屋にも誰も来なかった。つまり、奥村さんは一昨日の夜より前に殺されてから、ずうっとあそこにあったってことだよ。」
「わかったわ。」
彼が倒れていた様子が思い出されてきて、気分が悪くなった。飲んで飲みまくって忘れるしかない。でも、その前にやることがあった。
「それじゃあ、明日は田辺くんと、彩子の足取りを追うわ。他に何も手掛かりがないし」
「大丈夫か?奥村さんを殺しているかもしれないんだぞ。おれがやってもいいんだ。」
町田にとっては、本格的な探偵が出来る絶好のチャンスだった。良くも悪くも、彼はそういうことが大好きだった。
「そう?でもアスト、警察とお話しなくちゃ。」
町田は、くやしそうに唸った。
誰かが、わたしを呼んでいた。真っ暗であたりはよく見えなかった。誰かが呼んでいる。わたしは返事をしようと起き上がろうとしたが駄目だった。夢だということは分かっていた。
「奈々、奈々。」
声はだんだん遠ざかっていく。裕樹の声のようだったけど、洋一の声かもしれない。
「奈々、奈々。」
追いかけなくては・・・。
「奈々、奈々。」
追いかけないと、彼は死んでしまう。
わたしは、真っ暗な中でもがいた。がちゃがちゃと音がした。
「奈々、奈々・・・・」
声は遠くで響いていた。
目が覚めて、時計を見ると午前8時だった。
やっぱり誰かが呼んでいた。
「奈々せんぱ~い。」
間抜けな田辺の声がした。わたしは、ベッドから降りてウイスキーの瓶を押しのけながら玄関に這っていった。
「おはようございます。奈々先輩。」
「朝早くから、元気ね。」
「そうですか?なかなか寝付けなくて、ほとんど寝てません。」
そういう田辺の顔はいきいきとしてすぐにでも出かけよう、といっていた。
「ごめんね、シャワーと歯磨きさせて・・・。30分待って。」
「いいですよ。その間にコンビニで朝ご飯買ってきますから。何がいいですか?」
何が食べたいが、自分に尋ねてみたけど、「リーガンのゲロ」と言う言葉しか浮かんでこなかった。「エクソシスト」に出てくる女の子が吐く、緑のやつだ。自分で思いついたのに、嫌な気分だった。
「何でもいいわ。緑色じゃないやつね。」
「は~い。じゃあ、いってきま~す。」
田辺は、元気一杯で出て行った。
いつものカローラバンに乗り込むと、海苔の匂いがした。田辺は、シーチキンおにぎりをほおばっていた。
「おにぎりでよかったですか?昆布と鮭とシーチキンですけど。どれがいいですか?」
「みんな100円のやつね。わたし、チキンマヨネーズがいいな。」
「そういうことは、買う前に言ってください。」
「じゃあ、鮭でいいわ。」
田辺は、おにぎりを口の中に詰め込むと、クルマをスタートさせた。ギアを2速にいれようとして、のどに詰まってお茶に手を伸ばし、クルマはスローダウンした。
アストには言わなかったが、田辺が彩子を尾行したことは知っていた。
田辺は誰かを尾行するのが大好きなおかしなやつだったし、アストは何かを隠していると思っていた。
普段なら、そんなのは田辺の勝手であって、なんの役にも立たないのだけど、今回ばかりは何かの役に立つかもしれない。そんなわけで、わたしは朝から田辺に彩子の、あの日の足取りを再現させていたのだ。
はじめに行ったのはホームセンターだった。
「ねえ、田辺君?ここなら説明してくれるだけでいちいち立ち寄らなくてもいい、と思わない?」
「あ、そうですね。」
そう言いながら駐車場を突っ切って道路に戻った。
「奥村彩子は、ここで乾電池とお弁当箱とアルミホイルを買っていきました。」
遠くを見つめるように田辺は言った。遠い昔を思い出すように。昨日、変なラブコメ映画でも見たに違いない。
「なんのためかな?」
「さあ。深い意味無いんじゃないですか?キャンプに行くとか。ほら、おにぎりをアルミホイルで巻いてお弁当箱に詰めて。」
あほらしい、と思ったけど口には出さなかった。
「電池は?」
「夜、テントの中で使う懐中電灯用じゃないですか?」
「まあ、そうかもね。普通に家で使うのかもしれないし。で、次は何処に行ったの?」
「駐車場です。コインパーキングでした。」
「そこへは行かなくてもいいわ。誰も聞き込めることないし。次は?」
「高速に乗りました。」
「高速?何処へ行ったの?」
「千葉です。」
「100キロくらいあるじゃない。随分遠くね。」
「ええ。でも今日はお金ないので、下道使います。」
「あ、そう。わたしもお金出したくないわ。今月はバイクの修理にお金使ったから。もう余計なお金ないもの。」
「僕も、仕送り前ですし。今月のバイト代はペット探しだけでしたから。このクルマに軽油を入れたら、チャラです。」
そう言うと、悲しそうな顔でハンドルを握り締めた。わたしはそれが、田辺の愛想だと知っていたから、微笑んでおいた。それから、シートをリクライニングさせて、
「じゃあ、着いたら起こしてね。わたし、少し寝るから。」
田辺は、今度は本当に悲しげな顔をした。




