大学生協に探偵事務所は入ってません
事務所に行って、そこにいた町田に簡単に事情を話すと、わたしは離れて階下におりた。わたしがいる必要はなさそうだったし、むしろいたほうが話がややこしそうだった。しばらくすると彼女が帰っていくったので事務所に入ると町田が、わたしの顔を覗き込んできた。
「奈々?大丈夫か?」
わたしは、顔を上げて町田を見た。
「なにが?やらなきゃいけないことが一つ終わっただけよ。」
「そうか?それならいいんだけど。」
そう言いながら、町田は自分の鞄の中身をかき回し始めた。それを見ているうちに涙が込み上げてきたけれど、わたしは唇を噛んで我慢した。
「これ、奈々の分のレポート・・・。」
町田は、それを手渡そうとしてわたしの顔に気がついた。それからため息をついた。
「やっぱり。奈々がなんでもないって言うときは、たいていなんかあるんだから。どうしたんだ?」
わたしは、顔を振った。たぶん、すごく変な顔で首を振っていたんだと思う。
「おまえにしては、展開が早いよなあ。裕樹っていい男だったんだな。」
わたしは、頷いた。頷いてからしまった、と思ったけど、一瞬後には、それもどうでも良くなった。
「奈々、おいで。今しかないぞ、泣くなら。」
町田は、そう言ってソファーに腰を下ろした。わたしは、しょうがないから、そこで泣くことにした。
アパートに帰ってまずしたことは、バイクのキーを探すことだった。それから随分前に調べておいたバイク屋に電話して、バイクの修理を依頼した。理由を聞かれても分からない。とにかく何か行動を、意味のある行動をしていたかった。バイク屋は暇だったらしくて、予想よりも早くやってきて、バイクをトラックに載せて行ってしまったから、わたしは午後の一番蒸し暑い時間に一人になった。もう大丈夫、と言って帰ってきた手前、町田に電話するのも気が引けたし、それ以外に電話できる相手も思いつかなかった。確かに、数ヶ月連絡していないような友人は何人かいたけれど、同学年の友達は卒業してしまっていたし、こんな時に話せる人はいなかった。とくに、こんな真昼間じゃ。
だから、わたしはいつものように冷蔵庫の中身を残らず開けてしまうことにした。ウイスキーって、冷凍庫に入れておくと凍らずにひんやりするのよ。
夜になって、町田がやってきて、ドアを開けろと言うから開けた。
わたしは、エアコンを強めにかけて、それでも暑いから着ているものを全部脱いで、そのかわりにパジャマを着ていた。シャワーは2度くらい浴びたけど、涼しくもならなかったし、気分も悪かった。そのうち、アルコールのせいで動くのも嫌になってきて、玄関のドアを開けた後は、町田に引っ張られてテーブルまで戻ってきた。
「おまえは、すぐ酔っ払うんだから。」
そう言いながら、町田はベッドにもたれかかってわたしを見た。
「すぐになんか酔っ払わないわよ。もうボトルは3本目なのよ。」
「そういう意味じゃない。」
「じゃあ、どういう意味よ。」
馬鹿にした目で町田が見ていた。わたしは腹も立てていないのに怒っていた。
「そんなことよりも、奥村さんから電話があったんだ。」
「どっちの?」
「裕樹さんのほうだ。『奈々の電話に繋がらないんだけど。』ってな。」
「そりゃあ、そうよ。電源切ってるもの。」
わたしは、グラスに入った水割りをぐいっと飲んだ。ぬるくなっていた。
「まず~い。」
町田は、それをひったくるように持っていった。
「町田くんのぶんは別に作ってよ。」
「馬鹿。奈々が飲むのを止めたんだ。」
「あのね、飲まなきゃやってられないでしょ。第一、アストのせいだからね。町田アストくんの、せ~い。」
おかしくないのに、おかしくなってわたしは笑った。
「だから、奥村さんに言ったんだよ、どういうことなんだって。結婚してるとは聞いてなかったぞって。」
「ふ~ん。」
「こら、人事みたいにしてるんじゃない。そしたらな、結婚してないってさ。」
「ふ~ん。どういうことかしら。」
「とにかく、説明するから来るって言ってたぞ。」
「え?」
わたしは、町田の顔をつくづく眺めた。
「どうして一番重要なことを最後に言うの?」
「お前が酔っ払っているからだろうが。前置きしないと聞かないだろ。だから飲むのはやめておけよ。」
「え~、わたし会いたくない。アスト、聞いておいてよ。」
めんどくさそうに町田はわたしを見ていた。
「嫌だな。おまえとやつの問題だろ。」
そう言って、わたしからひったくったグラスを眺めていたが、それを一気に飲み干すと町田は立ち上がった。
「じゃあ、帰るから。事務所にいる。あとで電話してくれ。奈々が来てもいいし。」
「え、待ってよ。いてよ、ねえ。」
まったく振り返らずに帰っていった。
それから、わたしは、なるべく冷静になろうと努力した。けれども、酔っ払ってしまっているので、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくなって、なんども一人で大笑いした。
そうしているうちに、時間の方は恐ろしい速さで流れていって、気がつくと昨日と今日が入れ替わっていた。裕樹はやってこなかった。
朝になって、わたしはベッドに横たわり、疲れきった体を眠らせることにした。昨日の朝は最高に気分が良かったのに、今日の朝は最低に疲れきっている。そんなことを思ってみたけれど、すぐに何処までも落ちていく感覚におそわれて、わたしは眠りに着いた。
目が覚めたのは午後の2時だった。誰かが部屋のドアを叩いていた。わたしはゆっくり立ち上がり、ドアの前まで行って覗き穴から騒音の主を見てみた。町田だった。
「寝起きだから、30分してから来て。」
わたしはドア越しに叫んだ。
「30分前にも来たんだ。そのセリフを聞くのは2度目だ。」
町田はそう叫び返した。言われてみれば、そんな気もしなくは無かった。わたしはチェーンを外し、町田を部屋に入れた。
「本当に寝起きだな。頭、ぐしゃぐしゃだぞ。」
「そうだって言ったでしょ、シャワー浴びてくる。」
わたしは、部屋との境の引き戸を閉めるとパジャマを脱いでシャワーを浴びた。
シャワーから出ると、町田は言った。
「それで、昨日はどうなったんだ?」
「なんで、そんなに気になるわけ?」
わたしは、シャツと短パンという格好で髪の毛をタオルで拭きながら聞き返した。
「おれのせいでもあるかな、と思ってさ。」
「気にしないで。裕樹は来なかったわ。」
「来なかった?」
「そう。もう、どうでもいいのよ。」
わたしは濡れた髪をタオルで巻くと、冷蔵庫からビールを取り出した。よく冷えていた。
「おい、寝起きからビールかよ。」
町田は呆れて言った。
「他に飲むもの無いもの。」
ため息をついて、
「何か買ってくるから、それはやめておけよ。」
「そう?じゃあ、やめておく。」
「夜になったら、奥村さんのマンションに行こうかと思うんだけど。」
「なんのために?」
「一応、本人への報告と依頼の取り消し確認、という理由でだけど。」
「本心は?」
「それは、お前の方がわかっているんじゃないのか?」
「わたしは、もういいのよ。会いたくないわ。」
「そうか。とにかく、行って来るよ。じゃあ、後で電話する。電源は入れておいてくれよな。」
そういうと、町田は出て行った。まったくもう、ジュースを買ってくるのを忘れたままだった。




