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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
瞑想は水底に沈んで
57/92

奥村は似ているか

 次の日の朝、目が覚めてすがすがしいと思った。アルコール抜きで寝ると、こんなにも朝が気持ちいいなんて、しばらく忘れていた。

 シャワーを使い、ドライヤーで髪を整えた。しっかりと日焼け止めを塗って、化粧もしてワンピースを選んだ。

 それから大学に行って、事務所で大きなバッグを担いで、うまい具合に、そこにいた田辺に送ってくれるように頼んだけど、田辺は一言、

「なんか、奈々先輩かわいい服ですね。」

と、にやけたまま去って行った。

 仕方なく、大学前からバスに乗った。カローラバンは似合わないし、あまりにボロボロで目立ちすぎた。適当な足が欲しいなあ、と思ってバイクがあったことに気がついた。


 交通事故で、彼が死んだバイクなのだ。不思議と大きくは壊れていない。ただ、エンジンのカバーの一つに穴が開いてオイルが漏れてしまうのだ。ただ、無理を言って彼の父親から譲ってもらったのに、わたしは直すことさえ出来ないでいた。

 ふっと詰めていた息を吐く。

 感傷的にならないよう首を振る。


 ぼうっと、窓の外を見ていたらしい。

 気がつくとバスは降りる停留所の近くまでやってきていた。わたしは、慌ててボタンを押した。

 ブー、と居心地の悪いブザーが鳴って、バスはスピードを落とした。

 わたしは強烈に痛い夏の日差しの下に出た。

 思わず太陽を見上げた。次の瞬間後悔した。両手が重い荷物でふさがっていて、直接太陽を眺めてしまったからだ。クラクラした。

 けれども、歩くしかないので、そうした。適当な帽子を持ってくることを忘れていた。気温35度を超す空気を押し分けながら、道路に反射した熱と光と戦いながら歩くしかない。前日に歩いた距離の2倍はあったような気がした。


 部屋に入って、エアコンを起動したかったが、電磁波の影響をなるべく受けたくなかったので動かさなかった。部屋の中は思ったほど暑くなっていなかった。カーテンがひかれていたのが良かったのだろう。

 まず、前日見つけた盗聴器が処分されてることを確認し、それから機材をセットした。昨日置きっぱなしにさせてもらった機材だ。何故2度のチェックをするのかというと、やれなかった細かいチェックをするためと、時間をずらすことで電波環境が変化するからだ。見落としが少なくなる。

 けれども、押し入れやキッチンの冷蔵庫の裏、電話の中を確認したが、盗聴器は発見できなかった。

 気分的に仕事モードを解除した。

 奥村の部屋は生活感が無かった。置物の類は一切ない。そういえばカレンダーすらなかった。帰ってきて寝るだけ、といった雰囲気だけれど殺風景というわけでもない。カーテンは上品な薄いブルー系。遮光カーテンになっている。

 エアコンのスイッチを入れた。型の新しい多機能のもの。テレビ、ビデオ、パソコンも高機能のものだ。家具はブラウン系で統一され、ソファーはアイボリー。

 なんだか懐かしい感じがした。

 なんでそう思ったのか考えてみて、はっと気づいてしまった。雰囲気が似ていた。

 洋一の部屋も生活感が無かった。それなのに居心地の悪さを感じない落ち着いた感じのインテリアだった。

 もちろん、洋一の部屋は大学生の一人暮らし。ワンルームだったけれど。

 わたしは、機材をバッグに戻すと、つけたばかりのエアコンを切って部屋を出た。

 時計の針は11時を指していた。


 事務所に機材を返して、わたしは自分のアパートに戻った。2階に上がり、部屋に入ると留守電にメッセージが残されていた。再生すると、奥村からで一通りの謝礼だった。当たり障りのない感じだけれど、気づかいを感じた。

 何故だろう、なにか気分が高揚していた。これは、ドキドキ?ワクワク?いや、なんだろう。彼に似ているから?そう、奥村は洋一に似ていた。顔が、とかそういうのじゃない。いや、好みの顔なんだから、これっぽっちも似てないとまでは言わないけど。

 

 ダメ。何か飲もう。

 落ち着け、わたし。


 冷蔵庫の中身は、貧弱だった。

 はっきり言って、アルコール抜きの飲み物がなかったのだ。

 仕方ないので、わたしはビールにした。テレビはつけなかった。ただ、なんとなく雑誌を眺めることにした。

 1本目を開けて、2本目を飲むかどうか迷っていると、部屋のチャイムが鳴った。どうせ出ても新聞の勧誘か何かだろう。出る気は無かった。第一、新聞なんか取る気になれない。テレビもあまり見ないし、毎日起きる暗い事件の記事なんか見たって気分が沈んでいくだけだ。

 無視していると、執拗に何度か鳴らした後、音がしなくなった。

 こうやって、居留守を使うのにも慣れてきた。誰かと話したくないとき、人に会うのが嫌になった時、わたしは電話線を引き抜き、カーテンを閉めて部屋にいた。ただ、何もしないでいることもあったし、本を読んでいることもある。そうして、何も考えないようにして、ぼうっと過ごすのだ。



 夕方になったころ、わたしは眠っていた。

 いつの間にか雨が降っていたらしい。安っぽいつくりのアパートの壁を激しく叩いていた。遠くで雷の音がした。

 しまった。奥村との待ち合わせは7時だった。

 時計を探して壁を見たら、1時になっていた。深夜の1時ってことは無いはず、と見直すと、秒針が、やる気のない動きで三十五秒と三十六秒の間で行ったり来たりしていた。電池が切れたらしい。

 腕時計を探してテーブルの上を寝転んだまま探したら、ビールの缶を倒した。少しだけ残っていたビールがこぼれて、読みかけの心理学の本を濡らした。

「ああ、もう。」

わたしは仕方なく上半身だけ起こしてティッシュを引っ張って、それを拭いた。腕時計の秒針はちゃんと動いていて、午後7時5分前だった。

 電話が鳴った。

 わたしは、手を伸ばして、なるべく寝起きでない声をだそうと努力しながら言った。

「はい。蓮田です。」

「あ、奥村です。すみませんが、遅れます。8時頃でいいですか?」

「あ、そう。いいわ。じゃあ、待ってる。」

ほっとしてわたしは携帯を置いた。これで、言い訳を考えなくてもすむ。わたしはゆっくり立ち上がり、シャワーを浴びにバスルームに入った。


 8時には、わたしは大学の校門にいた。

 都会から取り残された郊外の大学は、住宅街の中にあって静かだった。研究室から帰る学生くらいしか通らない。

 わたしは、門柱に寄りかかって空を眺めた。雨上がりの空は曇っていた。

 そういえば、死んだ洋一と星を眺めたことがあった。あれは、確かドライブに行った時で、帰りが遅くなってラブホテルに泊まったんだったっけ。

 車が一台止まり、それから奥村が降りてきた。

「すみません、遅くなって。」

「いいわ。ちょうど良かったの。わたしも少し用があって。」

「じゃあ、行きましょうか。」

奥村は、そう言って助手席のドアを開けてくれた。こういう扱いをされるのって久しぶりだわ。あれ、待てよ。そういえば洋一は開けてくれなかったな。

シートに座って奥村が乗り込むのを待った。奥村は、シートベルトを締めた。

「ところで、蓮田さん。食事は終わりましたか?」

「いえ、まだ。何処かコンビニでいいわ。」

「それじゃあ、あんまりだから。僕もまだなんです。おごりますよ、何処がいいです?」

「牛丼でもいいけど。安いし。」

「はは。面白いですね、蓮田さんは。」

奥村は、わたしを見て笑った。楽しそうだった。作ったような笑顔じゃなくて、本当に。

「それじゃあ、夢庵。」

「ファミレスですか?もう少し高いところでもいいですよ。」

笑顔のまま奥村は言った。わたしも、少し楽しくなってきた。

「ううん。いいの。あそこのカツ定食が食べたい。」

「はは。分かりました。そこにしましょう。」

奥村は、そう言うと車を走らせ始めた。

「蓮田さんって、きれいな人ですよね。最初に見たときに、冷たい人かと思いました。」

「そうかしら。わたし、そんなふうだったかな。」

「ええ。それに何処か悲しい感じがして。言葉がうまく出てこなかった。ぎこちなかったでしょ、僕。」

「そんなことないわ。」

「けれど、話していて蓮田さんが飾らない、純粋な人だと分かりました。」

「そう?じゃあ、お互いに固い口調はやめて話すことにしましょう。わたしのことは、奈々と呼んで。わたしも裕樹って呼ぶことにするわ。部屋の外でも。」

「そうですね、蓮田さんが良ければ。」

「いいわよ、裕樹。」


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