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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
クリスマスは幻影の中に
51/92

酔いどれ探偵のおつかい

 着いたところは、峠の頂上の駐車場だった。

 銀色のスープラが、エンジンをかけたまま鼻先を崖に向けて止まっていた。

 わたしは車から降りて、そのスポーツカーの方へ歩き出した。

 だが、動き出す様子はなかった。

 わたしは、運転席側のウインドーをノックした。

 アストはスープラが動かないのを確認して、近くまで車を移動させた。

 わずかにガラスが空いていた。その向こうの男はこちらを見上げた。

「誰だ?」

わたしは、助手席の方を覗き込んだ。そこには、香住さんが座っていた。不安そうな表情なのは見て取れた。

「谷口さんの知り合いよ。あなた、電話したでしょ。」

男は、わたしをにらんだ。

 アストも、わたしの隣に降りた。

「なんで本人が来ない?」

「遠いからよ。後から来るわ。」

男は、少し考えていたが、再びわたしを見上げた。

「いいだろう。勝負しろ。」

「何ですって?」

わたしは、男を見返して尋ねた。

「この峠で勝負するんだ。そっちの車が先にゴールしたら香住は返す。」

わたしは、カローラバンを振り返った。

「あの、ポンコツでレースしろっていうの?」

男は、初めて後ろを振り返った。そして、わたしを見上げた。失望したような顔だった。

「しかたないだろ。おまえ達があんな車で来るのが悪いんだ。」

わたしは、腹が立ってきた。

「あのね、車のレースで人ひとりの運命を決めないで欲しいわね。」

「うるさい。おまえ達には選択の余地は無い。最初からそう決めていたんだ」

男はどなった。

わたしは、どならなかった。

「女をかけて勝負なんて考え方、古いわよ。」

男は、だまってわたしをにらみつけた。

わたしは、ウインドーに手をかけた。

「香住さんのことを大切に思うなら、賞品みたいに扱わないことね。」

「やかましい。おれは必死に努力したんだ。」

「あなたが、どんな努力をしたのか知らないけど、たぶん努力の仕方が間違ってるんだわね。」

男は、わたしから目をずらした。それから、左手がシフトノブに伸びた。エンジンの音が響き、スープラはタイアをきしませてバックした。わたしは、ウインドーについた手を慌てて離した。車はUターンして駐車場の出口へと向かった。

 わたしは、とっさにカローラバンの運転席に飛び乗った。

アストは、助手席に飛び乗って、

「奈々、飲酒運転じゃなかったか?」

わたしは、一瞬躊躇したが、間にあいそうもなくて、そのまま発進させた。

 スープラの加速はとんでもなく早かった。あっという間に遠ざかった。

「追い付けると思う?」

アストは、わたしを見つめながら言った。

「どうだろうな。この先は狭いカーブばかりだから、パワーの差はそんなに出ないかもしれないが、所詮スポーツカーじゃないからな、これは。」

「駄目よ。絶対追い付かなきゃ。」

カローラバンのタイアはキーキーと悲鳴を上げた。しかし、スープラのテールランプは遠ざかる一方だった。

「あ、無理だ。これは。」

あっさりと、アストは降参を宣言した。

わたしはコーナーの手前でダブルクラッチを踏んでギアを落とした。後輪が滑った。路面の凍結は思ったよりもひどかった。

「アスト、追い付けないと思うの?」

「無理だよ。セスナでF16を追いかけるようなもんだぜ、これは。」

「F16って何よ?」

「ジェット戦闘機だよ。音速の2倍くらいで飛ぶ。」

今度は前輪が滑った。後輪が滑るのとは違い、前輪が滑ったときはタイアがグリップを取り戻すまで速度が落ちるのを待つぐらいしかすることがない。わたしは、ガードレールの寸前で向きを変えた。

「奈々、下ろしてくれ。」

アストはシートの上で固まったままだった。

「そんな暇ないわ。」

わたしは、2速でアクセルを全開にした。ポンコツは体を振りながら斜めに加速した。

がりがり、と後ろのバンパーで音がした。こすったらしい。 

スープラとの距離は縮まっていた。テールランプが近づいていた。この凍結道に苦労しているのだろう。馬鹿みたいにパワーのある後輪駆動車ほど、雪道で運転しにくい車はない。わたしは、ギアを上げ、さらにアクセルを踏み込んだ。

キンコン、キンコンと音がした。古い車についている、速度警告だ。105キロで鳴るようになっている。

 コーナーが迫ってきた。わたしは、ブレーキを力一杯踏み込んだ。全然利かなかった。凍結している。アストは迫ってくるガードレールを見つめて固まっていた。わたしは内側の壁を見た。岩だった。ハンドルを切って車の向きを変える。途端に車はスピンし始めた。ブレーキを離し、アクセルを少し踏む。前輪がグリップを取り戻し、後輪が外側に流れる。コーナーの中ほどで車はオーバースピードのまま出口を向いていた。この瞬間しかなかった。ハンドル操作でカウンターをあてて、なんとかタイアのスリップを止める。だが、遅かった。外側のガードレールに側面をぶつけた。その反動で、カローラバンは道の真ん中まで戻り、コーナーを通り抜けた。

スープラの真後ろについていた。

「奈々。い、今のはわざと、か?」

わたしは、チラっとアストの顔を見た。シートを力一杯つかんでいた。顔は引きつっていた。

「まぐれ。」

アストが唸るのが聞こえた。

スープラは車体を振りながら加速した。前のドライバーはアクセルを踏み込めずにいらいらしているだろう。わたしは、慎重に、けれど目一杯アクセルを踏んだ。前輪駆動のカローラバンは急激にコントロールを失わない。

 次のコーナーが迫ってきた。わたしは早めにブレーキを踏んで減速した。1メートルくらいの位置にいたスープラとの距離が開いた。スープラは少々大きくふくらんだコーナリングをした。わたしはすかさずアクセルを踏み込み、コーナーの内側にカローラバンの鼻先を向けた。一瞬、スープラと並ぶ。

 だが、一般的なドライバーならたじろいでミスをする状況で、スープラは強引に内側に迫ってきた。わたしはアクセルを緩めた。再びスープラのテールランプが目に入った。再びスープラが車体を振りながら加速する。わたしは、それに続いた。次のコーナーはすぐだった。スープラのブレーキランプが点灯する。今度は速度を控えめにしているのだろう。わたしは、強引にコーナーの外側からスープラに並んだ。スープラはコーナーの後半でアクセルを踏み込みすぎた。後輪が外側に流れた。

ガツン、と音がして運転席のドアが嫌な音を立てた。ガラスにひびが入った。スープラはカローラバンの前にでる。

アストはもう、片目しか開けていなかった。

「何が何でも勝つわよ。」

わたしはアクセルを踏み込んだ。ヘアピンカーブが迫っていた。スープラはオーバースピードで入っていく。ドリフトで抜けるつもりなのだ。わたしは、速度を落とした。前輪駆動車は基本的にドリフト走行出来ない。

その時だった。前方のテールランプが消えた。

「あ。」

アストは間抜けた声を出した。

ランプが消えたのはヘアピンカーブの向こうだった。わたしはそのまま速度を落とし続けた。

「落ちたぞ、あの車。」

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