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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
憂鬱は暗闇に消えて
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そして尾行

 夜明けの太陽が徹夜明けの目に痛い。

 艶の無くなったカローラバンのボンネットが、やる気の無い光を反射していた。窓ガラスは白く曇っていたけれど、アパートの階段を見張れるように少しだけタオルで拭いた。白々しい朝の冷え込みが、これまた白い外壁を染め上げていた。

「田辺くん。あとどのくらい?」

 田辺は眠そうにあくびを一つすると携帯電話をパチリと開けた。セドリックの尾行から戻ってきたのは別れてから2時間ほどだった。住所だけは確認してきたという。

「あと・・・一時間弱です」

「そう。変な契約をするから、こんなことになるのよ」

「でも、あと一時間ですし」

「浮気調査の張り込みに午前六時まですることもないでしょう?」

「そうですけど、依頼人の磯崎さんが朝までやって欲しいって」

「調査費の無駄よ」

と、言ってしまってから、そもそもそういう仕事は所長のわたしの役目なのだと思い出した。ごめんね、田辺くん。田辺は、また眠そうにあくびをした。

「町田先輩から連絡、ありませんね」

「アスト?連絡が無いということは帰って寝たわね」

 彼はコンビニで麻美が荷物を渡した男を追跡していた。とにかく何の情報も無い今、麻美が接触した人物の身元を洗い出すのが仕事なのだ。

「いいなあ・・・」

「彼、調査費が出ないヘルプだったもの」

「そう言えば、どうして町田先輩は、ここへ来たんですか?調査には参加して無いじゃないですか」

「呼んだのよ、わたしが。寒かったから」

 田辺は、目を細めて変な笑みを浮かべた。

「来ますよね、町田先輩って。奈々先輩が呼ぶと必ず・・・」

「どういう意味よ」

 不気味な笑みを浮かべたまま田辺は「別に」と答えた。


 午後一時。

 わたしは自分の部屋のベッドで目が覚めた。アルコール抜きで眠ったのも久しぶり。気分良く目が覚めたのは一瞬だけだったけれど、それでもすっかり目は覚めていた。締め切った遮光カーテンの隙間から秋の気持ちよい光が差し込んでいて、憎たらしいほどに快晴みたい。そんな天気のいい日なのに午後一時に起きたというのは気が滅入ることなのだ。

 別にやりたいことがあったわけじゃないけれど、すごく損をした気持ち。

 ベッドの中で、ぼうっと考えてみる。わたしは、どうしてこんなにも気が滅入っているのだろう。彼氏がいなくなってしまったことも原因の一つかもしれない。

 半年前に、図書館へ行ったまま帰ってこなかった洋一に、再び会うことができたのは病院の薄暗い部屋だったし、あの日も、こんなふうに天気がよくてカーテンからは暖かな光があふれていた。待ちくたびれて眠ってしまったのも、この部屋、このベッド。

 洋一に何が起きたかなんて、まるで考えもしないで部屋で待っていた、あの日。でも、それだけではないような気がしてしかたがない。半年前の記憶が、こんなにもわたしを傷つけるなんて信じない。信じられない、じゃなくて信じない。

 医者はPTSDだとかっていうかもだけれど、わたしは信じない。PTSDなんていうアルファベッド四文字で、わたしの悲しみを表現されたくない。


 見上げれば、部屋の天井が薄暗くなってきていた。午後五時過ぎ。もう夏じゃ無いのね。

快晴の一日はベッドの中で過ぎて行った。

 電話が鳴る。

 わたしは出ない。時限爆弾がリミットまでを刻んでいる。

 なんの?なんのリミットなの?

 再び電話が鳴る。液晶には田辺の名前。探偵事務所の仕事・・・。

「行かないわ」

 声に出して、そう言うと電話が切れた。こんな日は死ぬのによい日だ。そう思ったけれど、そんな天気の日は過ぎ去ってしまって、わたしはまだ生きている。理由のない憂鬱が、わたしの手を、足を、体を蝕んでいく。こんな苦しみから逃れられるなら・・・。

 いや、わたしは、この苦しみからさえ逃れたくないのかも。心地のよい苦しみ。苦しむことのほうが、もう二度と出会えない、あの人のことを追い続けるよりも簡単なのかも。

 そうではない。

 わたしは、いったい何をそんなに憂鬱だと感じているのだろう。


 部屋のドアがノックされたので、わたしは仕方なく着替えをした。

 もう陽は落ちていた。わたしは午後、部屋から出なかった。なにもしたくない気分だった。何も考えたくない。外は薄暗い。時計は6時過ぎを差していた。

 田辺が部屋に入ってくると、心配そうな顔でわたしを見た。

「なに?どうしたの田辺くん」

 田辺は、少し頷いて、わたしをさらにじっと眺めた。

「町田先輩に連絡がつきません」

 なにそれ。わたしの心配をしていたわけじゃないの?わたしはため息をつく。

「どっかで遊んでいるんじゃないの?」

「でも携帯ですよ。いつもなら掛け直して来ます」

 わたしは、首をすくめてみせた。アストがよくやる感じで。

「講義には出てなかったの?」

 そう言いながら、わたしは部屋の玄関を指差す。出てないです、と言いながら、田辺は不思議そうに玄関を見た。

「町田先輩の幽霊でも見えるんですか?」

「ばか。部屋を出ようっていう意味よ」

ああ、と頷くと、さっさと歩き出した。何かリアクションはないのか?

 外はもう、すっかり暗くなっていた。

「アストがいないって、どういうことよ」

 わたしは、サークル棟へ向かう途中、ポテトチップスを食べながら、そう聞いた。夕食がわり。あんまり食欲が無かったから。

「電話に出ないんです」

「それは聞いたわ」

「アパートにはバイクもないですし。VTとかいう、赤と白とかの派手なやつですから、あればすぐにわかりますし」

そうね、とつぶやき、わたしはふと考えた。

「いつから連絡が取れないの?」

「昨日の、というか朝の前っていうか」

「最後にわたしとコンビニで別れてからってことね」

「ええ。そうです」

 アストは、わたしがコンビニで見た男を尾行していた。すごく素直に考えると、尾行に失敗して連れ去られたのかも。

「でも、浮気調査なのよ?しかも大学生よ。連れ去るなんて普通じゃない」

「でも他に考えられないんです」

 そうかな。アストの恋人の部屋にいるとか、急に旅に出たとか。

「どうします?」

 どうしますって言われてもね。


 わたしが田辺とサークル室で話をする二時間ほど前、田辺は依頼人である磯崎幹人と会っていた。ただ、浮気の現場をおさえたわけでもないので、事実だけを伝え、調査の続行をするかどうかを尋ねたにすぎない。長瀬麻美がコンビニで男に何かを渡したのは気になったが、磯崎にも心当たりはなかったのだ。もっとも、田辺がそういうだけなので、あまりあてには出来ないけれど。とはいえ、磯崎は長瀬麻美の行動がおかしいと思っているのは確かで、けれども彼女は磯崎と別れようという素振りも見せないのだという。磯崎のほうは、二股を掛けられていると腹が立つから調査を依頼してきたようだ。

 自分勝手な、と思う。安い調査費しか取れない我が探偵事務所では、そういういい加減な話もよくあるのだ。大学当局の目が光っているから、調査費を上げることは出来ないし。

 一般の探偵事務所の調査費は高い、と思うけれど、経験のある調査員を何人か使うとなると妥当な金額だとは思う。だって、一日二四時間、ターゲットを監視するためだけに働いているんだから。時給で考えたって安くなるはずがない。

 それなのに、うちの調査費の安さといったら・・・バイトした方がまし。稼ぎにはならない。昨日なんて夕方から徹夜して、一人二千五百円なんだから。絶対にバイトの方が割りがいい。

 話がそれてしまった。

 具体的に長瀬麻美の不審な行動というのは、携帯電話の履歴が消去されていること、アドレスにロックされたデータがあること、大金を持っていること、そもそも言動がおかしいことがある、ということらしい。

 田辺の説明はまどろっこしくって、簡潔に言うと、そういうことなのよね。彼の説明を再現してみせてもいいけれど、退屈なだけだから言わない。


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