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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
追憶は陽炎のように
40/92

ストーカー

 利沙の生まれた集落についたのは、日が変わった頃だった。

 とにかく、貴文の家の周りに佐久間佑子がいないことを確認して、それから空き家へ向かった。

 空き家は、夜中に見ると不気味だった。まるで、あばら家の様相で、とても中に入ろうという気を起こさせなかった。けれども、わたし達はライトを持って建物の中に入り、一通り確認した。

「いないわね」

 入る前から予想は出来たけれど。いくらなんでも、こんな家に佐久間が明りも無しでいるとは思えない。第一、つい先日、誰かを殺した家だ。

「そうね」

「朝まで待つしかないわね。今からでは、何も行動出来ないわ」

 わたしがそう言うと、利沙は腕時計を覗いた。

「まだ五時間もあるわね」

「ええ。車の中で仮眠する?」

 薄気味の悪い空き家のきしむ鉄扉を押し開けて、わたしは利沙を振り返った。

「近くに、わたしの住んでいた家があるわ」

 利沙は、そう言った。わたしは思わず聞き返した。利沙は、ここに住んでいたのではないのか。

「ええ。おばあちゃんが死ぬまではね。でも、貴文に放火されて。わたしは引っ越したの」

 わたしは、ぼや騒ぎがあった、と調査で聞き込んだことを思い出した。

「アパートか何か?」

「違うわ。両親の家よ」

 ライトの明りを頼りにカローラバンにたどり着いた。車のドアを開く。

「両親って、だってそれは・・・」

「ええ。随分前に死んでいるわ。でも、もともとわたしはそこで育ったのだし。取り壊しもしなかったの。家はわたしの両親が新築したものだったの。わたしは、この空き家で暮らしているふりをしながら、本当は住んでいなかった。少しづつ家財道具を運んで、両親の家へね」

 車のシートに腰を下ろした。

「貴文から逃れるため?」

「そう。あの男は、わたしの生まれた家を知らなかったから」

「秘密にしていたってわけ?」

「そんなつもりは無かったの。少なくても最初はね。もう、ずうっと住んでいなかったから。わたしも、こんなことが無ければ戻ることも無かったと思うわ」

「そうだったの」

 わたしは、空き家の中にあったカレンダーを思い出した。三年前のカレンダー。一年前に空き家になったはずの家に、そんなものがあるのが不思議だったのだ。

「あの男は、ひどいやつだったわ」

 利沙の指示通りに車を走らせ始めた。星の無い夜で、ヘッドライトだけが頼りだった。

 暗い田舎道だった。道の両脇にあるのは畑か、鬱蒼とした森か、誰もいない荒れ地。起伏の激しい土地は、遠くの民家の明りを遮っていた。国道を離れた整備の行き届いていない道路は、わたしに速度を出すことをためらわせた。

「わたしは、毎晩殴られた。どうして、わたしだけがこんなにも不幸なのかと思ったわ。両親が死んだとき、わたしはまだ小学生だった。高校の受験は失敗したわ。それはわたしが悪いの。でも、医者になるのは諦めるしかなかった。商業高校だったから。祖父母は、わたしが普通科に行くのを反対したわ。でも、どっちにしろ医学部に行くことは出来なかったでしょうね。お金を稼ぐ人が無かったから、うちは」

 わたしは、黙って聞いていた。

「それでも高校は楽しかった。初めての彼も出来たし、友達もたくさん出来た。でも、子供が出来ちゃった。高校の友達は信じてくれないけれど、初めてだったのよ。初めて彼と一緒に泊まった時」

 利沙は、ウインドーに首をもたせかけて、そっと手でガラスに触れた。

「結局、わたしには本当の友達なんていなかったのよ。みんな離れて行ったわ」

 車は、利沙の言う通りに走り、わたし達は一軒の家の前に止まった。

「裏にガレージがあるけれど、車はここでいいわ。どうせ車通りなんてないし。車庫の中には、わたしが使っていた軽自動車が入ったままなの」

 車を降りると、その家は暗闇の中で、そうっと建っていた。

「電器も水道も止めてはいないの。実は何度か帰って来ているの。やっぱり、この家のほうが落ち着くから」

 そう言うと、付いて来るようにわたしに手招きすると、慣れた様子で暗闇の中をライトもなしに歩いていく。わたしは、慌ててそれを追った。

「村からは離れているから、あまり人も来ないのよ」

 それから、利沙はふっと、笑った。

「蓮田さん。あなたが初めてよ。この家に入る他人はね。電気屋さんを除いてね。どっちにしても、わたしは村の人にも嫌われているから」

 玄関のドアを開けると、利沙はわたしの手を取った。

「ごめんね、ここの電気はないの。最低限の明りしかやり直ししてなくて。使って無い部屋もあるのよ。物置きにしてる。二階に寝られる部屋があるから。そこへ行きましょう」

 そういうと、わたしの手を引いてどんどん進んでいく。わたしは、不安になり始めていた。どこかでこんな話を読んだ気がする。怪談かなにかで。田舎の暗い一軒家へ連れ込まれていく話。思わず、わたしはふっと、笑った。

「何がおかしいの?」

「え?ごめんなさい。なんだか現実感が無くて」

「そう?でもね、これがわたしの現実だったの。電気をつければ村の人も気付いてしまうから。こんな田舎では誰が何をしているかはすぐに伝わる。二階の部屋も窓には板が張ってあるわ。明りが漏れないようにね」

「ごめん」

「いいの。結局、貴文にはわかってしまった。だから、わたしはここからも出るしかなかったわ」

 二階に上がり、利沙は部屋の明りをつけた。とてもまぶしかった。ずうっと暗闇ばかりだったから。目が慣れるまでに少し、時間が必要だった。

「適当にくつろいでいて。キッチンに何かあったかもしれないから。何か食べるでしょ?」

「え?ええ。手伝うわ」

「いいわよ。電気がつかないからキッチンに行けないわよ、きっと」

 そう言うと、利沙は扉を閉めて出て行った。わたしは部屋を見回した。きちんと畳まれた布団が一組み、ビニールに入っている。小さなデスクと本棚。本棚にはぎっしりと本が詰まっていた。わたしは、それに近寄るとタイトルを目で追った。ジャンルはバラバラ。少女向けの小説もあるしコミックスもあった。何冊かのストーカーについての著作が並んでいる。「ストーカーから逃れる方法」とか法律関係の本とか。

 本棚の隣にはエレクトーンがあって、それにはヘッドホンが差し込まれていた。エレクトーンの上にはヘッドホンステレオのMD。何枚かのディスクもある。エレクトーン本体にはピンクの布が被せてあって、それにはうっすらと埃が積もっていた。床は、意外なほどきれいで、掃除は定期的にされていることがわかった。反対側の壁には映画のポスターが貼られていて、その下に小さなタンスがあった。わたしは、それを開いてみたい誘惑に駆られたが、我慢した。利沙は、もう調査対象ではない。ひょっとしたら、友人なのかもしれない。少なくても今夜の利沙はそう。わたしは、カーペットの敷かれた床に座った。

 窓にはカーテンが引かれていた。少しだけめくれたカーテンの向こうには茶色のベニアが見えた。

「お待たせ」

 利沙が扉をノックして、わたしはそれを開いた。

「ごめん、インスタントしかないけど」

 そう言うと、大きなお盆に二つのラーメンとマグカップを持って部屋に入ってきた。

「ラーメンの具もインスタントだからおいしくはないと思うけど」

 そう言うと、デスクの上にお盆を置き、本棚の横に立てかけてあった折り畳みの机をセットして、そこへどんぶりを移動した。

「食べて。お腹、減っているでしょ?」

 そう言うと、利沙はにっこりと微笑んだ。

「ありがとう。実を言うとお腹はペコペコだったの」

 そう言って、わたしは割りばしに手を伸ばした。

「まずくても許してね」

 わたしは、微笑んでどんぶりに手を伸ばした。

「キッチンでね、これを見つけたの」

 ため息をついて、利沙は白い封筒を床に投げ出した。

「もう、慣れているんだけど、やっぱり気持ちが悪い。とても怖いわ。蓮田さんがいてくれて良かった」

「見てもいい?」

 そう言いながら、封筒を観察した。宛名は無い。当然、郵送されてきたものではない。

「ええ。わたしは見る気がないから」

 そう言うと、利沙はラーメンをすすり始めた。わたしは箸を置くと、封筒に手を伸ばした。

「平松貴文から?」

「たぶん」

 利沙が気持ちのこもらないまま答えた。わたしは、糊付けされていない封筒を開くと、中味を取り出した。一枚の白い便箋には、ただ一言。「命が危ない。助けを求めろ」とだけ書かれていた。

「どういう意味?」

 利沙を見ると、利沙は首を振った。

「知りたくないわ。それを見つけて持ち上げた時、中から髪剃りの刃が落ちたの。そっちは空き缶の袋に入れたわ」

「平松貴文が置いていったんだと思う?」

 利沙は頷いた。

「キッチンのね、テーブルの上にあったの。どうやって入ったのか判らないけど」

 わたしは、じっと手紙を見つめた。白い上質紙の真ん中にプリンターによる活字が並んでいる。白の余白が悪意を感じるほどにまぶしい。小さな文字で一行だけ印刷された活字が浮かび上がるように見えた。

「利沙さん。貴文はいつからストーカーになったの?」

 利沙は、箸を置くとわたしを見た。

「随分前。高校の時から」

「それから、ずっと?」

「そう。最初は、こんなに異常じゃなかった。何通も手紙が届いて。わたしもそのうちに好意を持つようになったの。それで二十歳を超えて、頼る人もなくなって、わたしは貴文と結婚したの」

「でも、結婚生活はうまくいかなかった」

「そうなの。彼はとても嫉妬深かった。わたしのところに年賀状が届くのさえ嫌がったわ。アルバイトも辞めたの。次には、買い物さえ嫌がった。外出すること、他の男の目に写ることさえ駄目だったの。それを破ると貴文は猛り狂ったわ」

「暴力を受けたのね」

 利沙はうつむいた。

「ええ。それはもう思い出したくないわ」

「そうね」

 わたしは、そっと目をそらした。

「放火されたのはいつ?」

「離婚が成立した夜だったわ。裁判所で、そう決まった夜」

「貴文の仕業だと?」

「ええ。わたしはそう思ってる。でも、何も証拠は出て来なかったの。幸い、ぼやで済んでしまったし、本格的には警察も消防も動かなくて。結局ね、男女のいさかいのだろうって。犬も喰わないって言われたわ」

 そう言うと、利沙は自嘲的に笑った。

「その後も、貴文は何度も電話したり、プレゼントといって何かにつけていろいろな物を送ってきたわ。わたしは、受け取れないといって送り返していたけど、そうしてもまた届くから、最後には開けずに物置きの奥に仕舞い込むことにしたわ」

 利沙は、インスタントコーヒーに手を伸ばした。

「新しい恋人も何人か出来たけど、貴文のせいでうまくいかなかった。あることないことを手紙に書いて恋人に送りつけた。無言電話はしょっちゅうだったし。尾行されたり、車を壊されたり、いろいろあって」

「エスカレートしていったのね」

「そう。電話が時を選ばずになるから、この家の電話は解約したの。携帯電話は毎月変えていたような気がするわ」

「精神が参ったりしなかったの」

「したわよ。秘密にしていたことを、貴文の手紙に書いてあったりして、プライベートも何もかもが見張られているようで、誰も信じられなくなった。誰かが貴文に教えなきゃわからないことばかりなのよ。どうやって調べ出すのかわからないわ」

「それで、引っ越したのね、遠くへ」

 利沙は頷いて、立ち上がった。

「そろそろ寝なくちゃ。明りはつけたままでいいかしら。暗いと寝付けないの」

「ええ、いいわ」


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