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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
追憶は陽炎のように
32/92

刑事

 待つこと二十三分と少し。時間をつぶす雑誌も無いし、ベンチはビニール張りの安物だし、ただ壁の時計を見て過ごしたからはっきりとそう断言できる。

 壁には、指名手配犯の写真入りポスターとか、青少年の非行防止とかそういう物ばかり貼ってあって、別に目新らしくもなかった。ポスターの無い、薄汚れた壁のほうがよっぽど面白いくらいだ。

 とにかく、わたしと田辺はぼうっとして過ごした。受け付けの女は何か黙々と書いているだけだし、他の署員も、黙々と何かしていた。と言っても、全部で三人きりだったけど。だから、田辺と話をするような雰囲気でもなくて、黙ったまま座っているしか無かったのだ。

 だから、正直、その刑事がやってきて、ほっとした。沈黙の業から解放されて。

「やあ、待たせてすまない」

 そう、さわやかに言ったのは、五十がらみのちっともさわやかではない薄汚れた刑事だった。もしも、この人が刑事だと知らなかったら、わたしは避けて通るだろう。

「いえ、二十三分くらいですから」

「二十三分?」

「いえ、なんでもないんです」

 わたしは、笑顔を作ってそう言った。確か、この刑事の名前は竹内、だったような気がした。違ったかしら。昨日聞いたんだけど。

「コーヒーでもどうだい。と言ってもインスタントしかないが」

 そう言いながら、二階を指差した。

「ええ。ありがとうございます」

 正直に言えば、その時、本当に喉が乾いていた。建物の中はしっかりとエアコンが効いていて、空気はからからに乾いていたのだ。それに、来る途中にコンビニも無かったし、缶ジュースも買いそびれていた。

「じゃあ、ちょっと上まで行こうか」

 そういうと、歩き始めた。田辺と一緒にそのあとを、カルガモ親子のように付いていく。

 さっきも行った部屋に通されて、適当な椅子をすすめられた。スチールとプラスチックの事務用品としか呼べないデスクには、雑然と書類が積まれていた。それが七つくらい。部屋は広くは無い。壁にはやはり、麻薬僕滅とかそういうポスターが貼られていて、剥がれかかっていた。窓の外は赤く染まっていた。夕暮れがきれいだ、と思った。

「ブラックでもいいかな。クリームが切れていてね」

 そう言うと、カップを二つ置いた。自分用には湯のみにお茶を持ってきた。

「医者に止められていてね。カフェインも砂糖もタバコもね」

 確か竹内という名の刑事は、椅子にかけたジャケットから禁煙パイポを取り出した。そういえば、禁煙パイポって、久しぶりに見たような気がする。

「で、さっそくだが、殺された男には以前に会った事があるね?」

 唐突にそう言われて、わたしは一瞬、うろたえた。たぶん、顔にも出たのだろう。

「そうか。何故話さなかった?」

「あんまり、死体をじっくり見て無かったから・・・」

「そんなはずはないだろ。部屋の中に入って歩き回っているじゃないか」

 わたしは、黙っていることにした。けれど、それが肯定だと思ったらしい。

「まあ、その件については何も言わないけどね。遊びじゃないんだ。場合によっては、君達に疑いがかかることもあるんだ、と言っておきたくてね」

 わたしは、はい、と小さく言っておいた。殊勝にしておいたほうがいい。

「死亡推定時刻はね、四日前くらいなんだよ。四日前、被害者の車に乗ったらしいね」

何処で聞いたんだ?と思った。

「君が午前中に話を聞いたおばあさんが話していたよ」

 ああ、それで。

「君は、被害者を平松貴文という男だと思っていたようだね」

 頷いた。

「何故かな?」

 わたしは、ため息をついた。見透かされているようで、こういうのは嫌だ。

「彼が、そう言ったからです」

「なるほど。何故、車に乗ったのかね?話を聞きたい相手だったのかね?」

「平松さんなら、わたしの調べている高木利沙さんの事をいろいろ知っているんじゃないかと思って」

「それで、車に乗ったの?不用心だね」

「ええ」

 分かっているわよ。

「どんな話をしたんだ?」

「あまりはっきりしたことは。今でも高木利沙さんを自分の女だと、そう思っているような感じがしただけです」

「ふーん。じゃあ、少なくても、高木利沙さんのことは知っているような感じだったのだね?」

 わたしは、思い出そうとした。

「そうです。コンビニで働いていたことも知っていました」

「なるほど。実はね、あの男、本職の探偵なんだよ」

「え?」

 と、言ったのは田辺だった。

「死体から、似顔絵を作ってね、見てもらったんだよ、何人かに。死体の写真なんて誰も見たがらないから、おれは似顔絵を作るんだけどね。その方がやりやすいから。結構うまいんだぜ、見るかい?」

 わたしは、どう答えていいやら分からなかったので、頷いた。

「ほら、これだ」

 そう言って、出した紙には、ちゃんと生きてそうな男が描かれていた。精密な鉛筆画だ。

「うまいですね」

 田辺がうなるように言った。

「そうだろ。大学までは美術をやっていてね。今でも休みにはスケッチなんかをするんだよ」

 田辺は頷きながら、「自然が多いですから、いいですね」と言った。

「いや、人物画とか静物とか、そういったものなんだがね」

「ああ、そうなんですか?」

「うむ」

 お茶を、音をたててすすると、確か竹内という名の元美術部学生の刑事は似顔絵の紙をポケットに仕舞った。

「それで、なんだっけか?」

 首をひねって、

「あ、そうそう。この男が聞き込みをしていたという情報を得たわけだ」

 わたしは頷いた。続きを話して欲しい、と思ったからだ。

「置いていった名詞から、所属する事務所が分かったから、電話したんだ」

 わたしは、またも頷いた。

「そこでだ、あんた、誰に頼まれた?」

 わたしは首を振った。

「それは言えない決まりです」

 刑事も笑いながら、首を振った。

「そんなこと言っている場合じゃなかろう?」

 ひとつ、芝居がかったため息をついて、

「佐久間、という女だろう?」

 わたしは、眉をしかめた。アストにも連絡をとったのだろうか?

「殺された被害者の事務所の依頼人がそういう名前なんだ。内容は高木利沙の過去。生まれてからずうっと」

 わたしは、首を振った。いったいどうなっているの?

「佐久間という女は、あんたが被害者に会った前日、突然調査の中止を申し込んで来たそうだ」

 そう言うと、またしても音を立ててお茶をすすった。わたしは、頭の中が混乱してきた。

「まあ、たまたまあんたのことを見たんだろうな。こんな小娘が俺の替わりか?ってところだったんだろう。あんた、おちょくられたんだ」

 なるほどね。そう言われてみれば、そんな感じだったような気もする。

「そこでだ。ちょっと頼みがある」

 刑事は身を乗り出した。反射的にわたしは椅子を後ろに引いた。

「被害者の事務所に行ってきて欲しいんだ。佐久間が、どうして依頼する相手を替えたのか、それが知りたい」

 わたしは、思わず刑事の目を覗き込んだ。

「そんな、わたしが?」

「そう、あんたが。おれはこっちの捜査で忙しいし、人手も足りない。加えて、出張費も出そうにない。あんたの大学の近くなんだよ」

「だけど、そんな」

「別にいいだろ。本物の探偵の事務所に行くのはいい経験だろ?素人探偵にとっては」

 ちょっと、むっとして言った。

「明日も調査しなくちゃいけませんから」

 刑事は、手を振って、デスクの上の書類をつかんだ。

「その必要はない。これ、高木利沙の資料だから」

そういうと、その紙をわたしの膝の上に載せた。

「書き移して構わないよ。ただし、必要な部分だけだ。それから、明日の朝までに返して欲しい」

「プライバシーとか問題になるんじゃ・・・」

 わたしは、動揺してそう言った。

「あんたが何も言わなきゃいいんだ。それに、何か言ったとしても、俺は知らないと、言うだろうしな。一度、この部屋まで上がってきただろう?誰もいないこの部屋に」

わたしは、呆れて刑事を見つめた。誰もいないことをいいことに、わたしが盗んだと、そういうことにするつもりなのだ。

「結構です」

 わたしは、その書類を刑事に突きつけた。

「すまん。気に触ったらあやまる。手間を省いてやろうと思っただけだ。それに、明日には向こうに戻って、被害者の事務所で話を聞いてもらいたいんだよ。おれはせっかちでね」

 そう言うと、立ち上がった。

「じゃあ、頼んだよ。その書類は活用してくれ。調査費が出せない見返りだと思ってくれればいい。あんた、探偵だろ」

 そうやって、にやりと笑うと、確か竹内という名の刑事は歩いて行った。わたしと田辺は呆然としていたが、振り返って呼ぶので立ち上がった。お帰りの時間、ということらしい。

「いずれにしても、君達は、俺に協力しなくちゃいかんのだよ。虚偽の供述をした、という弱みを握られているからな」

 そして、もう一度にやりと笑った。

 薄汚い中年だと思ったけど、その時は妙に大きく見えた。


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