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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
追憶は陽炎のように
31/92

死体は誰か?

 「じゃあ、あれは誰なんですか?」

 田辺は、ポテトチップスを口に入れながらそう言った。カローラバンのハンドルが油で光っているのが分かった。

「ポテチの油がハンドルについてるわよ」

 わたしは、窓を拭くタオルを渡した。後で、わたしがハンドルを握った時に、それを触りたくなかったからだ。

「貴文っていう人物は生きているわけですよね。つまり、4日前に奈々先輩が会った人物は貴文じゃなかったってことですね」

 タオルでハンドルを拭きながら、田辺はまたしてもコンソールボックスに置いたポテチに手を伸ばした。

 コンビニで、お弁当を買って、駐車場で食事をした帰りだった。毎日コンビニの弁当は嫌だな、と思ったけれど、他に何も無いんだから仕方無い。少し先にはスーパーがあったけれど、結局あまり変わらない。

「ということは、あれは誰なんでしょうね」

 田辺は、何度目かの疑問を口にした。

「分からないわ」

 わたしも何度目かの答えを口にした。

「もっと分からないのは、どうしてわたしに接触してきたのか、と言う事だわ」

 田辺は、カセットテープをデッキに押し込んだ。ああ、もう、あちこち油だらけね。

「そうですよね。嘘をついてまで奈々先輩を連れ去ろうとしたんですから」

「連れ去る?」

「奈々先輩、逃げ出したんですよね、確か」

「ああ、そうだったわね。あれが貴文じゃなかったとすると、何か目的があった、ということになるわね」

「そうですよ。奈々先輩から何かを聞き出したかったとか、そういう」

 何かを聞き出したかった?一体何を?

「それにしても、どうして奈々先輩が貴文を探していることが分かったんでしょう?」

「そうね。わたしがそのことを口にしたのは、アストを除いて、住所を聞いた家の人と、平松家のインターホンの2回だけなのよね」

「じゃあ、その時、家の中に、あの男がいたんですよ、きっと」

 あの家にいた?その可能性は無くはない。証拠は無いけれど。だとしたら、あの家で何をしていたんだろう。


 午後も出来るだけ多くの家を回って聞き込みを続けた結果、利沙の長野での2年間分の行動が分かってきた。

 利沙は平松貴文と結婚する前からコンビニでパートをしていた。離婚してからもパートをしていた。ただし、結婚する際に一度辞めている。結婚前のコンビニは、廃業してしまっているので話は聞けなかったけれど、いずれにしても、わたし達の調査範囲でないから、どっちでもいい。

 3年前から1年前までの範囲で、付き合っていた男は、分かっているだけで5人。多いのか少ないのか、ちょっと分からない。ただ、噂だけなら、他にもいたようだ、という話もあった。5人だとしても、平均すると5ヵ月に一度男を変えていたことになる。

 ただ、そのどれもが、どうやら離婚した平松が関係を悪化させたようだ。放火をした犯人は捕まっていないが、どうやら平松ではないか、というのがもっぱらの噂だった。

 付き合っていた男のうちの一人とは、連絡を取ることが出来たので、夜に行く事になった。

 けれど、その前に行かなくてはいけないところがあった。

 警察だ。

 わたしの携帯に電話があって、お呼び出しがかかっていた。

 仕方無いので、わたしと田辺は一緒にカローラバンで夕方の4時に出発した。

 そう、20キロほどあったのだ。捜査をしている警察署と、利沙の村とは。偶然というか、都合がいいというか、話を聞けることになった利沙の昔の男の家はそっちにあったから、まだいいけれど。

 少しだけ家が増えて、街のような感じになってきたころ、警察署を発見した。主要な道路は一本しかないから、道に迷う怖れはなかった。大きな標識があって、すぐに見つかった。コンクリートの三階建ての建物で、頑丈そうな柵に囲まれていた。大きな垂れ幕には、交通安全のスローガンが書かれてあった。

 わたし達は、その駐車場に車を入れ、それから案内される通りに廊下を歩いていったつもりだったが、迷ってしまった。受け付けの女の人は、疲れた顔で、2階に上がって突き当たり、と言ったはずだったが、そこには「男子トイレ」という名前の扉があるだけだった。

「違いますね」

 田辺はとぼけた顔で言った。分かっている。

「受け付けに戻って聞いてくるしかないわね」

「めんどくさいですね」

 そう言いながら、回れ右で歩き出した。再び1階に戻って同じ女に同じ事を聞く。

「2階に上がって突き当たり」

 わたしは、静かな声で言った。

「そこは、トイレだったわ」

「そんなはずない。2階の突き当たり」

 わたしはうんざりしながら、

「階段を上がって、右に突き当たるまで行ったけど、トイレだったの」

「右じゃない。左へ行って突き当たり」

 わたしは、手を振ってありがとう、と意を伝えると、彼女は「もういい」という意味に理解したようだった。むっとしたような顔をして、すぐさま書類に目を落として何かを書き始めた。

「左だって」

「そうなんですか?」

 階段を上がり、今度は左側へ歩いて行くと、廊下は途中で90度曲がっていて、その突き当たりまで行くと、表示も何もない部屋があった。どうやら、ドアの上にネジの跡だけあるから、取れたまま放置されているのだろう。お陰で、目的地なのかどうかわからないまま、それをそうっと開けた。

 誰もいなかった。

 誰もいないなんてことでいいのかしら、と思ったけれど、わたしは再びそれを閉め、田辺と目を合わせた。二人とも黙って来た道を歩いて、三たび一階まで降りた。

「誰もいないんだけど」

「誰もいない?ちょっと待って」

 そう言いながら、女は黒い表紙の大きなファイルを開いた。

「ああ。まだ帰ってきて無いわ。そこのベンチで待ってて」

 わたしは、うんざりして田辺の顔を見た。彼も疲れたような顔でわたしを見ていた。


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