報告書
田辺は、先に寝てしまい、わたしは、一人で報告書を書き続けた。隣の部屋からは、時々笑い声や、悩ましい声が聞こえた。気が散って仕方無い。
テレビでもつけようと思って、立ち上がり、リモコンでスイッチを入れた。途端に、あえぎ声が充満し、わたしはチャンネルをかえた。半ば予想していたけれど、やっぱりアダルトビデオにチャンネルが合わせてあった。いくつかチャンネルをかえて、NHKらしき番組にして、再びノートパソコンに向き直った。
どうして佐久間は、わたしにこんな報告書を書かせるのだろう。
平たいノートパソコンのキーを打ちながら、わたしはぼうっと考えていた。ウイスキーが飲みたいわ。
長野まで行って、死体を発見するなんてことになったわたし達に同情してのことなのかしら。でも、なんにもないのにお金を払うのも癪だから、報告書にして出させるとか。
それとも、田辺の言う通り、佐久間が犯人なのかも。
そんな馬鹿な。どうやって自分よりも体重の重い男を天井から吊り下げられるっていうのよ。不可能よ、物理的に。
じゃあ、共犯者がいるとか。
待ってよ、その前に動機が無いわ。
あるとすれば、利沙のほうだ。利沙の住んでいた街だし、利沙と貴文は関係があったようだし。ひょっとしたら、佐久間は利沙がやったのではないかと思っているのかもしれない。それなら理屈にあっている。彼女のことを調査させているのだから。彼女が犯したかもしれない犯罪を調べさせるのは理屈に合っている。
ただ、そうすると、最初の疑問にたどりつく。この調査を始めるころから思っている疑問だ。
どうして、佐久間は高木利沙について調べたいのか。
それも現在の行方ではなく、過去について。
でも、それは探偵として知らなくてもいいことだ。いちいち依頼人の詮索をするわけにはいかない。
行方不明のペットを探して欲しい、という依頼がよく来るけれど、その依頼人に「どうしてそんなにかわいがっていたトカゲのサミーちゃんを下水に流したんですか?」なんて聞けないのと同じだ。
ちょっと、違うような気もする。
いずれにしても、わたしは、この報告書を書き上げて、携帯電話を使ってメールしなくちゃいけない。ファックスするのはアストがやってくれる。
アストは今ごろ何をしているんだか。
お腹が空いているのに、食欲が無くて胃がむかむかする。本当にいらいらする。
ウイスキーでも買って来れば良かった。
いらいらして書類も進まなかった。
スクリーンセイバーになった画面をぼうっと見ながら、昼間の出来事を思い出していた。襖を開けた瞬間、首を吊った人間を見た事。
貴文は、あきらかに他殺だった。
彼は、何故殺されたんだろう。
わたしは、警察での事情聴取について、キーを打ち始めた。何故、あそこにいたか、という点を何度も聞かれた。探偵なんです、と答えると、危ないことはするんじゃない、と言われた。大学に問い合わせをして、わたしの所属サークルがはっきりしたらしく、その後は聞かれ無かった。
ひょっとすると、しばらくしてから、大学当局からサークル活動について、何か言ってくるかもしれない。今までも、何度かあったことだけど、うちのサークルはいつも存亡の危機にさらされている。
貴文が首を吊っていた部屋の夢を見て、わたしは目が覚めた。
ぼうっと、ベッドの上で座っていると、田辺は着替えを済ませて、歯を磨いていた。
「おはようございます、奈々先輩」
わたしは、ぼうっとしたまま、
「おはよう」
と言い、それからベッドから抜け出した。
夢の中で首を吊っていたのは、貴文では無くて、洋一だった。そして、その頭を殴って殺したのは、わたしだった。
わたしは、首を振った。
「どうしたんですか」
田辺は口に泡をつけたまま言った。
「なんでもないわ」
わたしは、着替えを持ってバスルームに行き、そこでパジャマを着替えた。
「眠そうですねえ」
他人事のように田辺は言って、それからバッグに荷物を詰め込み始めた。報告書を書き上げたのは午前3時頃だった。それから携帯電話を使ってメールに添付書類として付けて送った。町田は、それからそれをプリントアウトして、コンビニに行ったんだろう。今ごろは、まだ寝ているに違い無い。わたしが、電話した時、彼はとても疲れた声をしていた。わたしが頼んだ件、やってくれるだろうか。朝から動かないと駄目な仕事なんだけどな。いっそ電話して叩き起こしてやろうか、と一瞬思った。
「今日は、何処から行きますか、奈々先輩」
田辺は、すっかり用意を整えていた。
「片っ端からよ。あの辺りの家の人に聞くわ」
「利沙さんの友達ってことにしますか?」
「いいえ、探偵事務所のものだって言うわ。警察も聞き込みをするでしょうし、わたし達のことだって警察から話が漏れるかもしれない。矛盾したことを言いたくないわ」
「じゃあ、スーツですか?」
ジーンズにTシャツの田辺は恨めしそうにバッグを見た。
「その方がいいわね」
わたしは、ベージュのスーツをすでに着ていた。




