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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
追憶は陽炎のように
26/92

お化け屋敷・・・

 雨の中で見る空き家は、薄気味悪かった。

 誰かがここに住んでいたことがあった、なんてとても思えない。荒れた庭の木が垣根の上から顔を覗かせている。垣根の木も伸び放題で、道路にはみだしている。

「ここなんですか?」

 田辺はおそろしそうに言った。

「そうよ」

「入るんですか?」

「田辺君がそうしたいなら」

 ぐるっと大きく見渡して、

「遠慮するっす」

 わたしは、しばらくそれを見つめていた。良く見れば、瓦のあたりは痛んでいる様子はない。庭は荒れ放題だけれど、家はしっかりと建っている。傾いているわけでもない。そして、ふっと気が付いた。

「田辺君、入らないといけないかもしれないわ」

「え?何故ですか」

 驚いて、田辺は大きな声で言った。

「門の鉄扉が開いているの」

「それがなんなんですか?」

 抗議するような声だった。たぶん、怖いんだろう。夏の間、サークルで怪談がはやっていたから、すっかり怖がりになってしまったのかもしれない。

「この前、わたし達が来たときには開いて無かったのよ。動きそうにすら無かったの」

 田辺はひきつった顔をしたまま首を振った。

「あ、じゃあ壊れたんすね」

 ようやく田辺が言うと、わたしはドアを開いた。雨が腕に当たって、そこだけシャツの色がかわった。田辺もしぶしぶ車から降りてきた。

 わたしは、鉄扉に近寄った。雨に濡れて、痕跡はわずかだったが、かんぬきの部分にこすったような跡があった。

「誰かが来たようね」

 わたしは、そうっと庭へ足を踏み入れた。なんとなく、足音を立ててはいけないような気になっていた。たぶん、わたしも怖いんだろう。この家に棲む、何かに物音を聞かれたくないのかもしれない。

「まさかね」

 わたしは、ふっと笑った。これじゃあ、ホラー映画じゃないか。

「あ、僕、表で見張ってましょうか?」

 田辺は後ろから声をかけた。

「誰が来るっていうのよ。ついてきて」

 がっくりとしたような表情で、嫌々歩いてきた。

「気持ち悪いっすね」

 落ち葉が雨を含んでやわらかくなっていた。もし誰かが来たとしても、これでは足跡が残らない。わたし達は玄関を避け、縁側から家に入った。サッシが無いから、入るというより、上がる、という感じだ。中は薄暗かった。

「田辺君、ライトを持ってきて」

 わたしは振り返って、そう言った。田辺は顔を縦に二度ほど激しく動かすと、こんなところは少しの間でもいたくない、とばかりに走って行った。帰って来てよ、と思った。

 薄暗い中で見回す限り、三日前に来たときと変わっているようには見えなかった。足跡も付いているようには見えない。わたしの足跡は濡れて、はっきりと付いていたから、入った人間がいるとしても、たった今、というわけでは無いだろう。縁側に立ったまま、わたしは、それ以上中に入ることをためらった。さすがにちょっと薄気味悪かった。

 みしっと、背後で音がして、わたしはぎくっとした。振り返ると田辺がライトを持って立っていた。

「驚かさないでよ」

 田辺は、ライトのスイッチを入れると、

「幽霊を起こさないようにしているんです」

 と、小さな声で言った。

「変なこと言わないで」

 わたしは、二つのうち、一つのライトを受け取るとスイッチを入れた。頼りなさげな光りがついた。

「こっちライト、電池が切れかかっているわ」

「あ、そうですね」

 そう言うと、そのまま立っている。交換してくれそうな雰囲気は無かった。薄情者。

「行くわよ」

 わたしは、奥へ足を進めた。

「畳も無いんですね。板がむき出しだ」

 田辺は、みし、みし、と音をたてながらついてくる。わたしは、隣の部屋に入った。カレンダーだけしかない部屋だ。特に変わったところは無いようだった。それにしても、窓の面積が小さい。これでは家の中が暗くても不思議では無い。全体的に、窓が小さいのが、この家の特徴だ。入ってきた縁側以外は、玄関を除いて、出入りできそうなところはない。

「そっちのライトで床を照らしてみて」

「どうしたんですか?」

「足跡が無いか見るだけよ」

 田辺が照らしやすいように体をひねりながら言った。

「特に分からないですね。いくつか足跡があるようですけど」

「そうね」

 サッシが外されているし、鉄扉を開けなくても裏口から入れたことを思えば、誰かが入ってきていたとしてもおかしくはない。それに、畳を外していった人間だっているのだ。引っ越しをした業者なのか、後から来た畳泥棒か、それは分からなかったけれど。

「じゃあ、他の部屋も見てみるわ」

 確か、一階には四部屋あった。トイレと風呂とキッチンを除いてだ。三日前にはそのどれにも、何もなかった。

「こっちの部屋は何もないですね」

 田辺は言った。

「こっちも無いわ」

 あっという間に、四部屋とキッチンを調べた。三日前には開けなかったトイレと風呂も見たけれど、何か変わった様子も無かった。ただ、風呂には石鹸の硬くなったやつだとか、ブラシなんかが置きっぱなしになっていたけれど。

「じゃあ、二階ね」

 わたしは、階段に足をかけた。ぎしっときしむ。

「もう、いいんじゃないすか、奈々先輩」

 嫌そうに、田辺が言った。そうかもしれない、と一瞬思った。一階は何も異常は無かった。鉄扉は誰かがいたずらに開けたのかもしれない。泥棒が入っただけかもしれない。何もないので、そのまま帰ったのかも。

「じゃあ、出る?」

 そう言った途端、がたん、と物音がした。何かが床に落ちた音だった。それは二階から聞こえたような気がした。

「な、な、なんなんですか?」

 そう言った瞬間、田辺は走り出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 わたしも走り出した。怖いものは怖い。

 雨の降る庭に飛び出した田辺を追って、わたしも飛び出した。庭を横切って、ようやくそこで足を緩めた。振り返って見上げると、雨の中に見捨てられた家が不気味に見えた。

「いきなり走らないでよね」

 わたしは息を切らして言った。

「そんなこと・・・」

 田辺も、はあはあ言いながら空き家を見上げる。

「なんの音でしょうか」

 わたしは、音がしたと思われる部屋を見上げた。窓ガラスの向こうにカーテンが見えた。確か、二階には二部屋あって、そのうち手前の部屋には三日前に入った。奥の部屋は、ちらっと覗いたけれど、何もなかった。さっき音がしたのは、その奥の部屋だった。二階の部屋には、二つともカーテンがかけられていた。

「たぶん、湿ったから板の継ぎ目かなんかが伸びてきしんだのよ」

 田辺は疑わしそうな顔をした。

「水分を含むと、伸びるでしょう?」

 わたしは自分でも信じていない仮説を一生懸命に説明していた。

「家鳴りなんて珍しいことじゃないわ」

「ラップ現象ってやつですか?」

 違うわよ。それは、幽霊が出る時に空間が歪む音、とかそういうやつでしょう。変なこと言わないで。

「でも、奈々先輩、さっきのは何かが床に落ちた音でしたよ。かなり重い物が」

 そう言われてみれば、そうだった、と思う。

「けれど、響いたのかもしれないわ」

 わたしは、なんでそんなことにこだわっているのか、と思いながら言った。

「確かめに行かなくちゃ」

 わたしはそう言った。

「やめましょうよ。たぶん家鳴りですよ」

 そうかもしれない。でも、調べないと、なんのためにこの家に入ったのか、意味が無いじゃない。

「行くわよ」

 わたしは、再び縁側に向かった。一瞬、意味が無くてもいいじゃない、と思ったけれど。

「分かりました」

 田辺もいやいや歩き出した。雨は、しとしとと静かに降っていた。

 再び、薄暗い家の中に縁側を横切って入り、今度はまっすぐに家の中央に作られた階段に向かった。階段は、薄暗いなんてものではなかった。晴れた日ですら薄暗かった階段は、雨の降る中では日中でも日が差さない。目が慣れないうちはライト無しでは、なんとなくしか見えない。おそるおそる一段、一段をライトで照らしながら上がっていく。そのたびに、ぎし、ぎし、と板がきしんだ。田辺も何も言わずに後ろから上がってくる。湿気臭い匂いが充満していて、何処かで、水がしたたる音がした。雨樋が詰まって、何処からかあふれているんだろう。

 やっとのことで二階に上がり、とりあえず、手前の部屋を覗いた。この間来たときには、襖は閉まっていた。今回は開いていた。この間、閉めて帰ったかしら、と必死に思い出そうとしたけれど、どうしても記憶が曖昧なままだった。閉めて帰ったような気がするのだけど、確かではない。

 ベッドがあって、机があった。この間と同じ。引出は全部引き出されていて・・・。

「誰かが来たのね」

 わたしは確信した。引き出しは全部戻したはずだった。襖も閉めた。確かにわたしは、それを閉めた。わたしは振り返って、田辺を見た。気をつけて、と目で合図する。隣には誰かがいるのかもしれない。この家で、何かを探していた人間が他にもいたことは確かだ。わたしは、そうっと足音を立てないように部屋を出て、隣の部屋に向かった。隣の部屋の襖は閉まっていた。そうっとその前まで歩く。田辺もすぐ後ろをついてきていた。目で合図する。

 そうっと襖の取っ手に手をかけ、中から物音がしないか聞き耳をたてた。何も音はしなかった。けれど、その向こうには誰かがいて、わたし達のことを襲おうとしているのかもしれなかった。わたしは深呼吸を一度だけしてぐっと力を腕に込めた。埃臭い空気だった。

 がらっと、音がしてそれは開いた。そしてそこにあった物を見て、わたしは全身に寒気が走った。もう、何が何だか分からないうちにすごい声を立てていた。そこには、シルエットになった、人間が、天井からぶら下がっていたのだった。


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