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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
追憶は陽炎のように
25/92

再び出張

 シャワーを浴びて、それから服を着て、外に出た。

 体がだるくて、喉が痛かった。風邪をひいたのかもしれない。夕方の裏通りを吹き抜けていく風が寒く感じられた。もう一枚、何か着て来た方がよかったかもしれない。半袖のシャツ一枚、っていうのはまずかったかしら。

 でも、戻るほどの気力はなくて、そのまま大学に入った。歩いて3分の距離なのだから、大したこと無いわ。

 そのままサークル棟へ入り、階段を上がる。体が重い。これはますますいけない。

 ようやくの思いで、3階まであがり、並ぶドアの一番薄暗いところへ歩いた。「杉並大学探偵事務所」のネームプレートがかすんで見えた。ふらふらとしてドアノブが揺れて見えた。

 ためらいながら、それをつかんで回し、中へ入った。

「ようやく来たか」

 アストはそう言うと、ちらっとこちらを見た。わたしは、座れる場所を目で探した。ソファーはアストが占領している。向かいのソファーはごみが占領している。デスクの椅子は空いている。わたしはそこへのろのろと歩いて行った。

「どうした?二日酔いか?」

 わたしは、ゆっくりと腰を下ろした。間接がぎしぎしいっているようだった。

「なんか、熱っぽくて」

「裸で寝てたんだろ、酒飲んで」

「ちゃんと服着て寝たわよ」

 何を答えているんだろうな、と思った。

「とにかく、今日は一美たちが利沙の住んでいたアパート周辺で聞き込みをやっている」

「そう、それはよかったわ」

「本当は、仕事の割り振りもお前の仕事だろ、奈々」

「そうね。ありがとう」

「風邪か?」

 わたしは、デスクに肘を乗せて倒れないようにした。

「そうかもしれない」

「仕方無いな。明日から三日間、長野で調査をしようと思っていたけど、ラスト三日間に変更しよう」

「いいの?」

「ああ、田辺が一緒に行くことになる。おれはこっちの仕事をするよ」

「ありがとう、アスト」

 アストは、手をひらひらと振った。

「じゃあ、奈々は帰って寝なよ。長野に行く前には、その風邪、治しておいてくれ」


 三日間の休暇をもらった気分だった。

 もっとも、大学の講義には出なくてはいけないのだけど。そろそろ出ないとまずい講義がいくつかあった。

 とにかく、重い体を引きずるように3つほど講義に出て、出席だけ確保した以外は、部屋にいた。

 その間、ブルースブラザーズという映画と、パトリシア・コーンウエルの小説を読んで過ごした。

 調査のことは、ほとんど考えず、なるべく酒を飲まない生活を心がけた。わたしにしては、上出来な節制のしかただった。


 なのに、その日、起きた時から頭痛がした。

 二日酔いか、と思ったけれど、そんなはずはない。昨日の夜はビールを一杯飲んだだけのはず。やっぱり風邪なのかもしれない。

 けれど、長野まで調査に行かなくちゃいけないから、わたしは着替えて部屋を出た。せきは出ないけれど、体がだるい。寝すぎかもしれない。

 九時頃に事務所に出ると、まずは休んでいた間の報告書に目を通した。ぼうっとして頭に入らなかったけれど、それでもなんとか全部読んだ。

 その日は月曜日で、佐久間が言うには彼女の休みの日のはずだった。ちらっと時計を見上げると十時を少し回っていた。電話には出るだろう。

「もしもし?」

 電話の向こうから、はっきりとした声が返ってきた。

「蓮田さん?」

「ええ。報告書は受け取られましたか?」

「はい。ありがとう」

「ご不明なこととかありますか?」

「特にないわ」

「そうですか。これから長野に向かいます。こちらでの調査は一応、終了として残りの三日間を向こうでの調査に充てようかと思っていますがよろしいですか?」

「いいわ。でも、言い忘れていたことがあったわ」

 言い忘れた?

「なんでしょう?」

「利沙が失踪する二週間前から、私と利沙、部屋を入れ替わっていたの」

「え?」

 聞き間違いかと思った。それほど唐突だった。田辺達の調べた書類には、そういうことには触れられていなかった。

「利沙にはストーカーがいたの。それで、利沙のために部屋を交換したの。利沙が引っ越しをするまで、という条件でね」

 ストーカー?それも初耳だった。そんな大切なこと、知っていたのなら、どうして最初から話してくれないの?

「そのストーカーについて調べましょうか?」

 思わず、そう言ってしまった。

「そうね。その人は長野に住んでいるから」

 なにそれ。遠距離ストーカー?恋愛ならともかく、それはちっともロマンチックじゃないわ。

「どなたなのかご存じ何ですか?」

 佐久間は、一瞬だけ答えるのをためらったようだった。

「いいわ。答えます。利沙のね、元旦那なのよ」


 カローラバンは、高速道路をぜいぜい言いながら走っていた。

 このポンコツも風邪気味なのかしら、と思いながら運転していた。わたしは風邪薬を飲んでいたけれど、体は重かった。しかも、薬のせいか風邪のせいなのかぼうっとする。隣の席で田辺が二、三度悲鳴をあげていたから、信号の一つか二つ、見落としたのかもしれない。だから、途中のサービスエリアで運転を交代した。でも、田辺も運転はうまくなく、正直にいえば、余計に疲れるから、自分で運転したかった。

 空がどんより曇っていたのが悪かったのかもしれない。

 長野に着く頃には、雨が振り出した。

「ついに降ってきちゃいましたね」

 田辺はハンドルを握ったままフロントガラスごしに空を見上げた。ワイパーが水滴をはじきとばした。ぱしゃぱしゃ、というその音がわたしは好きだ。

「聞き込み、しにくいのよね、雨って」

 わたしは、ぼうっと言った。

「そうですよね」

 田辺もなんとなくそう答えた。見える景色に緑が濃くなってきていた。

 この間、聞き込みをしたコンビニを通り過ぎ、たった三日前に来たばかりの村に入る。自転車で走ったところは、特に景色に見覚えがあった。

 三日前、アストが役所で調べたところによれば、利沙は今でも、あのあばら家に住んでいることに、書類上はなっていた。彼女は転出届けを出していなかったのだ。

「今回も、利沙の友達ってことでいきますか?奈々先輩」

「そうね」

 以前、一度来ただけだけど、田舎の事だ。うわさが広まっていないとも限らない。今回、役所から来た、などといったら、嘘がばれるかもしれない。いずれにしても、相手が話しやすい嘘を考えることが重要だ。人は、他人の秘密を話したがっている。

「何処から始めますか?」

 田辺が主語も目的語も飛ばして話を始めるのは今に始まったことではない。たぶん、調

査のことを言っているんだろう。

「空き家から」

「なんでですか?この間、あそこは調べたんじゃないんすか?」

「そうよ。でも依頼人が、そう言うんだから」

 朝の電話で、佐久間は長野の二度目の調査を利沙の生家から始めるように言っていた。たった一年で空き家が、あれほどまでに荒れた理由を知りたがったのだ。

「気が進みませんよね。町田先輩が言うには、そうとう薄気味悪いらしいじゃないですか」

 ちらっと田辺の顔を見ると、本当に暗い顔をして田辺は運転していた。そういえば、彼、そうとうの怖がりだった。

「とにかく、家の前までは行きましょう」

「わかりました」

 田辺は、うなずくとハンドルを切って左折した。

「奈々先輩」

「なあに?」

「こっちでいいんですか?」


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